今日のひとネタ

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地震は逃げ場がないので

2008年06月14日 | 日記・雑記・ただの戯言

 岩手・宮城内陸地震でなんらかの被害を受けた方にはこの場を借りてお見舞いを申し上げます。埼玉も少しは揺れたようですが、私は子供の学校の保護者会で出かけていたため気づきませんでした。


 地震は本当に逃げ場がないので困ります。私が直接体験した地震で一番大きかったのは1994年の<三陸はるか沖地震>なのですが、「はるか沖」という言葉が実際の被害を連想させないのどかな感じであったことと、その20日ほど後に阪神・淡路大震災があったことから一般的には人々の記憶から消し去られてるような印象があります。


 この地震の規模についてはこちらで大体わかりますが、当時私は青森市内にいましたので震度5でした。夜の九時過ぎだったのですが、パソコンのある部屋にいたら洋服ダンスがゆっさゆっさと揺れるので必死に押さえて事なきを得たのですが、問題は妻と娘1号。


 当時妻は娘2号がお腹にいて正月が近かったこともあり八戸方面の実家に里帰りしてたのですが、そちらはなんと震度6。テレビのニュースで「八戸 震度6」と見て驚いたものの電話が繋がらないという苛立ちは今思い出してもゾッとします。


 で、妻の実家では実際どうだったかというとテレビが台から落ちたり、茶ダンスが倒れたり、タンスの上の物が落ちてきたりでしたが幸いなことに誰も怪我はなし。しかし強烈な揺れと衝撃音を体験した娘1号(当時2歳)は、しばらく恐怖症になってました。


 直後は相当な回数で余震があったのですが、それに気づいて誰かが「あ、揺れてる…」と言うだけで大泣きして「外に行くー、お出かけするー」と叫んでました。地震の時の記憶で家の中が怖いと思ったのでしょうね。


 あの頃PTSDという言葉が一般的だったかどうかは記憶にありませんが「これが心の傷として残らなければいいけど」と思ったものです。なので今回地震に遭遇した子供達もその辺を克服して言ってもらえばと思います。それをバネにして「ハイパーレスキュー隊員になる」とか言い出すくらいなら頼もしいですけど。


 ちなみに娘1号は今では恐怖症はないようです。これを読んで思い出さねばいいのですが、2歳の頃のことは思い出そうとしても無理かも。