こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

残りもの

2021-09-28 05:30:00 | 我が家
またまた書かずに過ごそうとしている自分が情けない。そのせいか パソコン

までもが たびたびエンストを起こす。文字変換がフリーズしてしまう。

今年は 柿の実が着いたころからサルに狙われて二度ほど庭の柿の木に座った

サルと鉢合わせをすることがありました。裏山から屋根に飛び移り そこから

屋根の上に突き出た柿の枝に飛び移り 好き放題に柿の実をかじっては捨て

かじっては捨てを繰り返し、私は捨てられた柿の実を拾う。でないとそのか

じった柿の実がそこから熟したように腐って ハチが寄ってくるのだ。

木に生っていてもいわゆる〈虫さし〉で本来の熟す時期より早く熟してしまう

ことがあるので そんな感じになってしまう。ハチと言ってもミツバチや小型

のハチなら気にはしないけど 落ちて腐った柿に集まるのはアシナガバチや

スズメバチなので 危険極まりない。そういうサルの襲来で 今年は庭の柿が

全滅。私はここ数年 食べた柿は十個にもいかない・・・柿はあまり食べたい

とも思わないので 生ろうがならまいがどうでもいいことなのだが おばあ

ちゃんは必至だ。自分が好きなせいもあるけど 舅がこの柿を好きだったから

サルに取られてはならず!と思っているようだ。その舅 つまり私の祖父が

孫たちに柿の実をむいて食べさせてくれたのだが 自分が硬い柿が好きだった

のか、私はずっとそんな硬い柿を食べさせられていたので柿とは硬いものだと

中学生のころまで思い込んでいた。だから柿は好きではないのだ。

柿の実が今年 サルの目から逃れたものが3個か4個。おばあちゃんはサルに

狙われてはいけないと 網袋をかぶせた。


黒い紐状のもは 百均で買ったヘビのおもちゃ。ネットでサルはヘビが嫌い

とあったので 柿の木に乗せたりくくりつけたりしてみたけど どうだか。


最近少し色がついてきたとおばあちゃんが喜んでたけど、なかなか日に当たら

いので 袋から出したら?と言ってはみたけどサルを警戒している。

おまけに 助っ人もずっと立ったまま柿の前で立っている。

  時節柄マスクも着用。


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涼し

2021-09-15 05:30:00 | 我が家
このところ朝夕涼しくなった。時は九月。秋口の涼しさ・・・で、タイトルに

したところ ネットで調べたら≪涼し≫は夏だとあった。「へ?」そうか

じゃ 書こうとするネタはすごく違ってくる。

     
我が家の朝顔です。花は直径5センチほど。薄い水色で 咲き始めるのが8月の

終わりごろだから、私の朝顔のイメージ「夏休みの宿題の朝顔の成長記録」と

は違ってしまう。学校で朝顔の種をまいて 芽が出た、双葉が出た、本葉に

なってツルが出た、ツルは右巻き?左巻き?って観察日記を書いたでしょう?

夏休みの朝、ラジオ体操に行くときに見かけた朝顔。夏の記憶だよね、っと

調べたら朝顔は≪秋≫の季語になるそうだ。

  

朝顔は朝早くから咲いている。ここ二日 朝起きて洗濯やら ゴミ出しとかを

していると、むちゃくちゃいい香りが漂ってくる。すぐには 何の香りか

思い出せず必死に思い出す。毎年 これからの季節に嗅ぐ香り・・・

今年はいつもより早いのか?そうキンモクセイの香り。どこの家の

キンモクセイだろ・・母屋のキンモクセイだった。そうか、秋だものね。

キンモクセイは晩秋の季語って、、私は≪涼し≫を感じ ≪朝顔≫を目にし

≪キンモクセイの香り≫にハッとする。夏であり 秋であり 晩秋なのか?


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怪奇な回忌

2021-09-07 05:30:00 | 我が家
土曜日、家族三人と和尚様とで父親の七回忌とその兄の百回忌を無事に終えま

した。私たちは 週間天気予報での金曜日からの雨予報に「晴れてくれ~」と

念じていました。そしてもしも自宅での読経のあと雨がひどければ お墓での

お経は取りやめにしてもいいやん・・・うちのお墓は 二十数段の階段を上が

る。それも昔の階段だから現代人の足より石段が狭い。和尚様の着物の裾を汚

してしまう。しかし 当日は雨予報が吹き飛ぶくらいの晴れで そこは安堵し

たのだ。しかしこの間まで八月だったから まだまだ暑く うちは仏間に

エアコンが無く 前もって扇風機を用意し 和尚様が座る位置、お線香とろう

そくを点けて 火が消えないよう扇風機の位置を確認していたのだ。和尚様は

長いことお経を唱えてくれていたので 後ろから線香は大丈夫か?ろうそくは

消えてないか?心配で見ていて 何気なく仏壇のとなりの床の間の掛け軸を

見て驚愕した。和尚様のお経のたびに 床の間につるされた 掛け軸がひら~

ひら~と浮き上がってくるのだ。「なんでだ!もしや ご先祖がお経を唱えて

もらって嬉しかったらろうそくの灯が大きく揺れるって それか?まさか・・

まぁ父親も私の伯父にあたるかたも この法要を喜んでいるのか?」としばし

考えたのだが,よくよく考えたら掛け軸にも扇風機の風が当たっていたってこ

となのだろう・・・準備の段階で おばあちゃんを座らせ扇風機を回したけど

掛け軸まで気がつかなかったんだけどね。まさか この法要が気に入らないっ

て抗議なのかもしれないけど(笑)

