こげの耳に★ねんぶつ★

たわいない日々の思うことと愛犬こげと花が咲いていたら花の写真など

正体が・・・

2016-04-25 05:30:00 | 我が家
早いもので もう4月も終わりになろうとしています。毎日過ごしている時間がどれだけ 気にもとめないものか

その時その時を無駄にしていることが多いから 月日の経つのが早いと感じるのかもしれません。その時その時を

有効に、濃密に、キチンと使っていたら実感として心も体も覚えているんでしょうが、そんな反省をしながらも

同じことを繰り返してしまう、「あぁそういうものよ、人間なんて」と開き直る自分が悲しいです(笑)



それは、おじいちゃんの四十九日を迎えるか過ぎた頃のことでした。私とおばあちゃんは(ほぼ)毎日の

朝夕、仏壇で手を合わせています。私は「もうええ加減この年になって 般若心経くらいは唱えられなくちゃ」と

日夜 経本を見ながら唱えています。約三百文字あるそうですが 写経よりはその場でできることですから

身につけてわるいものではないでしょう。でも、百日以上たつのになかなか覚えられません。努力が足らないの

でしょう。おばあちゃんのような高齢者は 口からスラスラと出てくるくらい 過去に耳で覚えたものは

カンタンには忘れていかないようです。昔は自宅でお通夜やお葬式を執り行って、お通夜の席には近くの

人でお念仏を唱えてくれる人が複数いて、来てもらってお通夜を始めた記憶があります。私は自分の祖父の

葬儀が≪お葬式≫の儀式の最初の記憶なので、仏間にそんな念仏を唱えてくれる人が座っていたのを覚えて

います。今は、自宅で葬式をするより葬儀屋さんのホールを借りてすることが多いので、お参りに行っても

和尚さんのお経で始まるお通夜しか記憶にありません。それぞれ宗派が違うとお経も違うのかもしれませんが

とにかく般若心経ができれば 困りますまい・・。私の祖父は 毎朝毎夕仏壇で唱えていました。子供心に

か~ん、ぽくぽく・・か~ん、ぽくぽくと鐘と木魚の音で目を覚まされたことと、心経の部分部分の言葉が

記憶に残っているので 信仰というものは信仰心を持つ前の脳裏になんらかの形を染み込ませていくものだと

この頃思い始めています。あるとき、おばあちゃんが「凹、仏壇のろうそく二本のうち一本を用心で、ろうそく立て

から外した?」と仏間から戻ってきて聞くので「い~や、そんなことはしてないしぃ。第一、この間 ろうそくに

火をつけてお経を唱えて戻ってくるときに火を消してないことに気がついて、こわくなって LEDのニセろうそくに

置き換えて以来、私は生ろうそくに火をつけていない」「おかしいんや、朝ろうそく二本あったのに 片方しか

ない」とおばあちゃんが言うのです。「ん~、それは ネズミかなんかがくわえていったとか?」

「でもろうそく立てが倒れたないし、鉛筆一本くらいの長さやで」「じゃ、二本立てたっていう記憶違い?」

「片方だけだとおかしいから、ちゃんと二本たてた!」とおばあちゃんもむきになってくるので、「不思議やね」

としておくことにしました。ネズミがろうそくをかじるということは聞いたことあるけどなぁと思いつつ、

古い家だし、農家だったからネズミがいついていても不思議じゃない。過去にも開かずの押し入れみたいな

ところを掃除したら、ネズミが服をかじっていたとか言ってたやん・・猫がいないからしかたないか。

この話はこれですみ、またある日おばあちゃんが「夜中に玄関戸になにかが二回当たった音がして怖くて

眠れなかった」と言います。夜に飛べる鳥ってそうそうありません。「フクロウかコウモリかなぁ」

山のそばにある家だし、昔は納屋にコウモリが飛んできたし・・・。なんでも 怖がるバァサンだわ~

と内心思っていた私。今度は私がお風呂に入っていたところお風呂の外側の壁に何かがざざざ~とこすりながら

去っていく音を聞いてしまいました。「おぉ!これか?おばあちゃんが体験した不審な音は。でもこの音って

物に例えたら、そう、あれだわ!壁を広げた傘が擦っていく音みたい」と翌朝 これこれこんな音がしたと

おばあちゃんに言うと「鳥やな。コウモリかイソヒヨか。鳥なら怖くないな」と一安心。ろうそくの一件は

解決してないけどそれはまたいずれ・・・だ。


それから日をおかず、今度は離れの私たちの家でも天井裏で音がし始めました。それは ささささっと走る音

だったり、「トンッ!」と高いところから着地したような音だったり。これはネズミだわ~何度も聞きなれた

音だからこそ安心していたけど 何度も繰り返されては気になるし天井を見上げて「スーパーボールでもあれば

天井にぶつけてやるのに!」とノーコンの私が言っても効き目がないため、長い棒を持ってきて次に音がしたら

そのあたりを「ドンッ」と下から突いてやることにしました。棒を置いてからは音がしなくなって 天井裏から

見てるのか?と思い始めたある早朝、早起きの私はさきに一人で朝食を食べていた、そのとき 天井裏で

何かが、ネズミよりも絶対大きなもの、でも猫ではない。それは体を天井裏のハリとか壁に当てながら

どんくさい飛び歩きのような音だったので、棒を手にするよりもその音がどこにいくのか 見上げていました。

しかし、それから音はしなくなったのでおばあちゃん報告したら、お風呂の壁といいそいつは鳥類やろ!という

ことに。母屋同様、離れも古い。母屋は明治35年に建ったらしくあちこち改築はしているけど強度はないね。

離れでも築60年くらい。熊本地震のような地震だと一瞬で潰れてしまう・・・古い家だもの、何かが入り込んで

巣くっていても少々のことでは驚かなくなった。



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テスト

2016-04-20 07:00:33 | 愛犬 こげ


試験的にやってみました。

これって いつまでできるのかわからないけど いつもヒマつぶしにやっている≪ゲーム菜園≫ってところに出ていた仕組みで

操作的にはカンタンなんだろうけど 私にはわからない単語ばかりで 早朝ヒマつぶしにやってみたら、なんとなくできたようなので

アップしてみた。平凡な写真でも、動きがあるとちょっと違って見えるのがすごい。けど 選ぶ写真と書き込む文字にセンスがほしいね
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懐かしくて・・・

