こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

形見

2025-01-28 05:30:00 | 愛犬 こげ

火葬をすませてからは 晴れて空気は冷たいけど日差しが明るく感じるような日が

続き、何かをしていなきゃなんかいたるところからこげが現れてきて、体をすりつけ

てくるような気持がするので、それならこげが横にいるような気持ちで玄関に置かれ

たこげ専用の収納ケースを片付けよう・・・とまずは左の収納ケースに手を伸ばしま

した。玄関に日光が入るのか、ケースの成分なのか三段ある引き出しが全ていつのま

にかパリンパリンに割れて、引き出し自体が引き出せず(取っ手の部分が割れて欠け

て)そのかけらがそのまま散らばっています。何が入っていたのだろう、と引き出し

部分を引き抜こうとすると、本体から引き出せないのです。これは収納ケース三段ご

と、一度外に運び出さないとどうにもこうにもできません。案の定、ケースの後ろは

見なかったことにしたホコリが玉になって出てきたので、今度は掃除機を登場させな

くなって、「楽をしようとしたらあかんね」と掃除機を持ち出し吸って、ダスキンと

雑巾を用意して外に出しました。そこで初めて引き出しの中身を見たら

「こげぇ~、こげの首輪だよ。こんなちっちゃいの、首がこの中にあったとしたら

おまえめちゃくちゃ重たかったやろ」と一番最初の赤い首輪、手のひらに納まるくら

い小さい。でも それはまだ新しく、19年前に使ったとは思えない。こげが着けてい

た期間がすごく短かったということなんだろう。次々と歴代の首輪が出てくる、それ

らをこの暖かい日差しで日光浴させてあげようと鉢を置いていないフラワースタンド

に並べてみた。7個あった。こげの毛色には赤が似合うと、赤系の首輪。それから

散歩のときに首輪から背中にリードを付けるためのハーネスが出てきた。ハーネスは

胴体周りで調節ができたので3個。最後に使っていたものは色も褪せてはいるけど

毛が抜け始めてきてからは皮膚に擦れているように見えていた。こげは痛かったのか

も・・でもどのハーネスも散歩に行くのが楽しみで嫌がることなく喜んで着けたよね

着けたら、もうすぐにも走り出して・・・引き出しから お腹を押すとガァガァと

音が鳴るアヒルとカエルが出てきた。ちょうど長男君が大学生となって家を出たあと

こげを迎えたので、その4年後くらいに引っ越しで姫路から神戸に行ったときに、

まだなんでもくわえて遊ぶこげにお土産として、サービスエリアで買ったものだ。

子供用かペット用かわからないが、こげは気に入ってくれて部屋の中でも外でも

くわえてガァガァと鳴らし、それを放り上げるように振って地面に落として 私に

とれるものならとってみろ、と前足を低くして挑発してきたり 炬燵の中に隠すと

潜り込んでみつけてそのまま眠り込んでしまったりしたこともあった。二番目に

使った首輪には潰れた鈴が付いていた。これも記憶にある。こげは毛色がごま塩で

全体に黒っぽく、夕方以降はどこにいるのか庭の中で探せないことがあり、門から

外に逃走したのか?そうなると余計に探せなく若いうちは呼んでも 遊んでいる感覚

でどんどん先に走っていく。これは 猫のように鈴を付けなあかん、とおじいちゃん

が、自分の持っているキーホルダーのなかから鈴を外しこげの首輪に付け替えてくれ

たのだ。潰れているのは 外れた鈴を踏んでしまったのかもしれない、これでも

こげの居場所がわかるからとそのままにしておいたのは、たぶん私だろう。

子犬の領域を超えてからは革製の首輪より、布製の首輪にしたほうが種類もあって

動物病院でもらう雑誌から注文したものもあった。どれもこげの姿が目に浮かんで

しまう。引き出しの中から こげグラウンドで使ったビニールのボールや 姉が

毛糸で編んで作ったボール、中に鈴が入っているんだけど こげが気味悪がって

使うこともなかった。小さい縫いぐるみがあった。パンダとなにかわからないキャラ

で、たしかおとうさんが散歩に行ったときに奥の広場に落ちていた・・・なんて言っ

てそれを拾ってきたことがあった。このあたりでは小さい子供は当時いなくて、

どこかの孫さんが落としたのか失くしたのか、泣いていないかなぁと当時思った。

こげが散歩に行くときに使ったウンチ回収バケツや回収バッグも出てきた。こうなる

と、思い出というより なんでも残しておきたがる・・末は ゴミ屋敷になるんじゃ

なかろうかと笑えるのだけど、ウンチも成長とともに量が増えるので、ウンチ袋と

小型バケツを下げての毎日の散歩だった。暑い中を歩いて 河原に降りて足を水で

冷やすのも好きだったし、でも泳ぐのは大嫌いだったね(笑)

