こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

ふきのとう

2019-01-29 05:30:00 | 花・植物など
来たれ!春

寒いです。でも 昨年、一昨年のような指先の冷え冷え感は少しは減少しています

お嫁ちゃんが それはいつも気にしてくれているのでごまかしているのではなく

ひどかったときより マシになっているのです。これはばね指対処の 芍薬甘草が

効いているのかも。。と思っているのです。それに ばね指も一時の「このまま

固まってしまうんじゃない?」という状態も日々少なくなって、何かしら動き回って

いる間はすっかり忘れてしまっているくらい。診察と言っても 手のひらを見せて

両指を繰り返し折って広げて・・とお遊戯みたいなことで「うん、調子はいいな」と

先生が言って終わるだけ。痛みはないし・・お薬を貰って終わりです。


土曜日夕方 雪が舞ったよ。初雪だね

この日は潮岬で 恒例の≪本州最南端の火祭り・望楼の芝焼≫が行われ、

那智勝浦町では≪マグロ祭り≫、国道は幾分交通量が多かった。

インフルエンザが大流行中だし、そんな寒い中の芝焼に行く気力もなくて

家でぬくぬくしていました。日中の竹伐りは 風が強いし寒すぎるため休み。

竹林のなかにいれば 雨が少々降っても気がつかず濡れることもあまりない。

ただ風が吹くと下から吹きあがったら のこぎりで引いた切りくず、粉のようなものが

目に入ることがあり、対処に困る。そのため切れ味のいい竹伐り用ののこぎりを購入。

家に戻って、「あぁ滑り止めの良い軍手も買えばよかった・・」と。

竹は孟宗竹なので太いものなら 手のひらを目一杯広げてもやっとつかむことができる・・と

いうので 左手でつかんで右手でのこぎりを引く。竹は筒だから側部分だけを伐るんだけど

先に持っている竹の下側に切れ込みを入れておかないと 途中で竹の重さでのこぎりが

挟まって動かなくなる。切れ込みを入れておくと 重さが切れ込みにあたってのこぎりを挟むことなく

伐れていく。そういうことを亡くなったおじいちゃん(父親だな)に教えてもらっていたんだけど

すっかり忘れていて 挟み込むたびに「え~どうしたっけ」とあれやこれやと手を変え品を変え・・

試行錯誤だな、やるわけ。で、思い出して竹を伐り続ける。いつも、白浜のパンダにうちの

孟宗竹を献上したいわと竹にのこぎりを当てながら思うのです。

竹やぶから下りてくると 一面にフキの残骸。というか 冬前におとうさんが 茂ったフキを

刈ったのだ。変なものが 地面から生えてるなと思ってよくよく見たら ふきのとうだ。



よくわからんが フキの元に出てきている。



で、≪女の手による捨て場≫を作るときに 一面に生えてたわけ。私としたら それらを引いて作るつもりはなかったけど

おばあちゃんが「引いておかないと生えてくるで」と脅してきたので仕方なく、クワを持ってきて一株ごと引いた。

クワを入れるたびに まだ出てきていないふきのとうが姿を出してくる為 かなりな量になり ゴミ収集の袋で処分することに。

しかし、ふきのとうとフキは あたり一面にフキの匂いを漂わせ春を待つ感じなのだが、その根は生命力に満ちていて

たしかに 引いておかないと大変なことになったと思ったのでしたが、おばあちゃん曰く「引いてもまた生えてくる」って、




遠い昔 ふきのとう というフォークデュオがいました。今もあるのかな。60代後半になっているか、

YouTubeでは見られるけれど 今より昔の声や姿が見たいし聞きたい。おりしも 一昨日 人気グループ 嵐 が2020年末に

活動中止という発表をした。まぁ 若いアイドルに熱を上げる(自分の子供と似たような年齢だし)でもないのだが、

彼らが三十年後にそろって出てきても 踊っている姿は私は見たくないなぁ。昔の思い出のアイドルは昔のままでいてくれたほうが

「あぁあの時 私も若くてあんなことこんなこと思っていたのよね」と懐古したい。そういう思いが強いのか 車の中は若かりし頃の

カセットテープをカーステレオで聞いている。
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初仕事

2019-01-22 05:30:00 | 我が家
新年早々、汗を流す仕事ができました(笑)

