階段を上がった途中に小さな祠と、お地蔵さんの赤い前掛けが目に入りました。
前を行くおばさんたちが立ち寄るので、失礼ながら撮影を・・・。後ろがつかえて
きたので慌てて写したので、お顔がわからず。リンをたたいて・・あれ?少々音が
ガラガラ鳴ります。お賽銭をあげ合掌。昔ならこんな寂しいところで命を落とすの
も 多々あったのかもしれないけど都に帰りたかっただろうな。
上がりきったところは、大きめの祠があってその前にテントが張られ、ゴザを
敷いて座っている信者さんたち、そのテントに入れず敷地の縁ギリギリに立って始
まりを待つ人、やはり女性が多い・・・けど、ここでもまだ私は若年層だ。
おっと、さっき階段を飛び降りて行った男性と若い女性が、白い衣装を着けて祠の
前に立ちました。「あの男の人、ここの世話人の中田さんって人みたい」とおとう
さんに小声で耳打ち。隣に立った道中で追い抜いたオジサンが「ほら、あんたらも
お参りして名前を書いておいで」と勧めてくれるので、祠の前に行くと先のおばさ
ん2人が えらい長くモゴモゴと口走り頭を何度も下げています。願い事か、はた
また願い事が叶ったお礼なのか、長い。ならば賽銭箱にお賽銭を・・とみたら、
大きくない賽銭箱に、祝儀袋に入ったお賽銭が「やっぱ、ちゃんと袋に入れてこな
くちゃあかんかな・・ま、ここは通りすがりの者!みたいな顔して入れて・・」と
一歩踏み出したところ、なんと祭壇のまえで立つおばさん2人の向こうに、明らか
にマスコミのカメラ(マスコミといっても新聞社の紀南支部のカメラマン)が、
こっちを狙っているように見えます。おとうさんに「いま、あかん。カメラがある
いや別に、追われてる身でも、人様に顔向けできない事象をおこしたわけでもない
のだけど、万が一南紀州新聞に載ったりしたら恥ずかしい!!お参りはあとにしよ
うと、元の場所に戻りました。
私達は祠の後ろ側に立ったのですが、始まりにあたり中田さんがなにやら紙を配る
よう私たちの左側にいた婦人に渡したのですが、婦人は私たち2人には見向きもせ
ず、他の人に全部配ってしまい、あれには何が書かれていたのか・・・。おとうさ
んは「おれら、信者さんと思ったんちゃうか」と慰めてくれたけど。
吉野 金峯山寺の修験者の冨岡さんのほら貝で始まりましたが、お経を唱えますが
わかりません。このお地蔵さん特有のものかナと思っていましたら、般若心経を三
度、地蔵○○を三度唱えると中田さん、後ろにいるので声が聞こえません。
般若心経ならところどころ唱えられる。わからないところは口パクで・・と唱えだ
したところ、汗が。小雨が降り時折風も吹いているのに、汗が・・・。思うとよけ
いに出てくる。歩いてきて体温が上がったのもあるけど、ここに立って15分は
経ってるのだ。背中からも湯気が出てんのちゃう?と思うくらい暑くなって、ハン
カチを取り出し額の汗をぬぐうしまつ。誰もそんな汗を流す人はいません。一人、
汗を拭き拭き般若心経を唱え終わったら、今度は聞き覚えのある「おんかかかびさ
ん・・・」あ、これなら唱えられる。耳に覚えた「おんかかかみさんまえーそわか
正しくは「おんかかびさんまえいそわか」となるそうだけど、地蔵心言と御念仏の
本に書かれています。亡き祖父が朝な夕な仏壇の前で般若心経とこの心言を唱えて
いたので物心ついたときから覚えてる。
一連の行事が終わり、中田さんが挨拶をしきょうに至った事柄を話し始めました。
中田さんはこのあたりで子供時代遊んだのだが、成長とともにこの場所を忘れてし
まっていた、近年思い起こしこのあたりを整備し、長老の方から後をまかされるこ
とになって、お経を唱えた女性(話の感じでは何かお地蔵さまからチカラを頂くこ
とができるようだ)に「中田さんのまわりに多くの人が集まってくる」というお告
げもあり、加寿地蔵世話人会代表となったそうだ。音声案内板も設置し、多くの
人にこのお地蔵さまのことを知ってもらいたいと述べていました。私の汗もひき
ここに呼び寄せられたのもお地蔵さまのチカラでしょうね。
それで、餅まきはと・・・あいにくの雨のため袋詰めされて手渡し、でもないか、
隣のおじさんに一袋下さい・・と言ってもらったビニール袋には紅白の小餅が、
20個以上あったかな。「うわ!こんなに!」と思わず言ったら失笑が・・。
この日、100人くらいの人が来ていたため、あちこちから「私も、私も」という
声と「足らん足らん」という声。私は5個取り出して、またビニール袋を戻しまし
た。信者でもないのに 貰っては悪いなぁ・・と思ったので。なにか他にも配られ
たようだけど、どさくさに紛れてお参りをしに祠の前に。ロウソクの火は消えてい
たけど、ここに来たお礼をいい身体健全を祈ったしだいです。横に参詣者名簿があ
たので名前欄に ちのと 住所欄に 串本町から来ました。中田さん、ありがとう
ございました。と書いてここを後にしました。下に下りてその先にも行ってみたい
と思ったのだけど雨だし(この先も熊野古道らしい)。階段を降りるときおとうさ
んに「暑かったねぇ」というと「まさか!寒かった」「ウソー、私汗噴きだして困
った。急に暑くなってきて汗拭きもて 念仏唱えたんやで」と言っていたら前を
下りていく女性が「ここはパワーが降りてくるらしいから、あなたパワーもらった
のよ~」と振り返って言ったけど、そうかな、更年期からくるもんじゃないよね。
歌子姫のパワーかな、いいパワーだといいな。
駿田峠の切り通し、人がいるけどずっと前方で比較にはなりません。峠近くまで車
で来れますが道幅広くない。その先に下から上がってこれるように道があった。
国道42号線の勝浦手前の左側の製材所から歩いてここに来る道が古道らしい。
帰り道、前を行く人後ろを歩く人静かだ、大声でしゃべらないのだ。おかしい!
串本町内の餅まきは 拾ったあとの帰り道はウルサイうるさい。なんか喋りながら
行進している印象があるのに、なに?この人達、静かすぎる!そうおとうさんに
小声で言うと「やっぱり、那智山の近くやからオゴソカなんやて」うん、そうかも
しれないね。神様の前では 人と競ったりしないのかもしれないね。
中田さんとは会わずじまいでしたが、知らない土地で知らない人ばかりの中にいて
楽しかった。