翌日は右の収納ケースを開けた。こちらには雨の日の散歩で帰ってきてから体を拭く

タオルを何枚も入れていた。そのタオルも寝たきりになってからは 口元を拭いたり

掛け布団の調整に使ったり。引き出しから こげの雨がっぱが出てきた。こげが

長毛で雨に濡れたらなかなか毛が乾かないので、少しでも濡れる部分を少なくしよう

と着せるようになった。早く散歩に行きたいこげと着せるのに手間取る私とのいつも

文句の言い合いなのだ。こげがかっぱを着るくらいだから当然私たちも上下のレイン

ウェアを着る。この20年で4,5着買った。大雨警報でも行っていたのだから、串本の

義弟の犬は 玄関で雨を見せたら納得して散歩に行かなかったというからだいぶ違う

こげの雨がっぱも物干しざおに干してみた。6枚あって、本当は7枚だと思うのだけど

背中部分が小さくなって胸当て部分がちょうどいいので同じもののLサイズを買って

胸当て部分は小さいほうを使った。フード付きのもあったけど こげは被ることは

なくよけいに雨水がたまった。それらを畳んでひとまとめにして仕舞った。こちらの

収納ケースはまだ使えるのでいらないものを捨てた後また元の場所に戻した。

翌日、おばあちゃんが三尾川に年末も新年も里帰りできていないので(こげを残して

でかけられなかったので)二人で行ってきた。こげを譲ってくれた叔父さんは

「もうひと七日済ませたかい?」と優しく言ってくれたので 「うん、ほんまに

こげをありがとう」としかもう言えなかった。おばあちゃんの実家は

古い昔から 猟犬を飼って猟銃を持ちシカやイノシシを獲っている。なので猟犬は

家族と一緒・・だけど決して家の中には入れず、今のような室内で一緒に暮らすよう

なことはしていない。私が子供のころに連れてこられたときも庭先で猟犬が昼寝をし

昔だから放し飼いだった。人に媚びることはなかった。この地域では 叔父さんのよ

うに 猟期には数人でそれぞれの犬を連れ山に入ってイノシシを追う・・という話を

よく聞かされていたのだけど 犬にもいろいろあって、人がいたらイノシシにやんや

やんや吠えていくけど 切羽詰まったイノシシがフゥ!と吹いて向かってきたら

人の後ろに隠れるものや、猟銃で仕留めたら我先に獲物を食い散らかすものとか

いろいろあるらしい。でも 叔父さんのところの犬はどれも 追いつめて鉄砲持ちが

来たら もうそばを離れて横になって休んでいる、自分の仕事はこれって判っている

ような犬が多かったそうだ。これまで何十頭も犬を猟犬として生ませ育ててきたので

猟犬として良い犬ができたのと、仕込みかたやしつけ方が優れていたのだと思う。

だから 飼っていても放し飼いだから子犬のうちに誘拐されてしまったりすることも

あったそうだ。叔父さん曰く「これまでに多くの犬を飼ったけど、そのなかで断トツ

こげは長生きしたんやで、猟に行って猪(しし)に裂かれたり、やられてしまったり

して短命やったし、盗まれてどうなったのかわからん犬もあるからの。19年という

のはほかにはないからの。兄弟の吉宗も長生きしたほうや」

「昔、うちに飼っていた犬がジステンパーに罹ったんや。少し離れたとこに住んでい

た人の家にも同じように犬を飼っていたんやけど、その犬がいないんやといってきた

ので探していたら、うちの犬のところに来ていたんや。ジステンパーやからうつるぞ

と言っていたんやけど、毎日うちの犬を見舞うようにやってくるんや。そうしたら

来んようになって うつったんやなぁと話していたら うちの犬がいなくなって

探しにその家に行くと 牛小屋の日の当たるあったかいところで二匹が重なるように

死んでいたんや。そやから、たかが犬とか言うけど違うんや。犬でもそういう

気持ちはあるんや」と話してくれた。あぁやっぱりそうなんだ。古い話だけど

もう50年くらいまえか テレビのニュースで 京都駅前で二匹の野良犬が 誰に

吠えるとか噛みつくとかそういうことはせずに暮らしていたけど ある日その犬が

駅前の道路を渡っていた時、一匹が車にはねられて動かなくなった、もう一匹が

傍を走るどの車にもすごい剣幕で吠えている・・という映像を見たとき なんで

だれも助けないん・・と泣いた時を思い出した。わんでもにゃんでも 感情はあるの

だ。もしかしたら ヒトと同じように それぞれ想い合っていたのかもしれない。

三尾川の犬も 京都駅の犬も そしてこげも また巡り合えたらいいのにね、と思う

 

なんかダークなこげだな だいぶ若い時だな

 

 

