こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

雨です

2014-02-28 05:30:00 | 花・植物など
久しぶりの更新になりあんす・・・いや正確には「なります」と打ったつもりが新しくなったパソコンのキーボード、キーが薄くて滑っていくことがなんどもあります。しっかり打てばいいんだけど、前の機種が

わりと軽いタッチでも反応したのでその癖が抜けないのだと思います。

さて、どうやら私もおじいちゃんが倒れたことをきっかけに≪五十肩≫に突入したようです。それにしても おとうさんと同じ左肩が痛いなんて気に食わない。いつからか、「あれ?肩が痛いかな」と思っていたら

今はまだひどくはないけど。そうこう思っていたらNHKの≪ためしてガッテン!≫で五十肩の予防をやっていた。それによるとあれはヨガの猫のポーズみたいなのが、肩の周りの筋肉を動かすのでいいんだって、

さっそくやってはいるけど 本格的に五十肩になってないのか、イマイチ効果があるのかわかりません。年齢的に50代なんだからなってふしぎではないと思う。いやはや 寄る年波には勝てんってことやな。


ここ数日、かのお国からのPM2.5 というのが飛来して各地のお空が外出を控えたほうがいいって状態になっていました。きのうは 久しぶりに雨になってその飛来も和らぎ、草木にオチタモノも流されていくであろう

ということがテレビで言われていました。日本は今花粉の飛散もまっただ中で、それと合わさってかこの間田辺に向かうにつれて山々が白っぽく「春霞」どころかどんよりとした風景に今更ながら、軍備の増強は

当然!みたいに言うくせに 自国の環境改善は後回しで、都会の豊かな者が日本製の空気清浄機を買いあさり、田舎の貧しい者が木炭を燃やしている国って・・・とかの国を非難するしてもしかたないけど。

どでかい、扇風機で送り返したいわね。。。。


ところでこの間 ナルトサワギクのことを書いたけど、よく似た花が家から少し入ったところに一株咲いているのを見つけました。引きむしってとるには高すぎて届かず、おばあちゃんにも来てもらって見てもらうと

「怪しいな」という一言。カメラをズームにして写してみました。

ナルトサワギクっぽい?

前回のナルトサワギク


きのうは串本の町なかでプランターに植えられた黄色いこのような花を発見。運転しながらだったし雨だし、確認はとれてないけどあれも「怪しいな」



この雨は春めくための雨なんだろうけど、私の頭には「草が生えてくる、草が生えてくる」という地鳴りのような声が渦巻いています。

「怪しい花」の近くでクチナシの実をみつけた。



くちなし色というのはこの色のことで、くちなしの花の色ではないそうだ。そうやよね、花はたんに白色やもの。この実は薬用や染料になるんだそうで写真を写した時の色がとても若いオレンジ色だったのでいいなと

思ったのでした。来週は もう少しなにか書けるかな・・・・書けるといいな





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ナルトサワギク

2014-02-21 05:30:00 | 花・植物など
あっという間に一ヶ月が過ぎて週に三度ほどの田辺通いにも、少し疲れてきたのか家にいてもなんだかぼ~っとしているような自分に気がつきます。

片道一時間以上かかる道中は、最近高速道路建設のためのダンプカーが横行しておまけに何か所もの道路工事があって、イライラしてきます。国道を走っていると江住付近から国道わきに黄色い花の

群集が いやでも目についてきます。この花は昨年末以前から咲いていたように思うけど、名前も知らずただ、その姿というかひとかたまりになって咲いている形がブーケのように一抱えできそうで

それは愛らしく一度道端に降りて摘んでいきたいと常々思っておりました。国道の両側、海辺の浜にも山側の急斜面にもそれはとてもきれいです。

が、姉と三尾川のおじさんと三人で乗っているときに姉からその花は とんでもない曲者だということを教えられたのです。

この花の名前は ナルトサワギク といい、実は特定外来生物に指定されている植えてはいけない花なんですって。

海外では牧草地に繁殖している、あぁそうか・・・私がこの花のイメージとして一抱えにできそうだと感じたのが≪大草原の小さな家≫の草原に咲いているような花と思ったからだと思う。

