歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

湯西川温泉 ② 日光宇都宮道路はどこだァ!

2013年06月05日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

湯西川温泉を目指し、常磐道を北上し、友部から北関東道を東北道に向かって走ります。東北道に入って、直ぐの“都賀西方PA”で、姉と、その娘夫婦と、12時±30分で待ち合わせです。

こちらが都賀西方PAに到着したのが、ほぼ予定通りの11時50分、駐車スペースを探しながら前方を見ると、姉と娘夫婦を発見。あちらは東京から、こちらは茨城から、でも、東京組が早かった。

東京組も、茨城組も、ほぼ同時刻に出発したようなのですが、こちらは少し早いかと、80~90㎞の速度で走っていた結果かも?

夕食は宿での“御馳走”ですから旅行の昼食は軽く麺類なのです。それにココは“PA”なので軽食しかないのです。都賀西方の一押しは“ニララーメン”のようです。私は炭水化物はダメなので“フランクフルトに牛乳”です。

連れは“ワカメそば”、母と姉はフツウの“中華そば”、娘夫婦は離れた席で確認はしていません。“中華そば”は、濃い味好きの母が“しょっぱい!”と云うほどの味。

私も少し食べてみたのですが、味が濃いだけでは無く、すべてが酷い! 明らかに、これは、世の中を舐めたラーメンです!言語道断!前代未聞!空前絶後!そして抱腹絶倒!の中華ソバでした。それで、それで、600円も取るのです。

今回の旅行、カメラを忘れたり、史上稀に見る中華そばと出会ったり、もう、これ以上、悪い事が起こらないことを祈りPAを後にしたのです。

ここから先は、娘夫婦の車を先頭にして、宇都宮ICから“日光宇都宮道路”に入り、今市ICで降り、湯西川温泉に向かいます。

それで、娘夫婦の後をついていったのです。途中、タンクローリーが間に割り込んで来たので、追い越し車線に出て、それなりに車間が空いたところで、娘夫婦の後方につけたら、又、タンクローリーが間に、無理やり割り込んで来たのです。

娘夫婦も気が付いて、速度を落としたのですが、タンクロリーは追い越し車線に出ることも無く、私の前に立ちはだかったのでした。

“チョット変だから相手にしない方が”との連れの言葉に従い、暫く、3台固まっての走行となりました。5~6分してタンクローリーは追い越し車線に移り、我々の視界から消えて行きました。社名も何も書かれていない“灰色のタンクロリー”でした。

そんな、こんなで、タンクロリー事件?も終わり、宇都宮ICから“日光宇都宮道路”に入入り、湯西川を目指すのですが、いつになっても“日光宇都宮道路”の看板が現れず、あれ?もしかして?と思っていたら、“西那須野IC”の標識が現れたのです。

“西那須野IC”は宇都宮ICの先です!通り越してしまったのです。でも、しかし、旅行から帰って来るまで、もしかして?もしかして?待ち合わせの“都賀西方PA”が宇都宮ICの先だったの?何て、事を、娘の旦那と話したりしたのでした。


“日光宇都宮道路”とか、“日光方面”とか、そんな標識ばかり気にして、“宇都宮IC”の文字には注意を払っていなかった事も事実です。もしかして、東北道には“日光宇都宮道路の案内標識は無いの?

でも、しかし、日本を代表する、世界を代表する、世界遺産です。“日光の文字”が東北自動車道路に無い筈はありません!きっと、“タンクロリー事件”で見落としたのです。そう云うことにします。

カメラ忘れ事件、中華そば事件、日光宇都宮道路見落とし事件、これで三件、二度あることは三度あるで、もう、これで、大丈夫です。

降水確率60パーセントのこの日、ここまで雨に降られていないのです。それなりにラッキーなのです。

兎に角、西那須野ICから、400号線で塩原経由で湯西川温泉は、コース的には間違いでもなく、それなりに妥当性のあるコースなのです。


塩原から“紅葉ライン”で川治へのコースは二度ほど走っていますが、今回のコースは始めてでした。“藤の花”が真っ盛りで山は薄紫色で、とても、とても、旅情で、日本情緒で、とても癒されました。

話しは変わりますが、あの“藤純子(ふじ・じゅんこ)”ですが、“富司純子”に改名して、読みは“ふじ・すみこ”だそうです。かなり変!

何故に、突然、“藤純子”かと云えば、昨日、映画“山桜”を観たのです。そして、再放送中の朝ドラ“てっぱん”も時々観ているのです。

昔のままの“藤純子”でいてほしい! もしかして、昔のイメージを断ち切る為の、別人としての“ふじ・すみこ”なの?

