今日のひとネタ

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昨日初めて知りました>甲斐バンド大森さんのこと

2004年11月11日 | 甲斐バンド・甲斐よしひろ

   甲斐バンドのリードギター大森信和さんが亡くなっていたとの事。中学の頃は甲斐バンドばっかり聞いてたし、甲斐さんのラジオ番組にゲストで来てたときに何回も声を聞いてたし、ライブのビデオはほとんど持ってて姿はよく目にしてたし、もちろん実際にお会いしたことはないんですが、なんか古くからの知り合いが亡くなったようですごく悲しいです。私がエレキのリードギターというものを意識したのは、大森さんの存在があっての事でしたので。初めてエレキギターを買ってもらったときも、迷わずレスポールを選んだのは多分大森さんの影響が大きかったはず。(ただし、買ったのはカスタムではなくスタンダードでしたが)

 享年52歳だったとの事。闘病生活をしてたという情報もありますが詳細はわかりません。2000年に甲斐バンドが再結成してコンサートをやったときは何曲か参加してましたし、今月は甲斐さんがデビュー30周年記念コンサートを武道館でやったのでそれにも当然参加したものと思ってたのですが、事前にこういうメッセージが出てたんですね。

 甲斐バンドについてはあまりテレビに出なかったので大森さんの姿をご存じない方も多いかもしれませんが、ちょっと財津和夫氏に風貌が似た感じのスマートな方です。大森さんについて、私ごときがあれこれ書くのはおこがましいのですが、知らない人のために解説します。元々はベースの長岡氏と一緒に甲斐さんとは別のバンドで活躍していたところ、活動拠点が同じ福岡だった甲斐さんと一緒に演奏するようになり、甲斐さんがプロデビューする際にバンドメンバーとして一緒に上京しました。アマチュア時代はウッドベースを弾いていた事もあり、甲斐バンドがデビューした時はまだエレキのリードギターを始めて3ヶ月だったと甲斐さんが言っていたのを聞きました。(実際スタジオ録音の「かりそめのスイング」では大森さんがウッドベースを弾いています)

 甲斐バンドは、甲斐よしひろ(ボーカル、ギター)、大森信和(ギター)、長岡和弘(ベース)、松藤英男(ドラム)の4人でデビュー。デビューにあたっては元々別のドラマーがいたそうですが、プロになるという覚悟が曖昧だった事から甲斐さんの怒りを買って大喧嘩になり、最後は殴り合いの末やめる事になったとか。もともとギターだった松藤氏は大森さんに「ギターとキーボードと…ドラムもちょっとやってもらうかも」と騙されて加入させられたという話や、その殴り合いの現場に居合わせたのでドラムと言われても断れなかったという話もあります。

 いずれにしてもそういう事情だったでスーパーテクニシャンはおらず、全体の演奏から大森さんのギターまで中学生だった私にとっては親しみやすく、コピーもやりやすかったので今でも1st~4thアルバムくらいまでは楽譜無しで全部弾けます。(もちろん完コピとまではいきませんが) 初期の甲斐バンドの曲は構成が簡単だし、アドリブのギターソロが延々と続くという曲もほとんどなかったので、その辺が親しみやすかった要因でしょう。2ndアルバム「英雄と悪漢」の1曲目「ポップコーンをほおばって」のギターなんて、別に難しい事をやってるわけじゃないのに初めて聞いたときの衝撃は忘れられません。

 初期は完全にギター主体のバンドだったので「裏切りの街角」はもちろん「ダニーボーイに耳をふさいで」とか「東京の冷たい壁にもたれて」、「テレフォンノイローゼ」、「氷のくちびる」、「カーテン」、「そばかすの天使」などなど、あのギターがなくては…という曲がいっぱい思い浮かんできます。ソロで言うと極めつけは「きんぽうげ」でしょうか? また「翼あるもの」は、あのリフがあっての曲ですし。ラストの武道館ライブでは「ナイトウェイブ」が最高にかっこよかったですが。

 甲斐バンド自体は、ベースの長岡氏が脱退してからはバンドとしてのビートを追求するよりサポートミュージシャンを積極的に導入して演奏の完成度を高める方向を目指したようですが、「流民の歌」というライブアルバムなど聞くと「当時は相当な数のライブやってたんだろうな」というのが一目瞭然。圧倒される演奏です。今みたいに打ち込みの音はないし、編成も最小限だから音が薄くなりがちなところを鮮やかに歪んだ音でギャン!と支えてたのが大森さんなわけです。こういう人がいると頼もしかったでしょうね。

 今日は追悼の意味でアルバム「この夜にさよなら」と「流民の歌」を聞きました。特にライブはどれも涙が出るほどかっこいいです。初めてエレキギターを手にした日から今に至るまで、私にエレキギターを弾くことの情熱を与え続けてくれた大森さんに感謝。合掌。