2016-04-15 05:30:00 | いろいろ
もう一ヶ月も前の話題ですが・・・ ある日の新聞広告に載った週刊誌の広告に「きゃッ!」と声を上げました。


            サンデー毎日 3・6号増大号と3・13増大号

?なんで増大なん?だいたい増大って続けないような気がするけど、あ~それは特大号とかか・・・ま、本題は

そこではなくて、≪奇跡の1970年代 僕らには「ポプコン」があった≫と≪第2弾 僕らには「ポプコン」が

あった!≫です。「ポプコン」・・・私がこの言葉を知ったのが たぶん中三か高校生になったころだったと思う。

私はすこぶる勉強が嫌いで、好きな科目はやるけどつまづいた教科は 相性が悪いとして頭を下げて引き下がらせて

もらっていました。でも 一応高校受験もあるし、一応勉強しなくちゃならない。学校から総まとめ教材のような

≪整理と研究≫みたいなものをやらされてはいたけど、国語と社会科は ちゃんとやって、数学・理科はわかった

ところ、英語はほぼ適当に解答欄を埋めていた。それをやらなくちゃならないけど、夜机に向かっていたら眠くて

しかたないので、当時流行っていた深夜放送をラジオで聞く癖がついてしまった。勉強をやる気のない私に、

ラジオは面白い。でも 家の立地条件が悪くて 全国放送の生番組はリアルで聴けず、全国放送の録音番組は

電波の加減で聞こえたり、音が消えたりしながらも、関西の系列局から聞くことができたのだ。一度 電波を

捉えてクリアに聞こえたら、ラジオは動かさずびちっと定位置に据えてはいても なぜか翌日はザーザー音で

聞こえないことが多かった。そんなとき 聞き始めたのが「コッキーポップ」というヤマハ・ポピュラーソング

コンテストというコンテストで注目された歌謡曲とは違うジャンルの 健康的フォーク・退廃的フォークでも

ない 片田舎の女子には衝撃的な音楽番組だったのです。きれいに入ってこない電波にイライラしながらも

必死で聴き、時には睡魔に引きずり込まれてしまい、もう翌日はショックだった日も。誰かとこの話題を

共にしたいと話してみてわかったのは、どうも同級生はちゃんと受験勉強や試験勉強、ちゃんと睡眠している

らしい・・・ということだった。それ以後、私はラジオの話題はしなくて自己満足に浸っていたのです。

ポプコン・・・この言葉はたぶん私の聞く音楽に影響を与えた言葉なのだ。いまをときめく歌い手のなかにも

ポプコン出身者が多いのは周知の事実で 中島みゆき・渡辺真知子や八神純子もそうだし、ポプコンの前身

「69作曲コンクール」にはオフコースやデビュー前の天地真理が参加し、「70作曲コンクール」

と、題されていたけど1972年から「ポピュラーコンテスト」と改称されて 井上陽水や上田正樹、子門真人

(およげたいやきくん・・だよね)、河島英五も参加していたそうだ。この第4回以後からは抒情フォーク

ニューミュージックの時代がやってきたのよね。第5回にNSP(ニューサデスティックピンク)が入賞。

本誌にも書かれているようにNSPのボーカル天野さんは歌はそううまくなかった。私は デビューしてからの

歌しか知らないけど、その時でも高校の文化祭で歌っている感じの人たちだなと思った。でも 自作自演で

仲間とテープを送って入賞したくらいだから、きっとその時代から 普通に歌が上手い歌手さんより、

自分の生活や気持ちに近い、そんな歌手や歌詞をみんなほしかったんだと思う。当時の番組のパーソナリティ

大石吾郎さんは「聴く側が身勝手に「いいね!」と思う、そんな曲こそが素晴らしいのだと教えてくれた」と

語っています。。たぶん第6回の小坂明子「あなた」が入賞し、世界歌謡祭でグランプリを獲ってから

「コッキーポップ」「ポプコン」が巷に知られるようになった。のちにピンクレディーなった二人も

「クッキー」という名前で東海地区決勝まで出ていたらしい

私が寝ぼけた頭で聴いた「さよならの言葉」という歌は第13回のグランプリ曲だったそうだが、この人は

デビューしなかったそうだ。だから 聴いたのがのちに八神純子が歌ったものかもしれないけど、いまだに

私のトラウマ曲になっている。ここ二十年くらい聴いたことはないのだけどとてもとても落ち込む歌(笑)

そして コッキーポップなのかわからないのが「ウィリー・ウィル」という小さな妖精のようなモノの歌。

とてもかわいらしく、サビの「ウィリーウィル いたずらチビ 深い森の奥の小さいなんとかに今も住んでいる~」と

歌う所がとても印象に残っている。だんだん番組が有名になって 世良公則&ツイスト「あんたのバラード」、

翌年は佐野元春や長渕も入賞しているし円広志「夢想花」、その翌年チャゲアスの「ひとり咲き」翌年が

クリスタルキング「大都会」。以後雅夢や伊藤敏博、アラジン、あみん、TOM☆CATなど排出したわけ。

後半はヒット曲になるかパッとしないで終わるか、商業ベースに引き込まれていくことになって番組は

幕を閉じた・・・最大の歌手が中島みゆき「時代」だといえますが 私はポプコンエイジだったのだと

知り、懐かしい登場人物にうんうんとうなずいた時間でした。あ~やっぱり 一ヶ月も溜めずに

さっさと記事にすりゃよかったなぁ・・・




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びっくりぽんや・・・3

2016-04-08 05:30:00 | 和歌山県


先週のこと、四月になったその日、私は朝から歯医者さんに行く予定があり そのあとはおばあちゃんに頼まれた買い物、

JAで亡くなったおじいちゃんの農業者年金の手続きをしに行かなくちゃならないし、そのあとは

化粧品屋さんに寄って時間があればおていれをしてもらおうとタイムスケジュールを組み、出かけたのでした。

歯医者さんは無事に差し歯を入れてもらい、次回の予約をとり、串本駅前のドラッグストアで諸々の買い物を・・と

車を進めたところ一台の車を停めるスペースがありません。それどころか一瞬のすきを狙って停めようとする車が

通路に停まっています。「なんで?あぁそうかきょうはついたち。お店の特売日だわ~」これじゃ じかんがもったいないわ・・

と私は次にどこに行こうかとメモした紙をみると「JA」と書いています。JAに行ってこよう・・・手続きの説明も家に回って

くるOさんから聞いたけど、貰った書類はミスしたらいけないようなので窓口で確認してもらいながら記入しよう、それから

それを役場に持って行けばいいんだな・・と、いまだにおじいちゃん関連の手続きが終わらずにいたところに、義父が

急逝してそっちに行っているときに役場から連絡があり、それはおばあちゃんが聞いたので直接私が電話を取っていないから

次にJAのOさんが家に来たときに聞こう・・と楽観していたら、Oさんが持ち場が替わって我が家のほうから串本地区になった

と言われてしまい「ひぇ~」となったのです。なかなか性格のいい子で、子と書いては失礼だけどうちの長男君と同い年、

彼は田辺市に近い山奥に近いところが出身で、妹さんは次男君と同い年、めっちゃ親近感がわいて、おまけにこげも

よくなついていたのだ。おじいちゃんが亡くなった時のJA関係は書類の説明など、本当にわかりやすく、ずっと

集金に回ってきてほしいと思っていたのだ。おじいちゃんが倒れたときの担当のかたも親切でいたけどすぐそのあと

串本地区の担当になってしまった。なかなか こげの見てくれが見てくれなので、犬が苦手な集金担当のかたが来たら

こげをわかってもらうのに 最低半年はかかってしまいます。Oさんは最初から「お~、犬や~。僕、犬は大丈夫ですよ」

と言ってくれていたのに・・。窓口に行って説明をしたら職員さんが担当のかたを呼んでくれました。が、「え?Aコープ

にいる人やん」と思ったのです。聞けば 四月一日からこちらのほうに回ってこういう書類は初めてなんで また調べてから

お家のほうに連絡します」ということになり、書類を預け 少しはドラッグストアも空いただろうと戻るとさっきより

待機の車が増えています。それで、頼まれた食パンを買いにAコープへ行ったら売り切れています。仕方ない、作っている

パン屋さんに行こうか・・・でも、おじいちゃんが元気な時に行っていたお店なので、立ち寄るたびに「おとうさん、どうです?」

と気にかけてくれるのがありがたい反面、元気になろうにもおじいちゃんの容体は快復するものではなく 次第次第に衰え、枯れて

いく自然のなりゆきなものだから 私としては言葉に困るようになっていた。でもお店の奥さんは「自分もそうだったから 親を

看るあなたとおかあさんが心配なのよ」と気づかってくれるので、それがまた重くのしかかっていたのも事実で。「いえ、私たちは

もう限界を迎えて おじいちゃんを施設に入れたんです」と「自分たちは何もしていない、施設の職員さんたちにあの問題児みたいな

おじいちゃんの世話をしてもらっているんです」と、行くたびに自己嫌悪に陥っていた。だからできるだけ 同じ食パンを買うのでも

Aコープに出したものをずっと買って、申し訳ないけどお店には行かないようにしていた。でもおじいちゃんが亡くなって、町の

広報紙に亡くなった人名簿に記載されたから、知っているだろうと行ったらレジに奥さんがいて「おとうさん、どうです?」と

久々に尋ねてきた。「はい、ありがとうございます。一月のお正月に亡くなりました」と言ったら「えッ!」と店内に響く声と、

中から出てきていたのか陳列しかけていたオバサンまで「いやぁ~、うそぅ~」と言っています。おぃおぃ うちのじいさんは

このパン屋さんで一体どんな愛想をふりまいていたのか??「いいおとうさんでしたよ」と奥さんはいつも言うんだけども

「爺さん、家と外では えらいソトヅラ作ってたんやな」と思うことの多いこと(笑)生前のお礼を言って「おかあさんを

大事にね」とまた言われて、ため息を吐きながら私は車に乗り込んだ。このまま ドラッグストアに行くよりも 化粧品屋さんで

お手入れしてもらって時間をつぶそうと行ったら、看板ワンコにエライ喜ばれて、オーナーさんに先日観た玉木宏の番組のことを

話して 11時を回ったころお店を出た。「お腹がすいたな~」と私は家路についたのだ。走りながら「なんか未消化な感じだわ」

と、途中で「あ!ドラッグストアで買い物忘れた!!」おばあちゃんが買ってきてほしいと言っていた缶コーヒーに、味の素に

ハイミー、今なら戻ったら駐車もできるだろう・・と戻ったのです。今度は車を停めることができ買い物をし始めたのですが、

この日は朝から雨風が強くて少しでも早く帰ろうと思いつつも、「この間このお店で買ったシルベーヌのバナナ味のお菓子、

あれ美味しかったな」と探していたところ突然、≪ビョロンビョロン・・・≫と音が鳴りはじめたのです。「誰かの携帯呼び出し音、

やかましいな。この私の前に立っているおっさんの携帯やろ。はっきり鳴ってるやん。嫁さんも鳴ってると言ってるやん・・え?

私の携帯も鳴ってるわ」とそのおっさんと同時に 携帯を見るも何やら文字が出てるけど字が小さい、おっさんも読んでみたものの

意味不明な顔をしている。私は「あぁ 大雨警報が三重県に出たから注意ってくらいか?でもあの音は緊急エリアメールの音かも

しれん。」もういっかい、目をしかめながら画面を見たら「三重県南東沖を震源とする震度4の地震」とあります。地震や、

それも紀伊半島のついそこ、南海トラフや!え!でも揺った?店内は音楽が鳴っているし、客が慌てた様子もないし、お店からの

説明もないやん、それぞれスマホや携帯を見ていても誰も「地震や!津波が来る!」とか言いません。買い物中であります。

ま、何か外で役場からの放送が聞こえてはいるけど中にいれば聞こえない。清算を済ませて外に出たら その聞こうとした放送が

「・・気をつけてください」で終わってしまった、でも駐車場の車が少し減ったのか?サイレンも聞こえてこないし この

緊迫感の無さはどうなん?まぁ、とにかく本当なら・・・あ!きょうはエイプリルフールやん!でもこんな危険なウソは流さない

でしょ・・って、でも お正月にも和歌山県内一斉に大津波警報のガセメール、あとで設定ミスだったとか、それが幾度も

携帯に入って来て「え~、いまおじいちゃん 危篤状態やけど」ってどうすんじゃいということがあったので、

またまた~和歌山県、またやったのか!!とハンドル握りながら思ったのでした。が、なぜか 対向してくる車がスピードを

上げている感じだし、前を走る車もどの車も心持ちスピード出してるな・・で、つられて私も普段より速くなっている。

上浦のバス停まで来たときに「あ、なにしてんの?」そこには路肩に停めて 沖を見る知っているおじさんの車。

「おぉ~ここで 津波の前の潮が引くのを見てるつもりなのか?めっちゃ危ないやん・・」串本町の国道はその98%は

海岸の横を走っている。高台や高層ビルもなく大津波が来ると逃げ場がほとんどない。その時、メールが本当ならば

一刻も海から離れなければ・・・、東日本大震災のときの津波の映像がよぎってくる。帰らなくちゃ、途中で海に変動があれば

国道を山側に、古座川向いて入って逃げよう・・とか、おばあちゃんとこげ 避難してるのかな・・・と。窓を開けて

その後の役場からの放送を聞こうにも 車の音と雨で聞こえない。カーラジオや!え?ラジオなんか聞かないから どこの

ボタン?アンテナ出してないから電波を拾えんやん・・・あれこれ頭に思いながら家にたどり着いたときには あ~よかった。

そのまま母屋に直行して「いったいどれだけ、揺ったのよ?」とおばあちゃんに言ったら おばあちゃんは炬燵で横になって

いて「ず、どん!みたいな。揺れてはないけど、テレビで古座川町で震度4って出てる」串本町も震度3らしい。

「どこにいた?」「エバグリーンで。全然揺れたのは知らないし 他人の携帯が喧しいと思っていたら自分のも鳴っていて」

「わたしはお昼ご飯を食べようと お箸にすくって口に入れる瞬間に防災ラジオと町内放送が重なってしゃべりはじめ、テレビを

つけたら震度4っていうし」と言う、おばあちゃんは一人でさぞ怖かったんじゃないかな。でも揺れを感じなかったから 次に

揺ってくるんじゃ・・と気が気ではなかったらしい。どうやら町内の人は揺れを感じた人が少なかったみたいだけど、おとうさんは

揺れたのを感じ 焦ったらしい。古座川町に住む叔父さんも 「ずずっという感じ」だったというからまぁ 大事に至らずでよかった

んだけど、やはり 危機感は町民に根付いてないのか、避難する人を見かけなかったんだから 自分が揺れを感じないと避難もしない

という結果なんだろう。大阪のほうでは 一斉に車を左に停めていたらしい。その後「安心してください!」という町内放送が

あったのか、聞いた覚えがない。一方的に不安をあおっておいて 大丈夫になったからといっても訂正の放送はしないみたいだね。

 
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びっくりぽんや! 2

2016-04-04 05:30:00 | 和歌山県
3月30日のことです。毎月購入している≪スカパー TVガイド BS/CS≫にBS朝日で『玉木宏の秘境ふれあい紀行』 和歌山県・串本町 

という番組があるのを発見し、今の朝ドラ準主役の新次郎さん役である玉木宏が わが県の観光地を紹介するナレーターでもやっているのだろうと

思い たまには串本町を否定的な私(笑)も、玉木宏鑑賞しようと番組を観ました。

映像は 「なにこれ!!」と思うほど、幾度となく各局の串本町関連の映像を観た私が感動するくらい 海の青さも空の青さも美しかった。

あぁ、やはり本州最南端の潮岬はテッパンね、紀伊大島だと映画≪海難1890≫エルトゥルル号関連か・・・と思いながら、心地よく玉木宏の声が

流れていくなか、画面が切り替わったらいきなり雨風の串本駅前・・・「え?これって・・・」と私はもしかしたら・・と思うことがあったのだ。

昨年、串本駅前を通って化粧品屋さんに行こうとしたときに 雨風の中撮影隊の数人がカメラを持って移動するのを見かけ「また 在阪テレビ局が

エルトゥルル関連の取材に来たのか」と舌打ちしたのを覚えている。私的には 町がしなくちゃならないことは他にもあると思うんだけどなぁと

ひそかに思っているのだけども・・・

その 撮影隊のカメラの前を私の車は横切り化粧品屋さんに向かった。そこで「なにか撮影してるわ」とオーナーさんに言うと

「そんなん知らんわ」と一言で返され、駅前商店街なら撮影があることのお知らせみたいなのがあるんじゃないの?前もって知らされているものだと

思っていた私は意外な反応にそんなもんなんだ・・と納得したことも覚えている。買い物を済ませ車に乗りこもうとしたときに撮影隊が

化粧品屋さんの前の道をはさんだ斜めにある削り節屋さんの店先にあるのをみて、やはりこのコースなら 次は無量寺の虎の絵に行くのだろうと

思っていたのだ。そちらの方向に見えるかしわ屋(鳥肉屋)の店先には 撮影隊を見ようとするのかやって来るのを待つかのように

オバサンが二人削り節屋さんのほうを見ていた。外の雨は激しくなり 私も早々と家路についたのでした。


番組を凝視していて「え~!!これってあのときのものじゃないのか!!」と叫んでしまい 横で居眠りしていたおとうさんが飛び起き

テレビを見て「串本やん」いえ、「そこに映っているのは≪あさが来た≫の新次郎さん、玉木宏が 去年串本に来てたぁ~」

私は撮影隊しか眼中に入ってなかったのだが、テレビの中の玉木宏は「すごい雨だ」とかブツブツ言いながら歩いて行く。

私が知らない町ではなく、私が高校時代に歩いて高校に通ったその道を、あの美しい玉木宏が歩いているのだ・・・こんな感動はないぞ!!

それにしても急きょ手にした 透明のビニール傘もなんと映えることか。ボーダーの半袖Tシャツに黒いリュック、足元は指先が見えるサンダル履き。

何を着ても何を身につけてもカッコいい。通り過ぎたであろう私の車は写っていなかったのだけども、玉木宏は削り節屋さんに入って店主と

お話をしている。何を隠そう、この削り節屋さんは私が行った化粧品屋さんのオーナーさんの実家からお店の道具を譲り受けて 開店したのだ。

美形がメジカ(ソウダカツオ)の削り節を嗅ごうが、サバの削り節を嗅ごうがその様は 無茶苦茶きれいだ。

次に向かったお店は ぬぅわんとオバサンが店先で待っていたかしわ屋さんやん!!そうか、おばさんは撮影が来ることがお約束されていて

美形玉木宏を待っていたんだわぁ~。オバサンは76歳となっていたが ご主人も現れ ホイルに包んだかしわのモモ焼きを食べてください・・と

勧めている。私も子供のころ、このお店のモモ焼きを食べたことがある。高校時代はこの前を通っていたのだけど 店の中にお客さんを見ることが

あまりなかったので「流行っていないのか?」と思っていたけど 実は注文を受けて焼いたり 焼いたものを小売店に卸していたのだとしったのは

だいぶあとだったなぁ~。そこで玉木宏に向かってオバサンが「テレビで見たことがあるわ」と高揚したように言ったら玉木宏が

「今度朝ドラに出ますので見てください。この局とは違いますが(笑)」と言ったのだ。それは≪あさが来た≫のことで、ということは

串本にやってきたのは NHK大阪局で撮影が始まったか始まる頃だったに違いない。

彼は 町の魚トビウオ料理を食べにどこかのお家にお邪魔して、その家の花柄のエプロンを借りて台所に立ちトビウオを捌いていた。

その腕のたくましいこと、その指先の美しいこと・・・捌いたトビウオは 私が三枚におろした魚のとんでもなく寂しい姿と大差がなかった

けれど、それは関係ない。ミンチにして揚げ物にしていたけど星形に作ったはずが 揚げたらヒトデにそっくり(笑)

トビウオを酢で〆て押し寿司の具に・・・押し寿司の説明でその家のおばさんは葉は野イチゴの葉(ホウロクイチゴ)でなくちゃならず、

このお寿司は町内で限られた地区でしか作られない、と言っていた・・・カツオをの生節やアジを酢で〆たりするのは聞くけど

トビウオなんて初めて聞く。今度魚屋さんに聞いてみよう。

紀伊大島に入った玉木宏は 以前トルコに仕事で行った時に「なぜ、こんなに日本人に対して親日的なのかと思った」と語っていた。

そこにはエルトゥルル号海難救出に大島の人がかかわっていたことなのだと知ったのだとも。玉木宏は そのあと 隣町旧古座町に

行って、ちょうど古座のお祭り≪河内祭り≫の獅子舞練習の場に立ち寄ったのだが、獅子舞に参加する天狗役の子供たちに話しかけるも

凄くシャイで、付き添いのお母さんたちも玉木宏に目がくらんだのかカチコチになっていました。それにしても 撮影隊に待ったがかかって

いるのか、画面には町の人が一人も、歩いてないのか なんだかゴーストタウンを歩く新次郎さん!みたいな風景でした。

あいにくの雨と風で 玉木宏は「台風だ」と言っていたけど、いや この辺はだいたいそんな調子なんですよ雨のときは・・・

橋杭岩にも立ち寄って 自然が生み出した立岩をカメラにおさめていました。そういや 先日もあさイチで「写真が趣味です」と

言っていた。きっとこの番組も 各地を回ってカメラにおさめているのでしょうな。私が昨年見た撮影隊は 玉木宏が歩くコースの

リハーサルだったのでしょう・・・ブログを読んだら歩いていたのが女子だったとあるから、背の高い男子ならきっと車を止めて

見たと思う。

潮岬の望楼に行って、水平線を眺め 遠い昔の海難事故に思いを巡らせる、その横顔がまた美しい・・・・


先週化粧品屋さんに行き、オーナーさんに「昨年玉木宏が串本に来てたんでしょう?」と聞くと「そうなんよ~」と知らなかったのは

本当らしく、「この間BSでその番組やっていたよ」と言ってやったら「教えてくれたらよかったのに!」というから

私がかくかくしかじかで撮影しているとオーナーさんに言った時の、オーナーさんの反応を言うと「え~、そうやったん。でも

「とうげ(店名)の果物屋さんに行って「こんにちは~玉木です」と言ったらおばちゃんが「どこの玉木さん?」と言ったそうやで」

俳優ってわかってなかったのか?と笑ったんだけど「凹ちゃんだって目の前に玉木宏がいたら 何も言えへんやろ?」と言われ

「そりゃそうや~」そうだわ、私の小栗が前にいたらそれこそ 気を失うかもしれない(笑)一生に一度の目の保養をさせてもらいたい

と、オバサンは切に思うのだ。こんな片田舎にいたら 有名人に会うことは ないからねぇ~

ちなみにこの≪玉木宏の秘境ふれあい紀行≫という番組はBS朝日で作られ、2014年10月から2015年9月まで放送されたそうだ。

串本編は2015年の8月13日放送されたものだそうで、最終回に近いほうだったみたいです。
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びっくりぽんや・・・

