キャンドルライトサービス宣教 コリント二:8・9
メリークリスマス。救い主イエス・キリストのご降誕を心より讃美いたします。
本日はこのクリスマスイブの礼拝にようこそいらっしゃいました。
クリスマスは、クライスト;キリストのマスはミサ、つまりキリストの祝祭という意味です。イエス・キリストが神のご計画により、全世界の救い主としてこの地上にお生まれくださったことを記念し、喜び祝う、このクリスマスであります。
この時期は街並みがきらびやかなイルミネーションに彩られ、様々なところでイベントが行なわれているようですが。「キリスト教会でほんとうのクリスマスを過ごしたい」という思いをおもちになってこの場に初めておこしになられた方もいらっしゃるかも知れません。心から歓迎いたします。
先に、クリスマスの聖書の箇所の朗読があり、キャロルが歌われました。
クリスマスのよい知らせを最初に聞いたのは、21日の礼拝でもお話しましたが。「定住する場がなく夜通し羊の番をしていた羊飼いたち」でありました。彼らは天使の告げた救い主誕生の知らせを確かめるために急いでベツレヘムへと向かいます。そして遂に、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てると、その喜びを人々にも知らせ、神をあがめ、賛美しながら帰っていったのでありました。
又、もう一つのエピソードとして、ユダヤ人ではない東方からの学者たちが救い主誕生のしるしを天に見て、遠い国からはるばるベツレヘムへやって来たこと。そして、ひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて黄金、乳香、没薬を贈物として献げたことが読まれました。彼らは預言者イザヤの「救い主メシアに関する預言」を研究し、遂にその時が訪れたことを知って遠路こうして祝うために遥々やって来るのです。
皆さまもまた、寒く暗い中を歩いて来られ、遠い方も車や交通機関を使ってここにお出でになりました。年末で何かとご多用な中、羊飼いらのようにひとまずそれらをおき、イエスさまの誕生をお祝いするため教会にこうしていらっしゃいました。皆さまがこの小さな幼子イエスさまの中に救いの希望をご覧になり、彼らと一緒に喜びに満たされるこのクリスマスとなりますよう祝福をお祈りいたします。
又、今日この日に同時に祈りたいことがあります。それは喜び祝いたくともおかれた状況があまりに過酷な方々のことです。
教会の近隣にもこの寒さの厳しい時期に路上で長い夜を過ごさざるをえない方々が現におられます。凍てつく厳寒のこの時期には特に「路上で死者を1人も出さない」を合い言葉に、毎年釜ヶ崎キリスト教協友会主催で様々な教会関係者やボランティアによる越冬夜回りが行われます。格差社会が急速に拡大していく中で、子どもたちの貧困や虐待。若い人うちからファーストフードやネットカフェで寝泊まりして生活をつないでいる方々もおられます。
東日本大震災と原発事故から3年9カ月が過ぎますが、未だに先行きも見えず生活せざるを得ない方が大勢いらっしゃいます。又、休みなく危険なフクシマの原発の廃炉のために働いておられる方々もおられます。バプテスト連盟現地支援委員会の瓦版には、岩手、宮城、福島にある諸教会において、それぞれの地に建てられた仮設住宅に入居されている被災者の方々への訪問や交流を今も地道に続けておられることが報告されています。
その瓦版の中に、「私たちは、万事を益としてくださる主を信じ、被災された方々と共なる歩みをこれからも継続します」と記されていました。
関西にいる私たちはなかなかその現地の厳しい状況を感じ取るアンテナが鈍くなっていることは否めません。けれどもその想像を超える状況の中でクリスマスを過ごしておられる方々を祈りに覚えたいと思います。
又、広島の土砂災害や先日の大雪の被災者の方々、そしてもう20年が経とうとしている今も、阪神淡路大震災の被災者であり続ける他ない方々のことを覚え、それらの方々のもとにどうか希望の光が灯されますようにと、祈りたいと思います。
