goo blog サービス終了のお知らせ 

ビール飲みオヤジの日々雑感

ビール飲みオヤジが日々感じる雑感を徒然なるままに。

北海道に3軒

2006年04月15日 | 音楽
昨秋札幌に移ったばかりの時に立ち寄った大きな楽器屋さんで、気軽に毛替えを頼めるところは無いと聞き、愕然としてここにも書きましたが、HPを検索して行き当たった弦楽器工房に問い合わせてみると神戸の時と同じ1時間程度でやってくれるとのことで、1年ぶりに弓の毛替えに行ってきました。

その工房で聞くところによると、北海道内で弦楽器工房は3軒しかないそうで、基本は弓を預けて数日かかるというのがこちらの常識とのこと。こういったところでも地域格差があるのだなぁと感じました。まあ、商売が成り立つための楽器人口ということも考えれば致し方ないのかもしれません。
値段も神戸の時よりは少しお高めですが、預けて2度手間にならないだけマシだし、職人さんも気さくで話しやすい人だったので、これで一安心です。

夜はオーケストラの年に一度の定期総会でした。
アマチュアといえども好きで楽器を弾いていれだけで良いというものではありません。何十人という人間で構成される団体が活動するためには、それなりにお金もかかり、演奏以外の様々な仕事が発生します。良いアマオケの一つの条件は団の運営が体系化され、規約等も含めてしっかりしていることです。

まだ入団して3ヶ月目に入ったばかりのオヤジですが、今まで見えている演奏面ではなく、団の運営の内情を知る大切な機会でした。
芦響に比べると演奏会場、練習場の費用や、特に楽器運搬費がほぼ団員のボランティアによってほとんどかかっていないこと、一方今年一杯で今までの演奏会場のメインだった札幌市民会館が閉館になるためにホール確保が予算面でも他団体の競合の面でも厳しいということ等、いろんな運営面の特徴や課題を理解することができました。

その後は当たり前のように宴会。
またまた何人か新しく顔と名前を一致させることができました。まだまだ全員の顔と名前を一致させるまでには時間がかかりそうです。深夜の二次会に向けて繰り出す若者を振り切り、本日は猿でもできる反省を避けるために一次会にて切り上げました。それでも日本酒を少し飲みすぎたかなぁ・・・

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

基本は・・・

2006年04月14日 | 時事
ゆりかもめがエンコしました。

機械である以上、故障はつきものです。今回は故障発生よりも事後の対応が万全で無かったように見受けられます。
機械が「故障発生」と連呼するだけでは、人間を不安にさせるだけです。無人運転だからこそ、トラブル時のヒューマンな対応システムができているかが大切だということが解ります。
機械は人間が使うものであって、機械に使われるようではダメという基本を改めて思い起こさせてくれます。

「どうする?♪」悲しげな目のチワワは実は牙を持ったオオカミだったというニュースもありました。
強引あるいは不適切な返済の催促のやり方が問題になっていますが、一方で利用者が約束の返済期限を守らなかったという事実もあるわけです。ともするとココが見落とされて、酷い目にあったという被害者面だけがクローズアップされているように感じます。
基本は借りたものは約束の期限までに返す、返す目途が立っていなければ借りない、特に金銭はシビアに考える必要があると思います。

今日は日帰りで仙台でした。
仙台では昨日桜の開花宣言があったそうですが、空港と事務所の往復だけで全く桜と接する機会がありませんでした。それでも札幌よりも一段暖かい仙台の春を感じました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何処にでも現れる同期

2006年04月13日 | 戯言
学生時代の同期が来札し、久しぶりに会いました。
昨秋こちらに来て以来初めての来札のお客様です。彼も自ら話していましたが、ホントに何処に居ても思いがけず連絡が来て、仕事のついでに立ち寄ってくれて声をかけてくれます。大阪時代も夕方に突然、「今、梅田にいるんだけど、今夜どう?」といった無理を言う時もありましたが、とても有難いことです。
何処にでも気軽に声をかけてくれるという凄さと、それがほとんど仕事のついでというところがまた凄い。当然、オヤジと比べれば稼ぎも違います(笑)。

折角の札幌なのに仕事上でのパーティは普通の中華料理だったようで、枝幸の新鮮な魚貝類が食べられるお店と人気の札幌ラーメン店にお連れして北海道を堪能していただきました。おかげ様でオヤジもいっしょに満足しました。