姉が言うには日本では 道路工事やなんかで土砂の運搬が盛んになると運ばれてくるんだとか。徳島で見つかって以来すぐさま和歌山に運ばれ 和歌山では壁のように咲いているところもあるんだとか

それが最近、県下を南下してきたようで野草を探して歩く趣味の姉は、新宮市の植物の先生に師事しかなり詳しく勉強しているようだ。まだ私の散歩コースには咲いていないので、見つけたらすぐさま

撤去しなさいと念を押されてしまった。そのような この地域に生えてはいけない、ほかのもとからあった草花を全滅させて種を残していく困った植物は、なぜか個人に取り込まれやすく知らずに

プランター植えにされていることが多く、姉が新宮市内で見つけて植物の先生と事情を説明して撤去してもらったそうだ。話を聞くと和歌山に住む娘が花好きの母親にと運んできたそうで、娘の近くに

一面ナルトサワギクが咲いているところがあったそうだ。いやはや、うちの姉も知らないお宅にまで乗り込んで駆除をお願いするんだからすんごい人だ。

姉が車を止めてほしいというので 病院帰りに降りて写真を撮ってきた。

「まるで花の道やね」と姉が驚いたくらい、山に向かう砂利道のわだちの周りに黄色い花が咲き乱れていた。



たぶん山から木を伐りだすのに作った道だったと思われるこの道は その近くに高速道路建設に向かうトラックの進入路があって、これからこの花の種が県南部のあちこちに運ばれることが危惧されます

それにしても、花には罪はないように思うんだけども一年中咲くらしい。そう思うと怖い花かもしれません。二、三か月で一生を終えて来年まで咲かないというのではなく この寒い真冬でもしっかりと

花を咲かせ、種を飛ばしまた新しい株を作って開花する・・・、どうりで畜産試験場の周辺は、この花のための花壇かなにかのように咲き乱れているのだ。



この道のどこまで咲いているのか・・・。こういうものを県としてどう捉えているのか・・・と姉と話していたらおじさんが「県は急傾斜の工事で芝の種やら草の種を吹付けるけどもともとあった日本の

植物を排除して、別の花を植えようっておかしなことをいうからのぅ」と。この花はシカも食べないから(有毒で)結局、日本の山野には残しておきたい植物は廃れ、環境に悪いものしか残らなくなって

しまった。





ここは道の駅 イノブータンランドすさみ 横だ。



どうか全国でこの花を見つけたら誰かにこの花を育てないで!と教えてあげてほしい。引き抜いて焼却処分にしてもらうと 小さいことだけど株は増えないので。一年中咲いている花なんて、不気味で

ょう?
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出費は痛いけど・・・

2014-02-17 05:30:00 | 我が家


おじいちゃんが倒れたとき、私の愛車は家にはいなかった。

新年になってちょうど鏡開きの日に愛車の塗装と板金をお願いして車屋さんに預けていたのでした。もう13年も乗っているから あちこちに痛みもあり、すり傷もはっきりと見えます。ボンネットは

塗装がはげて、白っぽく見え何らかの傷から腐食が進み鉄板自体が浮き上がってきています。車庫で眠れる身ならば、もう少しましだったと思うけど暑い日も寒い日も台風中も、ずっとひとりで外で

耐えてきた私の車は 相当に痛んでいる(涙)。もう新しい車に乗りかえても誰も文句は言わないんだけど、おじいちゃんだって元気な時に病院に行くときはこの車に乗ってしみじみと、

「この車はどのくらい乗るんな?」「もう13年やて。乗りかえてもいいんやけど(内心はウソ)、買ってくれる?」と運転しながら聞くと黙ってしまい「そうかぁ、そんなになるんか。軽トラと

