無くなったもの、出来たもの

2019年08月03日 | Weblog


昨日は 「 蝉の声がすくない 」 と言うタイトルでした。その通りだったのですが、ヒグラシの声が聞こえないと書いた、その日に少し暗くなってから聞こえて来ました。
この夏、昨日初めてききました。ですが合唱ではなく、さびしく一二匹くらいの程度の声でした。
子どもの頃は、裏山で大合唱が聞けたのですけどね。

 
  巣穴に持って行き、これに卵を産み付けるのかなと思います

私がここに来てから60年弱。いろいろと変わりましたね。変わった物事を並べてみようと思います。

食べられるキノコが裏山で採れなくなった。 ガチャガチャとかチンチロリンと鳴く秋の虫の声が無くなった。
リスが来なくなった。 雁の群が空を飛ばなくなった。 カッコウの声が無くなった。 ヒバリが畑から飛び上がらなくなった。 
スズメが我が家の屋根で子育てをしなくなった。 
フクロウの子は神社の境内で、カラスの被害に遭わないようにと保護して鳥獣センターに引き取ってもらったことはあったが、ホーホーという声は、ずいぶん前から聞くことができなくなった。

 
 頭上では、かなりのカラスが鳴いていました。危ない。

 
 段ボールに保護し、鳥獣センターへ 今ごろ何処かの山で元気に暮らしているかい?

ヤマカガシ(我が地域ではヤマガジと言っていた)と言うヘビが見られなくなった。アオダイショウやシマヘビが極めて少なくなった。
反面、マムシが増えた。
狸がいなくなった。野うさぎはほとんど見られなくなった。

大雪が降らなくなった。田んぼでスケートが出来なくなった。
と、即座に思い付いたことを書いてみましたが、そんなに無くなってしまったものがあります。

 
     孵った幼虫は、この青虫を食べて大きくなる?
     この際、カメラを向けても逃げない根性

これで良いのかなとしみじみと思っています。無くしたものが多すぎて、そら恐ろしくなってきます。
人の暮らしが変わったことは当たり前ですが、それで伝統のものも無くなりました。

百万遍をしなくなった。神輿かつぎ は無くなり軽トラで神輿を運んでいる。
どさ回りの芝居を呼ばなくなった。子安講がなくなった。十九度(堂?)参りが無くなった。加波山に行ってお札をもらってくる講がなくなった。葬式の手伝いが無くなった。

 

アイスキャンデーを売りに来なくなった。魚屋が家毎に魚を売りにこなくなった。
穀物や菜種・豆類などを一升でも二升でも買い求めに来なくなった。
越後の薬屋が置き薬を各家に納めに来なくなった・紙風船をよくもらったものだった。
物乞いが来なくなった。押し売りが来なくなった。鍋など直し(鋳掛け屋)に来なくなった。犬ころし(野良犬の捕獲)が来(なくなった。駐在さんが戸別訪問に来なくなった。ナットナット-と大声を出しながら納豆売りがこなくなった。豆腐屋が個別毎に売りに来なくなった。シジミ売りも来なくなった。
我が町内に雑貨食品を取り扱う小さな店が5軒あったが、すべて店を閉めた。

  

小川に子どもの姿が見られなくなった。(魚すくいの子どもなどいなくなった。川で水浴びをする子がいなくなった。) 川の水が汚くなった。
年寄りが集まっておしゃべりの会をしなくなった。年寄り同士の付き合いがゼロになった。
トンボ取りの姿など全く見られなくなった。小さな谷津田という谷津田は草ボウボウで稲など育てなくなった。大部分の畑は田んぼ(陸田)に変わってしまった。

まだまだあると思います。我が家は田舎にあるので来なかったのは紙芝居です。町に行くと水飴を買って舐めながら紙芝居を見ている自分と同じ年頃の子どもを見かけました。町に出るとちょっとしたカルチャーショックを受けたものです。

反面、半世紀くらい前に出来た店は床屋が一軒。数年前にコンビニが一軒。コインランドリーが一軒できて、数年で無くなった。