地震の記憶といえば、1994年12月28日の「三陸はるか沖地震」。夜の9時半くらいだったでしょうか? なんか揺れてると思ったら、それがまあユサユサと家具が揺れること揺れること。あの時はアパートの2階でしたが、感覚として完全な横揺れ。私は洋服ダンスを押さえながら「しゃれにならんわ~」とぼやくことしきり。私がいた青森市内の震度は5。チェストの上に置いてあった11インチテレビはもちろん畳の上に落ちました。
その時は丁度ハイファイ娘2号が妻のお腹にいるときで、妻と長女は実家(八戸方面)に。ほどなく地震がおさまってニュースを見たら、なんと「八戸 震度6」ですと。今でもあの衝撃は忘れられません。「震度6?震度6?」と一人でつぶやいて部屋の中をウロウロしてましたが、当然そういう時には電話が繋がらず、あれだけ不安だったことはそれまで経験したことありませんでした。
しかし、間もなく電話が繋がり妻は「大丈夫よ」と言ってたので一安心。が、実際はテレビが台から落ちるは、茶箪笥は倒れるはで、あっちでドッスンこっちでドッカンと結構な騒ぎだったそうです。ストーブが倒れなかったのが幸いでしょうか? 当然娘は大泣き。私が翌日妻の実家に行ってからも余震がしょっちゅうありましたが、ちょこっと揺れただけですぐ泣き出すという状況だったので、いわゆるPTSDの軽いのだったんでしょう。今は全然大丈夫ですが。
その時ですが、翌日会社から八戸の得意先に電話したところなかなか繋がらず、試しに外に出て公衆電話からかけてみたらあっさり繋がったりしました。偶然ということもあるかもしれませんが、回線になんらかの違いはあるのでしょう。今は携帯電話全盛の時代ですから、また事情も違うとは思いますが。
ちなみに、この地震での死者は2名。ニュースでも伝えられましたが、パチンコ屋の天井が落ちてきて潰された人たちです。同様に壊れたビルや、陥没して通行できなくなった道路、補修が必要で通行止めになった橋など、地域での被害は結構なものでした。大きな火事がなかったのが幸いでしょう。しかし、それから3週間ほどして神戸の震災があり被害は桁違いでしたので、八戸の地震はすっかり話題にならなくなりました。得意先の新年会で挨拶に立った人が、「三陸はるか沖地震なんてのどかな名前を付けられた上に神戸の地震もあったものだから、こちらへの援助の話は、はるか沖に行ってしまいました。」と嘆いてたもんです。
私の実害といえば、出張の定宿にしてたホテルの壁がひびわれ、スプリンクラーが作動してしまい全体水浸しで数ヶ月休業になったこと。あちこち泊まり歩くこととなりました。八戸にもビジネスホテルはいろいろありますが、ちゃんとしたところは高いし、手ごろな値段のところは満室という状況。知り合いの紹介で泊まった旅館は寒いしボロイし。おまけに、たまたまスケートの大会があって高校生が大勢いるとか。一瞬「え? 女子高生と同宿? いや~食堂なんかキャピキャピしてて楽しそう。ついでに風呂の湯をもらって帰ろう(?)」などと期待してしまったのですが、旅館の玄関を見ると「歓迎 ○○北工業高校」となってました。
「ゲ!男だ!」と思ったときにはもう遅く、男子高校生なんてうるさいし臭いし、あれが一番の実害でした。ということで地震は嫌いです。防災グッズと言えば我が家にあるのは、ハンドルを回すと充電できるラジオ。これはライトもついてるので、実際キャンプの時にも役立ちます。3千円くらいするのですが、停電で困った経験がある人は是非備えるべし。ど~ですか、お客さん。
その時は丁度ハイファイ娘2号が妻のお腹にいるときで、妻と長女は実家(八戸方面)に。ほどなく地震がおさまってニュースを見たら、なんと「八戸 震度6」ですと。今でもあの衝撃は忘れられません。「震度6?震度6?」と一人でつぶやいて部屋の中をウロウロしてましたが、当然そういう時には電話が繋がらず、あれだけ不安だったことはそれまで経験したことありませんでした。
しかし、間もなく電話が繋がり妻は「大丈夫よ」と言ってたので一安心。が、実際はテレビが台から落ちるは、茶箪笥は倒れるはで、あっちでドッスンこっちでドッカンと結構な騒ぎだったそうです。ストーブが倒れなかったのが幸いでしょうか? 当然娘は大泣き。私が翌日妻の実家に行ってからも余震がしょっちゅうありましたが、ちょこっと揺れただけですぐ泣き出すという状況だったので、いわゆるPTSDの軽いのだったんでしょう。今は全然大丈夫ですが。
その時ですが、翌日会社から八戸の得意先に電話したところなかなか繋がらず、試しに外に出て公衆電話からかけてみたらあっさり繋がったりしました。偶然ということもあるかもしれませんが、回線になんらかの違いはあるのでしょう。今は携帯電話全盛の時代ですから、また事情も違うとは思いますが。
ちなみに、この地震での死者は2名。ニュースでも伝えられましたが、パチンコ屋の天井が落ちてきて潰された人たちです。同様に壊れたビルや、陥没して通行できなくなった道路、補修が必要で通行止めになった橋など、地域での被害は結構なものでした。大きな火事がなかったのが幸いでしょう。しかし、それから3週間ほどして神戸の震災があり被害は桁違いでしたので、八戸の地震はすっかり話題にならなくなりました。得意先の新年会で挨拶に立った人が、「三陸はるか沖地震なんてのどかな名前を付けられた上に神戸の地震もあったものだから、こちらへの援助の話は、はるか沖に行ってしまいました。」と嘆いてたもんです。
私の実害といえば、出張の定宿にしてたホテルの壁がひびわれ、スプリンクラーが作動してしまい全体水浸しで数ヶ月休業になったこと。あちこち泊まり歩くこととなりました。八戸にもビジネスホテルはいろいろありますが、ちゃんとしたところは高いし、手ごろな値段のところは満室という状況。知り合いの紹介で泊まった旅館は寒いしボロイし。おまけに、たまたまスケートの大会があって高校生が大勢いるとか。一瞬「え? 女子高生と同宿? いや~食堂なんかキャピキャピしてて楽しそう。ついでに風呂の湯をもらって帰ろう(?)」などと期待してしまったのですが、旅館の玄関を見ると「歓迎 ○○北工業高校」となってました。
「ゲ!男だ!」と思ったときにはもう遅く、男子高校生なんてうるさいし臭いし、あれが一番の実害でした。ということで地震は嫌いです。防災グッズと言えば我が家にあるのは、ハンドルを回すと充電できるラジオ。これはライトもついてるので、実際キャンプの時にも役立ちます。3千円くらいするのですが、停電で困った経験がある人は是非備えるべし。ど~ですか、お客さん。