どっちが古いんやろ・・・」と言ういつもの答えで話は終わっていた。私はテレビで何度も流れる新車のCMには目ざとく 関心も十分あるんだけども≪これだ!この車に乗りたい!!≫とワクワクする

気持ちになる車がないの。4月からの増税にホント、買い換えるなら今や!と何度も思ったけどいざ、どれにしようか・・・と思うんだけど。4月までのカウントと決められない焦りがごちゃまぜに

なって、新車を買った場合の金額と、この際気になっている箇所の塗装と板金をした場合の金額を比べて、まだまだ乗りたいから板金塗装でいまは乗り越えよう・・・となったのでした。

古座の車屋さんにお願いしに行ったら、快く引き受けてくれたけどそこから連携の塗装屋さんに回るので、そっちの仕事の段取りと代車が用意できたら連絡します・・となったのです。

用意できたというので車を持って行ったら 板金塗装のほうの車屋さんも来てそこで見積もりをしてくれます。金額的には 予想より少しオーバー気味になるけど、意に沿わない新車を買って乗ることを

思えば、そりゃしかたないなぁ・・・と思うしかないですよね。まぁ、まだ何年かはこの車で乗りたいし来年車検があって、また来年悩むかもしれないけど私自身どうしてもまだ乗りたい気持ちがある

のよね。それは、町内で同じ型の車が増殖してきたのだっぴょーん!しかし、私の乗っている車はグリルを少し変更したりくらいで2年くらいで廃盤?になってしまったのでした。発売当時はドアや

ボンネットが好みの色で変えられる、という当時は画期的すぎてドアの色が替えられてつけられている車を見たのは、二度きりしかない。かたちは当時流線型が流行りだしてきたのもあり、愛車のよう

な「四角い車です!」は少なかったし、町内でも色違いでワイン色・オリーブ・ホワイト・シルバーの数台しか走っていなかった。一番最初に消えたのがホワイト。。。ワイン色も出雲のほうから走って

いたのが、いつのまにか古座のほうから走ってくるのを見かけるようになったので引っ越したのかもしれないなぁ・・とよその車だけど、同じかたちの車の心配をしたりして、そのうちダークグリーン

も加わったり、他府県ナンバーの同型車を見かけたら「ようこそ、軽でこんな地の果てまでも」と拝んでしまうこともありました。最近、なんかよく見かけるなぁと思い「でもこの車、もぅ作られて

ないし」と観察してたらナンバープレートが「和歌山○○○」と三桁になっていた。私のは「和歌山50」だ。同世代のも二桁だから「はは~ん、三桁のは中古車なのか」と理解したのだ。

中古車でも、見てくれは私のよりずっときれいでピッカピカしている。どんだけきれいに洗って、ワックス掛けても寒天下・炎天下・雨天下にさらされたらやはりつらいとこがある・・・

 あまりにみすぼらしくなったから意を決して塗装に出したら、二人の車屋さんは「・・・・だいぶみすぼらしいね。言ったらなんやけど・・・」って口をそろえていうのです(笑)ボンネットは持ち上

げて裏面をみたら「これはおなじのを探して付け替えやね」・・・そっか・・・この部分はどこかの誰かのボンネットに替わるのか・・・車屋さんは「ホイルも吹いて揚げたって」と塗装屋さんに

言っている。「ホイルをきれいにしたらだいぶ違うで。まだまだ乗れる」と言ってくれるんだけど、頭の中でお札が一枚二枚と飛んでいく・・・。いや、新しいのを買うことを思えばその何分の一かの

出費だ!と思うことしかない。ワイパーも塗装がはげてさびているので黒く塗ってもらい、まぁそんなとこかな・・・と思っていた。車屋さんたちがナンバープレートを覗き込んでいたので、

「文字が薄れてるやろ・・よけいにみすぼらしく思うけど、かといって自分でマジックででも塗ったりしたらあかんでしょ(よくしらないけど改造車になるんじゃないかな)」とヘラヘラ言ったら

