こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

記憶が

2020-12-25 05:30:00 | 和歌山県
昔来たことがあるのにそれから 風景もそう変わってはいないと思っていたけど

池の水も抜かれ、あたりの木々も大きくなったり記憶と様変わりの状況に

「こんなだったっけ?」という言葉が何度も出てきます。ここまでワラビを

採りに来たのは40年くらいまえ。もうワラビも生えないのだろうか 当時は

堤のうえにワラビがたくさん生えていたなぁ・・・そのあとは 次男君が

中学生になる春休みだったか おじいちゃんに連れられ ため池の上にある

うちの山を見に来た。そのとき私が ダニの巣に足を突っ込んだのか 

ジャージの上に数十匹のダニの子がひっついていて、家に着くなりジャージを

はいたままコックローチを噴きまくった記憶がある。不思議と刺されてはいず

良かった良かった。おとうさんが左の堤を上がっていく


測量してちゃんと護岸らしき風体に仕上がっている。向こうに見える山の下に

本来なら水が貯められていたはずだが、池の底が見えていた。そういや 子供

たちが小学生だったころ、池の水を抜くので先生に連れられてバケツを持って

魚を捕まえに行ったこともあった。


左側の谷から溜まっていたであろう池の底。こちらはまだユンボで整地されて

いないのか、キャタピラの跡だけついている。


振り向いてみたら さっきおとうさんが歩いてきたところだ。右手を見たら


田んぼに水を送るための樋があったところが見えた。シートが張られたところ

から直接行けそうだが、実際には樋を開ける場所は 山道から1メートルほど

下にあって 降りるためのはしごもあった。丸いハンドルを回して水門を開け

る仕組みだな・・


矢印のところから下に降りたのだ。懐かしくて感動もしていたのだけど

お腹も減ったので戻ることにした。かれこれ一時間になるから 撮影隊も

いないだろう・・・おとうさんと来た道を戻り始めた。

柳の木のところで向こうに渡って歩いているけど なかなか昔田んぼがあった

横の道に行きつかない、そんなはずはない・・一本道だ。キャタピラの跡を

飛び越えたのに、前方を見たら「全然違う」いや、全然違うこともないのだけ

ど、目指していた小川の横の道ではないところ、つまり昔は田んぼだったとこ

ろを歩いていたのだ。歩いて行った道を引き返してきたのに タヌキに化かさ

れたのか?二人そろって?真っ昼間だというのに・・・しょせん 人の記憶と

いうのは 相当あいまいなのかもしれない・・・。それに時間がたてば

美化してしまいがち。子供のころのことや ワラビ採りなどの懐かしい思い出

にひたっていたから とんでもないところを歩いていただけかもしれない。



倉庫まで戻ったらまだ撮影が続いていて しばらく家に戻れなかった。その一

週間後も 撮影者が車で走っていたので どういう趣旨のものなのかよくわか

らない。


今年は ここまでにします。

コロナ禍で子供たちが帰省しないお正月、お正月に子供たちがいないのは初め

てなので 来年は そんなことのないよう願いたいのだけど、

感染者数が半端なく増加しているいま、医療の現場も限界を超えている状況を

考えて行動してください。地方で感染者が増えたら 病院がそれでなくても

規模が小さいのでひっ迫してしまいます。医師や看護師さんたちに少しでも

休める時間を持ってもらえるよう 私達も気をつけましょうね。どうか

良いお年をお迎えください。今年もありがとうございました   凹
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変わりゆく風景