話はガラっと変わりますが、深夜配送前のコンビニの店頭というのはホントに悲惨ですね。弁当、惣菜類がほとんど棚に無い、即ち欠品状態であることは茶飯事です。
買物客としてはこんなにストレスの溜まる状態の店はありません。店が納入業者に注文した時に品切れしていると大変厳しいお仕置きが納入業者に課せられるのに、店がお客様に対して品切れを起こしても特にコンビニはお詫び表示の一つもありません。

やはりコンビニ企業にとって大切なお客様はお店に来られるお客様ではなく、フランチャイズの加盟店様なんですね。配送前に棚が空になればなるほど、お店は無駄が少なくなるのですから。
お店への来店客は大事なお客様である加盟店様が売上を上げていただくためのツールでしかないのだと、空になった棚を見ながらこの時間では店をハシゴする元気も無く、仕方なく残りものを「買わされる」のです。

皆さん、便利だからって騙されちゃいけませんよ。消費者の知恵としては本当に「便利」な部分だけをいかに使いたくるかです。
ということで、オヤジは専ら24時間無料警備人付きATMとして利用しています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懲りないN×K

2006年04月12日 | 時事
6年ぶりの首位奪還報道については「塵芥亭」にお任せします。

それよりもN×Kの職員は危機感という感覚すら忘れていることが図らずも暴露されてしまいました。あれだけの事件が起きていながらも先月までしゃあしゃあとカラ出張を続けていたことには怒りよりも呆れてしまいます。
結局、組織内において文字通りの対岸の火事でしかなかったということです。

組織としての欠陥は、営業と言われる受信料徴収者と番組制作者が全く別職種で隔てられているところにも一因があると思います。
製作畑の人間は1軒1軒地べたをはって文句を言われ、居留守を使われながらも頭を下げて受信料を徴収している人には成り得ないし、反対に営業の人が番組を制作することもあり得ないのです。
お金を大量に使う職種、タレントをアゴで使う職種につく人は、1年でも受信料徴収の営業に回ってどうやってそのお金がN×Kに入ってくるのかを知る必要があると思いますし、問題のある人は何回でもその原点を体験させる仕組みにすべきと思います。

公共性の名の下に受信料の義務化(実質、税化)を目論んでいるようですが、今のままでは、払う人の反発しか招きません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛子様ご入園

2006年04月11日 | 戯言
愛子様の学習院幼稚園入園のニュースを見て、先日読んだ「學習院初等科受験バイブル」という本が思い浮びました。

オヤジのもう一つの「塵芥亭」ブログの「オヤジの読書」リストにコメントを入れていますが、ここで再掲します。

--------以下 再掲記事
山本紫苑著「學習院初等科受験バイブル」
著者は今や年賀状だけの付き合いになったが、オヤジと同世代で学生時代からの知り合いである。母校への愛と想いのいっぱい詰まったこの本(初等科の「初」も実は旧字体)は、著者自身が言うように巷にあふれるノウハウバイブルではない、むしろオヤジ達の世代から送る痛烈な近年の家庭教育批判である。丁寧な言葉ながら、こんなことが起きているの?と愕然とする「お受験」の実態。ちなみに、オヤジの母校は中学・高校と学習院と対抗戦をやっていた。蛇足ながら今でも「院歌」歌えます。
--------以上

この本に対しては、結局は自らも卒業生であって我が子3人を学習院に入れた著者自身の優越感の誇示ではないかという意の批判もありました。
しかし、単なる優越感のためなら、何ゆえ学習院にここまで拘るのかは実は説明できません。
もっと偏差値の高い学校は存在します。もっと世間的に高い評価を得られる可能性のある学校も存在します。
それでもそこまで学習院に拘る理由とは、まさに学校に対する共感と愛着であり、こういった共感や愛着ある人達によって校風が培われ伝統が育まれていくのだとオヤジは考えます。

晴れて愛子様とご学友(まだご園友かな?)になられた園児の親御さんが、どれだけ学習院に共感、愛着をお持ちになっているかは定かではありません。
ただ、もし単なるブランドとして学習院を捉えているとしたら、残念なことです。

学習院に限った話しではなく、オヤジの母校なども同じことが言えます。
季節柄見るからに新入生っぽい人達を街中ですれ違います。その多くが偏差値事情や就職に便利だからといった単なる手段としてではない学校選びをした結果として、その学校の伝統を育む一人として青春を謳歌してくれればなぁと思いました。
ちょっとクサイ表現でしたか・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

定期券区間の微調整

2006年04月10日 | 私事
今日から学生が新学期ということでまた動き出しましたね。
たまたまオヤジも今日が定期券有効期間の最終日なので、昼休みに会社の最寄り駅から地下鉄を一駅乗って定期券売場まで来たところで、学生さんの長蛇の列に遭遇しアッサリと断念しました。結局夜帰宅時に出直して、今度は一瞬待っただけで買うことができました。

