昨日の続きです。
それで、この「反省会」ですが、終戦後25年経った、昭和55年から130回、11年間行われ、毎回3時間ほど、参加者は40人程度で、録音時間は400時間だそうです。
聞いていて呆れるのは、「軍令部には長期的な計画を冷静に研究するスタッフがいなかった」、「本当に国力その他検討して対米戦に勝てるのか、勝てないのか 本当に検討していなかった」、何てことを、戦争を計画した“軍令部作戦課”の軍人が発言しているのです。
どうも、時代の、勢いと云うか、流れと云うか、空気と云うか、強硬論に流されてしまったと云うか・・・・・・、冷静で客観的な分析に基づく主張は、弱気だとか、軟弱だとか、で排除されると云うか、口にも出せない空気だったのでしょう。
大日本帝国だとか、皇国だとか、神国だとか、神風だとか、勇ましい精神論におされて、沈黙するしかなかったのでしょう。いつの時代も、勇ましく派手な主張をする勢力が多数派になるのです。
“15歳の志願兵”で、配属将校が「鬼畜米英に対して誇れるものは質である、物量に対して質的優位である」と叫んでいるのですが、当時、ほとんどの国民は質的優位に疑問を抱いていなかったように思います。
我が日本国は西洋列強と比較しても、“質的優位”にあるとの認識は、いったい、いつ、どこから来ているのでしょうか。
明治維新後、和魂洋才で、追いつき追い越せで、西洋の科学技術を取り入れ、日露戦争で大国ロシアに日本海海戦で勝利した、あの日露戦争あたりが自信と云うか、過信と云うか、誤信と云うか、始まりだったのでしょう。
番組の中で、「軍隊は過去の戦争を戦っている、それも勝利した時の成功体験で・・・」と、大平洋戦争を「日本海海戦の戦術で、大艦巨砲主義で戦って」負けたと、半藤さんが発言していました。
過去の戦争を戦うのは日本海軍だけなの? 米国海軍は新しい戦略、戦術を採用したことで勝ったの? もし、そうならば、なぜ米国海軍は過去戦争ではなく、新しい戦略戦術を選択できたのか?
戦争資料館の口髭の方が、「これまでの戦争は、戦争開始時の戦力で最後まで戦っていたので、開戦時の兵力で、勝敗の帰趨はほぼ決まっていた」と発言していました。
このことが、国力的に差があっても、開戦時の兵力では、それほど大きな差はないので、軍部が開戦に踏み切った理由であると、言いたかったようですが、そこまではっきり言いませんでした。
でも、しかし、第二次世界大戦では、開戦時の兵力では勝敗の帰趨は決まりませんでした。どうして、これまでの戦争と異なり、米英は開戦時の兵力ではなく、開戦後に軍備を増強してまで戦ったのか?
第二次大戦は、日独伊の「全体主義国家」と、米英連合諸国の「自由主義国家」との戦いでした。「国体」として自由主義の方が優れているので、戦意も兵器の生産力も、全体主義国家を上回ったので、連合国が勝利したのか?
全体主義国家には、自由な言論が無いために、「戦争の長期的計画」がなくても、過去の「開戦時の戦力で勝敗は決まる」と云っても、「日本国は質的に優位にある」と云っても、「神国とか皇国とか神風が吹く」とか云っても、「デタラメな戦況」を流しても、誰しも、反対意見は、思っていても、口に出せない・・・・・・。
そこいらが、見かけは、まとまっている、ようで、まとまっていない。強いようで、強くない、全体主義の特徴故の弱さなのでしょうか。
話をちょっと、反省会に戻します。
それで、組織の弊害の話ですが、軍令部の作戦課に所属していた方が「長期的とか、国家的とか、そんな大方針は上の方で考えている、と、思っていた・・・」発言しているのです。
国家よりも海軍、海軍よりも軍令部、軍令部よりも作戦課、結局、個別部署の論理でしかなかった戦争戦争計画、組織全体を束ねる代表者は、判断を個別部署に任せていたのです。
全体的視点で、各個別専門分野から上がってくる、分析結果とか方針とか計画とかを、全体的視点での、分析、調整、評価、判断、責任等を放棄して、下へ、下へと、責任を転嫁し、下は下で、上へ上へと、責任を転嫁しているのでした。
特集の3回シリーズを見た視聴者から「海軍も、今勤めている会社も、同じような組織の問題点を抱えていたことを知り驚いた」何て感想が多かったようです。
これって、とても日本的な問題なの? なぜそうなるの? どうしたらいいの? でしょうか。
それで、番組最後にディレクターが、
『判断を誤ったのは、
“過去の成功体験への固執”“自らの所属部署を何よりも大事にする”事が原因。
“なぜ多くの犠牲者が出る前に止められなかったのか”については、“当初の勝ち戦への国民の熱狂が”と、“それを煽ったメディア”に責任の一旦が・・・。
との発言がありました』
でも、それだけなの・・・・・・? ちょっと、物足りない結論と云うか教訓です。NHKとしては、この辺が限界なのでしょう。
最後に出席した3人から、
「戦争の教訓を伝える・・・口髭資料室」、「時代の動きに敏感になる・・・沢地」「時代の選択を誤らない為に学ぶこと・・・半藤」
と述べていました。
すべて、とても、とても、難しい課題です。
戦争の教訓は、考え方で受け止め方は異なります。
時代の動きに敏感になっても、考え方で反応のしかたが異なります。
時代の選択は、すべて、その時点では、正しいと思っています。過ぎ去ってから、振り返らないと、正しかったのか、過っていたのかは判りません。
まぁ、そんな、こんなを考えた、特集番組でした。
それでは、また明日。