2020-12-18 05:30:00 | 和歌山県
年も押しせまり、今年のブログ更新もそろそろしめにかからねば・・・と思う

今日この頃。今年は 怠け癖がそのままで いつもの庭木のイルミネーション

も「かったるいなぁ~」と先延ばしにしていたけど、なんとか「んもぅ 今年

はソーラーイルミだけでいいわ!」といつもなら コンセントからの電源で 

五時点灯十時消灯というタイマーも設置して 椿の木の枝にイルミネーション

を乗せ、消灯した後真っ暗なのもなんだか寂しい・・と ソーラー式イルミも

添えていた。小さい子供がいるわけでもなく ただ あまりに真っ暗なのが

嫌いなので続けているのだけど、同じように庭先を飾ってくれるご近所もなく

一軒むこうのお宅も玄関先に雪だるまのイルミを飾っていたのが 今年はやめ

たようで 雪だるまさんが座っていない。それにしても ソーラー式だと

光量が遠くまで見えないのか 誰も「今年もやったね」と言ってくれない。

ソーラー部分がだんだん小さくなって、100球点灯だときついのかなと思っ

たりする。まぁ 庭先だけチカチカしてるぶんには十分かもしれない。

我が家の年末の風景もそうだけど、近くの山の中の風景も変わっていっている

ようだ。このあたりは 昭和時代、それ以前も水田が多く作られていてかなり

山深くまで田んぼを耕していた。私が子供のころは そこまで遠くは耕作して

いなかったけど、田植えや稲刈りの時期に親に連れられお茶を運んで行った。

大八車というやつに乗せられ 帰りはそれに稲束が乗るので歩きとなるけど

家からだんだん道幅が狭くなって左手に山右手に田んぼという 風景はいまだ

にくっきりと覚えている。田んぼに着けば 休憩中のおばさんやおじさんが

畔や広場に座ってくつろぎお茶を飲む。子供たちはその横で 春の小川で遊び

秋のトンボを追いかける・・まさに日本の田舎のひとときだった。

その田んぼのまだ奥には 水田に使う水を谷筋から集めたダムではないけど

ため池がある。小さい時は ため池に上がるところが堤が高かったのか行った

ことはなかったけど、小学生4,5年生のころに祖父と一緒にいったことがある

が、それ以降は あんなに田んぼがあったのに作る人がいなくなって荒れ地に

なっていった。うちもそうだが、家から遠い田んぼは何かと不便で次第に家か

ら見渡せる田んぼだけ作るようになっていった。そして 米作り離れ・・と

いう時代。新潟や米産地のように大水田でもなく出荷するお米でもなく 自家

用米という生産量も 一年家族と知り合いに分けて残る・・という少量。

機械化も、機械化といっても耕運機や稲刈り機、脱穀機 トラクターくらいで

手伝いに来てくれていたおばさんたちが高齢化して、つぎは家族だけでなんと

か・・が、家族も高齢化でコメ作りをやめ そして今その草刈りをしてるとい

ことだ。今月の初め、最後の休耕田の草刈りを終え倉庫に戻った時に近くの

畑に なにやら不思議な一行がいた。どう見ても カメラに音声、指示役と

思われる三人と 移住者が倉庫横のうちのスペースに車を止め、撮影準備を

している。我が家に戻るにはその一行の横を通らねばならず その映像に私達

が映り込んだり、話しかけられたりして移住者と懇意だと思われたりしたら

いやなので、30分もあれば何を写すのか知らないけど終わるだろう、だったら

ため池まで行ってみよう、いまはため池を廃止するために水を抜いて工事を

してるけど今日は日曜、工事の人もいないから 行けるところまでいこう・・

とおとうさんを誘って歩き出した。たかが 畑の草刈りを撮影するのにカメラ

や音声まで呼び込むなんて やっぱ移住者って視点がちゃうよね。

最後の人家を過ぎ、だんだんとススキが原状態の 昔は田んぼだったところに

大きなユンボ(ブルドーザー)が置かれ、大きなU字溝も置かれている。

ため池の堤を広げて大雨で決壊せずに 川に流れるようにするのだろうか。

川に合流する支流は 申し訳ないくらい川幅が狭く大丈夫なのか?と思うけど

ため込まずに最初に降り出した雨から巨大U字溝で流し続けたら 大丈夫って

ことなのだろうか。工事が完了したらまた再度見にこよう。

道幅1メートルちょっとの小道から 目印の柳の木を目印に山に沿って歩く。

田んぼの水を引くため ため池の≪ひ≫(樋と書くのか?)を開けに行くとき

ここに自転車を止めていた。いまは柳の木の下は ユンボの通り道になって

キャタピラの太い溝が山際にあるのでその上を飛んで山沿いの道に移った。


左に赤い杭のようなものがあるが、これは猟師さんが置いた箱わな、ほとんど

がイノシシ猟のために設置するけど(許可制) この罠は放置されたのか

工事中でイノシシやシカも近寄らないと思って今年は置いたままなのかもしれ

ない。その左側のうっそうとした山道を奥に向かって歩く。


さっきの場所から10分ほどで 立木のあいだからため池の堤が見えた。青い

シートのところをユンボが通っているので周りの倒れていた木や茂っていた

草も踏みつぶされ、私たちが歩く道も太いツルがぶら下がり 木が倒れ掛かり

股越えくぐり抜けを繰り返して進みます。目的地はもう少し。
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老犬の暴走?

