火葬をすませてからは 晴れて空気は冷たいけど日差しが明るく感じるような日が
続き、何かをしていなきゃなんかいたるところからこげが現れてきて、体をすりつけ
てくるような気持がするので、それならこげが横にいるような気持ちで玄関に置かれ
たこげ専用の収納ケースを片付けよう・・・とまずは左の収納ケースに手を伸ばしま
した。玄関に日光が入るのか、ケースの成分なのか三段ある引き出しが全ていつのま
にかパリンパリンに割れて、引き出し自体が引き出せず(取っ手の部分が割れて欠け
て)そのかけらがそのまま散らばっています。何が入っていたのだろう、と引き出し
部分を引き抜こうとすると、本体から引き出せないのです。これは収納ケース三段ご
と、一度外に運び出さないとどうにもこうにもできません。案の定、ケースの後ろは
見なかったことにしたホコリが玉になって出てきたので、今度は掃除機を登場させな
くなって、「楽をしようとしたらあかんね」と掃除機を持ち出し吸って、ダスキンと
雑巾を用意して外に出しました。そこで初めて引き出しの中身を見たら
「こげぇ~、こげの首輪だよ。こんなちっちゃいの、首がこの中にあったとしたら
おまえめちゃくちゃ重たかったやろ」と一番最初の赤い首輪、手のひらに納まるくら
い小さい。でも それはまだ新しく、19年前に使ったとは思えない。こげが着けてい
た期間がすごく短かったということなんだろう。次々と歴代の首輪が出てくる、それ
らをこの暖かい日差しで日光浴させてあげようと鉢を置いていないフラワースタンド
に並べてみた。7個あった。こげの毛色には赤が似合うと、赤系の首輪。それから
散歩のときに首輪から背中にリードを付けるためのハーネスが出てきた。ハーネスは
胴体周りで調節ができたので3個。最後に使っていたものは色も褪せてはいるけど
毛が抜け始めてきてからは皮膚に擦れているように見えていた。こげは痛かったのか
も・・でもどのハーネスも散歩に行くのが楽しみで嫌がることなく喜んで着けたよね
着けたら、もうすぐにも走り出して・・・引き出しから お腹を押すとガァガァと
音が鳴るアヒルとカエルが出てきた。ちょうど長男君が大学生となって家を出たあと
こげを迎えたので、その4年後くらいに引っ越しで姫路から神戸に行ったときに、
まだなんでもくわえて遊ぶこげにお土産として、サービスエリアで買ったものだ。
子供用かペット用かわからないが、こげは気に入ってくれて部屋の中でも外でも
くわえてガァガァと鳴らし、それを放り上げるように振って地面に落として 私に
とれるものならとってみろ、と前足を低くして挑発してきたり 炬燵の中に隠すと
潜り込んでみつけてそのまま眠り込んでしまったりしたこともあった。二番目に
使った首輪には潰れた鈴が付いていた。これも記憶にある。こげは毛色がごま塩で
全体に黒っぽく、夕方以降はどこにいるのか庭の中で探せないことがあり、門から
外に逃走したのか?そうなると余計に探せなく若いうちは呼んでも 遊んでいる感覚
でどんどん先に走っていく。これは 猫のように鈴を付けなあかん、とおじいちゃん
が、自分の持っているキーホルダーのなかから鈴を外しこげの首輪に付け替えてくれ
たのだ。潰れているのは 外れた鈴を踏んでしまったのかもしれない、これでも
こげの居場所がわかるからとそのままにしておいたのは、たぶん私だろう。
子犬の領域を超えてからは革製の首輪より、布製の首輪にしたほうが種類もあって
動物病院でもらう雑誌から注文したものもあった。どれもこげの姿が目に浮かんで
しまう。引き出しの中から こげグラウンドで使ったビニールのボールや 姉が
毛糸で編んで作ったボール、中に鈴が入っているんだけど こげが気味悪がって
使うこともなかった。小さい縫いぐるみがあった。パンダとなにかわからないキャラ
で、たしかおとうさんが散歩に行ったときに奥の広場に落ちていた・・・なんて言っ
てそれを拾ってきたことがあった。このあたりでは小さい子供は当時いなくて、
どこかの孫さんが落としたのか失くしたのか、泣いていないかなぁと当時思った。
こげが散歩に行くときに使ったウンチ回収バケツや回収バッグも出てきた。こうなる
と、思い出というより なんでも残しておきたがる・・末は ゴミ屋敷になるんじゃ
なかろうかと笑えるのだけど、ウンチも成長とともに量が増えるので、ウンチ袋と
小型バケツを下げての毎日の散歩だった。暑い中を歩いて 河原に降りて足を水で
冷やすのも好きだったし、でも泳ぐのは大嫌いだったね(笑)
翌日は右の収納ケースを開けた。こちらには雨の日の散歩で帰ってきてから体を拭く
