こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

ジビエとか言うが

2017-08-27 05:30:00 | 和歌山県
今般、巷ではジビエなるものが盛んに取り上げられています。低カロリーとか体にいいとか 私は興味がないので

よくわからないけど まぁ田舎で困っているものの一つである獣害をなんとか食につなげて 利用していけないものかと

苦肉の策であるのよね・・・まさに 苦肉・・・。

獣害が増える理由に 山間の過疎化、猟師の減少 でイノシシやシカ サルにタヌキにアナグマ 外来種のアライグマに

ヌートリアとかいろいろ種類も増えているようです。海外ではシカなどが食用で流通しているけど 日本はそのシェアは

かなり低いとか。イノシシやシカは昔から 猟師が仕留めて家族や近所で食べるというくらいで あまり都会で販売も

少なかったのだけど、最近は都会で それ専門のオシャレなお店も増えているようです。古座川町でも ジビエ専門の

処理施設を作り、レストランに卸したりするようになったそうです。キジも鳴かずば撃たれまい・・・とは意味が違うけど

シカも人里に現れなければ命を落とすこともないのだけども、山の中より人間が作った作物がずっと美味しいと気がつけば

食べたい気持ちもでてくるのはわかる。このあたりでは 夕方からシカの鳴き声がして暗闇に何頭もの群れで現れたりするのが

日常です。お嫁ちゃんのお里も同様で ナイトサファリパーク化しているのはどこも同じです。

8月6日の早朝のこと、洗濯物を干しに出たらお隣の家の前に何かが動きます。なんだろうと前進してみたら数日前にもみた

小鹿のバンビだわ!



あらぁ 道の真ん中に座り込んで・・・可愛いやん。数日前に見たときはお隣のお墓の前で何かを一生懸命ついばんでいる。

この大きさなら母シカと行動を共にするはずなのに、母シカは見まわしてもいないのできっと子供をおいて山の中にいるのだと

思っていた。でもこの日も 母シカの姿はないし もしやはぐれたのかなぁ・・こんなところで座っていたら人に見つかるし

でも人家があるから鉄砲で撃たれることもないけど早く山の中に戻ってね・・と思ったのでした。が、私が何度も出たり入ったりしても

一つも動かないので、これはなにかあったのか?と気になり始めた。まったく 私のような者に見つかったバンビも不幸だったかも

しれない。



カメラをズームしてみても やはりなんか様子がヘン。近寄ると立ち上がろうとするけど力が入らないのか、もしかしたら側溝の溝蓋に

足を突っ込んでしまったのか 足が抜けないのか?もしかして新聞配達のおじさんのバイクと接触したのか・・・

このままだと人に見つかるし、おばあちゃんと相談して猟友会の人に来てもらおうと早朝ながら電話をかけたのだが、仕事に出ていると

いうので もう一人に電話をしたら、見に来てくれるというので待つことに。私としては けがをしていたら 山に放っても生きては

いけないので処分になるか それでも放ってしまうかのどちらかだろう。有害としての期間中なら捕まえたり処分して届けたらいくらか

貰えると聞く。もしそうなら 願わくばその場所で殺処分(鉄砲で撃てない場所なら棒で叩いたり 今はスタンガンのようなもので電気を

当てるらしい)はしないでねとお願いしたのだけど、トラックでやってきたおじさんがそのまま近づいても一瞬逃げようとしたものの

やはり立てないらしく あっさりとおじさんにつかまってしまった。おじさんがひょいと両脇を持って 私に見えるように高々と持ち上げたの

だけど、こげより小さい。トラックの荷台のミカン箱のようなコンテナを上から被せてそのまま去って行った。





親と離れて弱っていたのかもしれない けがをしていたのかもしれない いろいろ思うと私が悪いのかな・・とでもどうしたらいいのでしょう

獣害で困っているのは私もそう。花を植えてもかじられてしまう。野菜を作っている家では 食べられてしまう。シカのように見た目が可愛くても

することはイノシシやサルと同じ。過疎化の山村では獣のほうが数で優っているのが実情。どうしたものだろうか・・・
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番外編

