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北京オリンピック開催前に

北京オリンピック開催前に中国首脳がやって来た。ゴールデン・ウィーク中の混雑の羽田に降り立った。
早稲田の杜に 表現の自由はないのか。大学には学問の自由が、表現の自由があってしかるべきだ。たとえ、一部の人の意見であってもそれを封殺することはあってはならない。しかし、無用の事故もあってはならない。暴力沙汰も遺憾なことだ。したがって、警備は厳重になり、結果として“表現の自由”は圧殺された。
チベット仏教徒を弾圧する政府の首脳が奈良の由緒ある古寺を訪問した。中国首脳に政治的意図がなければこのようなことはするまい。
古刹であり名刹の善光寺が忌避した聖火の通過騒ぎと言い、北京オリンピック開催前に日本人の一般レベルでは はなはだ迷惑なことばかりであった。

中国首脳の来日は 世界中の嫌中意識の包囲の中で行なわれた。当の首脳は日中関係は戦略的互恵だという。
その言に乗って、またもや日本は 困り果てた中国首脳に手を差し伸べた。天安門事件以降も国際的に孤立した中国に最初に手を差し伸べたのは日本だった。しかし、今回も日本の要求は何一つ実現しそうに無い。これで良かったのか。これが中国の言う“戦略的互恵”なのだ。

しかし、中国政府がどんなに焦っても、北京オリンピック開催に際しての 彼らのメンツは 既に潰れている。
ヨーロッパ主要国の首脳は開会式に出席しない。マラソンの金メダル候補が競技参加を拒否している。外国選手団の多くは日本でキャンプを張って 北京滞在時間を短縮するようだ。そんなオリンピックが かつてあっただろうか。

チョモランマに北京オリンピックの聖火がともった。ヒマラヤの麓の氷河は消失し始めているというのに、清澄な空気の世界の屋根でわざわざトーチをかざしてCO2ガスを振りまき歓喜している構図をうとましく思ったのは 私だけだろうか。

黄河の水” は 既に相当に枯れているらしい。北京は渇水都市であるというのが実態のようだ。水泥棒もいるらしい。周辺のただでさえ貧しい農村を犠牲にしてまで、水を多量に必要とするプール競技など開催している場合ではないだろう。

日本のあるテレビ番組が 好意的にオリンピックの準備万全状況を伝えようとして 選手団の食の管理の取材に行ったが、インタビュー先の当局者から具体的な方策は 何一つ示されず、“食中毒があればその業者は直ちに処分する。”の一点張りだった。これには取材側も困った様子だった。
特に中国人がメダルを期待する種目では、それに出場する外国人選手の身の安全は 本当に大丈夫なのだろうか。食の問題を含めて大いに気懸かりなことだ。

以上のように、中国人の感覚と 我々というか国際社会の感覚とのズレ、ギャップは相当に大きいような気がする。

こんな時に、思いがけず大地震が起きた。チベット系の人々が また大勢犠牲になっているようだ。痛ましい限りだ。
だが広大な国土の中国のこと、北京オリンピックの開催中止は ありえないだろうが、それだけに その開催はかなり無理が有るような気がして仕方がないが どうだろう。

だが、今回の大地震に関して日本は、国際的に際立った人道支援をすることが 今後の外交戦略上の鍵となるだろう。援助を惜しまないと 声高に派手に言うべきである。断られても、簡単に引き下がらず、ことさらに言うべきであろう。5億円くらいでは小さすぎる!現地では人手も必要なはずだ。それも訓練された専門家集団。巨大な特別援助チームを編成し派遣の用意があると アピールするべきである。世界に先駆ける印象が大切なのだ。本来、一刻も猶予はならないはずだ。
こうした日本の非武装援助隊の活動がどれだけ中国人の印象を変えるか、その可能性に賭けるべきだ。
それにしても 中国が大きな影響力を持っているというミャンマー政府の災害支援妨害も 問題は大きい。彼らは同じような特性を持っているのか?

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