小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

京都の道 その2 東大路ー4

2010-12-11 23:01:13 | 旅行
京都の道 その2 東大路ー4



智積院の斜め向かいの東大路沿いに、よさげな陶器屋さんがありました。森陶商さんです。本格的清水焼、京焼がきちんと飾られていました。皆、当然高価です。よって、見切り品の京焼風ガラス食器(カップ)を2つ買いました。一つ1000円です。ビールを飲むのにつかっていますが、いい感じですよ。第6感として、ここはいいお店です。伝統と時代の流れの双方をきちんと理解しているお店と見ました。



<1つ1000円の見切り品> 


森陶商のさらに南へ、塩小路に入ってみました。西の正面に京都タワーが見えます。



少し行くと三十三間堂の門に出会います。 塩小路を取材しようと思いましたが、いけどもいけども面白いところがありません。しかたなく東大路にもどります。その前にちょっと三十三間堂をのぞいてみましょう。

京都に来たお客さんに、ちょっとだけ時間があるのですが、京都のどこへいいったらいいのでしょうかと聞かれたら、1.5時間あったら、東本願寺と渉成園にいったらどうですかと言い。2時間あったら三十三間堂にいったらどうですかと言い。3時間あったら三十三間堂と東寺にいったらどうですかといいます。海外の方に一か所、京都を見せるなら三十三間堂でしょう。





手前にある国宝の像達は、みごとな世界に誇れる仏像と思います。後ろに控える千手観音の壮観さは、仏像の良し悪しが解らない人でも、素直に感激できるでしょう。芸術性からいえば、手前の仏像が後ろの仏像と比較にならないくらいの価値があると思っています。手前の仏像は一つ一つ丁寧に見て行くと、来るたびに新しい発見があります。撮影出来ないことが、とても残念です。撮影することは、じっと見つめることになり、さらに新しい発見ができるのですが。ここは祈るところで撮影するところでないという考えは狭いと思います。感動を与えることは、人を動かすことであり、その媒体が祈りでも撮影でも同じことと思うのです。ただ、最近のカメラファンは、マナーを心得ていない人が多いので、やはり撮影禁止ということになるでしょう。三脚筋禁止とかフラッシュ禁止とかいっても守らないし、どこへでも入りこんで、人を押し分けて撮影する人が少なくないのです。静かに、祈るように撮影したいものです。
 国宝、風神、雷神像と二十八部衆像のほんの一部を、全て三十三間堂本坊発行の国宝三十三間堂という本からのコピーで載せます。仏像に興味無い方は退屈でしょうが、この仏像達は特別です。鎌倉時代、大仏師湛慶ひきいる慶派仏師の作といわれている。かれらのルーツはわかりませんが、こそ日本的仏像芸術の一つの極致だろうと思います。これだけの仏像が脈々と受け継がれていることのありがたさを感じない方はよもやいらっしゃらないと思いますが。以前も書きましたが、浮世絵と同時にこの仏像達がヨーロッパに渡ったら、世界の彫刻は今とは違った状態になったであろうと思うのです。



<風神>



<雷神>
この風神、雷神のど迫力はどうしようもなく素晴らしい。



<大弁功徳天像 ダイベンクドクテンゾウ>



<昆楼博叉像 ビルバクシャゾウ>



<那羅延堅固像 ナラエンケンゴゾウ>



<婆籔仙人像 バスセンニンゾウ>

この仙人はおあちこちにあらわれます。中国でもあちこちであらわれるそうです。しかし詳細不明。すごい迫力です。

どの仏像もすばらしい。どうかみなさん実物をじっくり見てください。
さて、外に出ましょう。

三十三間堂の表は通し矢の話をすれば、外人は喜ぶでしょう。我々は慣れてしまっていますが、異様に細長いお堂であることは間違いありません。





もう、閉門の時間が迫っています。お堂の扉がつぎつぎに閉じられて行きます。







何度もいいますが、この瓦のパターンは最も日本人のDNAと共振するのです。この木と瓦の織りなすパターンは、同じようでありながら、中国とも朝鮮とも琉球とも違うのです。どうしてもこのパターンでないと日本人は落ち着かないのです。
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京都の道 その2 東大路ー3