こげだ・・・

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記憶

2025-01-22 05:30:00 | 愛犬 こげ

翌日はおばあちゃんのかかりつけ医に行く日で 待合室に行くと先日のTさんの義妹さ

んが来ていて、この方も黒の柴犬を飼っていたころ散歩でこげと遭遇していました。

二年ほど前に はなちゃんが亡くなってまだ立ち直れない頃に 旦那さんがお年寄り

が入院するためもう飼えないという相談を受け、引き取ってきた白の犬を飼っている

ということはTさんから聞いていました。

その頃は こげも遠出するほど散歩もできなくなっていたので会うこともなかったの

ですが、Tさんからこげのことは聞いていたので「こげちゃんはどう?」と話しかけら

れ「うん、5日に、あかんかってん」と言ったら「え~そうなん。もう何年?19・・

こげちゃん長生きしてがんばったんやね」と慰めてくれました。はなちゃんは

可愛がってくれる孫さんが帰省するまで頑張って、帰省した翌日に息を引き取ったそ

うです。しかし、その孫さんは犬アレルギーで 触ると痒くなるので 直接撫でたり

抱っこしたりとかはできず、生活空間も間仕切りでしきっていたそうで、触りたいの

触れない、触ってほしいのにもらえない・・そんな状況だったそうです。だから

犬は最期には 待つよ、会いたい人が来てくれてから死ぬよ・・ということを言って

くれたのですが・・・。4日の夜、お風呂を出た私は一度離れに戻って顔のお手入れを

したり 髪の毛を乾かしたりしてまた母屋に戻って寝るのですが、この時も 夕食時

にこげが噛んだ指の傷を手当てもあるし・・と離れに戻ったすぐに 電話が鳴って

すぐ切れました。ワン切りです。まだ 母屋に泊まり込んでいない頃、おばあちゃん

が一人でこげを動かせないときに ワン切りしたら 来てくれ・・というルールだっ

たので、いまさっき こげは寝ていたのに、なんかあったのか?と母屋に行くと

「お前が出て行ってからすぐに、こげが両足を走るときのように動かしたと思ったら

しっぽを立てて、振ったんや」とおばあちゃんが言います。でも こげはさっきと

同じように横たわったまま目を開けています。「こげ、なんかようか?」聞こえて

いないように寝ています。もしかしたら これが何かの合図だったのかもしれません

私のいないときに そんな重要な合図をしてくれてもなぁ。でもおばあちゃんへの

挨拶だったのかもしれません。おばあちゃんはよく「ばっしゃん、ばっしゃん」と

こげが鳴くというのです。どう聞いても私には「わんわん」とか「ひゃんひゃん」と

しか聞き取れないのだけど。それも 私が朝方こげに3時半とか4時に起こされて

寝返りを打たせたり、水を飲ませたりしてから離れに朝食を作りに行って、母屋に

戻る前に6時ごろ「ばっしゃん、ばっしゃん」と鳴いて起こすと言うのです。おばあち

んは 高齢だから眠りも浅く 夜中に何度も起きるため「なんなぁこげ、もちょっと

寝かしてくれんか」と隣の台所で寝ているこげに声を掛けると こげは静かに寝てい

る、そしたら こっちが目がさえて眠れなくなる・・というようなことを何度か話す

