前回、前々回より、二・二六事件関連お話を綴っています。
話はすこしだけ?逸れますが、先日、何処の局だったか?忘れましたがNHKではないBS放送で「松本清張生誕110年」番組(2時間)が放送されました。
いつもの録画視聴ではないので、以下の話に多少の記憶違いが紛れ込んで居るかも知れません。
それで、番組は阿刀田高氏、山本一力氏、それに名前を忘れたお方の、鼎談と資料映像を挟んだ構成。
いろいろ、それなりに語られたのですが、一番印象に残ったのは阿刀田高氏の「天城越え」の出筆動機に対する推測でした。
阿刀田高氏曰く、「天城越え」は、川端康成の「伊豆の踊子」に対して、対抗意識と云うか?敵意むき出しと云うか?そのような作品だとの指摘。
舞台も時代設定も同じで、しかし、天城峠を越えるのも逆コースで、登場人物はエリートと貧乏人、清純な乙女と娼婦。
清張は、純文学の、文壇の、大御所の、川端の、存在に、あまり、快く思っていなかった。
これに、山本一力氏は、なるほど納得!腑に落ちる!目から鱗的な、驚きの反応。
川端康成、明治32年生まれで、東京帝国大学卒、1968ノーベル文学賞。1972年自殺。
松本清張、明治42年生(1909年)まれで、高等小学校卒、昭和28年(1953年)『「或る小倉日記」伝』で芥川賞。
「伊豆の踊子」は昭和元年(1926年)の発表で、松本清張は当時17歳。「天城越え」は昭和34年(1959年)の作品。
舞台は伊豆で同一、時代設定も大正15年(1926年)と同一。
しかし、「伊豆の踊子」は帝大生と行きずりの素朴で清純な踊子との、美しくも哀しい純愛物語。
「天城越え」は、家から逃げ出した貧しい16歳の少年が、行きずりの娼婦に淡い恋心を抱く。しかし、娼婦は客に殺される。ある意味、美しくも哀しい純愛物語。
※1978年NHK製作「天城越え」少年役が鶴見辰吾、娼婦役が大谷直子。いまからほぼ42年前の作品、鶴見辰吾が可愛い!大谷直子も若い! この作品、清張さんがちょい役で顔を出しています。
それで、阿刀田氏の指摘ですが、調べてみたら、以前より、いろいろな方達から指摘されている話でした。
番組の中で、阿刀田氏の話し方、山本氏の驚き方、いかにも、独自の新解釈的に聞こえたのです。
「天城越え」の発表が59年、そして、61年の頃から、松本清張、水上勉らの「社会派推理小説等・中間小説」の台頭で、純文学の位置づけに変化が起きたのでした。
大衆娯楽小説も、中間小説も、純文学も、どれもこれも、低級高級とか、上下とか、左右とかは無いのです。みんな一緒。
私的には「伊豆の踊子」、映画、テレビドラマで何回か見ています。確かに、高等遊民の私小説であり、お花畑的な、甘っちょろいお坊ちゃまの夢想話、と、思ったりしています。
まあ、清張さんと川端、政治的にも、保守と革新、右側と左側で、体型も「細身と太身」、作品も「細身と太身」、生まれも育ちも学歴も、あらゆる面で対立的なのでした。
兎に角、清張さんも、私も、川端は嫌い。
今回、二・二六事件の話が、冒頭から終わりまで、松本清張と川端康成の対立話で、逸れっぱなしでした。まあ、よくあること。
次回は、きっと、間違いなく? 二・二六話に戻ります。
今日も寒い!
それでは、また。