こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

こんなときだけど

2014-01-31 05:30:00 | 我が家
おじいちゃんが入院してちょうど一週間、家の中がバタバタとした状態が続いていた25日のこと。

前からこの日はおばあちゃんの誕生日だということは覚えていたけど、当日の朝ふと気がついたほどその一週間は自分が何をしていたのか思い出せません。娘の私より、伴侶が入院していることが精神的

にも肉体的にも一番堪えているのはおばあちゃんだと思い、この日義兄とともにやってくる姉に「きょうはおばあちゃんの誕生日です」とメールを打ちました。なにか考えてくれるか、来る途中に

ケーキを買ってくるかどちらかのヒントになるだろうと・・・。姉は「串本でおいしいケーキ屋さんは?」とメールを返してきたので「う~ん、わからん」この日は私たち娘夫婦だけで病院に行く予定だ

ったので「田辺の帰りに買ってもいいし」とメールを返信。おばあちゃんはケーキが好きなので 甘いものを食べたら少しは気持ちも落ち着くだろうとそれくらいのことしか思いつきません。

やってきた姉は入ってくるなり、何やら袋に入ったものを見せて「これはいま 見せられへんから」とこそこそします。面会は午後からなので時間は十分あるので袋から取り出したものを これから

作るのだと言います。出してきたのが姉が今ハマっている編み物の、毛糸でできた小さなケーキです。私のメールを見て姉もそうや、誕生日や」と気がつき何かないかと部屋を見回しピアノの上あった

それに少しパーツを足すということのようです。私は姉がどんなふうに作り出すのか楽しみにしていました。


おじいちゃんがこんなときに、すごく不謹慎かもしれないけど状況が状況で、私たちがどうもできないし、姉の娘が言った「本人が一番頑張っているんだから、がんばれと言うのは本人が一番辛いと思う

」と一言が、私たちの気持ちに少し変化をもたらしたのかもしれません。その(私にとっては姪っ子)娘は 老人福祉施設で働いていていわば 介護の仕事にまい進している最中。だから、それ以後

誰も不自由な体になっているおじいちゃんに「頑張って」という声はかけない。だけども みんな心の中では「頑張って!がんばって!」という思いでいるのだ。ここでおばあちゃんがダウンしたり

したら、それこそ病床のおじいちゃんに申し訳ない。最初のころは 不自由な口でも見舞った私たちを気遣う言葉も出ていたけれど、だんだん疲れやすくもなってきているように見える。



                  姉の手作りケーキ?

よくまぁ こんな小さいものを作れるものだと私は関心したのだ。ホワイトケーキ、私が作るとたぶんチョコレートケーキくらいに汚れてしまうのではないかな・・・


                  中には本物のチョコ



おじいちゃんを見舞った後、田辺のケーキ屋さんに立ち寄った。どこがおいしいのか、とんとわからないので病院から近くの、前々から気になっていたケーキ屋さんに入ることに。

店内には 串本とは見た目も全然違うようなケーキが売られていて店内の喫茶コーナーは満席で、ケーキを食べていた。私は思わず「みんな一つずつ食べたいね」と口走るほどキラキラしたような

美しいケーキがいっぱい並んでいました。姉と二人であーでもない、こーでもないと(姉は若いころ、ケーキ屋さんで働いていたので少しウルサイノダ)、誕生日ケーキで一個買うのではなく

ショートケーキをたくさん買うことにした。おばあちゃんはチーズケーキは嫌いということはわかっていたので それをはずしてふだんならこんなにたくさん買わないのにね、とかいいながら買いました


              田辺 MARIBU(マリブ)のケーキ

もう少し若ければ、あと数個は増えていたと思う。いまはそう一度には食べられません。残念です!!この赤いポストのようなケーキがとても気になっていたのでおばあちゃんにもぜひ食べさせようと

思ったのです。おばあちゃんは84歳になったわけです。この日の朝 私に「誕生日やね」といわれるまで忘れていたと言っていました。おじいちゃんが家にいない誕生日は初めてだと思います。

結婚しておじいちゃんから特別にプレゼントをもらうこともなく60年くらいきた・・・ってことはないとは思うけど、いまは複雑な誕生日になったと思っているんだと思うけど。。こんなことしか