あれは 九日だったかおばあちゃんが竹やぶに行ったら 側溝に落ち葉が溜まっていると言います。

たしか12月に一度 雨が降るからと側溝の落ち葉をきれいにしたはずだけど と思いつつ 裏に山を

背負うとどうにもこうにも落ち葉の季節は何度も掃除をしないと 雨のたびに落ち葉の除去に走り回ることに。

まぁ、この季節はかき集めても出てくるのは 静かに冬を越そうと眠っているようなミミズだけなので

「ひぃ!でた!」という私の悲鳴も出なくていいのですが(大きなムカデや~>゜)~~~(ヘビ)が這いだす

春から秋は側溝に近づきたくもないのが本心。




そういや、 この日の朝 洗濯物を干していたら裏山のほうからとてつもないガラガラガッシャンという音がして

何事?何かが落ちてきた?と振り返ったら コンクリートの急傾斜面を竹が落ちていくのを見てしまっていた。

その竹が写真のように側溝に転がり落ちてきていた。年末にここを通ったときは 竹なんかなかったので朝の大きな音は

こいつだったのだと・・・そうなりゃ片付けなくてはなりません。まぁ お正月から鈍った体を動かすのもいいことだと

竹撤去になりました。

上を見上げたら こんな感じで、竹と言っても古い枯れたものだから 2メートルくらいに伐ってもあまり重くなく

私でも運べる。平日は私がやらなくちゃ誰も手伝う人もいないし 一人でコツコツ ボツボツやるのもきつくはない。



家の敷地内とはいえ、道具を一そろい持って行かないと 作業ごとに取りに戻るのは時間の無駄。大きいのこぎりとちいさいのこぎり、

枝を掃うヨキ。ヨキと聞くと 頭に流れるのは≪犬神家の一族≫で出てくる犬神家の三種の神器 ヨキ・琴・菊 そのメロディーが

流れる。

今回は 落ちてきた竹と それより奥にある古木となった梅の木に倒れてきた青竹を伐って積み上げ腐らすという仕事。

先に 青竹を伐ろう。こちらは道からも見えてるし 今伐らないと 今年のタケノコ掘りに邪魔になるし、梅の木が苦しそう。



写真の奥で斜めになっているのを伐って、その手前の竹も伐る!奥のは 小さい頃に竹の先を引っ張っておとうさんと伐ろうとしたけど

思うように伐れずに残ったもの。不細工だ・・・このくらいの太さなら楽勝でもある。が、近づいてみると一人では失敗すると梅の細い枝に

ますますのしかかり、もしかしたら枝がぼっきり折れそうだ。こちらは 後日おとうさんと再度伐ることとして手前の竹を伐り倒した。





伐った竹の枝をヨキで払っておく。こうすると枝は枝、竹は竹で積んで置ける。おじいちゃんがいたら 竹ぼうきにすると言うのだろうが

私はそんなことはしない。

で、落ちてきた竹もこうして小切った。



私が一人孤軍奮闘していたら おばあちゃんがやってきて側溝の落ち葉をかき集め その下の腐葉土となったのを畑に使いたいと言います。

しかし、側溝には落ち葉だけでなく その木の実がいっぱい落ちている。それはいくらなんでも使えないだろう。私としては ドラム缶で

焼却しちゃおう・・と思ったけど あまりの湿りようで可燃ごみとして出すことにした。木の実は シイとカシの実。じゃらじゃらとある。



この上のシイの木もカシの木もそうとう大きいので その実の数もそりゃスゴイ。シイの実も子供のころなら 炒って食べたけど、

うちの子供たちはその食べ方も、食べたこともないのではないかと思う。そういう子供の体験は 昭和の時代で終わったのかもしれない。

かき集めた落ち葉は 敷地内に捨て場を作っているけど 集めて捨てて それが腐って量が減る。そしてまた 落ち葉を捨てて・という

繰り返しもできないくらい満タンになっていたので 新しく私がその辺の物をかき集めて作ってみた。作ってみたものの 杭を打ち込んだら

跳ね返ってくる。そうだ、ここは 岩(がん)だった。子供時代には遊び場の一つだった。ひんやりとした 湿ったような陰地で、地面というより

黒っぽい岩に土があって草が生えている・・という土地だった。ので 女の力で杭を打ち込んでもなかなか手がしびれるばかり。

なんとかかんとか、作ったものの これは明らかに≪おんなが作ったもの≫で、昨日行ってみたら トタンが飛んでいました(笑)