ことがありました。もしかしたら こんなに身軽に動けるようになったから もう行

くからね だったのかもしれません。川向こうの ミニチュアダックスを飼っていた

Mさんも「私が仕事から帰ってくるまで待っていたのか、帰って声をかけてからすぐ

やってん」と話してくれました。こげは 黙って行ってしまったのかぁ・・・

おばあちゃんが診察室に呼ばれ、一緒に入って 採血してくださいと言われて採血室

に行くとそこの看護師さんが「ほいで、こげちゃんは元気?」と聞いてきます。

この一年 ここに来るとこげのことを聞いてくるので ここでこげのことを話したこ

とはないのに、と思ったら どうやら義母が話したようで 同じかかりつけ医であり

そういうことか。。と思ったのでした。「5日の日に息を引き取ったんです」と

言うと「ほんまになぁ、どんな時でも散歩していたなぁ」と言うのです。彼女は

主治医の往診で車の中から散歩中の私たちを見ていたのです「そうやて、雨の日も

雷の日でも散歩に行きたがったからね。でもお正月に子供達も帰ったし、会えて

良かった」と言ったら「うちも だんなが入院したときに悪くなってきて、でも

だんなが退院してきて、それを待っていたかのようにやったからね。子供さんたちを

待っていたんやわ」と言います。え~、そこにも私は登場してないやん・・・こげは

私を特別扱いしてくれへんのか?私には ウンチ処理のときのパタパタしっぽをふ

る、というか床やシーツに叩くように音をたてていた(笑)

かかりつけ医から帰ってきてしばらくして、電話が鳴りました。出ると、こげを

可愛がってくれたFさんの奥さんからです。実はこのお宅にも知らせなければならない

と思っていたのですが もしや誰かに聞いたのかもしれません。「凹さん、あのね年

賀状ありがとう。お父さんがね今年の年賀状にこげちゃんの写真が付いてないけど

悪いんかなぁって気にしていて」と。

こげがうちに来てから毎年年賀状にはこげの写真をつけて、私がその年の抱負や前年

の出来事を年賀状らしからぬ長文で、新年のあいさつなど終わりに今年もよろしく、

という感じで製作したのですが、さすがに昨年末は こげの容体が芳しくないし

私自身 長文を思いつく余裕もなく ありきたりの年賀状を28日に出したという状況

で「Fさん、こげが5日に息を引き取りました。おとうさんにも奥さんにも可愛がって

もらってありがとう」「え~、こげちゃんが、死んだの?可哀そうに・・・でも

あの時 こげちゃんと最後に会えてよかった」涙声で言います。あの時とは

こげが近くのTさん宅までの往復を歩きかねる・・というときに、Tさんのところで

Fさんがウォーキングの帰りに会ったのです、Fさんも 歩行の力が弱ってきたようで

以前のように歩けなくなったということで 「ここでこげちゃんに会えたのが嬉しい

わぁ」とうちまでの道を こげもFさんもゆっくりゆっくり歩いたのです。こげが

若い時にはFさんもいっしょに散歩して 飼っている鳥の頭がハゲてきて・・家族で

「はーちゃん」と呼んでいるというので「こげちゃん はげちゃんやね」というと奥

さんにウケられて(笑)