「これ、新しいのに替えられるよ」「え?同じ番号で?」「うん、一枚6000円くらいかな、ね」と塗装屋さんにふると「あぁできるよ」というじゃん。「でも、一枚6000円は・・」とまた

お札鳥がピヨピヨと飛んでいく・・・それは断念したのでした。



だもんで、救急車の後ろをついて走ったのもそれから何度も田辺に走ったのも、代車でした。塗装の間だけならそう給油もしなくてよかったのに、返すまでに三度満タンに。でも、出来上がってきた車は

「お~!ピカピカじゃん!」と思わずニヤケテしまうくらいきれいになって、想定外にナンバープレートも文字がくっきり・すっきりになっているやん。「ナンバーも・・・」と言ったら、車屋さんが

「それは息子がね、磨いて書いたんや」と。そう、車屋さんの息子さんはうちの長男君と高校で同じクラスだったのだ。お父さんの車屋さんとはうちのおじいちゃんと長いあいだ自動車保険関連や、軽ト

ラの修理なんかで知っていたけど、息子さんとまた知り合いになるとは思っていなかった。息子さんにはこの車、もう2度ほどあちこち診てもらっている。請求書はまだきてないけど、「中は問題ない

けど、ブレーキ部品がすり減ってるんでそれはまた三月にでも」って言われたので、あちゃぁ・・・人間同様 車も年をとるとあちこち無理も利かなくなってくるんだと痛感したのでした。増税前になん

とかしないと、あぁこの国はいったい、私のへそくりをどうして痛めつけるんだろう・・・・
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入院生活

2014-02-14 05:30:00 | 我が家
              
                                     タチツボスミレ

寒かったり暖かかったりの日が続きます。家でいると寒く感じる日でも病院の中では、適温に設定されているのでしょう、どこを歩いても上着がいらないくらいです。季節がら、インフルエンザが流行っ

ているので、出入り口には≪マスク着用のお願い≫や電動消毒液機が設置されています。いままでおじいちゃんの診察で来ていた時でも、マスクや手の消毒なんてしたことはなかったけれど、この頃は

どちらもしています。風邪を病院内に持ち込んでは・・・、病気を家に持ち帰っては・・・と思うから。今週で4週目になるのですね。あっという間の時間の経過で、それでも家族と身内でなんとか

かんとかやってきたなぁと思います。

倒れたその日も、おじいちゃんは普段と変わらず軽トラでホームセンターで買い物に行き、食事もお風呂もすませていました。「よく運転中でなくてよかった・・・」と私たちは思っています。

ただ、おじいちゃんが入院した翌日姉夫婦たちと見舞ったときに「また元気になって車、運転せな、ね」と励ましたら、おじいちゃんは弱々しく動く右手をあげてひらひらと振ります。「もぅ運転は

できん」とモゴモゴ話します。本人も前々から私たちに「車の運転はやめたほうがいい」と言われていたのを押し切っていたのを反省したんだろう、これで車を降りるだろうと家族は喜んだのですが

どうも、最近はそれに否定的なことを言い始めたりします。かといって、運転できるかと言えば現実的には絶対無理な状態なんですがね。本人がそういう気持ちがあればリハビリにも積極的になるので

はないかと、今度は「うん、そうやね。また運転しようね」と励まします。倒れてからおじいちゃんの運転免許証を探しました。おじいちゃんは 車に乗り込むときにどこからか免許証を出してきて

乗っていたのですが、毎回違うところに(自分がわかっている場所に)置いているので、それがジャンバーの内ポケットだったり、ズボンのポケットだったり、車のダッシュボードだったりと家族も

わからないところから出してきていたので、それをみつけるのにみんなで家捜しです。思い当るところ、探してもみつからないので本人に聞けばいいだろうと聞いてみたのですが、おじいちゃんは

喋りにくい口で「・・・やと思うけど」その・・・がこちらには全然わかりません。「わかるところには置いてない」とまで言うのです。そういう日が数日続いたのですがあるとき「車の中にある」