私たちも思いつかないから、ごめんやで~



やっぱり並べると、違うよね!本物のほうが断然 ケーキや!🍰
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長い一日

2014-01-20 05:30:00 | 我が家
18日は朝からパソコンのモデルチェンジで業者さんが来て、お昼まで設定や設置をし無事終了となりましたが、ヤフー画面横に出していたお気に入りを移し替えることをうっかり忘れ

業者さんが帰った後におとうさんが外した前のパソコンから外付けなんたらにお気に入りを入れて、新しいパソコンにそれを入れるという 私にはできないことをやってくれて胸を撫で下

ろしたのです。が、新しいパソコンの説明書があまりにも要点だけすぎて、「これは本屋でマニュアル本を買ってこなあかんなぁ・・・」と日曜に本屋に出かけるはずでした。

夕方は 女子会をした高校時代の友人がわざわざ串本まで 宗次郎とチェンリン?のコンサートを聴きにくるついでに、車で落とした私の携帯ストラップを届けに待ち合わせ。ミスドの

ドーナッツと手作りしたお花の置物を手にやってきてくれました。そのあとはお風呂上がりに「よし、凹さんが新しいパソコンに挑むぞ!」とまずは 新しいパソコンの記事を書こうとし

たときです、とんでもないことが起きたのでめっちゃハードで何が何やら、の事態になってしまい ブログを書くことも新しいパソコンの前に座ることもすっ飛んでしまう状態。

 で、落ち着いたらパソコンのことや友人からもらったお花や、もう一人の友人から送ってもらった美味しい卵の話を書く予定ですが、いまのところはゆっくりパソコンの前に座る時間も

ない感じです。なので、数少ない読んでくださっている皆さんに申し訳ないけど隔日の更新をお約束できないのです。まぁ、凹さんが怠け癖をだしたなぁ・・・と思ってくれると私も

少し気持ちが安らぐのですが・・・。早く言えば、老親を抱えた身、起こるべきことが起きてしまった・・・です。

まずは、こちらもぶっ倒れないように体調を維持し、事に当たっていくしかないのですが、あれやこれやとすることやることが噴出してます。

本当に、すみません。 
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こんこんなし

2014-01-17 05:30:00 | 花・植物など


これは≪こんこんなし≫という山の果物の種。

色からして キウイのようなもの。もうかれこれ何年も目にも口にもしていないから、食べたい

なぁと思っていた。思っていたところに おばあちゃんがお隣からもらってきた。

しかし、少々時期を過ぎてしまっていて半分干からびかけたようなので、急いで食べてみたら

案の定、美味を遠く離れた傷んだような、酸っぱい味がしたので、ならば種を採ってみようとし

たのです。

こんこんなしの姿はというと



ベビーキウイというものと似てる。凹さんは過去に≪こんこんなし≫をブログに載せたことがあっ

た。調べたら7年も前。それ以来食べてなかったのか?2,3年前だと思っていたけど、やはり

年をとると一年の間隔が鈍ってくるようです。

物との比較をしなきゃわからないとおもい、普通サイズの温州みかんと並べてみました。



しかし、これだけのこんこんなしなら、種をわんさか採れそうだしうまく発芽したら結実も期待で

きそうだ・・・。キウイは雄・雌があって二本植えないと実がつかないんじゃなくって?

山になるものだからそこんところがよくわからない。、眠いのでこれ以上書けそうもないので

前の記事をコピーしておこう。

こんこんなし
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変わる

2014-01-15 05:30:00 | 我が家
今週うちのパソコンが 新しくなるそうです。

XPなんたらが終わるので、だそうです。ん~、そうそうそのサポートが終わってしまうかららしい

けど、それにともなって。もしかしたらよその家ではもっと早く替えているのかもしれない。

この間、テレビで個人ではまだ14%が対応できてないとか言っていたから、うちはすごく乗り遅れ

てるんだろう。私に相談はしてきたけど、殆どおとうさん任せです。本体選びもよくわからんし、

おとうさんにすれば家でパソコン触ることもそう無いから、ふだんパソコンで遊んでいる私がもっと

積極的に参加してほしいようだけど、「そこにパソコンがあるから触るだけ」の私は、何度聞いても

エクセルとか判りません。ブログが書けて、写真が保存できて、ネットで買い物とかして、調べるこ

とができ、ゲームも楽しめたら、それ以上の複雑な操作はむりかも・・・。

昨年末にはおとうさんが 写真のデータをなにやら外付けの何かに移していた。けど、ブツブツと

言いながら、自分じゃ写真を保存してないから、私が取り込んだ写真データが多いとかコソコソ言う

のよね。「パソコンで遊んだらええんや」とおもちゃを与えながら、そんなこと言われたら嫌だわ!


