前回からの続きです。
六本木ヒルズの裏側?から出ると、目の前には満開をちょっと過ぎた櫻並木(4月6日)が眼に飛び込んできました。
ハラハラと、ヒラヒラと、舞い散る花びら。
散り始めの櫻は、儚さと、虚しさと、華やかさと、艶やかさが、同居して、とても、とても、味わい深いのです。
桜並木に、ゆったりとカーブした坂、路面を染めるピンクの花びら、何とも、一人ではもったいない風景、きれいだね!と、誰かに話しかけたくなるのです。
桜坂のカフェテラス、ここは、ワインとパスタでランチといきたいのですが、一人では、寂しくなるので眺めるだけにします。
それでも、一応、今後のために、価格帯のチェック。ここは、かなり、リーズナブルです。六本木で、このロケーションで、この料金はOKです。次回は、ここで必ずランチします。
ホント!この桜坂のカフェテラス、気に入りました。
ふり返り、仰ぎ見ると、花の間から、空に伸びるヒルズタワーが見えます。
坂の途中にはお寺が、櫻の花にお寺は似合うのです。鉄筋コンクリート製の本堂、まだ新しそうです。日蓮宗松栄山妙経寺です。
道の向かいにはお墓です。整然と配置された墓石、空きもかなりあります。こちらも、まだ新しいようです。
たぶん、これは、ヒルズの再開発でこちらに移転された気がします。
と、思い、調べてみたら、やっぱり、平成13年に六本木ヒルズ建設により現在地に移転したそうです。
創立は、
①万治元(1658年)年4月8日の創立だそうです。(本命)
②「麻布區史」によれば寛永七(1630年)年、または明暦元年(1655年)3月15日だそうです。
③また、港区史「上巻」によれば明暦元(1655年)3月15日だそうです。
④また、「御府内寺社備考 第六冊 時宗・法華宗」では、寛永七(1630年)とあるそうです。
宗旨は、
真言宗から身延山久遠寺の末寺として、「日蓮宗に改宗」したと伝えられるそうです。
寺の名称は、
最初、「長福寺」と称したが、九代将軍家重の幼名「長福丸」をはばかって享保元(1716年)8月に現称としたそうです。
ここまで、妙経寺HPからの抜粋でした。
1630年から1658年まで、いろいろな説があるようですが、兎に角、今から、357年から385年前なのです。
真言宗から日蓮宗へ宗旨変えをしたり、将軍家に気お使い名称を変えたり、再開発で移転を強いられたり、いろいろと大変な歴史があるお寺のようです。
そして、妙経寺まえを通りすぎる、ひと目を惹くファションのお婆さん、さすが六本木と感心したと云うか、関心したと云うか、寒心したと云うか・・・。
これで六本木ヒルズを後にします。
地図で云うと、いま、こんな処を歩いているのです。
こちらの路地も、
こちらの通りも、北千住とか、押上とか、業平とか、そう云っても、おかしく無い、そんな風景。六本木的風景は表通りだけ?のようです。
裏通りを広尾に向かって歩きます。
まだ、続きます。
それでは、また、お会いしましょう。
六本木ヒルズの裏側?から出ると、目の前には満開をちょっと過ぎた櫻並木(4月6日)が眼に飛び込んできました。
ハラハラと、ヒラヒラと、舞い散る花びら。
散り始めの櫻は、儚さと、虚しさと、華やかさと、艶やかさが、同居して、とても、とても、味わい深いのです。
桜並木に、ゆったりとカーブした坂、路面を染めるピンクの花びら、何とも、一人ではもったいない風景、きれいだね!と、誰かに話しかけたくなるのです。
桜坂のカフェテラス、ここは、ワインとパスタでランチといきたいのですが、一人では、寂しくなるので眺めるだけにします。
それでも、一応、今後のために、価格帯のチェック。ここは、かなり、リーズナブルです。六本木で、このロケーションで、この料金はOKです。次回は、ここで必ずランチします。
ホント!この桜坂のカフェテラス、気に入りました。
ふり返り、仰ぎ見ると、花の間から、空に伸びるヒルズタワーが見えます。
坂の途中にはお寺が、櫻の花にお寺は似合うのです。鉄筋コンクリート製の本堂、まだ新しそうです。日蓮宗松栄山妙経寺です。
道の向かいにはお墓です。整然と配置された墓石、空きもかなりあります。こちらも、まだ新しいようです。
たぶん、これは、ヒルズの再開発でこちらに移転された気がします。
と、思い、調べてみたら、やっぱり、平成13年に六本木ヒルズ建設により現在地に移転したそうです。
創立は、
①万治元(1658年)年4月8日の創立だそうです。(本命)
②「麻布區史」によれば寛永七(1630年)年、または明暦元年(1655年)3月15日だそうです。
③また、港区史「上巻」によれば明暦元(1655年)3月15日だそうです。
④また、「御府内寺社備考 第六冊 時宗・法華宗」では、寛永七(1630年)とあるそうです。
宗旨は、
真言宗から身延山久遠寺の末寺として、「日蓮宗に改宗」したと伝えられるそうです。
寺の名称は、
最初、「長福寺」と称したが、九代将軍家重の幼名「長福丸」をはばかって享保元(1716年)8月に現称としたそうです。
ここまで、妙経寺HPからの抜粋でした。
1630年から1658年まで、いろいろな説があるようですが、兎に角、今から、357年から385年前なのです。
真言宗から日蓮宗へ宗旨変えをしたり、将軍家に気お使い名称を変えたり、再開発で移転を強いられたり、いろいろと大変な歴史があるお寺のようです。
そして、妙経寺まえを通りすぎる、ひと目を惹くファションのお婆さん、さすが六本木と感心したと云うか、関心したと云うか、寒心したと云うか・・・。
これで六本木ヒルズを後にします。
地図で云うと、いま、こんな処を歩いているのです。
こちらの路地も、
こちらの通りも、北千住とか、押上とか、業平とか、そう云っても、おかしく無い、そんな風景。六本木的風景は表通りだけ?のようです。
裏通りを広尾に向かって歩きます。
まだ、続きます。
それでは、また、お会いしましょう。