それで、この「反省会」ですが、終戦後25年経った、昭和55年から130回、11年間行われ、毎回3時間ほど、参加者は40人程度で、録音時間は400時間だそうです。
聞いていて呆れるのは、「軍令部には長期的な計画を冷静に研究するスタッフがいなかった」、「本当に国力その他検討して対米戦に勝てるのか、勝てないのか 本当に検討していなかった」、何てことを、戦争を計画した“軍令部作戦課”の軍人が発言しているのです。
どうも、時代の、勢いと云うか、流れと云うか、空気と云うか、強硬論に流されてしまったと云うか・・・・・・、冷静で客観的な分析に基づく主張は、弱気だとか、軟弱だとか、で排除されると云うか、口にも出せない空気だったのでしょう。
大日本帝国だとか、皇国だとか、神国だとか、神風だとか、勇ましい精神論におされて、沈黙するしかなかったのでしょう。いつの時代も、勇ましく派手な主張をする勢力が多数派になるのです。
“15歳の志願兵”で、配属将校が「鬼畜米英に対して誇れるものは質である、物量に対して質的優位である」と叫んでいるのですが、当時、ほとんどの国民は質的優位に疑問を抱いていなかったように思います。
我が日本国は西洋列強と比較しても、“質的優位”にあるとの認識は、いったい、いつ、どこから来ているのでしょうか。
明治維新後、和魂洋才で、追いつき追い越せで、西洋の科学技術を取り入れ、日露戦争で大国ロシアに日本海海戦で勝利した、あの日露戦争あたりが自信と云うか、過信と云うか、誤信と云うか、始まりだったのでしょう。
番組の中で、「軍隊は過去の戦争を戦っている、それも勝利した時の成功体験で・・・」と、大平洋戦争を「日本海海戦の戦術で、大艦巨砲主義で戦って」負けたと、半藤さんが発言していました。
過去の戦争を戦うのは日本海軍だけなの? 米国海軍は新しい戦略、戦術を採用したことで勝ったの? もし、そうならば、なぜ米国海軍は過去戦争ではなく、新しい戦略戦術を選択できたのか?
戦争資料館の口髭の方が、「これまでの戦争は、戦争開始時の戦力で最後まで戦っていたので、開戦時の兵力で、勝敗の帰趨はほぼ決まっていた」と発言していました。
このことが、国力的に差があっても、開戦時の兵力では、それほど大きな差はないので、軍部が開戦に踏み切った理由であると、言いたかったようですが、そこまではっきり言いませんでした。
でも、しかし、第二次世界大戦では、開戦時の兵力では勝敗の帰趨は決まりませんでした。どうして、これまでの戦争と異なり、米英は開戦時の兵力ではなく、開戦後に軍備を増強してまで戦ったのか?
第二次大戦は、日独伊の「全体主義国家」と、米英連合諸国の「自由主義国家」との戦いでした。「国体」として自由主義の方が優れているので、戦意も兵器の生産力も、全体主義国家を上回ったので、連合国が勝利したのか?
全体主義国家には、自由な言論が無いために、「戦争の長期的計画」がなくても、過去の「開戦時の戦力で勝敗は決まる」と云っても、「日本国は質的に優位にある」と云っても、「神国とか皇国とか神風が吹く」とか云っても、「デタラメな戦況」を流しても、誰しも、反対意見は、思っていても、口に出せない・・・・・・。
そこいらが、見かけは、まとまっている、ようで、まとまっていない。強いようで、強くない、全体主義の特徴故の弱さなのでしょうか。
話をちょっと、反省会に戻します。
それで、組織の弊害の話ですが、軍令部の作戦課に所属していた方が「長期的とか、国家的とか、そんな大方針は上の方で考えている、と、思っていた・・・」発言しているのです。
国家よりも海軍、海軍よりも軍令部、軍令部よりも作戦課、結局、個別部署の論理でしかなかった戦争戦争計画、組織全体を束ねる代表者は、判断を個別部署に任せていたのです。
全体的視点で、各個別専門分野から上がってくる、分析結果とか方針とか計画とかを、全体的視点での、分析、調整、評価、判断、責任等を放棄して、下へ、下へと、責任を転嫁し、下は下で、上へ上へと、責任を転嫁しているのでした。
特集の3回シリーズを見た視聴者から「海軍も、今勤めている会社も、同じような組織の問題点を抱えていたことを知り驚いた」何て感想が多かったようです。
これって、とても日本的な問題なの? なぜそうなるの? どうしたらいいの? でしょうか。
それで、番組最後にディレクターが、
『判断を誤ったのは、
“過去の成功体験への固執”“自らの所属部署を何よりも大事にする”事が原因。
“なぜ多くの犠牲者が出る前に止められなかったのか”については、“当初の勝ち戦への国民の熱狂が”と、“それを煽ったメディア”に責任の一旦が・・・。
との発言がありました』
でも、それだけなの・・・・・・? ちょっと、物足りない結論と云うか教訓です。NHKとしては、この辺が限界なのでしょう。
最後に出席した3人から、
「戦争の教訓を伝える・・・口髭資料室」、「時代の動きに敏感になる・・・沢地」「時代の選択を誤らない為に学ぶこと・・・半藤」
と述べていました。
すべて、とても、とても、難しい課題です。
戦争の教訓は、考え方で受け止め方は異なります。
時代の動きに敏感になっても、考え方で反応のしかたが異なります。
時代の選択は、すべて、その時点では、正しいと思っています。過ぎ去ってから、振り返らないと、正しかったのか、過っていたのかは判りません。
まぁ、そんな、こんなを考えた、特集番組でした。
それでは、また明日。