2016-04-01 05:30:00 | 我が家
      

書かずにいたらもう四月になってしまいました。

先月22日に 義父が急逝して・・・それが火曜日だったからそれからお通夜にお葬式にとばたばたしていて

土曜日にはこげを獣医に連れて行く日になっていた。今回のおしっこ検査では 尿石の結晶が出てしまい手術で取りだした石を

調べたらシュウ酸カルシウム尿石だと判明したので それ対症のフードに切り替えることになってしまい、「え~この間購入した

8キロ入りのpHコントロールのフードまだ三分の一残ってるで~。開封してるからここでは引き取ってくれへんやん。」と

心に暗雲を沸かせながら 今度は分析結果を出したメーカーが出している療法食をお試しで一キロと一缶恵んでくれた。

おまけにここでは週二回 取り寄せるので早めに連絡をください・・と言われてしまい、心で「そんな田辺まで取りにくるのが

遠いやん。ネットで同じものかってやる!」と叫んだ私。帰って調べたら 税込でも千円は安く買える。でも、受付窓口では

言えない私なのだが・・・。楽天セールも始まっているし 31日までに忘れず注文しなくちゃ、ポイントもつくし。

と思っていながら 四月にするおじいちゃんの百か日法要の準備もしなくちゃならないし、と頭のこちらで考え、

頭のあちらではおばあちゃんがおじいちゃんの遺影を小さな写真立てに入れたいから 写真屋さんに持っていってくれ、

義父の葬儀やなんかに行っている間に 役場から何か連絡があったとか 郵便局員さんが訪ねてきたとか

頭の右も左も使いきっても処理能力をはるかに超える雑事が現れてくるのでクタクタ。

その前に おとうさんがプロバイザーを替えるとかいうことになっていて、それもセールスの若いおねーさんが回ってきたときに

おとうさんは仕事だったので 日を改めてきて話を聞いたら もう今のを解約するってことになっていた。

若いおねーさんだからきっと 解約の方向に鼻の下を伸ばしてするよ・・・と思っていたら案の定。パソコン、テレビ、電話を

一つにしたら今よりかなり安くなるらしい・・まぁ、支払っているのはおとうさんだから私は何も言えないけど それらの

工事を平日にやってもらうから当然 話や説明を聞くのは私で 時間はあっても私はほかの用事で頭一杯なのに・・・

テレビはCS放送がかなり見ることができるようになるとか言って、チューナーを取り付けたけどうまく作動できずに一週間後

電話工事と一緒にきてまた何やら パソコンにサーバーをつけていった。で、テレビは見るときは入力6を押して 番組番号を

三桁入力するか番組表を出してからやってください・・・と若い工事する人は立て板に水の要領で説明していったけど、

意味不明なことばかりで、パソコンもサーバーが替わったからアドレスが変わるので 連絡するところにはしておいてください、と

言われていた。それも この二三週間でする・・・もう頭がいっぱいっていってるやろ・・・・一応 子供たちとメールでお知らせがくる

化粧品屋さんとネットショップのいくつかにアド変更を行った。楽天はフード注文時にしよう・・・としたのが大ショックなことに。


頭が寝ぼけていたわけではない・・・朝の九時を回っていたのだから。セールは31日までだったな・・・と思ったらなんと、夜中の

1時半で終わっていた。まぁそうか 忙しかったし、次もあるからいいわ。と軽く受け流し さてアド変更手続き・・とえ?どこにも

ないやん・・・パスワードを忘れたなら再登録というようなことを書いてらっしゃる・・・前にもプロバイザーだったかサーバーだったか

替えたときにはちゃんと変更できているから、きっとそのようなことだろうと・・やっていながらでもカード番号とかもあったっけ?

とまぁ画面に出たことを記入して注文したら なんか「う~そー!今まで何年もかかって積み立てた楽天ポイントが消えてしまった!」

そう、私はまた一からポイント貯めるんかい!!何年も貯めたポイントたしか6000ポイントはあった・・・くっそー・・・・

あ~、だから嫌いや。もう、絶対 おとうさんがネットで何か注文しても私の口座で払ってやらない。自分がカード番号を入れたくない

からというから代わりに支払って、あとでおとうさんに請求するなんてめんどいこともしてやらない。パソコン音痴な私がイケナイのだが

もうしらない。前のアドレスはまだ生きているからそっちのメールも確認しなくちゃならないし、またどうせ数年後には別の会社が

こっちのほうがお安くなります・・なんてことほざきにやってくるのはわかっている。もうしらないからね・・・びっくりぽんや・・・

       

   

コメント
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