でも、業者さんが来て全部取り換えるんだって。もっとスリムな状態になるらしいので楽しみだ。

ということで、きょうはそういうことを書いておこう(要はネタがありません)
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久しぶりの・・・

2014-01-13 05:30:00 | いろいろ
お正月2日のこと。この日は高校時代の友人たちと久しぶりに会う約束の日。

元三人娘の私達は 出身中学校はそれぞれ違っていて、たまたま串本高校に入学してから

一、二年生のときに同じクラスになって知り合ったというわけで、それでも一年生のとき

は女子特有のべったり一緒ということもなく、普通に会話するクラスメートの付き合いだ

けだった。一人は串本中学校、一人は大島中学校で中学校時代のクラブ活動も違う。

二年生になってクラス替えがあり、なんとこの三人のクラス担任が「あの先生のクラスに

はなりたくない」と当時嫌がられていた先生になぜか当たってしまった。担当教科は英語

で、毎時間小テストがあり、ほかの教科が自習時間となったらすぐさま英語に振り替えら

れ、放課後も英語の時間となったり、土曜日も(その昔土曜日も半日授業があった)お昼

の12時まで他のクラスは11時に終了してもきっちりと英語の授業があった。私は、

日本人なので英語とは 中学校でサヨーナラしていた状態なので、んもぅいやでいやで

しかたない。串本高校には当時英語科という町内のよくできる生徒が入る(古座高校にも

理数科という東牟婁郡内の優秀な生徒が入るクラスがあった)クラスがあり、いわばいま

で言う進学クラスで一日に英語の授業が3時間はあったようなクラスと同じくらいの、

英語の授業に辟易していた。私は日本人なので英語の成績もすごく、ヤバイ状態だった。

この担任は、英語のできる生徒とできない生徒を自分のクラスに両方いれて少しでも、

単位を落とさずにすむように努力してくれていたんでしょうね、小テストもその積み重ね

で点数を補ってくれていたんでしょうね、できる生徒には完全復習みたいな小テストでも

ありぃの・・・。女子は反発はしないけど、年頃の男子生徒のなかにはやはり、補習授業

もサボりさっさと早い時間の電車で帰ってしまう子もいたけど、先生は黙々と授業をした

私はひたすら、先生からあてられることのないように、読むことは読めても意味とか訳と

か聞くなよな!といつも思っていた。病弱なら休んだりできるけど、頑丈な体なゆえ病欠

にもなれない(泣)、毎日ある英語の時間は苦痛でしかたなかった。英語と数学は不得手

でも、ほかの教科は普通なので、それさえなければ楽しい高校生活。だけども、なぜか

私達三人はどうもクラスから浮いた存在だったようだ。自分は普通だと思っていたけど、

この中でたぶん私が異端児だったのではと思う。なので、友達のAちゃんやYには申し訳

ないなと、それはいまも思っているのだ。私と一緒にいるだけで他から浮いて見られるん

だもんね。何がかわっていたのか、今じゃ思い出せないけど。。。

Yは三人の中で一番早く結婚して、いまも大阪で暮している。Aちゃんは県内に住んでいて

私だけが串本町に居残ったみたいな・・・。で、二人は長女でしっかり者、私は三女と

いう組み合わせ的にも不思議な、たぶん私が二人にもたれかかっている感じできたのでし

ょうね。三年生になってYは一年の時の担任のクラスに戻った(んだと思う)けど、私と

Aちゃんは英語クラスに残されてしまった。たぶん、先生は他のクラスに私を出すと単位

が危ないと思ったんじゃないかな。いやほかの教科は頑張ってるし、真面目だったのにな

と、あれこれ思い出していると記憶もところどころ不鮮明になってきている・・。