2010-12-10 22:17:54 | 旅行
京都の道 その2 東大路ー3

また、京都の道にもどります。

2010年4月25日京都国立博物館で開催された、長谷川等伯展(没400年)から、ちょっと等伯の作品をみてみましょう。結構混んでましたよ、30分は並んだでしょうか。

智積院(チシャクイン)の等伯の続きとおもってください。



松に鴉・柳に白鷺図屏風
この図は鴉の部分ですが、真っ黒いカラスがパターン的表現で当方の好みです。



枯木猿猴図(一部)
この年代になるとやわらかい筆使いと鋭い筆使いをまったく自由に使い分けています。



禅宗祖師図襖(一部)



山水図襖(一部)



仏涅槃図(一部)



仏涅槃図(全体)
驚くべき大きな図です。



波濤図(一部)
時々見せる、鋭い筆使いは、晩年の霧にかすんだ風景とは違った魅力があります。



萩芒図屏風(一部)



萩芒図屏風(一部)
このあたりの画風は見やすい。当方は好きです。



楓図壁貼付(一部)
この時代だけ、金地で派手やかな雰囲気で、やはり印象的です。



柳橋水車図屏風(一部)
派手な時代の名画。

等伯はその時その時で異なるテクニックを習得して、晩年はテクニック的にはなんでもできてしまう状況に至っていると思われます。



大徳寺三門壁画、(一部)



松林図屏風



松林図屏風(拡大)

晩年の等伯の作風は、もっともみなさんのお気に入りと思います。彼にとっては、これまでの技術の一端に過ぎないように思います。晩年になると彼はやろうと思えば何でも出来てしまう。たまたま、この絵が最後になったに過ぎないのでしょう。
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京都の紅葉、関東の紅葉 京都の紅葉最終編ー5(最終回)

2010-12-09 21:34:05 | 旅行
京都の紅葉最終編ー5(最終回)



ポツン、ポツン、紅葉の写真を撮りながら哲学の道を歩きます。





ここのモミジは真っ赤で目立つので、いつも写真を撮ってしまいます。





もっと水面を生かせはいい写真となったのに。手元にある写真編集ソフトがボロで、イライラします。



散り残りのモミジはうまく撮ると面白い写真となります。よくコンテストで入選する絵です。気をいれて撮っているわけではないので、この写真がうまいというわけではありませんが。



<紅葉といえば、永観堂>の永観堂に着きました。ここも以前、JRポスターで大ブレークしました。ですから、ここは観光客でいっぱい。でも、紅葉はほとんど散ってしまったようだし、参拝料も高いし、外から一枚写真をとって、おしまいにします。この入口に近いところが一番きれいな紅葉があるのです。有名な、見返り阿弥陀様を見に、お寺の長い廊下を歩くと、冷たいの、なんの、たまりません。厚い靴下を用意して、お参りすることをお勧めします。



南禅寺の三門に到着しました。奥丹で湯豆腐を食べようかと思いましたが、人はいっぱい待っているし、高いし、やめました。その後で、無燐庵、瓢亭の近くの喫茶店で食べた湯葉丼とブブヅケは美味しかったですよ。





紅葉のあるところ撮っていますが、全体は相当落葉して、閑散とした状態になっています。でも、何と言っても南禅寺の三門の迫力はみごとなものです。



南禅寺の境内にある、琵琶湖疏水、水路閣、たまたま写真に入った方のマッチもあって、旅情を演出します。



実は、2か月前、谷川岳で遭難しそうになった時から、一週間の間に、あっというまに、首の左側に腫瘤が出来、その原因を調べるために、ありとあらゆる検査をしたのですがわかりません。とうとう来年早々に入院して切って調べることになりました。悪性腫瘍であるなら、その可能性も十分あるのですが、それ相応の治療パターンに入ることになります。ストレスフルな生活になると痛くなって腫れてくる、静かな生活をするとあっというまに痛くなくなって退縮方向に向かうという状況で、社長をやりながら静かに暮らすのは無理ではありますが、来年の決着がつくまで、なるべく静かに生きています。この時も、遠出をせず、カメラも1台、こうやってふりかえってみると、15mm limitedばかりを使って、写真の迫力も半減しているような気がします。それで<木漏れ日に、帰る一葉、一葉かな>などという句を作ったりするわけです。
2010年紅葉はこれで全て終了です。
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京都の紅葉、関東の紅葉 京都の紅葉最終編ー4

