五月も終わりです。数日全国的に気温が夏日、真夏日、猛暑日と高くなることが続いていたけど、やっと
雨が降ったり 蒸しっとする日があって いよいよ梅雨に向かいそうです。
気温が高くても 風がサラッとする日が先週からあったので休耕田の草刈りをボチボチと始めました。
とはいっても 怖がりの私はコンクリートに接するところや刈った草を積み上げておく柵の鉄棒の周りなどは
草刈機の高速回転中の刃が それらに当ててしまうことが多くそれらのところは 休日のおとうさんの仕事として
残しておくことにしています。やっと先週 一枚の田んぼを刈り終えました。その状態のきれいさに感動したのも
つかの間、雨が降ってまた新芽がにょきにょきと伸びて、雑草の生命力には感服するものがありつつも、
こちらの気持ちのほうがど~んと落ち込みます。ただ、どこかで草刈り機の音が鳴っていたら
「誰が刈っているんだろう」と気になり、この時期 近所の誰もが、どこかを刈っているという状況です。
熱中症には気をつけるべく、水分補給しながらやっていると近所のおじさんが見かねて一緒に刈ってくれたりして
助けてくれます。そのおじさんも 75歳というから こちらのほうが倒れやしないかと心配します。
いずれは この地区も高齢者がほとんどになり 農業をする人もいなくなります。家庭菜園くらいを個人でやっても
まわりがどんどん使わない田畑が増える一方、増えるのは獣害と 移住者で どちらも土地のものには歓迎されていません。
先日、地方紙に≪ひきこもりの名人≫という人の対談記事が掲載されていて、40歳というひきこもりの名人さんは
ひきこもりではあるけど そのことを本に書いて出版するとか。自分で小屋を建てて衣食住の住を確保し、衣は
古着をもらいうけ、あとは食べるために作物を作ったりしてるんだったかな・・読んでいて「40になって
自由気ままに暮らして けっこーな身分だわ!」と気分が悪くなってきた私、そんなに働かずそこそこ収入を得ていたら
高級住宅が売れなくなって住宅建築費も安くなり、将来スーパーやコンビニに托鉢のように物貰い(売れずに残って
しまった食べ物をもらう)するようになるんじゃないしょうかね・・・と言いだしていた。
え?おまえ、40でそんな楽していこうなんて思ってんのかよ・・・と。草刈りしつつ私は≪十何年か前に
都会の老人が働けなくなってでも、生活保護を受けることが忍びないということで自殺したり、餓死したりしていた
ことを知らないのか。昔の人は 公的支援を受けるのが恥ずかしいとまで思い詰めていたのは 自分の食いぶちは
自分でまかない、人から施しを受けるのは恥ずかしいという思いがあったのだよ。現代は 公的支援を受けられれば
命を落とすことはないのだが、その公的支援・援助を うまいこと利用するズルい人が増えてきている。本当に
受けていい人が受けられにくくなってきているヘンな時代になってきている、働かずどこかから援助されて
人間としての誇りがないのか~≫と思ったりしたのだ。というのも 五月の初めころ 毎朝観ている
≪朝生わいど す・またん≫の企画で 辛坊治郎が和歌山県田辺市の山奥の若者を訪ねたコーナーをみていて
無性に腹が立ったのだ。若者は「働きたくないんです」と言う。27歳だったかな うちの息子らくらいだわ。
大学に行って教職課程をとっていたんだけど「このまま教師になっても職場でいじめられたりするのかな」と
大学を辞めて フラフラとこの地に来たようだ。山奥で 近くにはスーパーやコンビニはないし、住民は
70歳以上の高齢者で、民家を借りて食べるために畑も作っているけど獣害が多いという。
ただ Wi-Fiが使えるので今どきの若者にはそう不便はないんだとか。そういうことを発信したら全国から
同じような仲間が7人もきて楽しく共同生活、シェア生活を送っている。そいつがいうには
「ここもあと20年したら もともとの住民という人たちがいなくなって その空いた家に僕らのような
人が住んで、暮らしていけたら・・・」のんびり夢のような暮らしを思い描いていた。ただ、将来の不安が
あるので国民年金は支払っている・・。そのお金はどこから出てるんだろう。地区の草刈りや行事に参加
していくらかは貰っていると言っていたけど 年間にしたら この山奥で払っていくのはかなりの出費。
こいつの親は 私くらいの年齢か。名古屋出身と言っていたけど 縁もゆかりもない地で息子がこんな生活
していて どうも思わないのかなぁ。。。それとも 当時はやったそれぞれの個性ってやつか?