そして、今日このクリスマスのイブ礼拝に足を運ばれたお一人おひとりも、それぞれに悩みや痛みを抱えつつこの1年を過ごされたと思います。病気やその人たちの看病で礼拝に来れない人たち、仕事で時間のとれない人たち、心の元気をなくしている人たちがおられます。主イエスはそのような悩み多き私たち、寄る辺なき私たちと、共に生きるために自ら貧しい者、人間というもろく弱い存在としてお生まれくださいました。インマヌエル、主我らと共におられるとは、そういうことであります。
もう一度本日の聖書のお言葉を読みましょう。
「あなたがたは、わたしたちの主イエスの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」
あなたがたが豊かになるため。その豊かさとは、私たちのクリスマスの喜びが決して独りよがりの喜びではなく、世界中で主の救いを必要としているすべての人々と喜びを共にし、つながり、分かち合われる「豊かさ」であります。
この後、献金の時を持ちます。この献金は対外の支援を必要としているところにプレゼントさせていただくものです。今年も昨年と同じく、日本聖書協会の点字聖書作製のために、滋賀県の知的障がいを抱える方々の施設・止揚学園、そして越冬夜回り支援活動の母体の釜ヶ崎キリスト教協友会へ贈らせていただきます。
神さまがその独り子である御子イエス・キリストを私たちに与えて下さったその大いなる慰めと励まし、その喜びを私たちも又、分かち合えたらうれしいですよね。
祈ります。天の父なる神さま。新会堂が与えられて2回目のクリスマス・キャンドルサービスを感謝します。
私たちはこんなに立派な会堂で礼拝をお捧げしていますが。イエスさまは「その貧しさによって私たちが豊かになるため」に家畜小屋の飼い葉桶に寝かされ、それが世界の最初のクリスマスであったことを忘れません。
どうか、この地上の隅々に訪れたクリスマスのその喜びと、私たちのクリスマスの喜びをひとつにしてください。又、ここに集われたお一人お一人の課題に御手を添えて、新しい年へと歩み出す力をお与えください。そして、苦闘している隣人のために留まり、寄り添う優しさを持つ私たちとしてください。そのために用いられますように、私たちの心も体も時間もお捧げます。救い主・イエス・キリストのご降誕を心から感謝してお祈りします。
ア―メン。
メリークリスマス。救い主イエス・キリストのご降誕を心より讃美いたします。
本日はこのクリスマスイブの礼拝にようこそいらっしゃいました。
クリスマスは、クライスト;キリストのマスはミサ、つまりキリストの祝祭という意味です。イエス・キリストが神のご計画により、全世界の救い主としてこの地上にお生まれくださったことを記念し、喜び祝う、このクリスマスであります。
この時期は街並みがきらびやかなイルミネーションに彩られ、様々なところでイベントが行なわれているようですが。「キリスト教会でほんとうのクリスマスを過ごしたい」という思いをおもちになってこの場に初めておこしになられた方もいらっしゃるかも知れません。心から歓迎いたします。
先に、クリスマスの聖書の箇所の朗読があり、キャロルが歌われました。
クリスマスのよい知らせを最初に聞いたのは、21日の礼拝でもお話しましたが。「定住する場がなく夜通し羊の番をしていた羊飼いたち」でありました。彼らは天使の告げた救い主誕生の知らせを確かめるために急いでベツレヘムへと向かいます。そして遂に、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てると、その喜びを人々にも知らせ、神をあがめ、賛美しながら帰っていったのでありました。
又、もう一つのエピソードとして、ユダヤ人ではない東方からの学者たちが救い主誕生のしるしを天に見て、遠い国からはるばるベツレヘムへやって来たこと。そして、ひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて黄金、乳香、没薬を贈物として献げたことが読まれました。彼らは預言者イザヤの「救い主メシアに関する預言」を研究し、遂にその時が訪れたことを知って遠路こうして祝うために遥々やって来るのです。
皆さまもまた、寒く暗い中を歩いて来られ、遠い方も車や交通機関を使ってここにお出でになりました。年末で何かとご多用な中、羊飼いらのようにひとまずそれらをおき、イエスさまの誕生をお祝いするため教会にこうしていらっしゃいました。皆さまがこの小さな幼子イエスさまの中に救いの希望をご覧になり、彼らと一緒に喜びに満たされるこのクリスマスとなりますよう祝福をお祈りいたします。