こんなにこげを愛してくれてる人がいたのがよかったね。寂しいけど この人たちが

どこかで こげのことを思い出して話のネタになってくれたら いいよね。

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思い出

2025-01-18 05:30:00 | 愛犬 こげ

動物霊園は 海に面した少し道路から引っ込んだところにあって 小さくてひっそり

と建っています。電話に出てくれた女性の方が出てきてくれました。祭壇まで運ぶの

に手間取っていたら 運びますとこげを抱き上げて祭壇に寝かせてくれました。

その時祭壇には多くのわんやにゃんの遺影が祭られているのに気がつきました。この

霊園で火葬された猫の種類は解らないけど、犬はいろんな犬種の元気なころの写真で

小型犬が多く、あまり大型犬はないようです。寂しがらなくてもいいよ・・という

空気。持って行ったお弁当?を取り出すと、「ご飯を食べられなかったんやね」と

口元に並べてくれます。お焼香の台もあって般若心経を流してくれます。良かった、

それなら毎朝晩、仏壇で唱えているからこげにもきっと届くよね。おじいちゃんが

亡くなってから私が仏壇で唱え出した時も こげが後ろで終わるのを待っていたこと

もあったやん・・・。心経が終わって「最後にお別れをしてあげてください」と

言われこげの顔を撫でて、ありがとうね と言うだけです。ふさふさの耳も冷たくて

痩せて小さくなったようにもみえ、耳の中に指を入れてこちょこちょしてあげると

もっとして、と頭を寄せてきそうです。女性が焼却台に敷物ごと乗せてくれて

焼却台が中に入って、裏からボタンを押したのでぼぅという音が聞こえてきました。

もう、抱っこも、なめてもくれません。外に出て斎場の煙突から煙が出て、白いのか

なと思ったら、黒っぽく灯油くさいような、でも、いま、立ち上っていく煙と匂いは

こげなんだなぁと、熱くないか?さっきまで極寒状態で 今度は灼熱って なぁ、

こげ、でもあちらでお母さんの姫虎(きこ)や 兄弟の吉宗くんが待ってるし

おじいちゃんもお菓子を用意して待ってるから心配ないよ。こっちが心配なら

いつ来てくれてもいいからねと見送ったのでした。10時ごろになるか、早くなっても

連絡しますということで、一度家に帰ることに。来た道とは違う、潮岬周りで。

海を見ながら 潮岬の望楼の芝まで来て「芝焼にこげも来たよね」「あの時は知らな

い人から珍しがられてなぁ」と毎年一月に行われる 最南端の芝焼をこげを連れて

見に来たことを思い出します。大きい犬がいる、とかハスキー犬?とかいろいろ言わ

たりした。さっき斎場でもおとうさんは 私が写したこげのとっておきの写メを

自分のスマホに保存し、それを斎場の女性に見せてどういう犬だったか説明していた

本当にほかの犬に 吠えていくこともなく、おとなしい犬だったんですと。女性は

こげが19歳だったということで 中型犬で19歳は 本当に生き切ったんですよ、と

えらかったねと褒めてくれました。お世辞でも なんでも言ってもらえたらそうなん

や、そうなんや・・・と気持ちをどこかへ預けて置けるようなそんな持ちようになる

のです。家に戻って9時半ごろにまた家を出ようかと思っていたら、早めに連絡をくれ

たのでお迎えに行きました。焼却台で横たわったこげの骨は また一段と小さくなっ

て、あぁでもこげも楽になったよね、と思ったのです。きっと からだも痛かったし

床ずれも痛くて 今じゃ元気な若い時みたいに走っているんじゃないかな・・・

女性が「本当にこの子は最後まで食べることができたんやね。歯が全部残っているん

ですよ。」と言うので見ると 本当にきれいに歯が残るもんだと思うくらいにあって

のどぼとけを拾わせてくださいねと、いいながら どれがどうかは解らないでいる

私たちに のどぼとけを拾って 持参した段ボール箱にそっと入れてくれた。

焼却台の網の上にこげの骨があって「この子はうしろ足の具合が悪かったのかも」と

いうけど 後ろ足より前足が触られるのが嫌でぴくっと引くことがあった。前足の骨

かもしれない。小さな爪の形があるので「爪ですか?」と聞くとそうですという。

爪も残るんだ、そうだ、爪を貰っておこう、しっぽは?と聞くと しっぽはこれです

と、確かに、最後のほうはこげのフサフサのしっぽは皮膚炎で毛が抜けてしまって

三分の一くらいになって、しっぽの芯のような、あれが骨だったのか(笑)

