新年あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願い申し上げます
2020年ですか、とうとう明けてしまいました。なんだか 年末からあたふたとして
ブログ更新もこんなに遅くなってしまい、べつに食っちゃ寝、食っちゃ寝してたわけで
もないのですが、今年ほどお正月にテレビを観た記憶がないのも摩訶不思議です。
何をしていたか?年末には子供たちも帰って来てくれるので 本当なら 色々と
手伝ってもらって あれもして これもして・・ほしいのだけども、年末まで働いて
いたし、お嫁ちゃんと帰省するのだから 若い人にはあまり負担を強いたら もう
帰ってこないよ・・という声も聞くので 帰省するまでには 少しでも私がやって
おこうと、ふだんあんまり張り切らないのに張り切ってしまった・・・
よそのお宅はどうだかしらないけど、我が家には神棚が多いと思う。なにか意味が
あるのだろうけど、いわれも意味もしらないまま 子供の時から 年末に
御神酒徳利を神棚から下げて 花筒の榊を取り換え、小餅の重ねを備えてという
しきたりをやらされてきた。花筒の榊は お正月には 松にモッコクなどのものが
増え、お餅の下にはウラジロを敷き、とにかく「何の意味があるんだよ」といつも
思いながら、母屋に、離れに庭の稲荷さんに、山のつるぎさんに・・・と、片手に花筒
片手に御神酒徳利を持って、つるぎさんには山道を滑らないよう持っていくのが
いやだった。神様が居過ぎて たぶんそれぞれの神様が「私が頑張らなくてもあの
神様がやってくれるでしょう」ってな具合じゃなかろうか・・・我が家では 神棚のこと
は 男 がやってきたことだそうで たしかに 半紙を切ったり しめ縄を架け替
えることは 父親、つまりおじいちゃんがやっていた。しかし自身の子が娘ばかりだ
たので、いやおうなしに私たちは仕込まれたわけだ。私に男の子が生まれたので
おじいちゃんは喜んで子供たちに仕込んでましたよ。半紙のたたみ方なんか。
しかし 子供たちの帰省日が遅いと 神棚行事も滞ってくるので最後のほうは
やっぱり私が引き受けねばならなくなった。子供たちは 御神酒徳利に差す
神酒口(みきぐち)のたたみ方を習っていたはずなのに おじいちゃんが亡くなって
から 新年のそれをたたんでと頼むと 「覚えていない」と言うので 前年のたた
んだ神酒口を 開いてたたむ(折る)ということを続けていた。しかし 昨年本棚か
ら 数十枚の神酒口が出てきました。
おじいちゃんが こんなこともあろうかと 折って保管しておいたようです。それも
御神酒徳利のサイズに合わせてちゃんと分けていたのには おばあちゃんと驚く
よりも「らしいよね」と爆笑したのだ。まぁ これは いつ何時 自分でできなくなる
かわからないので準備してた・・・私もそれは見習っておこうと思うのだ。このものを
神酒口と呼ぶとは今の今まで知らなかったのだが、これは炎を現し万物を焼き清め
るといい、神様を迎え入れるアンテナともいわれ ところによっては竹やヒノキ、紙
でする と検索したらでてきた。
おまけに しめ縄用の紙垂(しで)もあとはしめ縄に差し込んで先をカールさせれば
いいように切っているのを発見。
これは よりをかけてなった縄に挟み込むにはなかなか難しく 私は何度もちぎっ
てしまい、そのたびに父親が舌打ちをしていたことを思い出す。
そして 本当に 後を託した私が どこまでもいい加減な神棚の祀り方をすると
思ったのか
花筒に入れる生花の数まで書き残していた。いまは お墓の数も減ったし この頃
のような 丁寧なことはやめたのだけど・・・。おばあちゃんと二人で大笑いしながら
お正月の準備をしたのだ。つるぎさんと稲荷さんには 鈴をかけていて一年に一度
紅白の布を付け替える。この布、どこで買うのかなぁ・・・地元の洋品店やさんが店じ
まいするときに、赤い生地はうちしか使わなかったので 譲ってくれたとおばあちゃ
んが言っていた・・・白は さらし?
まぁこの神様たちがいたから 私のようなてきとーな人間がここまで生きてこれた
のかも・・と思うと やはり 少しでも祀り続けていかなくちゃならないようだ。
と、いうわけで 今年もこのような さほど新鮮なネタもないままの日々を送りそう
です。いい一年であってほしいなぁ