歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

②映画“利休” 走る秀吉と摘まれる朝顔

2011年09月22日 | 映画の話し
一昨日の続きです。

それで映画“利休”ですが、冒頭は、あの“朝顔”の逸話から始まるのです。

朝靄のなか、秀吉を迎えての茶会の準備。

炭火を熾し、


水を汲み、


沸かす前に水を濾し、


花を摘み、


花を生ける。茶会はこういう前段階から、もう、始まっているようです。


利休は、垣根に咲く朝顔の中から、薄く、淡く、儚く、枯れた色の朝顔を一輪だけ選ぶのです。鮮やかな青い朝顔は避けるのです。“わびさび”です。私であれば、まだ、まだ、鮮やかな青い朝顔を選びます。

そして弟子に、残りのすべての朝顔を摘み取るように命じるのです。


朝顔の美しさを茶室の一輪に集中させるのです。なかなかの演出です。お見事です。


わたくし摘み取られた朝顔が哀れに思えたのですが、しかし、考えて見ると、陽が上るまでの一時の命、陽に当たれば瞬く間に醜く萎む朝顔・・・・・・。

美しい盛りに摘み取る、それは、それで、いいのかも知れません。そして、次の朝、また美しく咲くのですから・・・・・・。

儚い朝顔には、儚い色が似合う。

そんな“わびさび”で、秀吉を迎える利休。

そこへ、金ぴか衣装で家来を従え走る秀吉。兎に角、走る、


朝靄のなか、走る、走る、ハシル、ハシルヒデヨシ、ハシバヒデヨシ・・・・・・。オヤジギャグでした。


この作品のなかで秀吉はよく走るのです。走り、いそぐ、秀吉。

“本能寺の変”での“中国大返し”、兎に角、秀吉は走ることで天下人になりました。百姓から這い上がり、天下をとり、歴史を駆け抜けた秀吉、そのことを象徴した演出でしょうかね。

それで、庭先に走り込み、花の摘み取れた朝顔の生け垣を見て、


不思議に思う秀吉。


茶室に飾られた一輪の朝顔、


感動し、驚き、そして、利休に“脅威”を感じる秀吉。


走る秀吉、佇む利休?



この作品を観ていると、茶頭の役割とか、武士と茶の湯とか、わび茶とか、ワビサビとか、モノのの哀れとか、いろいろ興味が湧いて来てます。


この続きは、次回とします。


それでは、また。


コメント
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