昼の短き時節、日の傾き始める頃。
二本松城【国指定史跡】を退去し、歩いて二本松駅に戻ってきました。
今回の旅で目的地としていたふたつの城を訪れ、あとは拙宅に戻るだけとなりました。
このときの時刻は、午後3時を回ったばかり。
二本松から東京までの所要時間は、大きく見積もってもだいたい5時間くらい。ということは・・・
まだいける。
そこで100名城をもうひとつ登城できないか、検討してみました。
二本松から近い100名城は・・・
・会津若松城【国指定史跡】(福島県)
・仙台城【国指定史跡】(宮城県)
・多賀城【国指定特別史跡】(宮城県)
携帯さんで時刻表を調べたところ、いずれも帰りの電車がなくなるという結果が出ました。
ただ、100名城ではないのですが、宮城県南部の白石城には行けそうだということがわかりました。
そこで急きょ、東北本線の上り電車ではなく、下り電車へ。
二本松駅のキオスクに立ち寄り、ちょっとしたおみやげを探してみました。
そこで見つけた赤べこのストラップを買いました。
(画像には・・・白石城で買ったおみやげも写っていますねぇ)
【今回の金銭支払記録】
▲赤べこのストラップ 367円 (残553円)
おみやげを買って、程なくやって来た 15時16分発 東北本線 普通電車 福島行きに乗車。
福島駅には、15時39分に到着。
福島駅からは、さらに東北本線を北上。
待ち時間もほとんどなく、15時45分発 東北本線 普通電車 仙台行きに乗り継ぐことができました。
予定にはなかった宮城県入り。
16時18分、白石駅に到着しました。
【今回の乗車記録】
JR東日本 二本松駅 1番線 15時16分発
■東北本線 普通 福島行き
福島駅 3番線 15時39分着
福島駅 1番線 15時45分発
■東北本線 普通 仙台行き
白石駅 1番線 16時18分着
*所要時間 1時間02分(移動時間 56分 待ち時間 6分)
*移動距離 56.5km *運賃 18きっぷ使用(不使用の場合は950円)
※運賃は当時のものを掲載しています。
白石城に行く前に、まずなすべきことは、終電時刻の確認。
調べたところ、白石からの終電は17時48分。
滞在時間は1時間半弱といったところです。
さらになすべきことは、白石城の位置確認。
登城予定外の城とあって、白石城に関する情報はほぼありません。
駅の案内所で周辺地図をもらいます。
白石城までは大した距離はなさそうでした。
それでは、白石城へ!
刻々と、宵闇が空を覆っていきます。
駅前の道を歩いていると、片倉小十郎ののぼりがやたらと多く立っているのを見かけます。
カプコンの某ゲームのものと見受けられます。
わが鬼ヅモ同好会で片倉小十郎といったら、
断然コッチですな。
片倉小十郎、諱は景綱。
米沢城主・伊達輝宗に才を見出され、嫡男・梵天丸(のちの政宗)の教育係となります。
片目を失い内気になる梵天丸に対し、失明した右目をえぐり出すという荒療治をしたといいます。
成長した政宗は闊達な武将となり、24歳にして南奥州に覇を唱えました。
「伊達三傑」のひとりで、武の伊達
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際には、時機の遅れを説き秀吉との徹底抗戦を説いた成実に対し、秀吉を「夏のハエ」にたとえ「追い払ってもしつこく飛んでくるから」と小田原への参陣を主張し、主家の危機を救いました。
秀吉は、三春の地(福島県)を景綱に与え政宗との分断を図りましたが、景綱はこれを固辞し、終生政宗に仕えました。
征夷大将軍となった徳川家康も、景綱の智勇を高く評価したといいます。
白石城へ向かう「
そこに待ち受けていたのは、片倉小十郎ののぼりよりはるかに多い、飛び立つカラスの群れ。
城に近づくにつれ、迫る宵闇、カラスの群れ。
否が応にも緊張感が高まってきます。
おおガラス6体(ドラクエ3)よりも普通のカラス200羽(推定)のほうが断然恐ろしく感じます。
幸いにしてカラスの群れに襲われることはなく、白石城に到着しました。
時刻はすでに閉館時刻を過ぎ、本丸には入れませんでした。
そびえ立つ三階櫓【再建】と大手門【再建】をながめるだけとなりました。
さてこの「三階櫓」は事実上の天守となっていますが、白石城では「天守」とはいいません。
それは、片倉氏の主君である伊達氏の居城である仙台城に天守がないため、それに遠慮して「天守」と呼ばないのだそうです。
白石の地は、鎌倉時代に
刈田氏は白石氏と改め、伊達氏に仕えます。
しかし天正18年(1590年)豊臣秀吉の奥州仕置により、伊達家の領域に属していた白石は召し上げられ、蒲生氏郷に与えられました。
氏郷は白石に家臣・蒲生郷成を配し、郷成により白石の地に城が築かれることとなりました。
これが白石城のはじまりです。
蒲生氏郷の死後は上杉景勝の領地となり、上杉家臣・甘糟清長が城主となり、再構築がなされました。
関ヶ原の戦い直前、伊達政宗が白石城を攻略し、片倉小十郎景綱が城主となりました。
以来倒幕まで260年余り、一国一城令の例外として存続し、片倉氏が代々城主を務めました。
戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟が白石城で結ばれ、その公議府が置かれました。
当時のデジカメさんのキャパシティの限界で、画像には残っておりませんが・・・
宵闇に月がかかる三階櫓は、なかなか趣深いものでした。
本丸に入れなかった代わりに、白石城歴史探訪ミュージアムにあるおみやげ屋さんへ。
ここでは白石城の絵葉書&切手セット(200円)と、片倉小十郎の付せんセット(300円)をお買い上げ。
【今回の金銭支払記録】
▲白石城の絵葉書&切手 200円
▲片倉小十郎の付せん 300円 (残53円)
いちおう白石まで足を運びましたが・・・やっぱり三階櫓には上ってみたかったな。
100名城ではないですが、白石城への再訪を心に誓い、白石駅へと戻っていきました。
※白石城は、平成29年4月6日付で「続日本100名城」に選定されました。(第5番)
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