で、父親の命日は一月なのだけど、伯父が九月の六日が命日でそちらに合わせ

て営んだ法要なわけで 伯父はまだ小さいころに亡くなっていたのであとから

生まれた父親も記憶もなかったそうだ。だから兄弟そろって法要してあげたの

はよかったのだ。私は毎朝夕 般若心経を仏壇で唱える。最近は夕方には

木魚と鐘も交える。六日の朝のこと、四日の法事の時には父親と伯父の位牌を

仏壇の中心に置いてお経を貰ったのだけど 五日には伯父の位牌をもとの後ろ

の場所に戻した。六日の朝 いつものように過去帳を六日にめくって「あ、

きょうはおじさんの命日だわ、また位牌を前に出してきてあげよう」とお経を

唱えながら行儀は悪いが立ち上がって位牌を父親と並べ 唱え終わった。

立ち上がって歩き出そうと背を向けたとき「カサカサッ」と背後で音がしたの

で降りかえると 過去帳を開いて乗せた経台から過去帳がきれいにパラパラ漫

画みたいに畳の上に落ちて行っているのだ。過去帳はジャバラに折られている

のでそれは見事だった。と同時に 一瞬鳥肌が立った。なんでだ?

あぁそうか 伯父は百回忌を終えて 命日であるきょう きっと本当にあの世

に旅立ったのだ、とおばあちゃんとそういうことにしよう・・となったのだ。

父親には姉も数人いたのだが 皆短命で これからその伯母さんたちの百回忌

が待ち構えている。次は何年後に誰の法事をする?と数えていたら 自分も

相当な年になっていくので 今回のように二人とか三人とか前倒しをして

やっておかないと 子供たちに申し送りはできないなぁと思ったのでした。

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多忙ゆえの本音

2021-09-03 05:30:00 | 我が家

私は 障子洗いと障子張りを一日で済ます予定でいた。予備日は確保していた

けど、ほかにもいろいろとすることが山積状態であるからで 土曜日に法事を

する前日の金曜日は お寺にお布施やらお供えを持って行かなくちゃな

らない。それを午後から行くとして 午前中はこげさんを獣医さんに連れて

行かないとならない。最近こげの話題は私が怠けてもいるのだけど、老犬に

なって きれいな目も薄っすら濁ってきたし、耳は遠く足腰も弱ってきてる。

でも食欲は 途中夏バテで落ちながらも食べてはくれる。家で食べなくても

散歩で立ち寄る近所のおじさんに家から持って行ったフードを、バケツに入れ

てもらうと飢えたように食べきる。こげの楽しみはこのおじさんに可愛がって

もらうことだけど、おじさんの楽しみもこげに会うことだとおばさんが毎度

言ってくれる。最近 耳がカイカイ(痒い)になって 数回獣医さんに通って

いて 耳は治ってきたのだけどお腹のほうにカイカイが移ったのか 自分で

舐めて舐めて舐めきって周囲の毛がなくなって つるつるてん になっていた

細菌性とかではないと先生はいうけど 痒くて自分の後ろ足で掻こうとしても

もう足が届かず 相変わらずエア掻きをする。かわいそうなくらい バタバタ

と動かす。それが外でも室内でもそうで あちこちにこげの毛が溜まっている(笑)