2010-12-07 23:28:13 | 旅行
京都の紅葉最終編ー4

12月5日(日曜日)
昨日、行きそびれた、安楽寺にゆきました。法然院のすぐそばです。
桜の季節、つじの季節、紅葉の季節に特別に公開されます。初めておとずれました。



ここも山門とそこへ続く参道が魅力的です。







この道を見て、なんとなくよいお寺とおもうでしょ。その通り、とてもよいお寺でした。



ここのつつじもきっとすてきでしょうね。また来ようとおもいました。









お堂で、このお寺に関する説明がありました。浄土宗の元祖、法然上人の弟子、住蓮上人と安楽上人がこのあたり鹿ケ谷草庵を作ったことが始まりです。お話しの中から3つだけ書きます1、後鳥羽上皇の女官、松虫姫と鈴虫姫姉妹が出家を希望してこの寺に駈け込み、住蓮上人と安楽上人がこれを認めた為に、後鳥羽上皇が怒って、二人の上人を打ち首にしてしまったこと。一度断ったのに、姫たちの嘆願に心を動かしたのが運のつきといおうか、ありがたいお心といおうか、この判断はむずかしいところ。二人をかってに出家させれば、打ち首ということは予想できたはず。神に従うか、時の権力者に従うか? この二人の姫は自害したという説もあるが、実際は瀬戸内海の生口島の光明坊に移り、余生を送ったことがわかった。2、法然上人、親鸞聖人いずれも流罪となる。浄土宗の大衆仏教が上層部の目の敵となったということ。法然上人が流刑から戻って住蓮山安楽寺と名付けた。
3、鹿ケ谷の特産であるヒョウタン型のカボチャがあり、7月25日に鹿ケ谷カボチャ煮炊きしたものを参拝者にふるまう鹿ケ谷供養という催しがある。
静かなこの寺にきざまれた歴史は、なるほど、心にしみます。



人のいないこの山門を撮ろうと20分くらいじっと待ちましたが、だめでした。あきらめました。



出口側から撮っても、もっと人がいます。



再び哲学の道にもどって、南禅寺に向かいます。





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京都の紅葉、関東の紅葉 京都の紅葉最終編ー3

2010-12-06 21:32:34 | 旅行
京都の紅葉最終編ー3



哲学の道に出ます。結構な人が歩いています。もうお昼時ですからしょうがない。混みそうなところは朝行動しなければ、すがすがしい京都は味わえません。



哲学の道は紅葉が多いというわけではありませんが、時々真っ赤なモミジに出会います。



南天の実がきれいで、なんとかモミジと一緒に撮れないかと思っていたら、やっとありました。モミジにピントを合わせた方の写真を載せましょう。





途中から、法然院への小道に入ります。家の庭からきれいな花が顔をのぞかせていました。こんな寒いときに咲いているのはなんという花でしょうか。



法然院はまずその参道のモミジがとてもいい。



その奥にある山門がまたいい。



紅葉のトンネルです。



みなさん山門の写真と撮りたがるので、向こうから撮ろうとする人、こちらから撮ろうとする人、いつまでたっても、山門から人影が消えることがありません。これも早起きしなかったからしょうがない。



静かなお庭は、一見なんの変哲もないようですが、また来ようと思う何物かがそこにあるのです。人が意図を持って作った庭というより、長い年月が自然に作り上げた庭という感じがするのです。



お堂があるのですが、小さな窓があいているだけで、お賽銭箱もどこへあるやらわかりません。そうそう、このお庭は入場料が無いのです。本当に、お寺の御好意で良いものを見させていただいているという、そんなお寺なのです。





やっと撮った、人のいない山門。





再び参道へ。





哲学の道へもどる途中の、きれいなモミジ。人力車がお客さんを乗せて、このモミジの下を走っています。ここにきれいなモミジがあるのですよと言いながら。


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