   側溝はきれいになりました。



そして、二週間がたったいま また竹やぶで枯れた竹を伐っています。おばあちゃんが貸してくれた「竹伐り用」ののこぎりが気持ちよく

伐れるので 今度コメリかコーナンで自分用の竹伐りのこぎりを買って来よう!と思ったのでした。

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那智参り

2019-01-15 05:30:00 | 我が家
年末からそう大きな天候の荒れもなく 新しい年になってもお天気がいい日が続いています。

日中の時間も少しずつ長くなり、冬だけど空気が少し春のような感じ。

そう6日には部分日食がありました。今年の12月にもまた日食があるということで

その日も 今のような暖かい気候で日食を見ることができたら・・と、前の金環日食で使った

(2012年)遮光グラスをまた大事に保管し、あと何回日食や月食を見ることができるかなと楽しみに

一年を過ごしたい・・・


13日、義母と私たちとで那智参りに行ってきました。昨年はおばあちゃんも入れて四人で

出かけたけど、今回はおばあちゃんは歩き出しが痛いというのでパス。

この日もお天気が良くて、でも国道は連休で他府県からやってきた車がたくさん走っていて

那智山の一番上の駐車場に止められるか心配でしたが 10時過ぎたときでもまだ10台分くらいの

空きがありました。でも、境内から人がどんどんでてくるわ駐車場から境内に向かう人、下から

階段で上がってくる人・・と お正月をもう十日も過ぎてるのに やはりお参りにやってくる人は

多いし、観光スポットになっているので韓国や中国からの観光客もすれ違っていきます。

さすが、一昨年の京都旅行のような 日本でいながら周りが様々な外国語が飛び交うほどではなく

それが少しホッとした私でした。

駐車場から歩いて行くと 西国三十三所第一番札所の 青岸渡寺があり 階段を上がって山門を

くぐると熊野那智大社の本殿前に出る。どちらを先にお参りしたらいいのか この歳になって

初めて「どっちやろ?」と思った。義母とおとうさんは 「さきに神様やろ」と歩いて行くので

神様仏様・・・悩むが、仏事は喜ばしくないからあとからということか?と思うことにした。

新年早々、すごくくだらない事で頭を使わなくてもね・・(笑)。たまたまここは

神仏が隣り合わせな場所なので 氏子と檀家の立場も成り立つのでしょうね。

本堂にお参りすると いつもはあまり聞こえないお経が聞こえてきて 中を伺うとどうやら

年忌供養を営んでいるようでした。ここの檀家なのか・・座った後ろの浄財入れに人々が

浄財を投げ入れ 頭の上で日本一のワニクチを「ボーン」と鳴らされて、 自分が拝まれているような

気にならせん?とまた変なことをちらっと思ったのでした。



隣の熊野那智大社では 家にお祀りしていたお札やお守りのたぐいをここでご祈祷して焼却してもらうため 古札置き場に持って行き

新しいご祈祷したお札や交通安全のお守りを買うことになっている(我が家では)。おじいちゃんが羽振りのいい頃は(笑)、

社殿内で名前を読み上げてもらい(禰宜さん)巫女の舞をみて、お神酒をいただいたことも何度かある。そういうときは 先ほどの

青岸渡寺のような 自分の背中に賽銭箱があり 後ろで鈴をジャンジャン鳴らされ 二礼二拍手一礼 とパンパンされて

「え~私に手を合わされても困るなぁ」なんて思ったこともある。

その後恒例の 今年のおみくじを引くのだが なんと三人が中吉。おまけに だ。おとうさんと義母のおみくじは