都会で暮らす人は(暮らしてきた人は) 田舎暮らしに憧れる。それまでの便利過ぎた生活に甘んじているのが
苦しくなるらしいけど、生まれてずっと不便な田舎に暮らしていると 今より便利な生活をしたいと田舎の人は
思う。学力格差も収入格差も体験しているから 自分の子供にはそういうことを感じさせたくないと都会に送り出す。
考え方が まるっきり逆なんだなぁと、でも田舎の人は 続いてきた先祖からの田畑は大事にしている。
そこの捉え方が 街の人にはわからないものなんだよなぁ~と 、なぜに 賢い辛坊治郎さんが突っ込まないのか
不満に思ったのでした。・・・・と、凹さんは 草を刈るときはいつも 何かに怒り心頭しながら刈っている。
ニゲラ
怒り心頭・・・カメラで撮影した画像がパソコンのピクチャに取り込めません。もう二週間も・・・
なんか、パソコンのことがよくわかっていない私があちこちポチッとクリックするのが壊してしまいそうで
怖くって・・・
雨が降ったり 蒸しっとする日があって いよいよ梅雨に向かいそうです。
気温が高くても 風がサラッとする日が先週からあったので休耕田の草刈りをボチボチと始めました。
とはいっても 怖がりの私はコンクリートに接するところや刈った草を積み上げておく柵の鉄棒の周りなどは
草刈機の高速回転中の刃が それらに当ててしまうことが多くそれらのところは 休日のおとうさんの仕事として
残しておくことにしています。やっと先週 一枚の田んぼを刈り終えました。その状態のきれいさに感動したのも
つかの間、雨が降ってまた新芽がにょきにょきと伸びて、雑草の生命力には感服するものがありつつも、
こちらの気持ちのほうがど~んと落ち込みます。ただ、どこかで草刈り機の音が鳴っていたら
「誰が刈っているんだろう」と気になり、この時期 近所の誰もが、どこかを刈っているという状況です。
熱中症には気をつけるべく、水分補給しながらやっていると近所のおじさんが見かねて一緒に刈ってくれたりして
助けてくれます。そのおじさんも 75歳というから こちらのほうが倒れやしないかと心配します。
いずれは この地区も高齢者がほとんどになり 農業をする人もいなくなります。家庭菜園くらいを個人でやっても
まわりがどんどん使わない田畑が増える一方、増えるのは獣害と 移住者で どちらも土地のものには歓迎されていません。
先日、地方紙に≪ひきこもりの名人≫という人の対談記事が掲載されていて、40歳というひきこもりの名人さんは
ひきこもりではあるけど そのことを本に書いて出版するとか。自分で小屋を建てて衣食住の住を確保し、衣は
古着をもらいうけ、あとは食べるために作物を作ったりしてるんだったかな・・読んでいて「40になって
自由気ままに暮らして けっこーな身分だわ!」と気分が悪くなってきた私、そんなに働かずそこそこ収入を得ていたら
高級住宅が売れなくなって住宅建築費も安くなり、将来スーパーやコンビニに托鉢のように物貰い(売れずに残って
しまった食べ物をもらう)するようになるんじゃないしょうかね・・・と言いだしていた。
え?おまえ、40でそんな楽していこうなんて思ってんのかよ・・・と。草刈りしつつ私は≪十何年か前に
都会の老人が働けなくなってでも、生活保護を受けることが忍びないということで自殺したり、餓死したりしていた
ことを知らないのか。昔の人は 公的支援を受けるのが恥ずかしいとまで思い詰めていたのは 自分の食いぶちは
自分でまかない、人から施しを受けるのは恥ずかしいという思いがあったのだよ。現代は 公的支援を受けられれば
命を落とすことはないのだが、その公的支援・援助を うまいこと利用するズルい人が増えてきている。本当に
受けていい人が受けられにくくなってきているヘンな時代になってきている、働かずどこかから援助されて
人間としての誇りがないのか~≫と思ったりしたのだ。というのも 五月の初めころ 毎朝観ている
≪朝生わいど す・またん≫の企画で 辛坊治郎が和歌山県田辺市の山奥の若者を訪ねたコーナーをみていて
無性に腹が立ったのだ。若者は「働きたくないんです」と言う。27歳だったかな うちの息子らくらいだわ。
大学に行って教職課程をとっていたんだけど「このまま教師になっても職場でいじめられたりするのかな」と
大学を辞めて フラフラとこの地に来たようだ。山奥で 近くにはスーパーやコンビニはないし、住民は
70歳以上の高齢者で、民家を借りて食べるために畑も作っているけど獣害が多いという。
ただ Wi-Fiが使えるので今どきの若者にはそう不便はないんだとか。そういうことを発信したら全国から
同じような仲間が7人もきて楽しく共同生活、シェア生活を送っている。そいつがいうには
「ここもあと20年したら もともとの住民という人たちがいなくなって その空いた家に僕らのような
人が住んで、暮らしていけたら・・・」のんびり夢のような暮らしを思い描いていた。ただ、将来の不安が
あるので国民年金は支払っている・・。そのお金はどこから出てるんだろう。地区の草刈りや行事に参加
していくらかは貰っていると言っていたけど 年間にしたら この山奥で払っていくのはかなりの出費。
こいつの親は 私くらいの年齢か。名古屋出身と言っていたけど 縁もゆかりもない地で息子がこんな生活
していて どうも思わないのかなぁ。。。それとも 当時はやったそれぞれの個性ってやつか?
都会で暮らす人は(暮らしてきた人は) 田舎暮らしに憧れる。それまでの便利過ぎた生活に甘んじているのが
苦しくなるらしいけど、生まれてずっと不便な田舎に暮らしていると 今より便利な生活をしたいと田舎の人は
思う。学力格差も収入格差も体験しているから 自分の子供にはそういうことを感じさせたくないと都会に送り出す。
考え方が まるっきり逆なんだなぁと、でも田舎の人は 続いてきた先祖からの田畑は大事にしている。
そこの捉え方が 街の人にはわからないものなんだよなぁ~と 、なぜに 賢い辛坊治郎さんが突っ込まないのか
不満に思ったのでした。・・・・と、凹さんは 草を刈るときはいつも 何かに怒り心頭しながら刈っている。
ニゲラ
怒り心頭・・・カメラで撮影した画像がパソコンのピクチャに取り込めません。もう二週間も・・・
なんか、パソコンのことがよくわかっていない私があちこちポチッとクリックするのが壊してしまいそうで
怖くって・・・