 Aちゃんが三人集まるのに私を車で拾って、Yの待つ大島へ。そのあと串本でお昼を

食べて話そうという段取りを組んでくれた。が、「もうそこまで来ている」という電話で

慌てて待ち合わせ場所に行くと、「あの電話のあと違う道に入って行きかけた」と言うの

だ。どこを間違うのかと思うんだけど、住宅地のほうに行きかけたって・・・。車にナビ

が付いてんのに・・とこの時思ったんだけど、大島へ一刻も早く走らせるので黙っていた

てっきり、大島の待ち合わせ場所も判ってんだろうと思っていたら、どうもあやふやな

返答に、私も「大島の港はたぶんここを左に行ったらいいんちゃう?」とは言ったものの

大島を詳しく知っているわけでもないけど、たしかフェリーが着いていた大島港の近くに

家があったはず、Aちゃんもそれは覚えているので大島港を目指すのだが二人で「え~、

こっち?あっち?」とそう広い島でもないのに道路が整備されすぎ。おまけにお正月だか

ら交通量が多い。「ちょっと~、ナビついてんだからそれで探したら」と言ったら

「それはこの辺で使うもんじゃないのよ。仕事でよそに行く時のモノ!」と言うから

安心してたら「こっちやろ、港みたいやし」と行きかけた先には≪大島フィッシング≫

なんて看板!「なんで釣りせなあかんのよ!もっと下って行ったら海が見えるはず」と

走っていくと、やっと広い昔のフェリー乗り場が見えてきた。まったくよその土地は記憶

だけで辿っていくと、とんでもないところに行くことになってしまう・・・

こうして顔を合わせるのは、二、三年まえの普通科全体の同窓会以来で、あのときは

全体が何十年かぶりの再会だったためYとはゆっくり話す時間も無かったのよね。


お昼は串本に戻ってサンドリアで食べ、再度大島に戻ってYの家で喋りまくる。勤め人二

人に専業主婦の私だから、どうも会話がのほほんな生活の私とはずれが出てくる。二人は

私の≪わけわからん人々≫との戦いにこれからの対策を伝授し、それでも不安げな私に

ハッパをかけてくれる。頑張らないと、あとで大変なことになると・・・。ひょぇ~な

話に内心怖じ気づきそうにもなる。しかしYの一言「田舎の人は よそからの人を受け入

れないところがあるもんね」  ドキッとしたわ!そぅ、でもねぇ、農地や山林って

子供のときから親が手間ひまかけて手入れをしているのを見ているから、若い頃は

「んなもん、できなくなれば売ればいいやん」と思っていた私でさえ、「それってなぁ

そうしていいもんでもないよね」と思うようになってしまったのは、歳をとってきたせい

でもあるのか。とはいえ 草を刈ったりするのは私一人でやらなくちゃならない現状に

二人は「旦那を引き込め」というけど、言わなきゃ腰を上げない現実に「それなら自分で

ボチボチやっていくほうが精神的に楽ちゃう?」と思うの。あ~だ、こ~だと辺りが

暗くなるまで二人が私の将来の姿を心配してくれた。そこでお開きとなった。


        大島港から見た夜の串本 ロイヤルホテルの灯り

久しぶりの再会で疲れて眠ろうと布団に入ったらメールが来た。YかAちゃんだと思ったら

中学校時代の同級生からで「寝てなかったら電話を」とあるから電話をした。こっちは

男子で親戚の家で飲んでいるらしく、普段よりよく喋る。三人で女子会をしたというと

この二人はAちゃんとは面識もあるので「なぜ誘ってくれなかった」と文句を言われ、

次回に会う時は(お盆か正月に)自分たちも混ぜるように言われてしまった。こうなると

完全に私はAちゃんを呼びだすための≪ダシ≫となるのだ・・・まぁ、酔っ払いはなにか

グダグダ言っていたけど、そんな約束を取り付けられて電話を切ったんだけど、年に一度

でも久しぶりの顔を見るのも、楽しみになってくるのも老けてきた証拠か??