と言います。「車のダッシュボードも 座席も探したけどなぁ」と半信半疑の私たちに「飴とか入れたとこや」というので、ダッシュボードしかありません。家に帰っておばあちゃんと何度目かの

捜索になったのですが、ダッシュボードの中には好きなカラオケのテープや愛飲のリポビタンDの瓶、爪切りにティッシュ、ハンカチ、眼鏡ふきなどに加えて小さなお菓子や飴がびっしり、手を突っ込む

とそれらがダッシュボードの底までぎっしり。「これを機会に取り出しておこう」とひとつずつ出していたら、一番底から運転免許証が出てきたのです。「あったー」と同時に爆笑です。そりゃ、

これなら自分以外にはわからへんわ・・・。運転免許証が見つかったことを報告したら「それはよかった」と安堵の表情になったので、本人も気にはなっていたようです。また、車を処分されないかと

それも気になるのか「車はあったか?ちゃんと家の前の駐車場に止めてあるのか」と言ったり。どうも、記憶が過去と現在とごっちゃになったりするようだ。じっくり聞いていたらえらい昔のことを

思い出してきて「・・・五人も六人もいて、みんな死んで残ったのが自分だけで」と指で自分を指すのだ。これは自分の兄姉が上にいたけど戦死や病死で皆他界していることを言っている。私は

「みんな会いに来た?」と冗談で言ってみた。つまりおじいちゃんをお迎えに来たのか?と聞いたのだ。おじいちゃんは首を振ったので「よかったやん。まだ来なくてもいいんやて」と笑ったらうん

うんとうなずいてきたので、安心したら「・・・こうなったのがいいのかどうか・・・」とマイナスなことを言い出したりしてきた。義兄が「お義父さん、最近は木の値段も少し動いてきたようですよ

」と言うと、いきなり目を見開いて「そぅ、それはよかった」とはっきり返事をした。私はこの人は、ほんまに山のことが懸念なんだと思いつつ、次に何を言うのかと聞いていたら「・・・公団造林して

・・・」義兄が「公団?」と聞き返すので私が「うちの山、公団造林で植えてもらってん」と教えていたら「・・ねん・・・伐れない」とおじいちゃん。私が「でもそれは育って伐れるようになる

には50、60年から。つまり私らの子供か孫くらいの話。先でどうなるかわからんけど、ね」と義兄に言ったら「お義父さん、今度その山、連れて行ってくださいよ」おじいちゃんはうなずき

「どのくらいの広さなんです?」「・・ひゃく・・・」「100町歩ですか?」ここでおじいちゃんは大あくびをして目をつぶってしまった。眠たくなって会話の途中で疲れたようだ。この話は正確で

間違ってはいないし、年齢からくる物忘れ的な症状はあるけど、そう記憶には損傷もなさそうだし、家族を見て誰かわからないということもない。ただ、元来気ままな性格なので、家にいるときと同じ

振る舞いや言動をするため、看護師さん泣かせの患者のようだ。我慢はできない、文句はいう、動く手で壁や備品をたたく・・・昼間起きている分、夜間の睡眠が浅く声を出すので着替えを持って

行ったら部屋を変えられていた(泣)。今までも、入院した時に同じような態度をしていたから家族は「またやってるのか」と思うけど、自分の体が動かせない状況にいることをわかっていたら、もう

少し控えめにしていてくれればいいのになぁ・・・と思うのだ。
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思い出す

2014-02-10 05:30:00 | 我が家
           
                                 お墓の近くの梅

先週末は 日本各地で予想外の大雪になって混乱していました。金曜日の天気予報では 和歌山県南部にも雪マークを付けてもらっていましたが「降ってみるなら降ってみろ!」と私はテレビに向かって

言っていました。金曜日は姉夫婦と田辺の病院まで行き、リハビリ病棟のある病院の先生に院内診察と家族との問診のようなことを受けました。今入院している病院では 病気の治療はできても本格的な