2017-08-20 05:30:00 | 我が家
解体作業は正味6日で終了しました。きれいに取り払われたあとは 屋根と壁から出た赤土でなんともいえない風景と

なりましたが、ここに至るまでのゴミ運び出しで私もおばあちゃんも疲労困憊。



納屋と寄り添っていた井戸がポツンと。そして 子供たちの二階が残りました。本当ならこちらの二階も解体したいのですが

お風呂とトイレがあるため 新しく母屋に増築するまで必要なので残りました。最終日には台風接近で雨になりましたが心配するような

こともなく終了。あとは ブロック塀とお風呂などを作ること・・・です。あ~疲れた・・・

面白いものを赤土の中から発見。今回 全くの古銭や謎の埋蔵金(笑)など 一つも出てこず 出たのはため息でしたが



こんな切れ端が・・・壁の下張りにでも使われていたのでしょうか?

レ点や仮名が書かれてはいるものの 読めません。っていうか これはなに?おばあちゃんは 昔の教科書じゃないかというけど

私は「え~ 新聞とかじゃないの?」と・・・まぁ書かれている文字に 鎮北将軍・・・とあるので北の将軍がどこかを鎮めた?と

思った次第で。ちょうど 今世に物騒な北の将軍様がミサイルを撃つぞ!対するアメリカが 撃つなら撃ち落とすぞ!と子供のケンカの

ようなことを言いだした時でもあったので、いったいこの切れ端はなんなの?教科書なら昔の戦国時代の何やら将軍とかの歴史ものなのか?




黒い部分の 嵐月板 と読めるところをネットで検索はしたものの見つからず まぁ なんか雰囲気が明治時代みたいな感じ?



なんなんでしょうね・・・読めるという方がおられましたら 読みと意味を教えてください。



で、昨日から解体のため遅れていた 休耕田もとい いまは耕作放棄地と呼ばれる田んぼの草をおとうさんと刈り始めました。

さきに刈り始めたのは まだ田んぼにネジバナが咲きだすころで手始めに小さい田んぼを一枚刈って、二枚目に取り掛かったところ雨が

降り、そして解体・・・三か月近く経ってしまったので草丈が80センチくらいになってしまい草刈り機でもそうとう腕に負担が。

しかし、周りの耕作放棄地はとうに刈ったりトラクターで耕していたりで我が家の田んぼだけが取り残されていて、気にしなければ

手を施さずにそのまま(現にお隣は高齢者夫婦になって都会の施設に入ったようで 田んぼは手つかず。うちの母屋の前なので

いくらなんでも茂らされるのも困るので おばあちゃんが末弟に二メートル幅ほどに刈ってもらった)ということが多いのだ。

茂れば茂ったで野良猫、シカ、イノシシ、疥癬タヌキなどが出はいりしてもう迷惑千万なのです。まぁ、うちだって私たちが生きている間、

元気なうちはなんとか刈ることはできても どちらかが欠けたりしたらもう無理でしょう。

なんとか秋祭りまでには刈り終えたいけど、無理かな・・なるべく人の目につくところだけは先に刈ってしまいたいのだけど 体力がもつか

きのうなんて お昼から4時間、休憩を入れて刈ったけど終わったら頭のてっぺんが痛かった。おとうさんに言ったら「それは熱中症だ」と

そんな症状も出てくるのだと・・・え~・・・岩塩タブレットをしゃぶり アクエリアスをがぶ飲みしながら刈っていたのに・・・

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見事に

2017-08-13 05:30:00 | 我が家


こういう形の納屋が 重機と人の手により 徐々に姿を変えていきました。こうしてみると 大きい・・納屋のようです。

解体する前に ご近所に少しうるさく、ほこりも出ます・・と伝えに行ったら「え?納屋ってどこ?」と言われ

「いやぁ、普通納屋って言ったら納屋のイメージでしょ。凹さんちの納屋って、家サイズあるでしょ」と言われてしまった(笑)

たしかに こうして壁だけ見れば大きいな・・と60年近く見てきた私も思うけど 後日 「意外とこれだけしかなかったのか」と

思ったのでした。いよいよ 重機で 小窓のところを切り、そこからまずは農具などのゴミを外に運び出し、そうして屋根、

二階へと進めていくようです。わたしとおばあちゃんはただ 母屋から それを見守る?だけです。こんなときにもおばあちゃんは

「最後くらいは 見といてあげないと」とまるで ホラー映画の「ハウス」みたいに家の悪霊に憑りつかれるとか思うのか?