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またしても・・・

2014-01-10 05:30:00 | いろいろ
水曜の早朝、起床しお弁当を作り朝食の準備をしてそれをお盆に乗せ、居間のテレビの前に

運んだ時、ちらりと見やったテレビ画面が読売テレビの≪朝生わいど す・またん≫で、

開始早々にスポーツ新聞各紙の一面を貼り出したボードの前で、森たけしアナと辛坊次郎さ

んが神妙に話をしている。新聞の文字が黄色で大きく『たかじん』とどの紙面に出ている。

「うそやろ、たかじん・・・」やしきたかじんが3日に亡くなっていたという報道が、前夜

流れたそうで、関西人なら知らない人はいない たかじんの訃報に、テレビのなかの二人も

記事を読みながら視聴者に伝えてくれていた。大阪圏なら朝刊に間に合っただろうけど、

串本では新聞記事もそうそう刷りに間に合うことは難しいので、ここで詳しく聞かねばなら

ないのです。食道がんで活動を休止中ではあったけど、たかじんの名前の付いた番組は

復帰を待つ格好で、そのまま放映されている。たかじんはペン型指し棒で ボードをバンバ

ン叩きながら芸能・政治・社会などの解説をおもしろく、ときに怒りながら、お酒を飲みな

がらしていた。その風貌とそのしゃべくりの声から想像できない歌う声とのギャップに、

私の大泣きソングも含まれている。またしても・・・だ。年末の大瀧詠一、海原しおり、

そしてやしきたかじん。テレビの番組では「たかじんって右?」と思う時がたまにあったけ

ど、出演者の話には耳を傾け、ツッコミも鋭く、涙を見せる時もあって 会ったことはない

けど、気持ちの熱い関西人ということが私もたかじんのファンの一人であるということなの

だ。歌手としては昔歌本にあった全部平仮名の名前に「みなみらんぼう、みたいなフォーク

歌手かな」くらいの私の認知度でしたが、甲斐よしひろのFM放送でやしきたかじんの

『ラヴ・イズ・オーバー』を聴いて「なんとー!」と驚いた記憶がある。フォーク歌手では

なかったと知り、その後は関西の芸能人が「やしきたかじんさんが」「たかじんさんが」と

よく話題にし、そのころ『たかじんnoばぁー』という番組が放送されていた。もう20年ほ

ど経つのか、昼間の2時から朝日放送で≪晴れ時々たかじん≫というワイドショーで私は

このしゃべくりにハマってしまった。たかじんのお酒にまつわる騒動や幅広い交友関係、

ただキレやすいのが危なっかしいと、年下の私がハラハラするような暴言も多かった。

朝日放送と確執があり、NHKともケンカしたということはいろんな番組で話していたけど、

亡くなってからどのテレビもみんなたかじんのこと、取り上げていたで。NHKは朝のニュース

の項目に入っていたし、映像も流していたで。各局のワイドショーもたかじんの過去の武勇

伝披露してたわ。関西のオバちゃん(街頭インタビューに答えそうな)はたかじんファンが

多いよね。きっと、やんちゃなところを含めて大阪の人間を表しているところなんやろな、

と思っています。そうかぁ、たかじんのトークも歌も聴けないのだ。。。またもや、あちら

の世でのライブが楽しみになってきた。おしゃれな大瀧詠一のライブに行ったあと、私は

あの世の大阪会場あたりで海原しおりとたかじんのトーク&ライブに参加するのだ!!

 
         ハマった たかじんへの追悼で再読を始めた凹さん

≪朝生わいど す・またん≫で辛坊さんがあの細いハニワの目といわれる目から、涙を流し

声を詰まらせていた、≪たかじんのそこまで言って委員会≫のことを思い出したのかな。

「彼は番組を見ている人には右に見られていたけど、考えはリベラルでした」と今の日本

や世界にたかじんなりの思いがあぁいう過激な言い方になるんだろうなぁ・・・。

写真の中の一冊「たかじんが来るぞ!」を読むと、なんか私のブログの書き方がこの本の

書き表し方に似ているような気がして、「たかじんと少し感性が近いのか!!」と自己満足

してニヤリ。たかじんのようなパワーとカリスマ性のある大阪人は、もう出てこないのだろ

うな。私のなかの巨星がまたひとつ、遠くへいってしまった。

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変身・・・のような

2014-01-08 05:30:00 | いろいろ

          写真は昨年12月19日の三尾川の紅葉

七草も過ぎて、串本もふだんの姿に戻りつつあります。子供がいないので今冬休みなのか、

いつから学校が始まるのか、そんなことも判らなくなってきました。そういうところも、ふだ

んと変わらなく子供の声が聞こえない集落なのであります。


さてさて、ワタクシ昨年12月に実施された町内一斉清掃に参加して、無茶な飛び下りを

して着地に失敗(冬季オリンピックのジャンプ競技ならば横滑りに滑って顔面を打つような)