おとうさんと二人、寒いしかじかむ指でお箸がうまく使えず 女性も手伝ってくれて

お骨を拾い、こげの頭をおとうさんと二人で形を崩さないよう段ボールへ入れました

私が骨は全部持って帰ってくる、と言ったもののお墓の用意は何一つしていません。

本来なら歴代のうちの飼い犬たちは 家からすこし離れた持ち山の片隅に土葬してい

ます。私も何度か 土葬についていきましたが 今はその場所も草木が茂り おまけ

に日陰で 寂しいので 寂しがりやのこげなら一日もそこでは眠れないと思うので

できるだけうちの近くに埋葬したいと思っているのです。家に戻っておばあちゃんに

「こげ、みる?」と聞くと「どれ、帰ってきたんか」と段ボール箱を覗き込み

「もう、いい」・・・おとうさんはお昼から出勤し、その間にこげを離れへ安置でき

るよう、片付け、自分の布団も運び数か月ぶりに私とこげは離れに戻ってきました。

火葬も済ませたので、近所のこげに会うのを毎日楽しみにしてくれていたTさんの

ところへ報告に行きました。玄関で「こんにちは、おめでとうございます。」と

小さい声で新年のあいさつをしてから出てきた奥さんに「5日の夜中にこげが息を

引き取ったんで、今まで本当にありがとう。」と言ったとたん奥さんが「なんやて

お父さん、お父さん、こげちゃんが、こげちゃんが」と少し耳の遠い旦那さんに

半泣きで伝えてくれています。旦那さんがこげちゃんがどうしたん、どうしたん、

亡くなったって・・・。毎日、散歩の帰りにこの家に寄って撫でてもらうのが大好き

で、二人が病院とか遠出するときは 明日はおらへんからと連絡くれたり、出かけて

も「こげちゃんに会いたいから 早く帰ってきてん」と言ってくれたり。歩けなくな

って、門のなかにいるときも見に来てくれたりで、伝えるのは辛かったので火葬を

済ませた後で伝えたけど、夕方また「家にいるなら お骨を抱っこさせて」と二人

そろってきてくれました。散歩で一緒に歩いてくれたKさんにも「こげがあちらの世界

に走って行ったよ。いままでありがとう」とメッセージを送りました。暑い日も

寒い日もこげの歩く距離は半端じゃなくどこまでも歩いてくれました。

 

火葬の翌日、役場に死亡届を出しに行くと係は住民課だったので、カウンターで

「犬の死亡届を出しに来ました」と言ったとたん、机に座っていた職員5,6名が

一気に私を見てきました。「え?もしや 届を出す人が少なくて相当珍しい?のか」

と勘ぐってしまいました。若い職員さんが 用紙を持ってきて「犬の名前は、飼い主

さまのお名前とご住所は?死亡日は?」と書き込んでいきます。電話番号を聞かれた

あと、「鑑札は?」ときかれ「鑑札は丸いほうですね?」「そうです、狂犬病予防接

種済のは骨の形ですね。」「鑑札は没収ですか?」と聞くと「回収です」と言うので

正直、鑑札は思い出だから持っておこうと思っていたところへ、有るか無いかの確認

をされたのでショックで「それを回収されるとは想像してなくて」と答えたら

「もしかしたらご自宅に電話があるかもしれません」とだけ、それどういう意味よ

とは思ったけど、まぁ探してもなかったということにしておこうかなと内心思い、

狂犬病予防注射は高齢でここ数年は接種できてないことばれてるかな、と思っていた

ら「これで今年の接種案内通知は届きません」と言われて帰ってきました。こげが

いなくなっただけでも よろよろなのに・。。。とは思ったのですが、何か 廃棄さ

れる鑑札を使って 悪いことを企む人がいるからなんでしょうね。

 