2020-12-12 05:30:00 | 愛犬 こげ
意外と暖かい日が続く師走です。この一週間は気温が16,7度の日もあって過ごし

やすかった。来週は気温が一けた台になる日がやってくる・・そうだ。


タイトルが とうとう こげの 「どうしちゃんたんだい?!」になってしまい

ました。こげも15才 最近は動きも聴覚も視覚も 危なっかしいときもあって

優しく見守れればいいんだけど 自分でもきつい言い方だな・・と口にした後

自分で胸が苦しくなります。私自身 こげの老いも分かっているんだけど

何度も繰り返されたらいら立ちも出てくる。おまけに最近は 私のあとばかり

ついてくる。離れと母屋を行き来するだけでも 小さな子供が親のあとを追う

ように 。離れの玄関は段差が大きく こげのために台を置いているけど

その台にも 昨年まではすいすいと上がれていたのが けつまずいたり、後ろ

足をひっかけたりするときがあるので 家に入らず外で待っていてと言っても

置いていかれると思うのか一生懸命家の中についてくる。私の用事は離れに

一時間もいるものでなく 例えば洗濯物を取り込みそれをたたんで 引き出し

にしまう、そのあとまたおばちゃんのいる母屋に戻る・・数分間のことなのに

ついてくる。置いていかれる・・だけでなく 私がこっそりおやつを食べるの

ではないか?とこげは思っているのだ。たしかに それは否定しないけど

最近はこげがいるからこっそりもなにもおやつを食べられないことのほうが

多く、それは母屋でも同じでおばあちゃんも食べたいものもたべられへん、と

嘆いている。この時も何かの用事で私は離れに入った。忙しすぎてうしろに

こげが来ているのも気づかなかったのかもしれない。用事をすませ 母屋に

向かった。しばらくして また離れに戻った時「えぇ!なにこれ・・どうし

たん・・」そこには 玄関の障子が見事に 破られ、破られただけなら

「またこげが破った」の一言で済むのだけど。今回はあるべきものが障子から

消えていたのだ。障子は10センチほど開いてはいたけどこげがすり抜けられる

幅ではない。ということは 障子から消えていたものは・・と上がり口に目を

やると、そこにはぐちゃぐちゃに折れ曲がった障子の桟が落ちていた。


たしかに 障子も新しく張り替えた方がいいな、と思っていたけど 今年は

年末に子供たちも帰省しないし、「まっいいかぁ」何もかも私一人でしないと

いけないし障子を洗ったりしたら 夜は寒いし・・とやらない理由をあれこれ

考えて却下していた。それにしても どうしてこういうことになったのか。

私と一緒に離れに入ったこげは 自分の布団にでも寝にいったのか その間に

私がまた外に出てしまった。その物音に気がついたのか 急いで外に出ようと

障子に濡れた鼻先を付けたらぶすぶすと障子が破れた、破れたけどそれでは

出られない。桟の幅に鼻を入れて障子を開けにかかったけどうまく開かない。

そこで半分パニックになってガシガシと桟を噛み破り、その隙間から外に出た

のだろう・・・。噛み破った障子、いや桟がなければ障子紙は貼ることができ

ない。築65年くらいの離れの桟、どうしたものかと思ったけど 破れたところ

に古カレンダーを当てて応急処置を施した、それを画鋲で止めている。

この幅からあの重たい体を出ることに必死になっているとはいえよく出られた

ものだと思うけど、こげもなりふり構わずということになってきたのだろう。

夜中に私の掛布団の上に載って私の体を枕に寝ているのか 暖をとろうとする

のか 私は朝まで身動きが取れず 金縛りのような状況で目が覚める。たまに

息をしている?と不安になるときがある。でも私が思う以上 こげ自身が

こわくてたまらないから 私のあとについて回っているんだと思うとむげに

叱るのもかわいそうだと、今頃気がつく私です。
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師走

2020-12-04 05:30:00 | 我が家
どうしよう・・・12月になってしまった。

寒くなってきたなぁ~と思っていたら 12月。お正月までひと月だわ・・・

先日、次男君のお嫁ちゃんからお正月に帰省しようかな。。と次男君が言って

ますけど、どうでしょう・・とメールが来ました。ちょうど 全国的にコロナ

ウィルス感染者数が右肩上がりに増えてきていたので、家族会議をして今回は

帰らなくてもいいよと返事をしました。おばあちゃんは次男君たちが四日市市

から車で来るのが 事故にあわないか来るのも帰るのも心配で気が気ではない

というし、私たち子供孫たちは高齢者のあなたにもし感染させたら、それこそ

気が気ではない。しかし、最近は60代の感染、重症化、そして死亡という事例

も増加してきているので、私たちも高齢者同様万が一率が高い。

神戸の長男君たちにも そういうことだから今年は帰省はいいよ、とメールし

ました。こちらは電車の切符の予約をするので早めに言っておかないとね。

お嫁ちゃんたちのご実家はそれぞれ兵庫県、三重県内なので県内の移動は

県をまたぐ移動よりは周囲の目も緩やかだろうから、お正月は実家でまったり

くつろいでくだされ・・と付け加え、そのかわり四人別々に近況報告のメール

をしてくること、も追加項目にした。お嫁ちゃんたちはメールをくれるのだけ

ど 肝心の息子たちは向こうからの連絡など自主的には絶対無い!こちらが

メールをして、チョー短文の返事が来るだけ。世の中がラインというツールに

変わっているせいなのかもしれないけど、まぁ子供たちがラインで連絡を

取り合っているのならいいけど・・・さ。

先月11月の朝 うっすら明けてきたころ洗濯物を干しにかかっていたら、起き

だして外に出てきたこげが やたらと吠える。最近は 何もないのに外に

向かって吠えることが多く、これも老化現象のひとつなのだと思ってはいても

早朝ワンワン吠えていたらやかましいと思われる(いまの住宅は 高気密高密

閉で犬の吠え声は聞こえないかもしれない)。


あまりに吠えるので一応門扉から外を見たけど 早朝ウォーキングの人など

いない。いないけど私の視界に何やらぶらぶらするものが。「ん?」と顔を

近づけてみたら クモの糸がうっすらとみえて そのさきに痩せた女郎蜘蛛。

もっと気温が高ければ丸々と膨らんだお腹を見せているはずなのに この季節

クモの巣を張っても捕まる虫はそういないと思う。可哀想だなと思って見てい

たら なんとこげがその痩せたクモに向かって吠えているのだ。寒空に必死で

糸を吐き、巣を作っているのにこげの大声でクモが揺れている。声に合わせて

揺れているのだ。クモも耳があるのか?それとも声の波動?こんなに吠えてい

たらやかましいので、私は竹ぼうきでクモの巣とクモを排除した。そうしたら

こげも吠えやみ あたりはしんとしました。


丸の中に女郎蜘蛛がいるのだけど こげに見えていたのならそりゃすごいわ。

最近は 耳は遠いし少し離れたら見えていないような無視をするし、それでも

嗅覚だけはまだ落ちてはないのか 私やおばあちゃんがおやつの袋を開けたら

やってくる。嗅覚だけでなく聴覚も機能してるんじゃないかと思う。

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