そも、そも、です。
フツウ、人は自分の意見に反対される事を、こころよく思わないものです。
まして、フツウの人では無い時の政府、政権政党、権力者は、自らの政策に反対される事は、フツウにこころよく思いません。
でも、しかし、フツウの人とは異なり、政権を握る政党は、こころよく思わないだけではなく、こころよく無い事を云う、人達を、組織を、取り締まる権力をもっているのです。やる気になれば、実力で黙らせることもできるのです。
そして、そも、そも、です。政治家を志すお方は、上昇思考が、権力思考が、自己主張が、とても、とても、とても、強い方で、兎に角、四の五の言わず、俺のやり方に文句は云うな、黙って俺に付いて来いタイプなのです。
そんなタイプのお方ですから、四の五の言わせないように、先ずは、テレビ新聞に四の五の言わせなくするのです。
政府の政策に対しての判断は、フツウはテレビ・新聞の二次情報に影響されるのです。そこで、二次情報の内容に政府は口を出し、手を出し、時には金を出すのです。
でも、しかし、いくら何でも、二次情報を100%政府寄りにはできないのです。時々批判とか、反対とか、それなりのポーズとらないと、すべてが信用されなくなります。
ですから、テレビ新聞も、商売上、アチラを立てたり、コチラを立てたりで、報道の中立の名の下に、是々非々の名の下に、適度な匙加減で商売をしているのです。
でも、しかし、安倍政権になってからは、報道の匙加減は、中心軸は、かなり、かなり、政権擁護側に移動しています。
安倍政権は、これまでの自民党政権とは、かなり、かなり、性格が異なるのです。彼の主張を受け入れやすい、政治的、経済的な環境にあるからです。
そして、これまでの政権よりも、マスコミへの介入は、マスコミの服従は、度を超しています。
これは、安倍政権がマスコミ操作に長けているのではなく、過去の政権指導者は、それなりに権力行使に抑制が働いていたのです。
政権の思うがままに、マスコミ操作することは、とても、とても、危険な事と、それなりに理解していたのです。
安倍政権は、危険な時代に現れた、危険な政治家です。
権力者の考え方で、政治は、法律解釈は、世の中は、変化します。
法律のなかの法律である憲法でさえ、時の政権政党の解釈ひとつで、一夜にして、クルリンパと、躊躇無く変えてしまいました。日本を取り巻く状況が変化したとして、解釈は変幻自在です。
ですから、それで、「共謀罪」ですが、国会審議で、適用する犯罪種類とか、一般人には関係ないとか、市民団体、宗教団体、労働団体、政党には、法律の適用は及ばないとか、そんな言質は、法律の成立後の取り締まりには、いっさい影響しないのです。法律とは、そういうモノなのです。
「共謀罪は!テロ組織とか、犯罪組織とか、暴力団とか、悪い人達が集まって、悪い事実行する前に、考えたり、相談したり、企てた段階で、犯罪として取り締まる法律で、一般人とか、フツウの人とかには、まったく関係ありません」
何て事を云っているのです。
法案の国会質疑での、政府答弁など、屁の突っ張りにも成りません。時間のムダなのです。廃案あるのみです。
まあ、それは、それなのですが、一般の人、フツウの人、政治に関心の無い方達にとって、共謀罪はまったく無関係と考えているのです。
確かに、フツウに暮らしていると、まったく無関係に暮らしていけるのです。
ホントは、とても、とても、身近な暮らしに影響するのですが、気が付かないのです。身近に差し迫って、これはヤバイ!と思った時は、後の祭りなのです。
大多数のフツウの人達が、時の権力に逆らわないようにするには、一部の人達に対して、権力を行使すれば、それで一丁上がりです。
一部の人達の権力批判を抑えれば、多数のフツウの人達は、意識することなく、権力の思うがままとなります。
まあ、いまでも、権力に逆らう人は少数派ですから、それに加えて共謀罪で、秘密保護法で、盗聴法ですから、もう完璧だと思います。
そして、来年で、戦後憲法下で、象徴としての今上陛下は退位されます。
時代は大きく変化します。
教育勅語も堂々と政治の表舞台に登場しました。次は、軍人勅諭の出番です。
それにしても、綺麗に咲いた桜を眺めていると、もう、そんな事は、どうでもイイと思えてきます。
日本国民が選んだ、選良がする事ですから、すべては、国民の望むままに・・・かも知れません。
それでは、また。