今日のひとネタ

日常ふと浮かんだことを思いのままに。更新は基本的に毎日。笑っていただければ幸いです。

どうしたらいいかという話がいいです

2011年04月08日 | ニュースに一言

 久しぶりに週刊誌を買いました。ここ何年かは「インターネットの時代だから週刊誌が一番立場がやばいだろう」と思ってたのですが、今回の大震災で週刊誌が元気になってしまったのは皮肉な話。大新聞の記者もテレビのニュースも行かないところに入り込んでの写真撮影とかは週刊誌の真骨頂。あとはネットの素人の意見より各界の専門家の意見を読めるのも魅力。

 今週買ったのは週刊現代とSAPIOなのですが、SAPIOの表紙が「ニッポンは強く甦る! 黄金の復興計画」でした。なんか元気が出るような気がします。巻頭の記事では被災地の子供の笑顔が良かったです。私なんぞはたいして勉強もできなかったのに大学まで出して貰ったことは両親に感謝してもしたりないくらいですが、今の被災地の子供達がまともに学校に行けないことがあるかもと思うと「なんとかして!」と思います。20年後、30年後には素晴らしい人になるかもしれないのに「震災で学校に行けなかったので…」なんて人生あきらめることがないように。

 SAPIOはまだ記事の見出ししか見てないですが、いろんな人が「こうしたらどうだ」と言ってると思うと元気が出ます。週刊現代の方は原発関係の「最悪のシナリオ」という感じの記事が多くてそれはそれとして知っておかねばならないのでしょうが、復興の具体案を考える方がいいかなぁと。

 福島原発の方はいろんなところでいろんな騒ぎになってて、ロシアは汚染水を海に流すことに文句言ってるとか。そりゃまぁ海は繋がってますからもちろん問題はあるでしょうが「これまでさんざん核実験やっといて、まずそれを反省してから言わんかい!」という気がするのは私だけでしょうか。

 あとは斉藤和義さんが自分の曲を替え歌にして原発批判してる件。結構話題になってますが、私は「なかなか上手くできてて面白い」と思ったくらい。反原発の人は絶賛してますし、そうでない人は「これまで電力の恩恵を受けながら今更被害者づら?」という批判をしてるようです。

 私は前にも書いたようにあんまり極端な意見は議論のしようもないのでいかんという立場。ただ「ずっとウソつかれてた」という感覚は同意できます。昔、青森に住んでた頃は核燃サイクル基地が気になっていろいろ勉強したけど、結局青森の隅っこの話なんて一部の人がいきり立ってるだけで全国的には全然話題になりませんでした。私だって青森から引っ越してしまえば「あれはその後どうなった?」と気にすることもほとんどなかったり。

 地元にいても、それに反対する具体的な行動というと反対派に投票するくらいでしょうか。しかし、反対派が弱くて推進されてるのだからそれはどうにもならんと。で、直接的な行動を起こそうとすると低レベル放射性廃棄物が搬入されるときに岸壁で古タイヤ燃やして抗議するくらい。なんにもできないのと同じです。なんとかしようと思うとそれこそテロしか方法がないかも。

 結局丸め込まれて泣き寝入りになってしまって、今になってこんなことになったわけで、例えていうなら「めぞん一刻」で管理人さんのお父さんが「最初の結婚の時にもっと、もっと、もっと反対しておけばよかった」と思ったり、WARのファンが「騙されたつもりで天龍についていったけど3周年記念興業の北尾戦で『本当に騙されてた』と思った」とかいうのに似てるかも。(って、普通の人にはわからんか)

 私が過敏になってたのは丁度子供が生まれた頃だったので、なんかの防衛本能が働いてたのかもしれません。やたらと気になってるのが自分だけで大手メディアは全然騒がないという印象だったのですが、今になって考えてみれば推進派というか電力側が強力なスポンサーだからメディアはそれは批判を避けるだろうと。当時は、清志郎氏をはじめ、景山民夫氏とか爆風スランプとか黒沢明監督とか反原発の方の声を聞くたびに「おお、あの人いい人じゃん」と思ったものですが、そういう私がいつしか丸め込まれたくらいですから…。

 まぁそれはそれとして自戒も込めて「じゃこれからどうしたらいい?」ということと向き合って行きたいと思ってます。いわゆる自然エネルギーとかがどこまで使えるものかというあたりから、そもそも生活をどういうレベルでどうやっていくかということまで。