番号まで一緒。母と息子がこの一年 同じ運勢なのか?しかし、親子はまんざらでもなさそうで 特に義母は嬉しそうだった。

私は おみくじを境内に結ばず一年財布に入れておくので 来年その古くなったおみくじを古札で焼却してもらおうと思っている。

で、家に帰って さっそく財布におみくじを入れようとして「うそ~」財布の中に 忘れていた昨年のおみくじが入っていた。

「せっかく那智まで行ったのに あるとわかっていたら古札のところに納めてきたのに」と開いてみて、「え~・・・」

なんと、昨年のおみくじと今年のおみくじが全く同じ 番号も同じの中吉!こういうことってあるのか?

大凶から大吉まで 何番から何番まであるのかは知らないけど 組み合わせはかなりあるはず・・で私が 同じものを引き当てる確率は

かなり偶然でないとありえないよね・・・



このおみくじの袋の中には 縁起物が入っていて 私はこの縁起物を集めている。昨年はどうやらオカメだったようだ。今年は

いままで引き当てていない 福銭 形が五円玉。見たときには「おぉ!お金が入ってくるのかぁ」と喜び、そばでおとうさんが

「そりゃ宝くじを買わな」と。「でもでも おみくじには≪利あり欲張りするな≫と・・もろ 見通されてるやん神様に(笑)」

多くを望まず、身の丈に合った生活・・・それがここ数年のモットーです。

那智勝浦にはふらっと入って簡単で満足できる食事処をみつけられない。というのも 生鮮マグロの水揚げ日本一ということで

駅前から港、国道沿い マグロののぼりがはためきすぎて ちょっと軽食とか ファミレスっぽい食べ物やさん・・は残念ながら

見当たりません。本当はちゃんとあるんでしょう、あるんでしょうが 素人には見つけられません。地元の魚を食べているので

そうマグロって言われても「食べる食べる食べる!」という意気込みもしません。昨年は老婆を二人連れて 結局昔は(昭和の頃)

繁盛したようなお店で丼物を食べた。行く前から検索したけど やはりマグロがいっぱい。那智山を下りずに・・とみたら

うどんかそば。自分たちだけなら 那智山でぜんざい!でいいんだけど 義母にぜんざいでお昼の代用・・とも嫁の立場では

言えません。おとうさんは 一昨年末に長男君夫婦と次男君私たちで立ち寄った 菓子処兼レストラン≪ねぼけ堂≫でいいやん

というので行きました。あの時はお嫁ちゃんに小鉢のイクラを食べてもらったんだよねと話しながら、あまりお腹が空いてないので

丼物でいいか・・お義母さんは?と聞くとうどんがいいと言います。しかし、こちらのレストランはご飯ものがメーンで

うどんは 一度外に出て隣に行くと書いている。で みんなでうどんかラーメンを食べようか・・ということでそちらに行きました。

そこは セルフで 注文してからしばらく待って出来上がってきました。私は レジ横にあっためはり寿司二個をみつけ、ラーメンと

めはり寿司をいただきました。めはりとは 高菜の漬物でご飯を包んで食べるシンプルなもの。寿司とあるけど 酢飯を包むと

私は邪道だと思っています。白いご飯を包まなきゃ意味が無いのです。紀南地方のソウルフード!だ。子供のころからこれが大好きで

長男君はその遺伝子を受け継いでいるけど 次男君はとんとダメ。中学生の頃、串本にめはりやというお店ができて 父親が私が好きだから

買ってきてくれた。家族みんなが食べるからと 三パックか四パック、四個か五個入っていたのだろうが 私は二パック一人で食べきった。

お茶碗で食べたら相当だな・・今でも思い出すが 嫌いにはなっていない。チーズを食べすぎて嫌いになった自分とはまた違う自分の姿(笑)


                   小さなめはり寿司と和風ラーメン

めはり・・・目を張って食べるからと言われています。発祥は新宮の奥、昔山から木を伐り出したり それを熊野川、新宮川にいかだで

流すときの筏師さん、山仕事の人が 片手で一度に食べることができお腹がいっぱいになるくらい大きなおにぎりを高菜漬けで包んだ

もの。そんな目を張らなくても普通に食べる大きさで包みます。※お嫁ちゃんに この日のことをブログに書くと教えたら おかあさんの

めはりが食べたいと来たので それなら作ってあげるよ・・と。簡単だもの・・。漬物は年末にもらって冷凍してるし(笑)私は

それをお醤油で味をつけたらいいだけだもん(笑)

      


記念撮影をプロの方に撮ってもらい 一部を義母に一部をおばあちゃんに持って帰った。しかしこの時間帯 太陽がまぶしくて おまけに

カメラマンが「この時間帯 私の影が写り込むことをお許しください」と言っていた。私のカメラの不調なのか何度もシャッターが下りない・・と

言っていたのでうまく撮れてるのか心配したけど、ちゃんとシャッターが下りていて同じ写真が四枚もアップされたよ(笑)

出来上がった写真も ちゃんとカメラマンの影も映り込んでいました。お滝さんの近くなら 昨年とは違う写真になったけど おばあちゃんたちの

足ではきついので仕方ないか… 


そうそうこの日 那智勝浦に向かう途中、串本と紀伊大島の沖合に帆船が停船していました。

私のデジカメはコンパクトなので、たいがいズームしたと思ったけど見て見たら 遠くに ぼやッと写っていました。

逆光でもあってよくわかりませんが、そういう船もめったに見ないので写してみた。





帆船と言っても 帆を畳んでいたら魚の骨のようでもある。何かの練習船かな・・・そんな船が入っているというニュースは無かったと思うが。

今年の初参り、どうか良い一年でありますように。
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亥年

2019-01-07 05:30:00 | いろいろ
今年も 明けてもう一週間。早いよね バタバタするだけで 時間が消えていって 一体

なにをしたのかとんと、記憶に残っていない。覚えているのは 二日に友人たちと会って 

昔話に花咲かせたこと。もともと 予定にはなかったので 長男君とお嫁ちゃんたちと過ごす

お正月だった。年末に帰省した男二人は酔っ払いあちこち電話をし、私にもかけてくれたそうだけど

繋がらず サンババ会のメンバー一人に電話し 二日に集まらへん?と彼女からメールがき、酔っぱらった

一人からも電話がかかってきてお嫁ちゃんたちが神戸に戻るのを見送った後 サンドリア(串本で唯一

時間を潰せる喫茶・レストラン?)で落ちあうことになった。しかし、駅からサンドリアに向かう国道は

渋滞しだし、到着したサンババ一人と合流したものの 男二人が店内にいない、どころか店内は

満席で お茶を飲むのはムリだなと車の中で彼ら二人を待ったのだ。串本には 喫茶店が少ない。

というか、私が高校生の頃は相当あった。駅前から国道筋、路地の奥まったところにも、それが

昔からあったお店はほぼ消滅していて、私たちには 懐かしくてもう一度あのうす暗い店内に入って

いきたい≪喫茶 カルトン≫も10年くらい前に取り壊された。スーパーオークワ系列のファミレスも

≪大阪 王将≫になってしまい そのうち いまある喫茶店は無くなってしまうような気がする。

のんびりお茶を飲む 客待ちのタクシーの運転手や パチンコ帰りのおっさんとか、それももしかしたら

昭和の風景だったのかもしれない・・・当時 帰りの汽車の時間まで 喫茶店で時間を潰すのは校則違反で

もしかしたら 私は校則違反していたのかも(当時そんな気は全然してなかった)。ミックスサンドや

スパゲティナポリタンとバナナジュースを注文し ジュークボックスでレコードをかけてひたすら友達と

喋っているだけのことで・・・。いちばん 若々しかったみんなキラキラしてた昭和の頃だ。