札フィルの練習場所が諸般の事情で新年度から少し変わることもあり、今回はそれに合わせて定期券区間も微調整しました。ということで同じ区間で継続であれば並ばなくても買える自動販売機があったのですが、この微調整による区間変更のために並んでも窓口で買わなければならなかったのです。

乗れば乗るほどお得になる定期券ですから、会社が休みの日でもせいぜい使い勝手が良いように同じ料金区間内で利用する可能性の多い区間に調整して使わなければ損とばかりに、せこせこと3ヶ月毎に区間変更微調整をしています。

さて、話はガラっと変わって画像はおとといの記事で触れた演奏会チラシです。記念演奏会に相応しくなかなかゴージャスなチラシです。チラシに負けないように演奏レベルを上げなければ・・・

それにしても昨日の函館行の疲れがジワっと出た月曜日の午後でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10時間で600余km

2006年04月09日 | 私事
今日は、函館で執り行われたある方のお通夜に行きました。
最初は飛行機で行き、JRの最終の特急で帰ろうと目論んだのですが、飛行機の午後便は満席で、JRの札幌行きの特急に乗るには少し時間がタイトということで、仕事の都合からできれば月曜朝には札幌にいたかったこともあって、エイヤで会社のメンバーと二人、車で往復することにしました。

札幌と函館は約300kmです。何気なく近い気でいたらとんでもない、東京からほぼ名古屋までの距離です。
直線距離はもう少し近いのですが、何せ噴火湾の周りをグルリと迂回しなければなりませんから余計に距離が長くなります。おまけに300kmのうち100kmは高速道路でなく地道です。

昼の2時に札幌を出発して、結局函館には6時半。お通夜を終えて8時前には帰途につき、途中で軽く腹ごしらえをして札幌に帰り着いたのが日付の変わるか変わらないかという時刻。
運転は二人で交代したのでそれほど苦になりませんでしたが、高速道路ではまだまだトンネルを出る度に雪が降っていたり止んでいたり、目まぐるしく天気が変わりました。やはり5月の連休まで冬タイヤを外すことはできそうにありません。
いずれにしても貴重なドライブ体験でした。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チケット売らなければ・・・

2006年04月08日 | 音楽
今日の札フィルの練習はいつもより1時間長く、6時から10時まで4時間でした。1時間の違いとはいえ、結構疲れました。
結局、今日も事前練習をしないままに練習に臨んでしまいました。それでも出掛けにわずかな時間でしたが、楽譜と睨めっこしていった部分は少し弾けたような気分になりました。
指揮者の岩城宏之さんが「楽譜の風景」という新書をその昔出されていましたが、まさに睨めっこすることにより、楽譜を読み込み、演奏中にはパっと見ただけで読み取れる(読んだ気がする)から不思議なものです。

そして今日は6月の演奏会のチラシとチケットが配られました。なかなか立派なチラシで改めて画像アップします。
さてさてまだ暮らして半年の札幌でどれだけのチケットを捌けるやら不安ですが、札幌随一の立派なホール、記念演奏会ということで聞き易く盛り上がる曲のテンコ盛りで、普段クラシックに接していない人(の方が良い?)でも思い切り楽しめるので、多少の公私混同など言っておられません。
会社でガンガン宣伝してチケットを売らなければ・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

未練がましい冬将軍

2006年04月07日 | 仕事
先月には一度3月いっぱいで市内から雪が消えると言われていたのですが、4月に入って1週間を過ぎても消えないどころか、今朝起きるとまた新しい雪が何センチか積もっていました。
さすがに気温は昼間には氷点下を超えるので消えてしまいますが、昼間会議の合間に窓を見ると断続的に雪が降っていて、夕方会社を出る時もまだ雪が舞っていました。
北国はまだ未練がましい冬将軍の配下にいるようです。

それでも街のあちこちで新入社員とおぼしき集団を見かけます。これも一種の春の予兆です。それにしてもホントに一目で新人と解りますね。全てがサマになっていない。これを初々しさと言うのでしょうが、不思議と2年目になるとこの初々しさというのは消えてしまいます。我がメンバーにいる昨春入社の社員クンも然りです。
慣れも大切なのでしょうが、往々にして余計なものまで慣れてしまうものです。
オヤジのように20年を超えると垢にまみれてすらいるかもしれません。

目標に向かう気持ちだけは常に新鮮で・・・新人の姿を見ながら思いました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

