隣国の大統領が我が国に対して「正しい歴史」を主張するなら、竹島の帰属問題について何故国際司法裁判所への付託に同意しないのか。
結局、彼らにとって「正しい」というのは、彼らの視点で「正しい」ことでしかないからです。
だから実効支配という強硬な武力行為に訴えるしかないのです。
世界中の歴史の教科書を「正しい歴史」という視点で分別してみたらよろしい。
全ての国の歴史教科書を突き合わせて、もし対立する視点が全て無ければそれが「正しい歴史」でしょう。
そんなことは絶対にあり得ないのです。
何故なら、歴史教育は自国の国民に自国の正当性と誇りを育むことにあるのですから。
66回目の敗戦の日を迎えるにあたり、戦時中を知る人が少なくなっているのは何も日本に限りません。
周辺諸国も戦争を体験した人が極めて少なくなっている中で、歴史の教科書に書かれている各国自身に都合の良いことが「正しい事実」として刷り込まれていくことを、重要な課題として認識する必要があります。
二度と戦争を起こしてはならないという反戦思想と、先の戦争の責任が全て日本の覇権主義、侵略行為にあるような自虐史観を混同してはいけません。
日本を貶めようとする連中は、何かとそこを混同させるように仕向けてくるんです。
ご近所づきあいとはいえ、日々の生活のご近所と国家のご近所は全く違うということを認識することが必要です。
仲良くということは全てにベッタリ依存し合うことではなく、互いの立場の違いを尊重し、協力し合える点を協力し、対立する点をお互いの立場として理解し合えるかだと思います。
結局、彼らにとって「正しい」というのは、彼らの視点で「正しい」ことでしかないからです。
だから実効支配という強硬な武力行為に訴えるしかないのです。
世界中の歴史の教科書を「正しい歴史」という視点で分別してみたらよろしい。
全ての国の歴史教科書を突き合わせて、もし対立する視点が全て無ければそれが「正しい歴史」でしょう。
そんなことは絶対にあり得ないのです。
何故なら、歴史教育は自国の国民に自国の正当性と誇りを育むことにあるのですから。
66回目の敗戦の日を迎えるにあたり、戦時中を知る人が少なくなっているのは何も日本に限りません。
周辺諸国も戦争を体験した人が極めて少なくなっている中で、歴史の教科書に書かれている各国自身に都合の良いことが「正しい事実」として刷り込まれていくことを、重要な課題として認識する必要があります。
二度と戦争を起こしてはならないという反戦思想と、先の戦争の責任が全て日本の覇権主義、侵略行為にあるような自虐史観を混同してはいけません。
日本を貶めようとする連中は、何かとそこを混同させるように仕向けてくるんです。
ご近所づきあいとはいえ、日々の生活のご近所と国家のご近所は全く違うということを認識することが必要です。
仲良くということは全てにベッタリ依存し合うことではなく、互いの立場の違いを尊重し、協力し合える点を協力し、対立する点をお互いの立場として理解し合えるかだと思います。
