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姫路城 その ④ 籠城戦は負け戦 ! 狭間もお飾り? 兵器の進化で! 砲撃戦で! 一撃落城 !  

2024年12月18日 | 旅の話し

前回の続きです。

姫路城のお話です。

はい、これから、いよいよ、天守閣を目指します。

兎に角、坂道で、狭くて、いの門、ろの門、はの門、にの門と、敵の攻撃からの防衛策が施されているのです。

各門では、上から、横から、左右から、と、鉄砲、弓の攻撃の為、四角とか、三角とか、狭間(サマ)と呼ばれる穴が開いているのです。

天守に向かって行ったり来たり、

狭かったり、折れ曲がったり、

頭上を低くして通り難くしたり、

いろいろな策が施されています。鉄壁の守り? なのです。

でも、しかし、です。

城郭の周囲まで、そして、内部まで、敵に攻め込まれたならば、もう、どう戦おうと負け戦です、籠城戦に勝利はありません。

籠城戦は別の場所からの、援軍を頼りにした防衛戦です。双方の兵力が均衡していると、時間のかかる消耗戦になります。

それにしても、鉄壁の守りも兵器の進化で、過去の遺物となります。

姫路城が現状のような完成形になったのが、関ヶ原の戦い以降で、池田輝政が城主となった時代のようです。

関ヶ原の戦い以降ですから、大砲も登場しています。城から離れた場所から、大砲の弾を撃ち込まれたら、坂も、くねくね道も、狭間も、何の役に立ちません。

まあ、築城時より、見た目のお飾り?、お遊び?  気休めの防衛策? 

以前、"NHKの姫路城特番"で、かの有名な城郭専門家の "千田 嘉博"さんが、姫路城の防衛策を、面白おかしく褒めたたえていましたが、私としては、大砲の弾で、天守は破壊され落城! と、思ったりしたのです。

まあ、歴史上、姫路城が戦場となり、籠城戦を戦った事実はありません。

それとは、別に、この石垣ですが、大きな石の間に挟まっている、小さな石ころたちが気になったのです。

こちら中央の、ちいさな"丸い石"ですが、触ってみたら、動くのです、引っ張れば外れるのです。まあ、これも国宝の一部?ですから、現状変更は違法です! 逮捕です! 軽く触れるだけで、引っ張り出したりはしていません。 

兎に角、大きな石の間に嵌められている小石達は、触ると、どれも、カタカタ動くのでした。

もしかして、この "遊び" が "余裕" が 、いざと云う時の、まさかの時の、衝撃や振動で、ガッチリと締まり、石垣の強度を上げる、そんな、巧妙な仕掛けなのでしょうか? まあ、そう考える事にします。

いよいよ、天守の真下に近づいてきました。

こちら、羽柴秀吉時代のものと伝わる"油塀"だそうです。

"土・豆砂利・もち米のとぎ汁・おかゆ、などで固められた" とパンフレットにありました。油は使ってないの? 

また、"城内ではこの一か所だけに残る"との説明がありまが、"だけに残る" と云う事は、昔は、至る所にあったの?

はい、天守閣の真下に到着しました。

いよいよ、内部に潜入します。

この先は、次回。

ここで、本日の、認知機能低下防止対策は終了します。

それでは、また次回。

 


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