醜態の後の茶番

2006年04月06日 | 時事
いろいろと民主党代表選については言われていますが、オヤジも今朝の某民放での候補者の生出演での言動を見ていて醒めました。
いつの間にか自民党よりも民主党の方が自民党っぽくなっています。
メール問題で醜態をさらしてなお、政治屋的茶番劇を演じるとは大したもんです。

元代表と前副代表が事実上の一騎打ちとのこと、確かに代表なりたくてしょうがないミャアミャアミーハーオヤジと日韓関係こそが最も基本だなどと戯けたことを言っている外務省OBは蚊帳の外としても、一騎打ち同士で何がどう違うのか全くシロトのオヤジには理解できません。

お互いがどっちが勝っても挙党体制と言っております。でも自分の方が代表になった時に、相手とどう組んで挙党体制をしくのかについて具体的な言及は全く無し。何で自分が代表になったら、相手は幹事長をやってもらってこういう風に立て直す・・・なんていう具体的な話ができないのか、オヤジも社会人20年以上やっていますが、理解不能、全くの不可解千判でございます。

マスコミもあちこちで一騎打ちの二人を呼ぶのはいいのですが、結局は言葉尻から言質をとろうとすることに必死で、聴き手のアナウンサーやキャスターが重箱のスミを突付く様な質問で感情的に高ぶるほど視ている方は醒めてきてしまうのです。

英語力より国語力。こういう時に石原都知事のシンプルさは解りやすい。
だから首相待望論も出るのでしょう。一方でだから国政の中心にはなりきれなかったこともまた真なのでしょう。

オヤジもここは同感。
世界中が英語を話していると思い込んでいるアメリカ人と、英語は苦手だが世界は様々な言語と価値観があると理解している日本人とどちらがグローバリゼーションを果たしているのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

釧路が寂しい

2006年04月05日 | 戯言
仕事で久々の釧路でした。
空港からJRの駅に出て、翌日の帯広から札幌までの帰りのキップを買って、仕事場に向かいました。

JR釧路駅・・・寂しかったですねぇ。
かつては道東の中心は釧路だったのですが、最近は恐らく間違いなく帯広が中心になっています。
札幌からの距離とメインの交通手段という観点から、釧路はJRより空の方が便利で帯広はJRの方が便利なので、単純にJRの駅周辺だけで比較するのはフェアでないかもしれませんが、街の勢いの差は空気で十分感じ取れます。

街づくりはやはりしっかりしたビジョンと大系が大切ですね。
大きな時流の流れに抗うことは難しいかもしれませんが、その流れに変化をつけたり、流れを変えるキッカケづくりは知恵と工夫次第だと思います。
その「次第」の中身が問題なんでしょう。結局、勢いの弱い街ほど公共施設だけがむやみに立派で街は閑古鳥が鳴いています。オヤジの見た限りでは釧路も例外ではありません。

釧路での仕事の後、メンバーの車で初めて釧路から帯広に陸路で移動しましたが、さすが「大地」北海道。変化の無い車窓に思いっきり飽きました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっと仕事しました

2006年04月04日 | 仕事
今日は一日仕事をしてました。当たり前と言えば当たり前ですが、オヤジとしては珍しく集中して、20時を過ぎてもエンジンを無理やり止めずに21時30分まで引っ張りました。
当然、どっと疲れました。
会社を出ると雪が舞っています。こうなるとますます疲れが身に沁みます。

それにしても民主党はホントに何が有権者の失望をかっているのか、まだ読めていないようですね。
相変わらずの昔の名前ばかりが候補に出ています。若手は前原さん一人で既にネタ切れかい。そんなに組織の底まで浅かったとは・・・

話はとんで、いつの間にか春の選抜高校野球は決勝でした。21対0とはまた派手に負けました。なんてたって相手は野球のエリート校ですから。それでも普通の県立校がここまできたことはやはり価値アリだと思います。
もし、駒大苫小牧が出ていたら・・・勝負に「もしも」は禁物ですが、夏の楽しみにとっておきましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

足元を見直す

2006年04月03日 | 私事
昨日の夜からニフティに何度もアクセスしようとしても接続ができませんでした。てっきり定期のメンテナンスだと思い込んでいたら、今日会社から帰って改めてアクセスしようとしてもやはりアクセスできないので、さすがにこれはおかしいぞと思い、ここで初めてまさか・・・とパソコンの裏を見ると、電話線のモジュラージャックが抜けているではないですか。
恐らく、日曜日の朝の掃除の時に引っ掛けたようです。

線が切れていれば繋がるものも繋がりません。まさに基本中の基本なのですが、最初の設置段階ではなく、日々使っている時に突然となるとモジュラージャックが抜けているのではと思う前に、線は繋がっていて当たり前という先入観に捉われてしまいます。

これは昨日の厄災の話にも通じるところで、日々の慣れの中で基本を忘れる、肝心なところに注意が払われない、問題が生じた時にその事実そのものを把握しようとせず小手先の対応策の連発で墓穴を掘るなど、我ながら改めて思い知らされました。

最近の民主党を見ていると、本当にこの墓穴に向かってまっしぐらの感があります。誰を見て政治をしようとしているのかが露呈してきている、即ち有権者を見ている風を装って実は全く有権者を見ていないことが一々納得できてしまう動きをしています。
きっと日々の当たり前の中で感覚が鈍っているのでしょう。
特に代表に取り沙汰されるような大物はタレント以上に顔が売れています、また国会の因習にもドップリ浸っていますから、本当に本音の生の声にどれだけ接していられるか怪しいものです。

どこにいっても先生と呼ばれ、取り巻きがいる状況では、謙虚になれと言っても余程の強い自覚を持たない限り難しい話です。時々テレビに政治屋がゲスト出演した時の話し方で、その人柄など一発で見えますね。
ここはベテランに党を纏めてもらってなんて民主党の若手が言っていると寂しくなります。若手こそもっと気概をもって、30代の代表候補でも推さんかいっ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

物騒な世の中です

2006年04月02日 | 時事
マンションの15階から小学生を投げ落とすとは、なんとも陰惨な事件であります。おまけに数日後に同じ場所で同じような犯行をしようして足がつき、結局は捕まりました。犯人は「捕まる」ということを全く気にしていないように見えるところに、一層恐ろしさを感じます。

オヤジも15年ほど前にマンモス団地に住んだ経験がありますが、男の大人のオヤジですら、25階建ての12階にある自分の部屋に帰るために、夜一人でエレベーターに乗る時は緊張したものです。一人の時も緊張しますが二人だと相手も緊張しているかもしれませんが一人以上の緊張です。

防犯とプライバシーとは常に対立します。防犯カメラを付けようとしても必ずプライバシーを理由に反対する人はいるものです。
多くの人は脅威が自らの身に降りかからない限り、自分は注意しているから大丈夫と思っています。そして、一旦厄災が我が身に降りかかると自らは被害者として周囲に責を求めてしまうのです。

なんか昔に比べて今は治安が悪いなんて言われることもありますが、オヤジの感覚では昔もそれなりに物騒で陰惨な事件は起きていました。
要は昔の人の言うように「備えあれば憂い無し」、「自分の身は自分で守る」なんでしょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シリーズ「祝!ショスタコーヴィチ生誕100年」その3

2006年04月01日 | 音楽
たまたま今日付けの日経朝刊の文化欄がショスタコーヴィチの生誕100年を取り上げていました。
「ショスタコーヴィチは旧ソ連の閉鎖社会に生きたため、20世紀の大家にもかかわらず、人物像や作曲の真意に不明な点が多い。真贋諸説が渦巻く中、薫陶を受けた音楽家たちが今、重い口を開き始めた。」
ということで、マリス・ヤンソンス、クシトフ・マイヤー、イーゴリ・ブラシュコフそして外山雄三等の声が書かれていました。

記事の最後の部分では、純粋音楽として見直す機運の中で楽譜が体制の影響の中で作曲者の意図とは違って改竄されている可能性、その代表例として交響曲第5番最終楽章の終結部のテンポ設定のことが書かれていました。

ムラヴィンスキーの重々しく革命の栄光を感じさせる演奏か、バーンスタインの疾走しながらティンパニが連打され、ほぼ贋作とされたヴォルコフの「証言」に記された弾圧・強制された喜びを感じさせる演奏か。
聴く人の考え方、感じ方によっても大いに変わってくるでしょう。どちらであっても作品自体の魅力が変わらないところに作品のクォリティの高さがあると思います。そして音楽の持つ抽象性とテーマ性の関連の曖昧さ、そしてそれを旧ソ連体制化で大いに活用したであろうショスタコーヴィチの凄さがあるともオヤジは感じるのです。

純粋音楽として見直されて日が当たることはタコキチの一人を自負するオヤジとしては大変うれしいことでもありますが、やはりショスタコーヴィチはその生きた社会とその社会での彼の生き方という背景にもまた大きな魅力があり、そこにも光がもっとあたって欲しいと思います。

さて、今秋いよいよオヤジもタコ5を演奏できるのですが、果たして最終楽章終結部のテンポやいかに・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする