前回の続きです。
姫路城のお話です。
はい、これから、いよいよ、天守閣を目指します。
兎に角、坂道で、狭くて、いの門、ろの門、はの門、にの門と、敵の攻撃からの防衛策が施されているのです。
各門では、上から、横から、左右から、と、鉄砲、弓の攻撃の為、四角とか、三角とか、狭間(サマ)と呼ばれる穴が開いているのです。
天守に向かって行ったり来たり、
狭かったり、折れ曲がったり、
頭上を低くして通り難くしたり、
いろいろな策が施されています。鉄壁の守り? なのです。
でも、しかし、です。
城郭の周囲まで、そして、内部まで、敵に攻め込まれたならば、もう、どう戦おうと負け戦です、籠城戦に勝利はありません。
籠城戦は別の場所からの、援軍を頼りにした防衛戦です。双方の兵力が均衡していると、時間のかかる消耗戦になります。
それにしても、鉄壁の守りも兵器の進化で、過去の遺物となります。
姫路城が現状のような完成形になったのが、関ヶ原の戦い以降で、池田輝政が城主となった時代のようです。
関ヶ原の戦い以降ですから、大砲も登場しています。城から離れた場所から、大砲の弾を撃ち込まれたら、坂も、くねくね道も、狭間も、何の役に立ちません。
まあ、築城時より、見た目のお飾り?、お遊び? 気休めの防衛策?
以前、"NHKの姫路城特番"で、かの有名な城郭専門家の "千田 嘉博"さんが、姫路城の防衛策を、面白おかしく褒めたたえていましたが、私としては、大砲の弾で、天守は破壊され落城! と、思ったりしたのです。
まあ、歴史上、姫路城が戦場となり、籠城戦を戦った事実はありません。
それとは、別に、この石垣ですが、大きな石の間に挟まっている、小さな石ころたちが気になったのです。
こちら中央の、ちいさな"丸い石"ですが、触ってみたら、動くのです、引っ張れば外れるのです。まあ、これも国宝の一部?ですから、現状変更は違法です! 逮捕です! 軽く触れるだけで、引っ張り出したりはしていません。
兎に角、大きな石の間に嵌められている小石達は、触ると、どれも、カタカタ動くのでした。
もしかして、この "遊び" が "余裕" が 、いざと云う時の、まさかの時の、衝撃や振動で、ガッチリと締まり、石垣の強度を上げる、そんな、巧妙な仕掛けなのでしょうか? まあ、そう考える事にします。
いよいよ、天守の真下に近づいてきました。
こちら、羽柴秀吉時代のものと伝わる"油塀"だそうです。
"土・豆砂利・もち米のとぎ汁・おかゆ、などで固められた" とパンフレットにありました。油は使ってないの?
また、"城内ではこの一か所だけに残る"との説明がありまが、"だけに残る" と云う事は、昔は、至る所にあったの?
はい、天守閣の真下に到着しました。
いよいよ、内部に潜入します。
この先は、次回。
ここで、本日の、認知機能低下防止対策は終了します。
それでは、また次回。