見比べてもらうとわかるけど、屋根瓦を外され 小窓が人が出はいりできるほどの大きさに広げられました。作業中は近寄れないので

私は翌朝の撮影となっています。作業には 2トントラックが解体現場に横付けできるのでよかったそうで、そうでなければ人手に

頼る運びだしとなるのでまた人件費が余分にかかるんでしょ・・・。しかし、納屋の中の荷物は 私たちで出したはずだったけど

まだまだ出さなかった、出せなかった、そんなものまであったの?ということで結構時間がかかりました。しかし、明治時代に

建てた家の屋根に こんなに赤土が乗っているなんて・・今ではどんな工法かしらないけど赤土を乗せるのかな・・・

解体作業が始まって雨らしい雨も降らず よかった。



屋根の土をどうやって取り除いたのか、見ていなかったのでわからないけど 気がつくと今度はこのように変貌していました。

二階天井の梁は太い 丸太で面取りをされ作られている。いまでなら 重機で吊り上げ組み立てられるけど、200年くらい前?だとすべて人力で

相当な時間と労力がかかったでしょう。そう思うと私も家の悪霊とかなんとか 茶化してしまうのは失礼だな・・と思いました。

この納屋から始まって 先祖さんは真面目に働き財を成し 今の母屋へと広げていったのでしょうか?

