小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

京都の道 その2 東大路ー9

2010-12-16 23:26:25 | 旅行
京都の道 その2 東大路ー9





この瓦屋根のフォルムのモザイクがどれほどすごい空間を作り上げていることか。
この禅寺の持つ、とことんストイックな空気が魅力であると共に、ほっとすることが出来ない怖さを与えます。



東福寺の庭(方丈八相庭園)は近代の作(重森三玲氏作、昭和13年完成)ですが、近代作では随一の傑作ではないかと思います。方丈の四方に庭が配置されています。方丈自体、明治33年完成の近代建築だそうです。どこまでが旧建築の再現か、新たな設計かは当方には解りませんが、東福寺全体のデザインは近代のお寺の最高傑作ではないでしょうか。伝統の中に程よくモダンが挿入され、当方のパターン感覚をうまいぐあいに刺激してくれるのです。


方丈南庭







結局、このお庭も本堂の持つ空間の一部であることが感じられます。みなさん富士山のまわりをドライブしたことがありますか。いけども、いけども、ふと振り返ると富士山がある。富士山が遠くに小さくなってもやはり富士山の裾野にいるという感じをぬぐうことができない。東京ですら、晴れた空に富士山がみえると、その裾野にいると思えるのです。本堂は東福寺の富士山にあたるのです。



方丈東庭



方丈北庭

近代の作だけあってモダンなフォルムが随所にちりばめられています。とてもうまく、伝統とモダンを融合させています。本堂の裾野にある、伝統とモダンが融合する空間。それを自然に受け入れている東福寺の僧と禅。東福寺は並みの空間ではありません。


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京都の道 その2 東大路ー8

2010-12-15 22:28:12 | 旅行
京都の道 その2 東大路ー8

2009年 8月15日(土曜日)
東大路の南のエンドは八条通りへ直角に曲がります。その角の山際に東福寺と泉涌寺があります。
東福寺に続く道の入口にある家に咲いていた花が人目を引きます。





女性好みの陶器を売っている<とうあん>にすぐ出あいます。このときは時間が早くてまだ空いていませんでした。展示品をご紹介できなくて残念。



東福寺への道はなぜか大きく、くの字に曲がります。



この一帯に、東福寺関連の25の小院が点在し、東福寺は広大な地域を占めています。



東福寺の入口の臥雲橋は、このお寺が作る特別な空間のプレリュードです。



臥雲橋からみる、通天橋。ここが紅葉すると、美しくかつ恐ろしい空間に変化するのです。昨年の秋のブログをご覧ください。洗玉澗(せんぎょくかん)という渓谷がありその上に2つの橋がかかっているのです。その周囲の庭にはモミジや緑が美しく配置され、秋には京都紅葉の名所となるのです。

東福寺を一言で言うと、この本堂(仏殿)につきると思うのです。直観的に感じる本堂のオーラから古い建物かとおもっていましたが、驚いたことにこの本堂は昭和9年に再建されたものだそうです。近代木造建築の粋を集めた建物という気がします。



この力強いフォルムが東福寺全体を支配しています。




今日は、東福寺の本堂とその魅力の一つである瓦屋根のフォルムにフォーカスして撮影しました。



ダイナミックな瓦屋根の織りなすパターンは何気なく通り過ぎたとしても、みなさんの脳裏に浸透してゆくのです。







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京都の道 その2 東大路ー7

2010-12-14 22:25:15 | 旅行
京都の道 その2 東大路ー7

青蓮院から少し歩くと、有名な知恩院です。よく年末の除夜の鐘にここの大鐘楼がでてきます。



この知恩院の国宝、三門は文句なく立派です。時々、この上段の回廊を一般公開します。是非、上ってみてください。京都市が一望できて、爽快です。昔も今も変わらず京都を見下ろしていると思うと考え無量です。さらに、門上段の部屋にある仏像群を見たいのですが、一般公開することはありません。残念です。



この大きな三門をくぐってから石段を登る、この行動が当方にはこの寺の最も魅力あるポイントです。



その前に、三門の柱の木目パターンを記録します。この古き木材の織りなす、パターンは何度も記録しています。冬の智恩院ライトアップのときもこのパターンを記録しました。





そのままでも、このようにデフォルメしても、この木がここに立つ前の100年の年輪と、立ってからの100年の年輪が、木の持つ神々しいエネルギーを静かに語りかけています。









さあ、石段を上がりましょう。結構きついですよ。



石段の下からは何も見えない、この壮大な風景が、階段を登り終えると同時に目の前にどっと展開される、この驚きが、知恩院の最も魅力的な情景です。決して上のお堂に直接バスで訪ねてはいけません。どうしても三門をくぐって、石段を上って、本堂にお参りしなければいけません。



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京都の道 その2 東大路ー6

2010-12-13 22:04:51 | 旅行
京都の道 その2 東大路ー6



この苔の空間は何の作為もない四角い空間ですが、<解脱の世界>がそこはかとなく表現されています。



本当に能舞台なのでしょうか、ここで能が演じられるのでしょうか。薪能が演じられたら、それはこの世とは思えない空間を作り上げるでしょう。



入口にある2本の大きな楠の木は、このお寺が並々ならぬ、解脱したお寺であることを物語っています。





ほんの少し、青蓮院の春を御紹介しましょう(2010-4-10)。







さて時をもどしましょう。



青蓮院の斜め向かいにある、古美術品、民芸品、焼き物のお店、<かくれんぼ>です。ここのおかみさんといろいろお話をしました。非売品と書いてある、古そうな陶器が魅力的で、ひびが入っているので、当方にも買える値段かも知れないと、売ってくださいとお願いしましたが、どうしてもこれはだめですと断られました。割れた陶器はいっぱいありますから、ただで持って行ってくださいといいます。五条坂では割れた陶器を1000円くらいで売っていますよといったら、割れたものを売るのは、意に反するといいます。それでは何か買ってついでに割れた陶器をいただきましょうといって、1000円のぐい飲み(本当は茶器)を買いました。これは、本当は500円位の価値しかありませんが、500円儲けさせてくださいといいます。正直なおかみさんです。たしかに物は古いが、よくある、昔の普及品です。結局1000円で、ぐい飲み一つと割れた鉢と小皿を一個ずついただきました。かなり雑にボンドで貼ってあるので、見た目はすこぶる悪いですが、また骨とう品のコレクションがふえました。損したのか、得したのか、わずか1000円の話で、細かくてすみません。でも、<かくれんぼ>のおかみさんがどんな方かわかって、きっとまたここを訪ねるに違いないと確信しました。



<全部で1000円のお買いもの>
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京都の道 その2 東大路ー5

2010-12-12 22:39:27 | 旅行
京都の道 その2 東大路ー5

2009年 7月20日(日曜日)
青蓮院です。我が家から最も近いお寺であるのに行ったことがありませんでした。当方の同級生が時々外人を案内して青蓮院に行くといっていましたが、本当に、外人を連れて行くにぴったりのところでした。とくに目玉というものは無いのですが、典型的お寺の風景というか、お寺の意味をきちんと率直に、わかりやすく見せています。



緑の季節もいいですが、紅葉の季節もいいと思います。このお寺は知的な調和を感じます。





特に、迫るものは無いお庭ですが、それがいつまで居てもいいような、静かな、あるがままの自然、仏の母体の中のような。 



この、人が作ったパターンの織りなす自然。ただの自然よりもっと自然なのです。



心憎い、作為のない作為。自然を使って自然を超える。



緑の織りなす、この何気ないアングルもきっと計算されているに違いない。



ほら、この石灯籠の存在が、驚くべき世界を作っています。しかも何気なく。



綺麗な瓦です。全てが調和しています。



能舞台が見えます。なんと知的な空間でしょうか。しかし、知的と思わせない。どこまでもあたりまえのように。もともとそうであるべきように。



この瓦のおりなすパターンもどうということも無いにも関わらず、記録してしまうのは何故でしょう。その存在が美しいとおもえるのです。





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