タオルを何枚も入れていた。そのタオルも寝たきりになってからは 口元を拭いたり
掛け布団の調整に使ったり。引き出しから こげの雨がっぱが出てきた。こげが
長毛で雨に濡れたらなかなか毛が乾かないので、少しでも濡れる部分を少なくしよう
と着せるようになった。早く散歩に行きたいこげと着せるのに手間取る私とのいつも
文句の言い合いなのだ。こげがかっぱを着るくらいだから当然私たちも上下のレイン
ウェアを着る。この20年で4,5着買った。大雨警報でも行っていたのだから、串本の
義弟の犬は 玄関で雨を見せたら納得して散歩に行かなかったというからだいぶ違う
こげの雨がっぱも物干しざおに干してみた。6枚あって、本当は7枚だと思うのだけど
背中部分が小さくなって胸当て部分がちょうどいいので同じもののLサイズを買って
胸当て部分は小さいほうを使った。フード付きのもあったけど こげは被ることは
なくよけいに雨水がたまった。それらを畳んでひとまとめにして仕舞った。こちらの
収納ケースはまだ使えるのでいらないものを捨てた後また元の場所に戻した。
翌日、おばあちゃんが三尾川に年末も新年も里帰りできていないので(こげを残して
でかけられなかったので)二人で行ってきた。こげを譲ってくれた叔父さんは
「もうひと七日済ませたかい?」と優しく言ってくれたので 「うん、ほんまに
こげをありがとう」としかもう言えなかった。おばあちゃんの実家は
古い昔から 猟犬を飼って猟銃を持ちシカやイノシシを獲っている。なので猟犬は
家族と一緒・・だけど決して家の中には入れず、今のような室内で一緒に暮らすよう
なことはしていない。私が子供のころに連れてこられたときも庭先で猟犬が昼寝をし
昔だから放し飼いだった。人に媚びることはなかった。この地域では 叔父さんのよ
うに 猟期には数人でそれぞれの犬を連れ山に入ってイノシシを追う・・という話を
よく聞かされていたのだけど 犬にもいろいろあって、人がいたらイノシシにやんや
やんや吠えていくけど 切羽詰まったイノシシがフゥ!と吹いて向かってきたら
人の後ろに隠れるものや、猟銃で仕留めたら我先に獲物を食い散らかすものとか
いろいろあるらしい。でも 叔父さんのところの犬はどれも 追いつめて鉄砲持ちが
来たら もうそばを離れて横になって休んでいる、自分の仕事はこれって判っている
ような犬が多かったそうだ。これまで何十頭も犬を猟犬として生ませ育ててきたので
猟犬として良い犬ができたのと、仕込みかたやしつけ方が優れていたのだと思う。
だから 飼っていても放し飼いだから子犬のうちに誘拐されてしまったりすることも
あったそうだ。叔父さん曰く「これまでに多くの犬を飼ったけど、そのなかで断トツ
こげは長生きしたんやで、猟に行って猪(しし)に裂かれたり、やられてしまったり
して短命やったし、盗まれてどうなったのかわからん犬もあるからの。19年という
のはほかにはないからの。兄弟の吉宗も長生きしたほうや」
「昔、うちに飼っていた犬がジステンパーに罹ったんや。少し離れたとこに住んでい
た人の家にも同じように犬を飼っていたんやけど、その犬がいないんやといってきた
ので探していたら、うちの犬のところに来ていたんや。ジステンパーやからうつるぞ
と言っていたんやけど、毎日うちの犬を見舞うようにやってくるんや。そうしたら
来んようになって うつったんやなぁと話していたら うちの犬がいなくなって
探しにその家に行くと 牛小屋の日の当たるあったかいところで二匹が重なるように
死んでいたんや。そやから、たかが犬とか言うけど違うんや。犬でもそういう
気持ちはあるんや」と話してくれた。あぁやっぱりそうなんだ。古い話だけど
もう50年くらいまえか テレビのニュースで 京都駅前で二匹の野良犬が 誰に
吠えるとか噛みつくとかそういうことはせずに暮らしていたけど ある日その犬が
駅前の道路を渡っていた時、一匹が車にはねられて動かなくなった、もう一匹が
傍を走るどの車にもすごい剣幕で吠えている・・という映像を見たとき なんで
だれも助けないん・・と泣いた時を思い出した。わんでもにゃんでも 感情はあるの
だ。もしかしたら ヒトと同じように それぞれ想い合っていたのかもしれない。
三尾川の犬も 京都駅の犬も そしてこげも また巡り合えたらいいのにね、と思う
なんかダークなこげだな だいぶ若い時だな
こげだ・・・
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