石垣に左ほほをぶつけてしまった武勇伝がありましたが、その後思ったほど顔に青あざ赤あざ

が現れず、かすかに色があるけど、それも時間の経過で薄く青紫色で、徐々にその変色帯が

口元に南下してくるということを体験しました。化粧品屋のオーナーさんに「見て見て!

打ったところがだんだん下がってきたんだよ~」と言ったら、「そうそうそうなるのよ。目の

上を打ったら、あとで目が充血してくるんだよ」と憐れむように言われてしまった。え!そう

なの?私、顔を打ったことないから、今までは足とか腕とかの打撲しか知らないから、そんな

ところは知らない間に消えているか、いつまでも小さく残っているか・・だし・・・


で、年末近くになって鏡を見ながら顔の筋肉を動かしてましてン。「あれぇ、体重を落とした

おかげで年相応のシワというかたるみ?こんなにあったかな」と指で触っていたら一ヶ所

ぽちっと膨らんでいます。気にするほどでもないけどなぁと笑ったように口角を上げたら

アラ大変、ぽちっと膨らんだところが今度はわりと深めの切れ込みになりますの。

これは対石垣戦で負けてしまった傷跡なのか・・・でも気がつかへんかったなぁ・・・

一応女子だし、顔に傷が残ったってことだけども、まぁもう50を過ぎたしこれからどこに

お嫁に行くでもないし、かまわんかぁ~と思っていたの。

毎日毎日お化粧するのに鏡を見ていたら、だんだんだんだん切れ込みが深くなっていくように

見えるのだけど、誰も何も気がつかない。そうかぁ ただの顔のシワの一本、中年の顔の

たるみと人は思っているのだということに至ったのだ。

で、どんな風にかって説明するには、昔 田代みどりって歌手だか女優だかの人がいたの、

その人の頬えくぼみたいな(いや、この人は顔の作りが可愛らしいので子供心に可愛い女の人

やなと思っていた)、私の顔の作りは全然ちゃいまっせ、似てるのがその切れ込みと頬えくぼ

ということ。

これってプチ整形じゃんと喜んだものの、もしかして石垣にぶつけた時に頬の筋肉かほほ肉

(牛みたいやんか)が皮膚の下で切れたのではないかと思うのよ。♪もぅ終わり~だね、

ほっぺが谷間になっていく~  う~ん、年齢的に再生する能力も気力も頬にはなさそうだし

痛みはないけど、口角を上げたら盛り上がるような感じかな。良くなることはないと思うから

来年、再来年と顔が崩壊すんじゃないかなぁ・・・とかちょっと心配。人生の後半は、こんな

状態で終焉をむかえるんじゃろうなぁ




        しぜんに樹皮のすき間に入り込んだ紅葉の軸

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おめでとうございます

2014-01-06 05:30:00 | いろいろ
              

2014年、新しい年がはじまりました。

50を過ぎたら、これ以上年の数を増やしていくのを喜びたい気持ちは次第に薄れていきます。怠けることを覚えると

どうも、楽なほうへ楽なほうへと草木もなびく・・・みたいな、です。それでも、「あぁ、こうしてくだらないことを

書いて、それでも読んでくれる人がいて、コメントを送ってくれる人がいるんだ」と思うと、ダラダラするのも少なめに

しないといけないなぁと思います。

年末年始は暖かいおだやかな日が続き、今年のお正月休みは曜日の配置がよくて観光客なのか、帰省客なのか車の数が

非常に多かったように思えました。なので極力、外出は控えて家でゴロゴロとしておりました。格別、近くの神社に

出かけるわけでもなく、初日の出を拝むわけでもなく、年始回りというほどのこともなく、おとうさんの実家に行き、

2日に友達と女子会をして帰宅。寝ようとしたところに中学の同級生から「起きてたら電話ください」とメールがきた

ので、「一応起きてるっちゃぁ 起きてるかな」と布団に入ったまま電話、楽しく親戚同士で飲んでる様子になぜか

ホッとし、みんな(といってもこの電話の二人と高校時代の友達二人、計四人)元気なんだと安心したのでした。

