歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

2011年3月11日14時46分で思いを巡らす

2014年03月11日 | 世間話し
あれから、“もう”と云うか、“未だ”と云うか、記憶は薄れたと云うか、消えてしまったと云うか、大地震に、大津波に、原発3基がメルトダウンで放射能汚染。

恐怖、怒り、悲しみ、申し訳ないのですが、被害当事者でないと、その気持ちは、なかなか持続しないものです。

人間、誰しも、当事者になる可能性はあるのですが、でも、自分だけは、大丈夫だと、思いつつ、日々、生きているのです。

まあ、そうでも、無ければ、生きてはいけません。生きていく事は、とても、とても、危険なのです。

当日の2時46分頃は、田圃の畦道を自転車でノンビリと走っていたのです。

ビニールハウスが強風で煽られバタバタと音をたてような気がしたので、辺りを見回したのですが、ビニールハウスはありません。

自転車から降りると、地面が波打つように揺れている感覚が足に伝わってきました。近くの電柱も揺れていました。地震だと気が付きましたが、それほど大きな地震とは思いませんでした。

震度6で3分間ほど揺れたそうですが、私にはその実感がまったくありません。それから家に戻って、テレビ画面を見続けたのです。

それから数日間、数週間、テレビは悲惨な場面を流し続けていたのですが、その時の記憶が、いまは、かなり消えてしまっているのです。

想像を超えた、凄惨な場面の連続で、現実として受け止める限界を超えていたのです。でも、現実に起こった事なのです。

でも、しかし、映像でしか見てはいなし、わたしの日常は、あの日の前と、あの日の後も、目に見える範囲では、あまり変わっていないのです。

津波や震災の被害は、時間が経過するに従って、それなりに、回復し、復興していくと思います、が、でも、しかし、誰もが、怖くて、口にしない、原発の恐怖。

セシウムも、ストロンチウムも、トリチウムも、放射線も、目には見えないし、匂いも無いし、晩発生レベルだし、他の要因でも発症する疾患だし、発生率も微妙だし、原因特定に時間が掛かるし、責任も曖昧だし・・・・・・。

そんな恐怖は、気にしていても、口に出しづらいし、悩んでいると、身体にも良くないし、自分だけは、当事者にはならないと思うし、それなら、忘れた方が、心の平安も、世の中の平安も、保てるし・・・・・・。

嫌な過去は、みんなで、一緒に、忘れて、前向きに、東京オリンピックで明るく、楽しく、景気良く・・・、兎に角、命よりも暮らしと思い、世の中は回っているような・・・。

でも、しかし、ホントは、みんな、それなりに気付いているのかも、原発事故は現在進行形で、放射線被害は、これから拡大していくと・・・・・・。

道路が、橋が、トンネルが、鉄道が、港が、防潮堤が、住宅が、学校が、工場が、農業が、漁業が、町が、暮らしが、復興しつつあっても、やっぱり、心の隅で、原発に怯えているのです。

もしかして、あの時、日本は、もう、壊れていた?

でも、良いのか、悪いのか、この国の我々は、あまり考えない、反省しない、責任は追及しない、嫌な事は忘れる、何も無かったように、また、立ち上がり、ふり返えらずに、歩き出すのは得意ですから、今度も、大丈夫?


でも、やっぱり、今度こそ、ホントに壊れちゃった?


壊れたのは、この私だけ?


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする