こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

年の瀬

2016-12-28 05:30:00 | 我が家
年末になって 地籍調査の立ち合いに出ました。

地籍調査・・・新しく≪すさみ串本道路≫を作るための、つまり高速道になってしまうかどうか、

いざルートが決定したら(噂では決まっているとか)土地所有者をはっきりさせて交渉を速やかに

進ますためと、土地売買に関して境界をはっきりさせておくのと相続のために、きっちり持ち主を

決めて税金は抜かることなく徴収するため。肝心の道路は 人家の少ない山間を通るのかなと

、山林需要の落ち込んだ我が家では淡い期待を持っていたけど、おじいちゃんも「道をつけて、

田辺まで早く行けるようになったらクネクネの国道42号線を使わず助かる命を助ける」と

常々言っていた。そのために持ち山を売ることになっても構わないという意気込みもみせていたけど

道が造られる前に 先に倒れてクネクネの国道42号線を救急車で運ばれることになった。

あまりにクネクネで付き添った私がゲロを救急車内で吐くという失態まで起きてしまった。

それが、東日本大震災の尋常でない大津波災害が起きたため 高速道を一時的な避難場所として

利用し、地域の避難活動を支援するほか、救命・救急、災害復興に貢献するための道路ということで

山間部から人の住む地域に接することになったようです。たぶんうちなんかは蚊帳の外なんだけど

そのルートの説明会では12メートル道路の中心線から幅300メートルが今回対象になるんだとか。

地質調査の結果がよくないと、また中心がずれていくのかもしれない。おまけに井戸の調査も

行われることになっている。いやぁこの辺は 昔は田んぼの周りにいくつも野井戸があって

我が家も両隣も敷地内に飲料に使える井戸を持っている、災害時には提供することになるのだが。

それくらいだから 地下水がかなり出ているから地盤的には大丈夫かよ?と思っています。

田んぼの周りの野井戸は ほとんどが埋められているけど 田んぼの地籍調査の時には

「ここにもあった」「あそこにもあった」とおばあちゃんをはじめ 古い人は皆そう答えていた。

地籍調査には 相続人も含まれるので姉や亡くなった次姉の娘のぶんは私たちが代理でということに

それもまた 書類を送ってハンコを貰ってという煩雑なこともあったり、調査の日に知ったのだけど

高齢で出られないとかよそで暮らしているので そちらにお任せ・・という人もいるらしい。

田舎の土地だもの、いまさらねぇ~・・・でも用地として買収なんてことになったら元気になるんだろう

なぁ・・・。かくいう 我が家も 休耕田に高速道の脚の一本でも立ってくれたら(笑)。山は

トンネルになっても二束三文みたいな話はよく聞くもの。でも 早朝、聞こえてくる救急車のサイレン、

戻ってこないときは田辺の大きな病院に運ばれていっているのだと推察するけど、あのサイレンが

山一つ向こうを走ったら、いまは海沿いの国道だから聞き取りにくいけど、300メートルむこうで

鳴っていたらやかましいなあ・・でも そうも言えまい なんて言ったって≪命の道≫なんだものね

田んぼの調査がすんだら また数日後今度は山。山はタケノコを掘っているところから

家の裏山。今年はうちのところまで調べるけど 山の尾をはさんだ別の人のところは調べないので

立会人がいないから 杭は打てずに印だけだとか。

よくみる ピンクのリボンのやつだ。



田んぼにもこのリボンでマーキングされている。しっかし こいつは草刈りの時に絶対邪魔、草刈機の刃に

巻きつくこと必至だ。調査の人にそういうと 次の杭うちをして確認されたら杭を引き抜かなければリボンは

まぁ気にしないみたいなことを言っていた。道路沿いの雑木や枯草にリボンをくくっているのはその下に杭を打って

いるという印なんだとか。調査と言っても今回のように 境界図をみながら確認して杭の場所を決めていく調査隊と

その決めた場所にピンを打っていく隊と またそれを確認する隊があるようだ。今回も いちいち図面に書かずに

タブレットの地図になにやら印を入れていく隊員がいた。おじいちゃんが見たら 絶対「あんなことで大丈夫か?」と

言っただろう。ほんとうに あと5年早く、この道路の延伸が早ければ待ち望んでいたおじいちゃんも参加して

山も歩けたろうに・・。二番じゃダメなんですか?なんて言っていた時代のせいだな!こう書いている今も 国道42号を

走る救急車のサイレンが聞こえている。風の向きによってはっきり聞こえたり、まだずっと先なのにいま走っているように

聞こえたりする。


さて 今年もきょうが更新の最後になると思うのですが、週末おばあちゃんと三人でお墓の掃除に行ったのです。

掃除と言っても、先々週一周忌法要をしたものだから 周りの草はそう伸びておらず近くにある通称≪つるぎさん≫と

呼んでいる祠への道を落ち葉を撤去。落ち葉と折れた木々の枝しかない、掃こうがどけようが落ち葉しかない道。

これもいつまで続けられるか・・・おじいちゃんが倒れる前の年までつるぎさんのお餅をついて 餅まきをして

いたけど、もうええやん・・ということにしたらおじいちゃんが倒れ、病床でおじいちゃんが餅まきをせんかったから

バチが当たったみたいなことを言っていたけど、いずれはしなくなることだったんだし、かれこれ60年以上毎年

個人で祀って個人で餅まきしていたのに 病気を発症するようなお礼返しをされたら目もあてられないやん。

そもそものいわれすら私は知らない。それでなくても 庭にはお稲荷さんの祠までしつらえている我が家。

その二つの 行く末、つまり終い方をどうすりゃいいのかマジ頭が痛い昨今だ・・・

お墓は今年 新装(ふざけてはいけないけど新しく作り替えたので)したため 墓石の上にさしかかるうっとおしい

雑木の小枝を伐っていたとき、私が何気なくお墓に異変を覚え「うそ・・・やろ」

墓石の前の線香立て、墓石と同じように石でできていて掃除をするときも両手で持ち上げるくらい、何キロかの

バーベルみたいに重いものが ひっくり返っている。正しく言うと 裏底を上にされているのだ。

「線香立てが裏返しになっている」という私の声に おばあちゃんは「掃除の仕方が悪いとおじいちゃんが

怒っているんかな」と笑ったけど あまりの不思議な光景に「サルやろけど気持ち悪い」

数日前、サルの大群がきていたけど花筒の菊の花を花首でちぎって 花びらを墓石の前に散らし

線香立てを裏返しにする・・・なかなか器用なサル・・・頭の黒いサルかもしれない。お墓に上がる

階段には一筆書きの「一」状態のフンをしていたから正真正銘のサルがきたんだろうけど・・

それもお墓に置いている道具箱から取り出したウンチ袋(こげの)で始末した。これは野良猫のフンを

とるために置いていたんだけどね。今度は墓石の裏に何やら鳥の羽が・・・「鳥が食べられたみたい。

サルかな・・猫や。羽と足先しか残ってない・・」なんちゅうお墓なんやろ。。。というか

野良猫が堂々と闊歩してるんだ・・・野良猫にエサをやるくらいなら 自分で飼えよ・・・。

野良猫から脱皮させてあげたらいいのにね・・・愛猫家さん。



                     バルボコジューム

私の花か?≪ボコ≫という名が入っている・・・先月 次男くんが家にいるときに植えて名札を書いてもらった・・・同じような

種類の名前が≪銀の鈴≫という球根と同じ鉢に植えたら 同じ花みたいなのが咲きだしました。

写真奥がバルボコジュームで右手前が≪銀の鈴≫・・・一緒やん(笑)



年末、何かと忙しい皆さま、きょうも普通な日々を送っている私のブログを読んでいただきありがとうございます。

今年はいろんなことがありすぎて 肩から首から凝りすぎて 喉の中に風船が詰まったみたいな息苦しい一年でした。

来年は好転すればいいのですが、たぶん 根性が悪い私だから荒天な年を過ごすのだと思います。

多くを望まない日を送りたいと思うようになりました。そこに花が咲いていれば「咲いているんだ」とだけ

気がつくだけでもういいや・・とね。どうか、皆さまは 多くを望んで明るい一年をお過ごしください。

 よい、お年を・・・この一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
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早いもので

2016-12-22 05:30:00 | 我が家
            

早いもので 今年もあと10日。なんという時間の経過の猛スピード感。

我が家にとっては そのスタートが1月2日・・・いや容体悪化が始まった大晦日あたりからだったので

なにがなんやら けれど 看取り看護でおじいちゃんの部屋で付き添ったときの警告のモニター音と

数分間隔でモニターから吐き出されてくる計測の紙の音が あれがおじいちゃんの息遣いだったような気が

する。酸素マスクを装着していたわけではないけど、「あぁ間違いなく息をしている」という実際は

かすかで、顔を近づけないと呼吸をしているかわからない息遣い。時々 「これでいいのかなぁ」と

思ったりした。深く息を吸い込んでなかなか吐き出してこないから「いよいよ?」と顔を覗き込むと

「ふぅ~」と吐き出す、そういうことを繰り返しているあいだ当の本人はどんな状況なんだろうと思ったり

した。それから亡くなってからの通夜葬儀、四十九日に百か日 初盆。その間に義父も亡くなり

こげの手術やら 私の記憶もあちらこちらに飛び散っている。ただ 多忙に負けずに体調を崩すこともなく

乗り切れたのは 何かの加護かご褒美なのかもしれません。それくらいしか 私の手には与えられないのか?

もっと自由をとか、何ともならない子供たちの性根を変えてくれとか 相変わらず「なんで私だけ」と

その悲観的思考は・・・だったら一生背負って 抱きかかえて生きていこうかと思う。


時間の経過が 薬になる・・・ようなことを聞いたことがある。辛いことは それでも一日一日を消化して

いくあいだに立ち直れる、気持ちの整理をつけることができると。そういうことでもないと人間、やっていけないよ

なぁ~

毎日の仏壇にむかうときに あれこれ思う。昔テレビで「仏壇にはお願い事をしてはいけない。ご先祖さんの

供養する場所であるから頼み事はいけません」と言っているのを聞いて以来、そうなんや・・と思いながらも

ついついなにかしら願い事をつぶやいているときがある。


話は違うけど 初盆のころのこと。おじいちゃんを古くからしるおばあさんがやってきてくれた。

そのおばあさんは 仏壇のそばに置いていた先代のおじいちゃんの遺影を見て「あぁ先代さん、こんな

顔やったね」と言い「で、○○さんの写真は?」というのでおばあちゃんが「頭上に掛けてあるのがそう」と

おじいちゃんの遺影を指さすと、そのおばあさんはそれをまじまじと見ながら「これは誰?私はこんな

おじいさん知らんわ」と私たちは「これが○○やけど」。おばあちゃんが仏壇に飾られた遺影より二十年も

前の写真を指差し「こっちの写真だとわかるかな」と言ったら「そうそう、これが○○さんや」

どうやらこのおばあさんは 60代のころのおじいちゃんと懇意にしていてそれ以来は会うことがなかった

らしく、記憶の中では少し若いころのおじいちゃんしか残っていないということだったのだけど、

いやぁ遺影を見て否定されるとは。爆笑でした・・・


また、私たちが子供のころ家にお手伝いのおねーさんがいて、私なんかはそのおねーさんに面倒をみてもらって

育ったようなものなんだけど、そのおねーさんも初盆にお参りに来てくれてひとしきり思い出話に花が咲き

とどめに「ほいでも おとうちゃん(おじいちゃん)は○○ちゃん(亡くなった次姉)が一番好きやってんで」と

言い放ったので「え~そうなん?知らんかったわショックや。」と私。「○○ちゃんは色も白くて違っていたからね」

そうなのだ。長女と三女は当時の白黒写真でもはっきりわかるくらい色黒で黒光りしていたけど、次姉は

病弱なほど(確かに幼少期は病弱であった)色白だった。なぜか幼い次姉をモデルに写真を写して引き伸ばしたものが

いまも飾られている。子供に優劣をつけたわけではないのだろうけど 三番目ともなると写真の数は極端に減るのは

親のテンションが下がってきたんでしょうね、おまけに女ばかりだし。長女の七五三のときは 写真屋さんを

呼んで写真を写したらしい・・・私は根に持つほうだから あの世に行ったらまずそれを抗議したいわ。


そうなると 私もいずれはあの息子たちに抗議されるのだろうな あの世で・・・ならば少しでもいい印象を

持ってもらうように来年は努力しなくては・・・
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無事終了

2016-12-14 05:30:00 | 我が家
11日の日曜日、おじいちゃんの一周忌法要を終えました。

命日はお正月 1月2日ですから 少し・・だいぶ早いけど 命日の前に行うことなので

そうなると 年末の忙しい時期になるので 早めに済まそうと、それはお盆のころから決めて

いました。思うに 年の初めの不幸事は一年間が長く感じられ、でも一年の中で初盆も済ます

ことができるので、区切りがはっきりできる気がします。喪中欠礼も11月には出し終えたし

一周忌法要が締めくくりということです、でも来年の12月には今度は三回忌法要です。

不思議なことがあったのです。

我が家はこげがいるので 逃げ出さないように出はいりの門扉は夜はいつも閉めています。

前夜も閉めていたし、早朝洗濯をしていた時に新聞配達のバイクが来たときもそのライトで

門扉が閉まっているのを私は確認したのに、次に外に出たとき門扉が90度バ~ンと開いていたのです。

その時は まだ真っ暗で「まさか泥棒?」と母屋のほうを見たけど 別段変りもないようなので

風で開いたのか?とも思いつつ 風なんか吹いてないのにと思っている自分。不思議だけど

これは「なぁんだ おじいちゃんが来たんだわ~」と即座に思い直したのです。

おじいちゃんという人は せかせかとなんでも早め早めにする人だったので これは

自分に関するイベントが始まるから 和尚さんよりも早めにやってきたんだと(お盆じゃないけど)

思ったんです。まぁおかしなことだ・・とか 思い違いだとか思うより 法要の日の不思議な

出来事だとおもえばおもしろい・・・。

法要は 私たちと姉夫婦の五人と和尚様。仏壇とお墓でお経をもらいました。

天気予報では 冷え込みがあるということだったけど 風も吹かず お墓では心地よい気候に

安堵したものです。



これがすめば 両隣と近い親戚 おじいちゃんが懇意にしていた方にしるしのお菓子を配って終了。

通夜も葬儀も家族葬で、という故人の遺志を重視してということです。姉夫婦は 年末の忙しい時期なので

帰り、私たちは食事会ということでうなぎを食べに行こうと計画していました。

おとうさんが一度食べに行って 「おいしかった!」と言っていたので 次男君が帰省した時にも

うな重を買ってきて食べたんだけど お店で出来立てをたべようと・・・

串本に何年か前にできたお店です。お店が小さいので予約していないと座れないかもというので予約済みです。

特上が3500円、上2700円、並1900円だったと思う。何が違うかというと 特上は一匹、

上は四分の三匹、並は半分・・ウナギの体の分量のようです。特上を私たち、おばあちゃんは少食だからと

並にしました。



皮が・・出来立てだから皮がパリパリで香ばしい!!肉厚で 身の部分もこれまたおいしい。おじいちゃんも

ウナギが好きだったわ!この丸徳さんではなく 駅前のひがしというお店で 機嫌がいいときによくうな重を

買ってきてくれたわ~。食べながら「でも、うな重を仏壇に供えることもできへんからね~」と笑ったのです。

運ばれてきたときには 食べられるかなと心配したけど この日までの疲れが吹き飛んだのか完食です!



からっぽの食器を写していたらおばあちゃんが「食べかすを写して それをブログに載せるなんて恥ずかしい」と

言っていたけど、ご愛敬で・・・・また来年の三回忌法要後、うなぎで〆たいと思ったのでした
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今年のイチョウ

2016-12-07 05:30:00 | 和歌山県
12月5日、午前中におばあちゃんの用事で三尾川に行ってきました。

日曜日の夜は、一時期衛星放送も映らなくなるような雨だったので叔母さん宅近くの光泉寺の大イチョウは

もう落葉しているだろうと思っていました。しかし、お寺が見えたら その大きな黄色いかたまりが青空に

クッキリと見えて おばあちゃんをおばさん宅前に降ろして「イチョウを見てくる」とさっさと出かけて

いきました。今でも なぜ 急くように行ったのかはわかりません。なぜかこの日は 早く近くで

見たいと思ったから・・・衝動的です・・

歩いて行くと、「え!こんなに距離あったっけ」と思いつつ、家につながれてキャンキャン鳴き続ける猟犬、

その鳴き声に呼応するように田んぼの下につながれた別の猟犬がキャンキャンと、人の姿は見られないのに

犬の声でにぎやかだわぁ~と・・一軒の家の真後ろに大イチョウが見えてきました。

個人のお宅なのに 歩いてきたらパッと大イチョウが目に飛び込んでくるので カメラを構えたくなります

私がこの家の主人なら、見ず知らずの人に写真を撮られて気分がいいことはないよ・・散らかしてもおけない

まったくもう・・とブゥ垂れるんですが(笑)

            

先週だったか ローカルニュースで光泉寺のこのいちょう祭りを取り上げていたのでその日はえらい人出で

にぎわっていた。雨か大風が吹くとたぶん落葉してしまうから今年は見に行くことはないなぁ・・と思って

いたから、もしかして私は内心見に行きたいと思う気持ちがあったのかもしれない・・・

しかし、お墓に上がって行く階段は土曜日にお墓の草刈りと、11日に行われる町内一斉清掃をその日に一周忌法要を

行うので自分たちの区分を前倒しにやったので足腰がえらい・・・というのも お墓で足を滑らせとっさにつかまった

鉄杭、それでも足はすべって結局左わきをピーンと伸ばしきってしまい、一斉清掃分の道路の道刈りでおとうさんが

刈った草をガードレールにつかまりながら熊手でかき集めていた時、草の中にイノシシが掘った穴があって そこに

足をとられて ガードレールに右わき腹を強打。この時は「内臓損傷や!」と口走るくらいで、翌日にはきっと

左右わき腹が猛烈に痛いか、寝ている間にあっけなく死んでるかも・・と思ったんだけど、あにはからんや

私は生きていて 痛いのは背中と肩の筋肉痛(笑)。それが 日をおいて増してくる・・若いころはそうじゃなかったのにね。

階段を上がって 境内に入ってうわぁ~きれいやん!



前夜の雨で 葉っぱが濡れてしまい風でカサカサと移動するのは見られないけども、それがしっとりと濡れ落ち葉でシックです(ショックじゃ

ないよ) 黄色は青空に映える・・まぁモミジの赤もそうだけど 秋の空によく映えるって こりゃぁ日本人の感覚やね!

大イチョウの説明と、ここに至る民話がカセットデッキからオートリバースで流れています。和尚さんは不在なのか?でも

今がチャンスと本堂も網戸にしてお参りできるようになっていました。どこかで見ているのかもしれません。



全国の大イチョウにみられる気根が、やはりここにもあります。気根をなでたら子供を授かったといういわれがあるので触れるように

足元には通路を作って(跳び箱の踏切り板みたいな)います。その上も 黄色い落ち葉で埋めつくされています。

私は いまさら子授けされても お乳がでるようになっても(笑)困るので、なでなではしなかったと帰りの車中でおばあちゃんに

言ったら大笑いされた。気根は オッパイのようだが・・かなりご年配かな



この日、この時 境内には私一人でした。貸し切りですがな・・・気温も高く 空は晴れ、こんなにすがすがしいのはサンババ修学旅行の

牛馬童子に行った時以来・・ひと月前だけど。やはり 何かしらパワースポット的なところなのか・・・ならば 体の(とくに顔のたるみを)

リフトアップしてくれと願えばよかった。

お寺の何が好きか・・・私は六地蔵が好きなようだ・・



だいたい今までここに来たときには 何人かの人がいてイチョウが踏み荒らされて こんな感じに写真を撮ることがなかったので

次に来る人のために 私は極力歩き回らないようにしたんだけど。。こんな いいことしても(と自分で思うのは何一つ、いいこと 

でなく自慢やん)いいことの返礼はないんだよなぁ(と思うことがまちがいだろう(笑))。



あまりにも 綺麗だったのでサンババの二人と息子たちに写メで送りつけてあげました。次男君以外 返信はあったけど、無口な

長男君はただ何か写真を返信してきたので 見てみたら神戸ルミナリエの写真でした・・何のコメントもなく・・・

神戸にいながら ルミナリエに行ったことがないといっていたのに やっと行ったのか・・・







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思い出

2016-12-01 05:30:00 | 我が家
お!おッ!という間にもう12月になりました。

今年は なにをどうした・・・という記憶もないほど一年が過ぎていきました。

おじいちゃんの葬儀から それに付随する諸々がこれでもかと覆いかぶさり もうこの

小さな肩にこれでもかと 時代劇の石積みの拷問のような感じで おじいちゃん関連の

書類を手にするたびに 首筋がパンパンに張ってしまう・・それは数が減ったいまでも

一種の拒否反応のようになっていますが・・・

サンババ修学旅行のあと、数日後。以前からお風呂の湯沸かし釜のあたりからの水漏れが

気になっていたんだけど、突如その流れ出てくる水量が増えて業者さんにみてもらうと

取り換えになるだろうと。しかし湯沸かし釜だけ取り換えることになるとボイラーが

灯油タンクの場所になってしまうという。お風呂は必需品だから そこをなんとか。。

とはいかず、灯油タンクを新しいものに替えることになった。仕方ない、メーカーが

違うからなぁと。そうなると 外に置いていた衣類乾燥機を脱衣所に置けるように

なるというので まぁ滅多に使わない乾燥機も 少しは寿命も延びるだろうと

業者さんにまかせたんだけど、新しいスイッチパネルが新しい場所に付く。

乾燥機も置くとなると セメントの壁に書かれている亡くなった姉の懐かしい文字も

見えなくなることに・・・。昔は そこには薪でお風呂を沸かしていた頃の

落書きが残っていたのだ。いまは もう30年以上前の落書きなので文字も薄くなって

いて、たぶん家族でも書いていた亡き姉の姿を見ていた私しか知らないと思う。

姉は姉妹の中でも絵が上手で 空白があるとどこでも、新聞紙の両端のあの狭い幅の

ところにまでなにかしら絵を描いていた。私たちは 田んぼで働いている両親の

かわりに 風呂焚きを任されていた。夕方の 見たい再放送のドラマとかあるときには

焚き木を釜にくべ込んで 10分テレビを見ては焚き木を入れに走ってきた。

冬になるとそこで座っているほうが暖かいため お風呂が沸くまで火の番をしていた。

けれども退屈すぎて姉が チョークですらすらすらっと字を書いていた。

そこには 絵ではなく文字が書かれていて それがこれ。



もう時間の経過で薄くなっているけど

君は 雨を見ているの

雨をみてるふりだけなの

と書かれている。抒情的だけど 彼女の言葉ではなく 井上陽水の Fun と いう歌です。

井上陽水が脚光を浴びたアルバム≪氷の世界≫。私も姉の影響で 陽水のLPをよく聴いた。

ヒットした≪氷の世界≫や≪傘がない≫とかよりも この歌が好きだった。

今までこの文字を見るたびに 姉を思い出していたけど月日が経つとメロディもうろ覚え状態で

今回 このネタをかくためにYouTubeで探してみたらあって、久々に聴いてみた。

もっと短い歌かと思っていたけど 案外長く「あ~そうそう、こういう歌詞だった」と懐かしく

陽水の声も 昔のほうがいいなと。。。

私は♪日記に書いてることは やっぱり悲しいことかな

    それともきょうから 日記をやめると書いているのかな・・・という歌詞が

とてもとても懐かしい。当時 私は日記を書いていた記憶。きっと 淡い片思いのことなんか

書いていたんだろう(笑)それにしても 陽水の声に聞きほれて もう一曲 絶対井上陽水と

言えば私にとってこの曲だ!というのが≪能古島の片思い≫ 当時 ルビをふっていなかったので

姉となんと読むのかいろいろと話し合った。それが≪のこのしま≫と読むということを知ったのは

数年後だった。確かにその島は九州にある(地図で昔調べた)ようで タイトルは忘れていないのに

メロディも歌詞もすっかり忘れていた。それもYouTubeで聴いた。アルバムは陽水Ⅱ≪センチメンタル≫

もう一度聞きたくなった。大人になった井上陽水よりも 私たちが聞きほれたあの頃の、若いころの

陽水の歌を聴いてみたいと思った。姉はどんな気持ちで落書きをしたのか、たんに歌が好きだったからか

それとも淡い気持ちを持っていたのか・・・聞いておけばよかった


絵の下手な私が書いた絵がお風呂の戸に残されている(笑)



カボチャのようだが女の子である。もっとひどいのが



なぜかカエル。ほっぺたが膨らみすぎだろ~

この二枚は 焚き木の燃えかすで書いた記憶がある・・・



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