自宅療養に向けてのリハビリはできません。おじいちゃんは比較的に容体も落ち着き、出血のほうも改善されつつあり、思ったより回復に向かってのスピードは早い、早いと言っても年齢が年齢なので

またいつ出血するかもしれないけど、がんばって一日も早い自宅療養できるようにやっていきましょう・・ということです。役場への介護申請を申込みそちらの面接も来週ということになりました。

役場の福祉課や病院の地域連携室など、横目で見ていただけで、まさかそちらのご厄介になるとはあまり考えていなかったので、緊張しています。

先生との問診の後、ナースステーション横の談話室で姉たちとおじいちゃんと話をしましたが、当然、いままでのように普通に会話などできません。でも、たしかに日一日とおじいちゃんの口も開くよう

な気がします。もちろん、笑ってしまうようなことを話し出す場面も多いのですが・・・。


倒れた夜、救急車を呼び私が乗り込み、おとうさんが車で走る、おばあちゃんは家で待機、ということにしました。私は入院セットを抱え救急車に乗り込んだのですがなかなか出発しません。

救命士の人が串本病院に行くことになりますが、そこで診て、さらに新宮の医療センターに行くかもしれないがいいかと聞くので、田辺の南和歌山病院に肝臓でかかっているのでそちらに行ってもらいた

いと言うと、南和歌山病院のホットラインに電話をしてくれましたが、なぜかホットラインに人が出てこないと言います。串本病院には連絡がつくけど救命士さんも不思議がっています。もう一度

ホットラインにかけても出ないため、病院の事務所にかけたようでそちらで応答があって受け入れを確かめ行くことに。でも家の前で乗り込んでからでもかなり時間がたったように思えました。

おじいちゃんは救急車のベッドに寝かされ私は進行方向に座るのではなくベッドと平行に座るわけで、いろいろと問診され、おじいちゃんの様子を見ながら「これから田辺か~」と思いつつ、走り出し

ました。が、全然外は見えずどこらあたりを走っているのか、時間的にこのカーブはあのあたりか?とか思うけどさっぱりわかりません。「○○(おじいちゃん)さん、わかりますか?」と声をかけて

もらうとおじいちゃんは返事し、血圧を測られたり「手足は動きますか?」と言われて動かそうとするけどどうも左側が動きません。「頭かなやっぱり」と思ったのは、倒れたというおばあちゃんの

声で母屋に走って寝間で倒れたおじいちゃんを見たときに「左が動かん」と言い 本人は倒れた拍子に打ったか、骨折したように思っていたような感じ。三人で布団に運んだ時も左側に反応はないよう

だったので「頭なら右側に異常かも」と瞬間思ったのでした。救急車の中でおじいちゃんが頭を持ち上げてきたので救命士さんが「○○さん、気分が悪かったらここに吐いていいんですよ」とトレーを

口元にあてたけど、そうではなくおじいちゃんは体の方向を変えたかったのかもしれません。そうするうちに話しかけられても 生あくびのようなものをするので「もしかしたら頭のほうに出血があるの

かもしれません。あくびするのが兆候なんです」と教えてくれます。眠っていかないように話しかけますが、車は揺れるわ、どこだかわからないわ、外は暗闇で、私の口も重くなってきました。

「車に慣れてる人でも酔うことあるので言ってくださいね」と優しく言ってくれます。「そうなんだ、私だけじゃないのね、この気分が悪いのは・・。」と思いつつ「だ、大丈夫です」と答えたものの

だんだんカーブが頻繁になり右に左に揺られる・・それは普通に車に座っていれば右に左に揺れるのだけども、横向きに座っているからか体に感じる揺れ方が違うのだ。この急カーブの連続は椿あたり

?「す、すいません・・気分悪いです・・」「はい、これに・・」と私はおじいちゃんが使うはずだったトレーに吐いた、吐いた。この日の夕食は ≪ガリバタ鶏(チキン)≫だったなぁ・・と思いなが