大阪近県に暮らす昔からの友達とは頻繁に会うことはないので、あまり変わっていないことが懐かしい気がするのです。


さて、暮れの31日お昼を食べていたらテレビからニュースアナが「ミュージシャンの」と言っただけで私は「え!うそ

」と画面を見つめていました。なにか続く言葉にいやな予感が。「大瀧詠一さんが」という名前に絶句しました。

私が好きなミュージシャンというか、大瀧のメロディラインが好きなんだと思う。音楽家としてのライブとかには行った

ことはないけど、≪A LONG VACATION≫のLPは大好きなのに・・・。最近は心地よい音楽というものが少なくて、元気な

若者受けするものが多く、おばさんにはついていけないものばかりで、そんなときここでもホッとしたいときに聴けるの

が大瀧詠一であり甲斐バンドなのに・・・。松田聖子の≪風立ちぬ≫と大瀧の≪恋するカレン≫は私の大泣きソングの

曲でもあるんだけど、どちらも大瀧ならでは・・・だったのに。と、ため息をつきながら「これから好きだった歌手や

タレントが没していくんだなぁ。いままではだいたいが年長者だったのに、これからは自分に近い年齢の人を送るのか

、それって自分もそんな年ってことやん!」とボーゼン。年が明けて元女性漫才師の海原しおりさんも亡くなられたと

いう報道に、「あ~おもしろかったのになぁ」。こちらもリアルタイムで見てた人だから、あのしゃべくりとネタの

親近感にはイヤミがなくて好きだったのになぁ・・・。ネタがキツくてもしおりさんの見た目が可愛らしいので憎めない

キャラだったのに・・・。残念だけども、私があちらの世界に行ったらゆっくりと、大瀧のライブとしおりさんの出て

いる寄席に行って余生(おかしな言い方だけど)を楽しみたいと思うことにしたのでした。


                      

絵はがきでも、大凧でもなくこれは風呂敷の柄なのです。お正月、お屠蘇セットの上に掛けられていたもので、広げたら

柄が「これって富士山に太陽?ってこと?」と私だけにウケたのでした。それにしても少々しわになってはいるし、

こんな風呂敷あったのも知らなかった。もっときれいに写そうと試みた。



お屠蘇セットの上に掛けるものを床に置いたりして、なんてことを・・・だけど、気にしないで次に行こう。

おめでたい柄の(本当におめでたいものなのかはわからない)この風呂敷、昔どこからかの貰い物ではないかと思う、

昔はお返しの品に風呂敷を使ったとおばあちゃんも言っていたし、この柄を選んで買うか?と聞かれたら「う~ん、

買わないかも」だもんね。太陽らしきものが14個 真ん中が山、こう描けば富士山だろう、手前は海、北斎とかと

また違った海に浮かぶ富士山やね。大笑いしながら右下に名前があるのをみつけた。



『平八郎』・・・「へいはちろうって大塩平八郎のこと?」歴史の本に出てきた、なにをしたのか「大塩平八郎の乱」

というのが確かにあって、お米が絡んだ事件だなゃと思い、歴史上の人物は書を書いたり絵を描いたりするから、きっと

そうだろうと思ったんだけど、平八郎で検索したら『東郷平八郎』と出てきたので、勇ましい軍服姿にこの人かも、

と思ったのでした。って≪八重の桜≫世代なのか?!軍国的だと思ったらこの風呂敷もそう見えてきたので、笑っていら

れへんなぁ・・と。でも、≪たいら はちろう≫かも・・検索中に『福田平八郎』という日本画家が現れたので、

あちこち見てたらこの人かも、と思ったのでした。私はこの海の青がとてもきれいだと思うし、絵柄がモダンだと思っ

ていたんだけど、画家福田平八郎もモダンな画風で有名なんだって。東郷某や大塩平八郎じゃなく、画家さんの作品

が風呂敷の柄になったのなら納得するわぁ。。。なにより軍国じゃなくてよかった。


あぁ、またもやこのようなトンチンカンな出だしとなりましたが、よろしければ今年も覗きにきてくださいね。
コメント (8)
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