古い納屋には 一階に三つの部屋 二階に二部屋と分けられて 農具などは下に わらやゴザのようなものは二階に そして漬物や醤油などの

保存物は専用の部屋にとしていたわけです。



だんだんと建物の柱や壁が撤去されていき いよいよ地面だけになってきました。

納屋の中には 芋ツボと呼ばれる 芋を保存しておく穴があり それを業者さんに説明しても私より若い人たちなので想像ができないらしく

「?」な顔をされました。その穴の底を割ってもらわないと 雨が降ると水が溜まるのでとおばあちゃんが懇願して割ってもらい 穴を

埋めてもらいました。



穴はコンクリートで固められ これは昭和ごろなんでしょうね・・。その周りは土で納屋の中は薄暗く室温が低いため 歴代のうちの

犬たちはこの納屋が夏場の天国でありました。もちろんこげも いつのまにか入って 土をかいてそのうえに寝転ぶので 土臭いわ

土を家の中にくっつけてくるわで 困りましたが、もうそれもできません。



納屋が無くなりました。庭の棕櫚竹(しゅろちく)の植え込みが 外から丸わかりです。子供たちの部屋である二階とも切り離しました。

この建物にあるお風呂とトイレも 母屋に新しく作りたいのですが・・・一気にすると 我が家の財布が 富士山ぐらいに吹き飛んで

行きそうです。まずは解体して ブロック塀を積んで お風呂を作って、いつかは二階もぶち壊して、そのうち 離れも壊して

そうなると 敷地ばかりで母屋だけになるってか?無理かな・・・



こちらの穴は おとうさんが応急処置で板を張って鳥やスズメバチが入らないようにしました。もちろん 雨が降りこまないように。

ここまできて 台風がやってきました。雨もそれほど降らず 風が強かったけど ゴミの撤去もすんでいたので 物が散乱することもなく

ご先祖様の見守りのおかげだと ちょっと思いました。






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見納め

2017-08-08 05:30:00 | 我が家
      

いよいよ始まった解体作業。その前の姿が これなんだけど この姿が無くなるというのに私にはなんの惜別感もわいてきません。

それはもう 片付けるゴミの量ほどの疲労感よりほかには感じないからです。そして 解体作業後の費用の支払い、そのあとの整地、お風呂やトイレを

母屋に作ること・・・そしてその費用・・・そいつのほうが 解体してなくなることより切羽詰まった重大事項です。

私がそんな気持ちでいるのが ご先祖様に失礼だと思うのかその分 おばあちゃんが「これを建てた先祖さんはほんまに大変やったなぁ」と

カバーする(フォローする)。昔の納屋は 中二階のつくりだけど 役場に質問にいくと二階としての天井の高さがないので木造平屋として登録されて

いるのだとか。近所にも もう何軒か古い家があるけど 同じような中二階造りの納屋があるけど 使っているのか放置しているのかよくわからない。

ただ 都会と違って隣の家と接近することがないので 倒壊してもそう迷惑になることもないので壊れるまでそのまま・・・ということなのだと思う。

瓦屋根は古く、屋根瓦か鬼瓦部分が町内でも資産家の家と同じものだったとか、そんなことをおばあちゃんが言っていたけど 製造元が同じってことじゃ

ないかなと思う。突き出しているのが 古い証拠と言われても 「ふ~ん」としか返答のしようがない。

      

紋のような三つ巴が彫られているから何かいわれでもあるのかとおばあちゃんに聞くと 「全然。一般的なものみたいな」というので

当時それが流行っていたのかもしれない。



見なれた外観 おじいちゃんはよく私たちに 壁板をペンキで塗り直したらいいと言ってきたけど、剥げようが私は あまり気にもしないことに

していた。ペンキを塗る前に 塗られているペンキをはがすのが 塗装の破片が目に入ってくるので嫌なのだ。一度剥がすのを手伝って以来

剥がすのは私で 塗るのはおじいちゃんという あまりに楽しくない作業だけだったのでやらないことにしていた。昨年はこのハゲハゲな壁面の

前に朝顔のプランターをおいて 目隠しにした。今年もそのつもりで プランターとネットを設置したら 解体することになって朝顔は

物干しの下に移動し、花を咲かせている。

29日にやってきた作業の方は 足場を組み始め 防音シートを取り付ける・・ということを始めた。

中国では今でも 竹で足場を組んでいるという建設現場をテレビで観たけど 竹は乾燥したら軽いけど まぁ国が違うから材料費は格段の差だな。

二階の部分 雨戸がついている、ここは先代の(私の祖父)の子供時代が勉強部屋として使っていたそうだ。畳だったのかゴザを敷いていたのかは

聞いてないけど 私が子供時代に入った時には 大きな釜やらシュロの皮とかろくなものは無かったと思う。



三十年ほど前にはこの窓から コウモリが飛び立っていったのをみたこともある。壊す前に入った時に壁に貼られていたのが



天皇陛下・皇后陛下の写真・・もとい御写真。よく戦時中の映画やドラマで 額に入れられた天皇陛下のお写真などを見かけますが

あらまぁ~うちもにもあったのね!と少し微妙なカンドー。最初は 昭和天皇?とおばあちゃんと言っていたけど 部屋を使っていたのが

明治生まれの祖父だから 明治天皇か大正天皇・・?いろいろと検索してみても同じようなお写真が見つからない、見つけられないので

たぶん髭を生やしている天皇陛下なので明治天皇ではないかと・・・。大正天皇のお写真って少ないみたいだし・・・。しかしなぜ

天皇陛下のお顔が破られているの?当時が当時なら そんなことしたらどこかに連れて行かれて反体制派みたいな扱いになっていたと

思うから、たぶん平和な時代にちょっとしたミスで 破いてしまった・・・ってことだろう。祖父に詳しい話を聞いておけばよかった。

残しておいた心境もよくわからないが、解体にあたって私が剥がすこともないし、そのままにしておいた。でも、ポスターサイズでしょ、

不謹慎だが≪ファン≫?だったのかな・・・大きけりゃいいってこともないっしょ!

階下の≪醤油納屋≫から 昔の使っていたすり鉢が出てきた。ふんふん、子供時代に見た記憶がある。



重ねている小さいほうで とろろ汁を作るのに鉢の両側を押さえさせられたことがあった。初めは楽しいのだけど 飽きてくるのよね

じっとしていないといけないし・・・。大きいほうの鉢は 魚肉をすりこ木でつぶして いまでいうミンチにするすり鉢で 上のすり鉢の様な

たくさんの細い筋目はないんだって。おばあちゃんは 結局これも業者さんに持って行ってもらいました。立派な いびつ餅(柏餅)を作るときに

使う鉢がでてきて、 陶器で白地なので「メダカを飼うのに欲しい」と私がもらったけど まだ移し替えていません。井戸のポンプも止めているので

井戸水を使えるようになってから…。この解体以降 おばあちゃんは「家を建つのもしんどいけど 家を壊すのもしんどい。出来上がっていく

楽しみはないし 壊すのに疲れしか残らない」と言うようになった。たしかに・・・そうだ。



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始まる!

2017-08-02 05:30:00 | 我が家
7月29日、いよいよ負の遺産である納屋の解体が始まりました。

≪負の遺産≫と言い切ってしまっては これを建てた先祖さんに失礼なんでしょうけど 後々の保存・活用の仕方が

あまりにも適当すぎて 平成のこの時代に取り壊すことになったことを あちらの世界でもご理解いただきたい。

私は こういう取り壊しの時にはなにかお神酒の様なものを掛けてから始まるものかなと思っていたけど、おばあちゃんから

そんな指示もなく 業者さんが足場を組み立てて始まりました。まえに 庭の桜の木を伐った時には幹にお酒を掛けたというような

ことを聞いたことがあったので なんか日本人的やな~と思っていたんだけど。

あらかじめ 納屋の中のものを仕分けてゴミに出したけど なかなかまだまだいっぱい≪ゴミ≫は残されています。

もうそれらを思うことも、見ることもこの猛暑の中では拷問に近いなぁ・・・が家族三人の意見です。

  

これは醤油納屋(ほんのり醤油の香りがしていたので 昔は木の樽にお醤油を入れてここにおいていたんでしょう)から出たおばあちゃんの

梅干しやらラッキョウ、しょうがなどを漬けていた瓶。まだ残しておくというので 幾多もあった中から 選抜されて破棄されなかった瓶たち。

茶色の瓶は 油瓶か酒瓶で、胴には地区名と名字屋号が掘られていました。いわれも何も聞いてはいないけど まぁ花入れとかでいいかな。



きれいな青の一升瓶。あまりにきれいなので いまは緑と茶色の一升瓶しか目にしないので 最終的におばあちゃんが「いらん」と言ったけど

私がもらい受けました。中身は 年代物のハチミツが入っていました。同時に出てきた マムシ入りの一升瓶、あの瓶が 青だったとしても私は

要らない!と言い切ったでしょう。マムシ入りの瓶は そっくりそのままこの間草刈りに来てくれたおばあちゃんの末弟にもらってもらいました。


納屋の中には 私が子供のころに それを使っていたのを見た記憶がある懐かしい農具が出てきました。やはり お米で生きてきたので

おじいちゃんも使わなくなってからも捨てるに忍びない・・ではなく、たぶん捨てるのができなかっただけだと思うのです、人間て

そんなもんでしょ?



せんばこき   さび付いてたぶん歯どうしがひっついているんでしょうね・・・ 小学校の教科書に載っていた記憶があります。

納屋の壁は 土壁、赤土とわらを刻んでねちねちと練ったものを、竹を割って並べたところに塗り付けていたと思います。土と木でできた いかにも日本!

みたいな・・・その上に漆喰を塗ったりしたのかな 白いところもあった。



もみ殻選別機 とうみ 丸い部分の中は水車の歯のようになって手回しで回していたので 子供の時は手を差し込みたくて(笑)

何かに使えるでもないのに 捨てられないモノの典型。たしか古座川町のぼたん荘の玄関に同じようなものが展示されていた。あぁいう 利用の仕方もあったのにね。

リンク先に載っていた 足踏み脱穀機。子供時代に見ました。脱穀を始めたら 電動脱穀機が壊れてしまい、急きょ旧式の足踏み脱穀機を出してきてバタバタ脱穀して

いました。

この とうみ の足元、芋ツボ 芋を保管する穴があります。子供のころに 納屋で遊んでいた時に入ったことがありますが どんな風だったか覚えていません。



いまは板でふたをしていますが 穴になっているんです。木の手桶も、風情よりもなんか杓子で打ち水って 私には似合わない(笑)(笑)