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偲ぶ

2025-01-14 05:30:00 | 愛犬 こげ

こげがあちらの世界に走っていって 一週間。どこか寂しくてつかみどころのない

日々だけど 時間が経っていくことはしかたありません。こげが息を引き取り、辛い

けれど亡骸を葬らなければなりません。いつかは来ることだと 考えてはいたので、

火葬は町内にある動物霊園に頼もうと、連絡をしたのが 5日の朝九時前。この日は 

おじいちゃんの義従弟Gさんの百箇日法要に私たち夫婦が出席することになっていたの

で、火葬は午後からでできれば‥と思ったのですが、電話をすると 5日6日と年に

2度ほどの設備の点検で大阪から業者さんが来るのでできないんです‥と言われました

それならば仕方がないので 待つことにしたのですが、霊園さんが作業が終わって

できるだけ早く連絡をしますと言ってくれ、この季節なら大丈夫だと思いますが

お腹をドライアイスなどで冷やしておくといいですよ、お腹がガスで膨らんでくるの

で、と教えてくれました。以前、知り合いから その方もこの霊園さんににゃんが

死んだら連れていくまでにどうすればいいかと尋ねたら、ペットボトルに水を入れて

凍らせて 足の付け根やわきの下 お腹などを冷やして連れてきてくださいと教えて

もらったと聞いていたので、念のためにペットボトルは凍らせていたのですが、

法要を終えてドライアイスを買いに行ったら閉まっていて お正月休みちゅうでも

あって、家にある保冷剤を総動員プラスペットボトルで冷やすことに。時間がたって

いくにつれ だんだん硬直してくるこげを撫でながら 「おまえは暑いのも寒いのも

嫌いだったのにね、冷たいのいやよね?ごめんね」と声をかけました。姉から

動物は二週間で生まれ変わるらしい、その時はこれまでの姿とは違い、毛並みの色も

姿も違うけど、飼い主にはテレパシーでわかるとか、ちょこっと毛をカットしてお守

りで持つ人もいるよ・・というメールをもらったけど、こげのどこの毛をカットして

いいか、わからず そうそう、これまで何度か室内で落としていたこげのひげが何本

かある、そして こげを火葬にしたら お骨を少しもらって 私があの世へ旅立つ時

一緒に焼いてもらって・・と思っていたので そうしよう。こげを居間から表の

玄関間に移した。一晩中電気ストーブをつけていたときとは違い、二日ほど寒いけど

我慢してね。私は こげが旅立ったことを伝えなければならない人がいたのだけど

火葬してからにしようと思い、でもまずお世話になった獣医さんに報告しなくちゃ

と、日曜日でも診療しているので診療時間まえの予約電話の留守電に「○○こげで

す。あの、日付が変わるころこげが息を引き取りました。いままで短い間でしたが

ありがとうございました。先生にもよろしくお伝えください」これだけの言葉で

もうぐしゅぐしゅになってしまい、電話を切ったら先生が折り返し電話をくれて

「こげちゃん、がんばって年を越したんですね。」「はい、お薬でだいぶ落ち着いて

きてありがとうございました。」「ゆっくりお別れをしてあげてくださいね」と言っ

てくれて、これまで診察で見てもらったのは二回か三回か、あとは高齢で車に乗せて

連れていくのが無理になって お薬だけ出してもらっていたのだけど。

こげをうちに譲ってくれた三尾川のおばあちゃんの弟、私の叔父さんにも伝えないと

いけないけど、とても私の口から今は感謝の気持ちを話せない。。思うだけでも

涙が言葉よりも先にあふれてくるのだ。こんな いい子を、賢い子を私に譲ってくれ

たこと、一緒に過ごさせてくれたこと 本当にありがとう。まだほかにも こげを

可愛がってくれていた人がいるのに その人たちを思いだすだけでも泣けてくる。

ペット・ロスと言われるようになって久しいけれど、何かを飼ったことのない人には

その喪失感を理解してもらうには無理だと思う。言葉を発しないのだから 、でも

こげをはじめ ほかの子たちはちゃんとこちらのことは解っているのだ。

人間は 目を見て、そのはしゃぎようや跳ね回る様子でしかわからなけど・・。

こげは寝たきりになって 排便や排尿をペット用シーツにそのまま していた。

マナー・ウェアという男の子用体に巻き付けるおむつは あるにはあるけどLLサイズ

胴回り55センチ、こげは微妙に56か57センチ。何とか巻けるかとおもって 購入した

ら、巻けないのだ。だから排尿したら体を寝返らせて タオルで濡れた部分を拭く。

排便は 下痢をすることがなくいつもコロコロした便で すこし水を飲みすぎた時は

柔らかいな‥というくらいで、シーツを汚すだけですんでいた。体をタオルでゴシゴ

シしたり、ウンチをしたあとに私がそれを取ったら、こげがしっぽをパタパタするの

だ。見ていておばあちゃんが「取ってもらっておおきにって礼してるんや」といつも

言っていたけど、そのときは「そんなことないで」とは言ったけど、するたびに

いつもパタパタ振ってくれるのがこげやなぁと思っていた。寝たままで 私の顔を

見上げたり、鼻先を持ってくることは無くなっていたけど 私が頼りになっていたん

だと思う。あんなに大きく重かった足先も 小さくなるし、後ろ足もほっそりになり

マナー・ウェアが巻けるように痩せてきていた。排尿はそれで済ますようになっても

おしっこを出したよ、というのか鳴いてくることもあったし、相変わらず排便を

片付けたらしっぽをパタパタ、が精一杯の反応だったのかもしれない。こげの火葬が

二日延びたので心の準備もできたように思う。おとうさんは6日から仕事だったけど

7日は休みを半日取って火葬場に行くからと言ってくれて、乗っていく車は、普段

私が乗っている軽自動車で行くことにした。これまでこげがお医者さんに行くとき

や、古座川に泳ぎに行ったりしたときのように後部座席にシートを張って寝かせて

行くように準備もした。霊園さんから7日のいつでもいいですよと電話をもらって

朝8時にそちらに着くように行きます。なにか 少しお供え、最後ご飯を食べれてない

から、いいですか?と尋ねたら、いいですよ、口元に置いてあげてくださいね、お花

もいいですよ、何かで体をくるんで連れてきてくださいね。と言ってくれた。お骨は

全部引き取りたいんですというと、発泡じゃなかったなんでもいいですし、こちらに

も 三寸、四寸のお骨入れがありますからとも言ってくれた。こげには 最後のご飯

として 豪勢にしてあげようと思って小さい紙コップにサツマイモのペースト、これ

を凍らせたら気に入ってくれた。紙コップに三本流し込みその上に 元気だった時に

食べていた柔らかささみのジャーキー、それが硬くて噛み切れなくなってからの少し

柔らかめのジャーキー、を半分に折って入れ、年が明けてからはお正月だからお造り

を小さく切って口に持っていくと、鼻先で匂いを嗅いで パクパクと二切れ三切れと

食べたので、二日の日新年初売りのスーパーにお造りを買いに走りました。お肉も

お造り同様食べたので お肉も細切れだけど買ってきました。それも紙コップに入れ

夏場にバテないよう残して冷凍していたシカ肉も解凍してドッグフードと共に紙コッ

プに入れたら、三個ものお弁当になってしまいました。

火葬の日の朝、これまでこげが使っていた敷物にこげを寝かせるためにおとうさんが

抱き上げ、敷物に横たえました。それではくるめないというか 体に半分を掛けてあ

げられないので、もう少し動かして、と再度抱き上げた時にこげの口元か鼻先あたり

だった敷物に、「え!血が付いてる」と私が驚きの声をあげたのです。今寝かせたば

かりの敷物に赤い血が2,3センチの長さで。「どこから出たの?口元にも鼻先にも

無いよ」どこからかこの二日の間に出たのかなと思ったけど、再度抱き上げた時に

敷物の裏にまで血が滲みだしているのです。ということは 今、出てるのだな、こげ

が何か言いたいのかな、とおとうさんも私も黙ってそう思うことにした。不思議な

この時は硬直も解けてきたのか 抱きにくいとおとうさんがこぼしていた。だから

体のどこかの出血していたのが出たのかな。おばあちゃんに見送られて動物霊園に

向かいました。

 

 

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さよなら

2025-01-05 06:16:08 | 愛犬 こげ

2025年1月5日未明 おじいちゃんがこげを連れて行きました。

最期となった4日の夕食の お肉をうまいこと食べられずか、拒否だったのか私の

右薬指の先の腹を噛んで放してくれず 初めて血が出ることに。あとで見たら三か所

歯が入っていました。そのあとは 水を少し飲ませたけど もう鼻先が水の中に

ブクブクと埋没していくありさまで 体を抱え頭を持ち上げても舌先で飲み込む量も

少なくて、横に寝かし静かな寝息で安心したのですが。11時過ぎ 小さく鳴いている

声で様子を見に行くと もぞもぞしていて マナーウェアを見たらおしっこをしてい

るので 新しいのを取り換えていたら 小さなウンチもしています。それをウンチ袋

でとり 腰を持ち上げたらもう一つのウンチ、それも取り除きマナーウェアを腰に

巻きつけるのが遅いというのか ふんふん鳴きました。たぶん それが最期の声だっ

たと思う。取り換えてタオルを掛けると眠っていたので私も隣の部屋に戻って

12時過ぎまで起きていたのですが、朝 4時前に起きて見に行くと昨夜と同じ姿でし

た。あの世で 新年のカラオケ大会を 義父と、そして親戚で一番懇意にしていた

義従弟と終えたころだったのかもしれません。おじいちゃんがこげを迎えにきたのだ

と思います。朝 5時半すぎに 長男君、次男君、姉に おじいちゃんが連れて行った

よとメールを打った時、一気に涙が出てきました。もう会えないんだ、こげに、と

思うと辛いというか、楽しかったなという思い出のほうが多くて・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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