<【事業仕分け】蓮舫氏に「私の話も聞いて!」と声を荒げた女性は>
産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/ 2009年11月12日
「事業仕分け」初日の11日に民主党の蓮舫参院議員(41)に強く抗議した独立行政法人「国立女性教育会館」の神田道子理事長(74)は長年、民間で男女共同参画を訴え、体現してきた論客だった。
「私の話も聞いてください。一方的にただ質問に答えろというのは心外だ」
同会館の事業について、自分が説明している途中に蓮舫氏に「稼働率は?」などと質問をかぶせられた神田氏は、こう声を荒らげた。結局、同会館は予算削減と判定されたが、予算を削る側と守りたい側が衝突した場面として、テレビで繰り返し報じられた。
神田氏は民間出身で、「天下り」ではない。新潟県出身で、お茶の水女子大を卒業後、財団法人の研究員や大学の講師をするなかで、女子学生の職業意識などを研究。2000年には東洋大学初の女性学長に就任し、01年には政府の男女共同参画会議の議員も務めた。
著書には「現代における婦人の地位と役割」など女性の社会参画にかかわるものが多数あり、「働く女性」の先駆者的存在だ。
神田氏はかつて「政策決定に女性が関与できなければ、共同参画ではなく、社会参加」と語ったこともある。いま、その言葉を体現している蓮舫氏とのバトルは、皮肉といえば皮肉。
-------------------------------------
このやりとりをオヤジもテレビで観ましたが、これは神田氏が正論でしょ。
蓮舫氏の質問の仕方は、相手の発言を許さず、いたずらに攻撃的でした。それは、キレ味が鋭いというよりも、自らが正義の味方的立場を誇示して、問答無用と一刀両断にするようなもので、必ずしも共感を得られるとは思えません。
国会議員は、一種の議論のプロなんですから、卑しい手法を駆使するのではなく、しっかりと構えて人の話を聞き、矛盾点や問題点を鋭く指摘して、捌いてもらいたいものです。
ただ、こういったことが公開の場で行われることは良いことです。
今までの予算の使い方がいかに観念的で使うことありきで大雑把に行われていたか、結局官僚にとっては人の財布でしかないということを改めて感じさせられました。
その一方でここだけがクローズアップされることもまた危険だと思います。
そんなものばかりではなく、国民が国が責任を持て、国が責任を取れと連呼する中でやるべきもの、やらざるを得ないものもまた数多くあるわけですから。
今回の「仕分け」というものがホントにごく一部分でしかないこともまた、我々はしっかりと認識すべきでしょう。
産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/ 2009年11月12日
「事業仕分け」初日の11日に民主党の蓮舫参院議員(41)に強く抗議した独立行政法人「国立女性教育会館」の神田道子理事長(74)は長年、民間で男女共同参画を訴え、体現してきた論客だった。
「私の話も聞いてください。一方的にただ質問に答えろというのは心外だ」
同会館の事業について、自分が説明している途中に蓮舫氏に「稼働率は?」などと質問をかぶせられた神田氏は、こう声を荒らげた。結局、同会館は予算削減と判定されたが、予算を削る側と守りたい側が衝突した場面として、テレビで繰り返し報じられた。
神田氏は民間出身で、「天下り」ではない。新潟県出身で、お茶の水女子大を卒業後、財団法人の研究員や大学の講師をするなかで、女子学生の職業意識などを研究。2000年には東洋大学初の女性学長に就任し、01年には政府の男女共同参画会議の議員も務めた。
著書には「現代における婦人の地位と役割」など女性の社会参画にかかわるものが多数あり、「働く女性」の先駆者的存在だ。
神田氏はかつて「政策決定に女性が関与できなければ、共同参画ではなく、社会参加」と語ったこともある。いま、その言葉を体現している蓮舫氏とのバトルは、皮肉といえば皮肉。
-------------------------------------
このやりとりをオヤジもテレビで観ましたが、これは神田氏が正論でしょ。
蓮舫氏の質問の仕方は、相手の発言を許さず、いたずらに攻撃的でした。それは、キレ味が鋭いというよりも、自らが正義の味方的立場を誇示して、問答無用と一刀両断にするようなもので、必ずしも共感を得られるとは思えません。
国会議員は、一種の議論のプロなんですから、卑しい手法を駆使するのではなく、しっかりと構えて人の話を聞き、矛盾点や問題点を鋭く指摘して、捌いてもらいたいものです。
ただ、こういったことが公開の場で行われることは良いことです。
今までの予算の使い方がいかに観念的で使うことありきで大雑把に行われていたか、結局官僚にとっては人の財布でしかないということを改めて感じさせられました。
その一方でここだけがクローズアップされることもまた危険だと思います。
そんなものばかりではなく、国民が国が責任を持て、国が責任を取れと連呼する中でやるべきもの、やらざるを得ないものもまた数多くあるわけですから。
今回の「仕分け」というものがホントにごく一部分でしかないこともまた、我々はしっかりと認識すべきでしょう。