おばあちゃんは若いころ 後ずさりしながら物を運んでいた時に 開いていた芋ツボに落ちて わき腹をしこたま打った・・・と 今も当時のことを

憎々しげに語ります。おばあちゃんは 芋を保存したことはないので 嫁いでくる前に使っていたようです。納屋を取り壊したら 公?に露見するのでツボの底を

割ってもらい 雨水が溜まらないようにしたいとおばあちゃんが言います。そうか 建て物を撤去すると そのあとは 土なので コンクリートにしないと

砕石を入れても 草が生えてくるのでなぁ・・・ またお金が・・・



ふご  やっとピントが合った写真になりました。最近は花とか小物類しか写さなかったので モードを変えてなかった。それとも目が悪くなったのか?

おばあちゃんが「ふご」というので「懐かしなぁ」と思った。平成にふごという言葉は通じるかどうか・・・調べたら≪もっこ≫というものであるらしく

≪もっこ≫自体通じるか・・肩で担ぐものだということなんだけど 昔の運搬道具。今のように機械で運んだりとかできなかった時代に みな人力で運んだ

んですよね。家にはこれの 竹で編んだものもあります。それはいま、おばあちゃんの畑の草取りかごとして利用しているので 廃棄対象となってはいないけど

このわらで編んだものは 置いておくだけで虫が湧いてきそうな気配。どこかに置いておくと 野良猫が子供を産みつけそうだし・・・私は捨てる気でいたら

おばあちゃんが「ほしいなぁ~これでショウガを保存するのにいいのに・・」というから、まぁ自分で管理するなら・・・ということで残した。

中にある 輪のついた金具は これを竹に当てて上から金槌で叩くと、竹を分割にできるという画期的なものだが 分割にする爪が二本欠けてしまっているのに

おじいちゃんはゴミにも出さず置いていた。つくづく捨てられない病?かなと思うし、納屋以外でも道具小屋も大変な状況なのだ。

細工ごとがすきだったせいで あらゆる工具関係のものが所せましではなく 自分で分類しすぎてどこに何があるか全くサッパリわからないという

ことになって、なぜかドライバーは何十本、スパナや金槌、針金、釘 なんでもござい・・小さな金具やが開けそう・・誰かにもらってもらえるなら

いいのだけど、「あんたは大工さんか!」というくらいに釘を箱ごと何ケースも買って放置したのでみんな錆びついて、その箱の中に抜いた釘を混ぜて

、ここでも捨てられない病やね・・・私たちに片付けろという割に 本人は片付けるというより見えないところに移動させる、もしくはすき間に突っ込む?

そのうえにまだ持ちたいのか?って買いたい症候群・・・それらを私がこの世を去るまでに片付けないと 私が子供に恨まれるのであるのだ・・

おじいちゃんが残したものは たぶん普通の人の倍はあっても どれもこれもお金にならないトホホなものなのだ・・壊れたものをなぜ捨てないか?

脳細胞になにか病変としてあったのかと思いつつ、私は仕分けていくのだ・・・、外では解体三日目となり チェーンソーとユンボの音が続いている。

作業の人も暑い炎天下でいるので さっきまでこげと部屋で扇風機で頑張っていたのだけど 気分が悪くなり室温が32.6度になったのでエアコンを

つけさせてもらった。こげの息も少し穏やかになったようだ。納屋がなくなると 外から家の庭や屋敷が丸見えになってしまうので のちにブロック塀を

作るんだけど、それまでの間 ブルーシートで目隠しかなにかしないとちょっとね・・おまけに夜中はシカやイノシシが闊歩している周辺だから。

え?番犬のこげですか? 夜中は怖いし 私たちを守るのが使命みたいな顔をして寝ています
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