出雲大社で縁結びを祈願した私は、このまま境内を出て・・・
早めのお昼をいただいた「八雲」さんの前に来ていました。
もう一度そばをいただきたかったのですが、さすがにお昼どきとあって中は混みあっているようでした。
おそばは諦め、「八雲」さんの面する国道431号線を西に進み、海へと向かいます。
「八雲」さんから300メートルほど、ゆっくり歩いて5分ほどで・・・
出雲阿国墓所に着きました。
(この像は別のところにありますよ~)
その素性や生涯は伝説に彩られていて定説を見ませんが、出雲国
阿国は成長して出雲大社の巫女となり、勧進のため諸国を回り評判となったといいます。
記録では、慶長5年(1600年)京の都にて「クニ」なる人物が「ヤヤコ跳」を踊ったと記されています。
この「クニ」が阿国と考えられ、さらに3年後の慶長8年に「かふきおとり」を踊ったとあることから、歌舞伎踊りを創始したのはこのころと考えられています。
慶長12年(1607年)江戸城で勧進歌舞伎を上演し、これを最後に阿国は歴史の表舞台から消えてしまいます。
その後阿国は出雲に戻って尼となり、87歳で生涯を閉じたという伝承があるそうです。
伝説の女性・出雲阿国が眠るという墓。
墓碑には「歌舞伎元祖 出雲お国墓」とあります。
平成14年(2002年)に修繕されたものです。
阿国の墓の後ろには、阿国の生家とされる中村家の墓があります。
・・・・・・合掌して、次の場所へ。
出雲阿国墓所から約300メートル、ゆっくり歩いて5分ほどで・・・
大きなイチョウの木が前面に立つ奉納山公園の入口へ。
このイチョウは「乳房イチョウ」と呼ばれているそうです。
高台へのぼってみる前に・・・
出雲阿国終焉地の碑。
人間国宝であった歌舞伎役者・二代目中村鴈治郎の書によるものです。
ちなみに二代目鴈治郎の長女は中村玉緒でございますぅ~おぼぼぼぼ。
高台の中腹には於国塔が安置されています。
歌舞伎の中村家や市川家をはじめとした役者たちの寄進により、昭和11年(1936年)にはじめて建てられました。
現在の於国塔は、昭和43年(1968年)に再建されたものです。
塔の土台となっている石段には、再建当時に寄進した名優の名を見て取ることができます。
奉納山公園の展望台に上がってみました。
眼下には稲佐の浜、そして日本海。
南西の方を見やると、稲佐の浜から続く
薗の長浜、そして彼方の三瓶山については、「国引き神話」という物語があります。
「国引き神話」は、わが国の正史ともいうべき「古事記」「日本書紀」に記述はなく、「出雲国風土記」にのみ記述がある物語です。
そこでは、
最初に造られた出雲国は、「細長い布のように東西に長い、失敗作だ」と八束水臣津野命は考えていました。
そこで
この国引きでできたのが、現在の島根半島だといいます。
志羅紀は朝鮮半島の新羅、高志の都都は「越」の国(越前・越中・越後)・・・ではなく能登国の
八束水臣津野命は、引き寄せた土地が再び離れていかないように、大きな杭を立てて縄で結びました。
のちに、志羅紀からの土地を結んだ綱は薗の長浜や稲佐の浜となり、大きな杭は三瓶山となりました。
また、高志の都都からの土地を結んだ綱は弓ヶ浜となり、大きな杭は
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