先週からの続きです。
湯西川温泉シリーズの10回目です。後1回でお終いの予定。
と、云う事で、そろそろ朝の散歩は終了、宿に引き返します。
引き返す途中、やっぱり、ここは湯西川温泉です、平家落人村です、この湯殿山神社は、一応チェックです。
湯殿ですから、お風呂で、温泉の神様と云う事ですかね?湯西川で温泉が発見されたのは天正年間(1573~1592)頃だそうです。
平家が源氏との戦に敗れ、山里に隠れ住んだのは、平安時代末期ですから1180年代以降ですから、温泉が発見されたのは、山奥に隠れ住んで400年もの時が過ぎてからの事です。神社に関する記録は、享保十一年(1726年)以後のものしか存在していないそうです。
例大祭は8月18日(以前は旧暦の7月20日であった)に行われ、通称二十日祭りと云うそうです。と、云う事は、この横断幕の“平家大祭”と云う行事、いろいろ調べたのですが、特に謂われは無さそうな?
ポスターには源氏と平家の最終戦、壇ノ浦の合戦から828年とあり、祭りは毎年6月4・5日の開催されているようです。6月4・5日の開催は壇ノ浦の合戦の日?
調べて見たら、壇ノ浦の戦いは確かに今から828年前の1185年で旧暦“3月24日”で、新暦では4月25日、6月4・5日とは関係ないのです。6月4・5日はどこから来ているの?
何か、“平家大祭”は、どうも、“神事”ではなく、単なる“観光行事”の匂いが漂います。まあ、それなりに謂われはあるのでしょう。
まあ、兎に角、湯殿山神社にお詣りします。
思っていたよりも、とても、こぢんまりです。参道には石畳なく、灯籠もなく、狛犬もなく、本殿は小さな祠です。
祠の前に、先が鋭くとがった丸太の杭? 神社でこのようなものを見るのは始めてです。大祭まで一週間(訪れたのは5月30日)です。何か、武器を象徴しているようにも見えます。
周囲は、まさに、鬱蒼とした山林。矢尽き刀折れ、槍を支えに足を引きずる落ち武者の亡霊が、奥の方から数人現れても、とても納得の風景です。
何となく、怪しい気配を感じながら御参りを済ませ、後ろを振り向かず湯殿神社を後にしました。
旅館に帰り朝食です。
それでは、また。
湯西川温泉シリーズの10回目です。後1回でお終いの予定。
と、云う事で、そろそろ朝の散歩は終了、宿に引き返します。
引き返す途中、やっぱり、ここは湯西川温泉です、平家落人村です、この湯殿山神社は、一応チェックです。
湯殿ですから、お風呂で、温泉の神様と云う事ですかね?湯西川で温泉が発見されたのは天正年間(1573~1592)頃だそうです。
平家が源氏との戦に敗れ、山里に隠れ住んだのは、平安時代末期ですから1180年代以降ですから、温泉が発見されたのは、山奥に隠れ住んで400年もの時が過ぎてからの事です。神社に関する記録は、享保十一年(1726年)以後のものしか存在していないそうです。
例大祭は8月18日(以前は旧暦の7月20日であった)に行われ、通称二十日祭りと云うそうです。と、云う事は、この横断幕の“平家大祭”と云う行事、いろいろ調べたのですが、特に謂われは無さそうな?
ポスターには源氏と平家の最終戦、壇ノ浦の合戦から828年とあり、祭りは毎年6月4・5日の開催されているようです。6月4・5日の開催は壇ノ浦の合戦の日?
調べて見たら、壇ノ浦の戦いは確かに今から828年前の1185年で旧暦“3月24日”で、新暦では4月25日、6月4・5日とは関係ないのです。6月4・5日はどこから来ているの?
何か、“平家大祭”は、どうも、“神事”ではなく、単なる“観光行事”の匂いが漂います。まあ、それなりに謂われはあるのでしょう。
まあ、兎に角、湯殿山神社にお詣りします。
思っていたよりも、とても、こぢんまりです。参道には石畳なく、灯籠もなく、狛犬もなく、本殿は小さな祠です。
祠の前に、先が鋭くとがった丸太の杭? 神社でこのようなものを見るのは始めてです。大祭まで一週間(訪れたのは5月30日)です。何か、武器を象徴しているようにも見えます。
周囲は、まさに、鬱蒼とした山林。矢尽き刀折れ、槍を支えに足を引きずる落ち武者の亡霊が、奥の方から数人現れても、とても納得の風景です。
何となく、怪しい気配を感じながら御参りを済ませ、後ろを振り向かず湯殿神社を後にしました。
旅館に帰り朝食です。
それでは、また。