らも、すっからかんに出したら少しは楽になった。しかし、救命士さんは私が吐く、すかさずその上にティッシュを掛ける、吐く、掛けるを繰り返していた。手馴れていることにミョーに感心した。

少し窓を開けましょう、と自分が座っていた席に座らせてくれた。外はどうやら雨のようだ。フロントガラスから、郵便橋のあたりが見えたので「おじいさん、郵便橋まできたで」と言うと「田辺に

行きやるんか」と答えたので、意識も大丈夫やな・・と思ったのでした。病院に入ると車でついてきたおとうさんが「途中離されたけど、急にスピード落ちたな。追いついた」というから「私が吐いた

んだよ」「それでかおかしいなと思った」 処置室に運ばれたおじいちゃんを廊下のような通路のようなところで待つ。そうそう、救急車の中で新宮の姉に「おじいさんが倒れて今田辺に運ばれ中」と

メールを打つも返信がない。10時を回ったから寝てるのか・・、だったら義兄の携帯に電話をかけてみた。義兄が出たけどピーポーピーポーがうるさくて、何言ってんだか聞き取れないので、一方的

に「おじいさんが倒れたので田辺の病院に向かってます」と早口で言って切った。そのあとは、時間がどうやって経ったのか、気がつくと日付が変わっていた。当直の先生が診てCTで写した画像を

二人で見ながら説明を受けた。やはり右側に出血が起きていた。点滴薬で出血を抑えて様子を見ることになりこれからICU室に入ることになると説明されました。おじいちゃんはストレッチャーで運ばれ

私たちは部屋の外の待合室で待たされた。誰もやってこないのでここの椅子を集めて眠ることにしてたら当直の先生の人が来て、着ていったパジャマや下着を返され、面会の仕方やこの後のことをきかれ

容態が安定しているなら、一度帰って明日来ます・・もう夜中の1時を回っていた。おとうさんが「コーヒーが飲みたい」と言うので近くのローソンでに寄ると、店員さんが「ビッグミンチカツが10円

引きです。いかがですか?」というのだけど「おなかはすいてるけど、吐いたばっかりで油ものはどうよ」と思うけど、このまま空腹で帰るのもしんどいか、おとうさんもサンドイッチを食べるというか

らミンチカツを買った。ポイントカードを出すと「端数を引けますよ」という。「え?そんなこと言われたのは初めてです」、この騒動とは場違いな会話だけどなんか、ここまで来る途中にいろいろ

頭のなかがあらゆることを考えすぎていたので、なぜかじんわりしたのでした。真夜中の病院近くのコンビニでは私たちのような家族がよく立ち寄るのかもしれない。街なかのにぎわいの中にある

コンビニのあかりより、こんな道路のそばのコンビニがもしかして緊張感をほぐす役目をもってるのかもしれないと、私は心底感謝したのでした。
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大変なこと

2014-02-05 05:30:00 | 我が家
おじいちゃんが入院して以来、私たちの生活リズムが少し変動しています。そういうことは仕方がないのですが こうなると家族の一員こげにも少ししわ寄せがでています。

というのも病院の面会時間が午後からなので こちらから田辺までは安全運転して走っていくと一時間ちょいかかるためお昼すぎてから家を出ることもたびたびとなって、こげの散歩を午前中すまして

から・・・ということも。なかには最初のうちは 散歩を我慢してもらうということもありました。人間がバタバタとしているのを感じ取るのか、たのしみの散歩に出かけても、「おっ!きょうは

ショートカット?」とコースを短めにして帰宅することがあり、でもそれが三日、四日と続くと「あぁ、こげもこげなりに我慢してるのかな、早く家に戻ろうと思ってるのか」と胸が熱くなるのだ。

一人で留守番ということも多くなり、そんなときはこげってあかんたれになり、ひたすら物音や話し声を無視するようで、丸くなって寝たふりしているらしい。番犬というのも、どうやらテキトーに

できることを私も知りましたわ・・・。



あまりの非日常が続いていたので、わかっていたけど節分、年越しをおばあちゃんが忘れていて当日になってお墓の掃除と家じゅうの神棚を祀ってまわりました。お墓に行くと スイセンが咲きはじめて