あ~なんて平和だったんだろう・・当時はそれなりに 一番不自由な時代だなんて思い悩んでいたんだけど

あの頃が一番自由だったんだなぁ・・・この日の最初の待ち合わせ場所は ロイヤルホテルの喫茶ルームだった

けど、この日は高校の同窓会が入っていて人が多いだろうということで サンドリアに変更したもののそこも

満席で サンババメンバー Åちゃんが 前に行ったことのある高校の同級生が最近始めた 訪問介護と

レストハウスを兼ねたところに行こうと言い、場所もわからず、彼女は妹さんに連れて行ってもらったのに

道を全く覚えておらず岬の望楼の芝で四人で検索しましたよ(笑)。町民である私は そういうところが

できたのは知っていたけど行ったことはなく おまけに訪問介護をしている経営者はうちのおじいちゃんの介護に

来て貰っていたし、そのときに高校の同級生の奥さんだと知ったのだ。同級生は小学校の教師を早期退職して

その施設を造るために 開墾したそうだ。潮岬は 津波から逃れるためにかここ何年人口が増え続けていて

相当土地が値上がっているとか。でも きっと串本で生き残るのは潮岬とサンゴ台だと私は思っているので

将来串本の生き残りの人類さまなのだ。なんとか狭い道を走ってそこにたどり着いたものの お正月なので

休業していた。が、Aちゃんがちょうど外にいた同級生に声をかけ むりくりにお店を開けてもらった。

私達四人のうち 高校の科が違う一人を除いて そこの経営者となった同級生とはクラスが同じだったときもあり

快く開けてもらったと思ったら これから後二人同級生がやってくるという。一人が北海道で教師をしていると

言います。ガラス張りの店内から 庭にはグラウンドゴルフのできる広場があり大きな桜の木がある。

近くの高齢者のいい集まり場所になっているそうだ。うちに来てくれていた奥さんが コーヒーと

ミニぜんざいを出してくれて あとからやって来た二人と(私は高校時代の顔はなんとか思い出したが)

現況を話していました。夕方近くになってそこを出るときになり、オホーツクの町の学校に勤めていると

いう男子は 平昌オリンピックで活躍した カーリング女子の5人のうち4人がそこの中学校卒業生だと

言っていた。そこにいる7人のうち教職についているのが3人とひとりが元教師・・・同級生だから

もうそろそろ定年も近くその後は 皆さんどうするのだろう・・・Aちゃんは セカンドライフは

趣味で美味しいパンを焼く!と言っているので 楽しみにしている。

潮岬から紀伊大島の樫野までドライブして5時のチャイムで解散となった。最初 同級生の車に乗った時

BGMが佐野元春の≪someday≫だったので私は舞い上がりそうになった・・・前に彼は言っていたな

車で聞く音楽は昔の歌ばかりだと・・・大瀧詠一の≪恋するカレン≫も流れていたな・・・

高校から大学、その後と彼のことはほとんど知らなかったけど 「へぇこんな歌を聴いていたんだ」と

ほっこりしました(笑)

高校の同級生とこうして会ったりして昔の思い出の話に笑い合ったりするのが だんだん楽しくなってきたけど

それは 残っている時間が少なくなってきたことかも・・とも思ったりして。



写真は お嫁ちゃんたちが帰省して さきにおとうさんの実家の義母に挨拶に行こうと国道を走った時のもの。

窓ガラスが汚れていたので少し残念だけど こうして海の夕日を見ることは山間に住む私にはめったにないことなので

テンション上がります。雲が無ければいいんだけど 海岸で同じようにカメラを構えている人もいて

平成最後の年末の夕日ということなのか・・・



と、いい気分でいたのがそのあと 車3台が絡んだ事故現場に遭遇した。

三が日も過ぎ それぞれ生活の場所に帰省し、また忙しい毎日が始まっていることでしょう。

私も またのんびりなようで毎日駆け足のような日々が始まりました。

読んでくださる皆さま、今年もよろしくお願いします。年をとってくると もう日々健康!やね・・という

言葉に落ち着きました。
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