又、今日この日に同時に祈りたいことがあります。それは喜び祝いたくともおかれた状況があまりに過酷な方々のことです。
教会の近隣にもこの寒さの厳しい時期に路上で長い夜を過ごさざるをえない方々が現におられます。凍てつく厳寒のこの時期には特に「路上で死者を1人も出さない」を合い言葉に、毎年釜ヶ崎キリスト教協友会主催で様々な教会関係者やボランティアによる越冬夜回りが行われます。格差社会が急速に拡大していく中で、子どもたちの貧困や虐待。若い人うちからファーストフードやネットカフェで寝泊まりして生活をつないでいる方々もおられます。
東日本大震災と原発事故から3年9カ月が過ぎますが、未だに先行きも見えず生活せざるを得ない方が大勢いらっしゃいます。又、休みなく危険なフクシマの原発の廃炉のために働いておられる方々もおられます。バプテスト連盟現地支援委員会の瓦版には、岩手、宮城、福島にある諸教会において、それぞれの地に建てられた仮設住宅に入居されている被災者の方々への訪問や交流を今も地道に続けておられることが報告されています。
その瓦版の中に、「私たちは、万事を益としてくださる主を信じ、被災された方々と共なる歩みをこれからも継続します」と記されていました。
関西にいる私たちはなかなかその現地の厳しい状況を感じ取るアンテナが鈍くなっていることは否めません。けれどもその想像を超える状況の中でクリスマスを過ごしておられる方々を祈りに覚えたいと思います。
又、広島の土砂災害や先日の大雪の被災者の方々、そしてもう20年が経とうとしている今も、阪神淡路大震災の被災者であり続ける他ない方々のことを覚え、それらの方々のもとにどうか希望の光が灯されますようにと、祈りたいと思います。
そして、今日このクリスマスのイブ礼拝に足を運ばれたお一人おひとりも、それぞれに悩みや痛みを抱えつつこの1年を過ごされたと思います。病気やその人たちの看病で礼拝に来れない人たち、仕事で時間のとれない人たち、心の元気をなくしている人たちがおられます。主イエスはそのような悩み多き私たち、寄る辺なき私たちと、共に生きるために自ら貧しい者、人間というもろく弱い存在としてお生まれくださいました。インマヌエル、主我らと共におられるとは、そういうことであります。
もう一度本日の聖書のお言葉を読みましょう。
「あなたがたは、わたしたちの主イエスの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」
あなたがたが豊かになるため。その豊かさとは、私たちのクリスマスの喜びが決して独りよがりの喜びではなく、世界中で主の救いを必要としているすべての人々と喜びを共にし、つながり、分かち合われる「豊かさ」であります。
この後、献金の時を持ちます。この献金は対外の支援を必要としているところにプレゼントさせていただくものです。今年も昨年と同じく、日本聖書協会の点字聖書作製のために、滋賀県の知的障がいを抱える方々の施設・止揚学園、そして越冬夜回り支援活動の母体の釜ヶ崎キリスト教協友会へ贈らせていただきます。
神さまがその独り子である御子イエス・キリストを私たちに与えて下さったその大いなる慰めと励まし、その喜びを私たちも又、分かち合えたらうれしいですよね。
祈ります。天の父なる神さま。新会堂が与えられて2回目のクリスマス・キャンドルサービスを感謝します。
私たちはこんなに立派な会堂で礼拝をお捧げしていますが。イエスさまは「その貧しさによって私たちが豊かになるため」に家畜小屋の飼い葉桶に寝かされ、それが世界の最初のクリスマスであったことを忘れません。
どうか、この地上の隅々に訪れたクリスマスのその喜びと、私たちのクリスマスの喜びをひとつにしてください。又、ここに集われたお一人お一人の課題に御手を添えて、新しい年へと歩み出す力をお与えください。そして、苦闘している隣人のために留まり、寄り添う優しさを持つ私たちとしてください。そのために用いられますように、私たちの心も体も時間もお捧げます。救い主・イエス・キリストのご降誕を心から感謝してお祈りします。
ア―メン。