いたので写してみました。と同時に新しいパソコンで写真の縮小サイズの試しをやっています。自分の記事をブログで見ると写真の右側が空白なので、もしやもう少し写真サイズを大きくしてもいいのか

なぁ・・・ぼんくらさんの写真は私からすれば テレビ画面のように大きいじゃん!!なんか、今までと操作も見た目も違うから戸惑い、なかなかやり方を覚えられません。



プレビューで見えるものと、実際ブログが皆様のパソコンでどのように映し出されているのか、よくわかりませんが、記事投稿画面は前より横長になったので私のように、えんえんと長文を書きなぐる

者には改行する手間がちょっと楽になったような、気がします。


大変だったこと、先週姉が一週間家に泊まったので そりゃもぅ心強いことは心強かったけど私とおばあちゃんは(ほぼおばあちゃんだけど)追い立てられるように、ネジを背中に取り付けられたように

全部巻き巻き戻ったら、巻き戻されて動き回るネズミのように母屋の台所を片付けることになりました。万が一の場合、家に手伝いの人がやってきて葬祭以外の家の中のことをやってくれるわけで、

その時、あまりにも家の中が汚れていたり片付いていないと恥ずかしい・・ってことでしょうが、まぁこれまでのおばあちゃんの生活が農業をやりながらの毎日で、片付けていったりきれいに部屋を

整えていられるような状況じゃなかったのは、私も自分がそのような日を送ってみて初めてわかったわ。そりゃ、同じような状況でもきれいにやれる人もいるだろうけど、なかなかあのおじいちゃんに

従いつつ、田んぼを作ってこの広い家の隅々まできれいにできたら それこそおばあちゃんのほうが頭の血管が切れると思う。と、書きながら「これって、私がそういうことにならないためにあえて

無理なことはしないと、さきに予防線を張ってるみたい?」と深く考えてしまったわ・・・。そう、家は小さく庭なんか猫どころか、ネズミのひたいでじゅぶんだと思っている。そういうことが頭に

あるのか、ないのか、根がきれい好きなのか姉は台所の隅々を引っ掻き回し、「これはいらない」とゴミ袋に入れ始める。だけども、ここは串本町。新宮市のごみの分別とは大いに違うのだ。

なにもかも可燃袋に放り込まれたら、それはルール違反。できるだけ廃プラ袋、金属袋と振り分けていってほしいのだ。もともと、家では紙くず類は家で焼却していたので、それらは段ボール箱に

入れたらおじいちゃんが焼いていた。(そのために火力が必要だとか言って、年末からたくさんのたきぎを割り挙句の果てには竹やぶから切り倒した竹を運んできてそれも割り続けていた。)

姉は最初のうちは 段ボール箱になんでも放り込み、注意をすると今度は町指定のごみ袋に、ごちゃ混ぜに分別をして入れてしまう。。。二度手間ということなんですが・・・

おばあちゃんは姉の勢いに押されて、思うに姉はおばあちゃんにクヨクヨしてたらあかんと、体を動かして気を晴らすためにしてくれたと思うんだけど、最後にははぁはぁしてましたわ~

三人で台所だけなんとか、不用品を片付けたけど、どこを片付けだしてもおじいちゃん手作りのメモ類が現れ爆笑。。。なにもこれでメモを作らなくても…厚紙のメモはちょっと、不便かもね!と

教えてあげたい。でも、さすが調理師免許を持っているだけあって、夕食はきちんと作ってくれたので私は助かりました。ただ、やっぱり生協の冷凍味付けカレイの唐揚げは解凍せずに揚げたかったわ

調理法を読んでいないのか、揚げようとしたら解凍されてべちゃべちゃの唐揚げ粉を これまた解凍されたカレイの身にこすりつけて揚げたんだから・・・。

今週は 姉も新宮に戻って、私たちはすこし緩やかな日々を送っています。

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