慎ましくも艶やかな藤の花を見て、昔の藤純子に想いを馳せたりしたのでした。

兎に角、湯西川温泉に向かっています。


それでは、また。


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湯西川温泉 ① カメラを!忘れたァ!

2013年06月03日 | 旅の話し
更新を暫くお休みしていました。

先週、木金の一泊で温泉に行き、その準備とか、帰って来ての疲れとか、なんとなく、更新が億劫になり“一週間のご無沙汰です”と、なったのです。

このフレーズで思い出すのは“ロッテ歌のアルバム”の司会をしていた“玉置宏”です。“玉置 浩二”ではありません。

“ロッテ歌のアルバム”・・・う~ん、懐かしい響きです。“歌謡曲”が全盛の時代でした。

それで、浩二の方は“たまき”で、宏の方は“たまおき”と、読みが異なるのです。以前勤めていた会社の同僚にも“玉置”姓が居ましたが、彼は“たまおき”でした。愛称は“タマちゃん”でした。

その“タマちゃん”ですが、歌が上手くて、一度、社内でミニライブを開いたのです。舞台をセットし、それなりの音響、照明で、ギターの弾き語りで、1時間ほどのショーを演じたのです。玉置浩二の歌も何曲か唄いました。

50人ほどの観客を、1時間ほど飽きさせず、それなりに盛り上がり、プロ並みの演奏と歌唱力でした。飲んだり、喰ったりで、手を叩いたりで、楽しいひとときでした。いい時代だったのです。

それから、5年ほどして、その会社は自主廃業となったのです。まあ、飲んだり、喰ったり、唄ったり、そんなことで社内が盛り上がっていた、そんな体質も廃業の要因だったのです。

でも、仕事は楽で、残業も無く、休日出勤も無く、面白可笑しく働けて、それなりの給料でした。それと云うのも、製品が特殊で競争相手も少なく、それなりのシェアを持っていたので、価格競争がほとんど無かったのです。

でも、しかし、特殊な製品も時代の流れで使われなくなり、売り上げは右肩下がり、それなりに新たな商品の開発も模索したのですが、暗中模索に終わり、余力を残して自主廃業の道を選んだのでした。

話しが、暗い方向に流れてしまいました。窓の外は、明るい陽ざしが輝いています。梅雨入り宣言後、旅行から帰った後、ずっと、ずっと、青空なのです。

それで、歌手?ではなく、ミュージシャン?の玉置浩二ですが、あまり印象は無いのです。玉置浩二も玉置宏も、そう言えば、もう、この世には・・・、と、思ったりしたら、浩二さんは存命でした。“桑名正博”と勘違いしで、失礼しました。

玉置浩二の顔を覚えたのは映画『教祖誕生』です。公開は1993年ですが、見たのは数年後のビデオです。かなり地味な印象で、これが?、あの?、玉置浩二?、と、思ったりしたのです。

一週間のご無沙汰フレーズで、玉置宏から、玉置浩二に、同僚だった“タマちゃん”に、話しが流れ、流れて、湯西川から離れてしまいました。

それで、湯西川温泉旅行の話しです。梅雨入り宣言があった翌日?当日?の29日、10時に我が家を出発したのです。

一週間も前から、29日、30日、は天候不順で降水確率が50~60パーセント、雨を覚悟の出発でしたが、午前中は時々青空が見えたりしたのです。

常磐道を北上し、友部で北関東道に入り、暫くして前方の雲間から青い空が見えた、その時、“あッ!”と、叫んでしまいました。“カメラ”を持って来るのを忘れたのです。

青い空を見て、撮りたい!と、思ったのです、カメラを持って来なかったことに気付いたのです。

隣りに座る連れあいが、“えっ!なに?どうしたの?そんな声を出して!ビックリするでしょう”と、云われたのですが、直ぐにはカメラを忘れたとは云えませんでした。

一呼吸置いて、“実は・・・、カメラを・・・、バックに・・・、入れるのを・・・忘れた”たと呟きました。

我ながら、情け無いと云うか、バカバカしいと云うか、恥ずかしいと云うか、老化現象が、密かに、ひたひたと、歩み寄って来た恐怖と云うか、複雑な思いがしたのです。

確かに、この日は、車窓からの眺めは暗雲が垂れ込めていたのですが、これから、楽しい温泉旅行の行く手にも、暗雲が垂れ込めて来たような・・・・・・。

今回、何故か、まったく、カメラのことは頭の中に無かったのです。でも、何故か?不思議なことに、予備のSDカードと充電ケーブルだけは、しっかりバックに入れたのです。でも、しかし、カメラ本体についてはまったく意識から消えていたのです。

“一週間のご無沙汰”でしたので、話しが、あっち、こっちに飛びまくりました。次回からは、ホントに、旅行話しとなります。たぶん・・・。


それでは、次回。

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