心臓からの咳は 小康状態。長毛ゆえ気温が高いと暑くてたまらずクーラーと

扇風機で機嫌よく眠っていても 外に出ていきたがり 庭に出しても今度は

中に入れろ その繰り返しが毎日で、人間の介護と同じようなことをしている

こげは 口で言えないぶん 昔と変わらず甘えてくる。自身が自分の老いから

くる状態をわかっているかはわからないけど 夏を乗り切って涼しくなったら

カイカイも収まるのを待とう…。金曜日はおとうさんが年休をとってくれて

朝から田辺へ行って帰ってから果物やお供えを持ってお寺に行く予定をたて

そこに行きつくまでに 障子張りやお墓掃除などを私とおばあちゃんでやりき

らねばならない。法事二週間前からのタイムスケジュールを書き 抜かりなく

やっていくつもりが おばあちゃんが「洗った障子は一晩乾かしてか障子紙を

張るものや」と言い出したので内心「え~、そんなぁ」と思ったけど 洗うだ

けで汗だくになっていたので予備日がある・・と譲ったのだ。


きれいに乾いた翌日 いざ障子紙を張りだすとひと月以上前にカットした寸法

が合っているのか合っていないのか、障子横幅1m30cm近くあるのに

障子紙の全幅は94cmしかなく足らない分はそれだけ付け足しというふうに

前回も張っていた。その通りに張ろうしたけど のりをつけて障子紙を広げて

いくと押さえておかないと障子の桟が乾きすぎて のりが桟に吸収され紙が

ぺろっとはがれてくる。おばあちゃんはこれは足らない分を94センチに先に

張り付けておいて 巻物状態で横に張っていくしかないというので従うことに

した。それはわかっていたけど 何から何まで私一人でやってきてるので

カットした時点でもう あとはしらん・・とこの時から脳みそ爆発していたの

だ。おばあちゃんと張るのをやめて障子紙をカットしながら私がブツブツ文句

を言っていたら「おじいちゃんも一人で障子紙を怒りながら測って切っていた

よ」と言い出した。その時の様子を私も知っていたけど おじいちゃんは

自分がやらないとほかの人がやっても気に入らないという性分で 、そのくせ

そう器用でもなかったのか失敗しては「ええぃくッそぅ!」と声を出し、そん

なときに声をかけたりしたら 不機嫌な応答しかなくそれは子供の時から

父親の顔色を見ながら育ってきた。障子紙しかり神棚のお神酒に挿す紙も

自分一人でやっていた。そういうことは家の男子がするものだとおばあちゃん

は言う。けれど 男子が生まれなかったから年がいってからも父親がやって

いたわけだ。神棚の紙は孫である私の息子たちに仕込んではいたけど、孫も

よそで暮らしているから 結局私がやらねばならない。おとうさんは そんな

事の体験もなく育っているので 自分がやってあげる・・なんて気は思いつか

ないようだ。仕方ないことだと思う、おとうさんの父親もそういうことを

一人でやっていたようだ。昭和一桁生まれの男子は そういうものなんだろう

で、私も父親の血が流れているので 汗だくになって障子紙を測って切って

いたら無性に「なんでこんなこと私一人でしなくちゃあかんのだ!」と腹が

立ってきて「こんなことせずに済む姉ちゃんはほんまに結構な身分だ」とか

「自分が放棄して楽な生活して、実家の草の心配もせず好きなことに費やす

なんて考えられん」「何もかも人におしつけて」とそばに母親が聞いていて

どれだけ胸が痛いのかわかってはいても 私の気持ちの吐き出し口がそこしか

無いような感じで吐き出す吐き出す、姉には姉の言い分があろう、幼少期から

祖母に「この家の跡取りやから」と耳だこで言われ、そりゃもうお姫様だった

らしく次姉と私は目も、たぶん声も掛けられなかった。次姉は体が弱く 母親

に目をかけてはもらえたけど、健康優良児な私は幼少の記憶は子守さんか祖父

といる姿しか出てこない。親も家も周りも長女が継ぐと思い込んでいたものを

裏切るかたちになったときは父親がまさに怒髪天で憤懣ぶちまけ 何気ない

一言でもブチ切れて、次姉も継がないといい、仕方なくこういう家の中が

殺伐とした状況が私のせいでもないのにいやだったから 普通の喜怒哀楽くら

いの生活をしたいから じゃ跡を持つわ・・って、くだらない自己犠牲だった

と思う。くだらないといったら おとうさんに失礼なのだが、まぁ姉たちが

近くにいるから 何かと協力、指導して助けてくれる・・・んなことあるもの

か。次姉は 私が結婚した翌年他界し 長姉はそうそう自分から協力を申し出

ることはないので、だから私がこの小さい肩に 何もかも乗せきってよろよろ

してるのだ。障子の張り替えも 母親が嫁いできたころは表具師さんがきて

張り替えていたそうだ。そのあと 父親が自分で張るようになって 障子紙を

しこたま買い込み あと三十年は数年に一度張り替えても余るくらいある(笑

それも私への嫌がらせに思えてくる。私はいま 書いていてもなんて一方的な

書き込みなんだと思いながらも、でも誰も汲んでもくれないし 手伝っても

くれない、なんやかんやゲロゲロな状況で何十回目かの脳みそ大噴火なのだ

障子の張り替えだけでなく 草刈りも家の片付けも 最後は汗と文句で自分に

「仕方ない」で終わるしかない感じで無理くりにかたをつけて そうしてまた

草刈りの時が来て 障子張りの時が来て また脳みそが煮えたぎってきて・・

死ぬまでそんな繰り返しなんだろうな・・・それもこれも 多忙と 分身の術

を使えない体にあきらめを言い聞かすしかないのだなトホホ・・・



右側の障子が 左側を張る間に乾いてきた。霧吹きでびしょびしょに霧をふき

糊の乾燥を待つ。次の日の朝確認したら 一か所糊が薄く はがれていて

そこは再度糊付けしてきれいになった。障子張りってのは 自分の気持ちが

見え隠れする試験紙みたいなものなのか?
  
溜まっていたものを一方的に吐き出し私はすっきりした。聞かされたおばあ

ちゃんには胸が詰まるような思いをしただろうけど 心配するなかれ。

世の中は巡り巡っているもので 私も子供たちに老いてから同じことを言われ

続けるのだよ。







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