毎年、3月30日が来ると思い出す歌があります。
それは、新谷のりこさんの「フランシーヌの場合」。
私が5歳のときの歌なので、幼心におぼろげな記憶として残っていました。
しかし後年、歌詞の内容を知り、驚きました。
フランシーヌは実在の人物でフランシーヌ・ルコントというフランスの女学生。
1969年3月30日にベトナム戦争他に抗議する目的で焼身自殺をしたのでした。
フランシーヌの場合は あまりにもお馬鹿さん
フランシーヌの場合は あまりにも寂しい
ホントのことを言ったら お利口になれない
ホントのことを言ったら あまりにも悲しい
当時は世界中で若者たちが既成の社会に「No!」を発信した学生運動が盛んな頃。
「正直者はバカを見る」という言葉があります。
学生運動(あるいは某野党の主張)はそのような要素があると以前から感じていました。
主張は正論なのですが、社会では通用しない。
論理的に正しいことが、社会的に正しいとは限らない。
そのギャップに悩む若い日々。
純粋さ故、まじめさ故の生きづらさと言いますか。
それをみんな、妥協しながら大人になっていきます。
それを受けいられない若者は、自死を選ぶことも・・・そのような若者への処方箋はあるのだろうか、と時々考えます。
悩みの全てを凌駕する圧倒的な“生きる喜び”の経験が乏しかったのかもしれません。
人生はきれい事だけでは済みません。
人生の究極の目的は“生き抜く”ことです。
結婚して子どもができると、自分中心ではない生活がはじまります。
自分の価値感が問われ、揺さぶられます。
ひるんではいけません、ここからが人生本番、人生の醍醐味のスタート。
自分以外の存在と喜怒哀楽を密に共有することにより、山あり谷ありの人生の深みを知ることになるのです。
50歳を過ぎると、忍び寄る老いと病気の影に震えながら、自らの来し方&行く末を考えるようになります。
その時までに、エネルギーを使い切って完全燃焼しておかないと、こだわりの多い困った高齢者になりそう・・・(^^;)。
ん? この考え方、年寄りっぽいですか?
それは、新谷のりこさんの「フランシーヌの場合」。
私が5歳のときの歌なので、幼心におぼろげな記憶として残っていました。
しかし後年、歌詞の内容を知り、驚きました。
フランシーヌは実在の人物でフランシーヌ・ルコントというフランスの女学生。
1969年3月30日にベトナム戦争他に抗議する目的で焼身自殺をしたのでした。
フランシーヌの場合は あまりにもお馬鹿さん
フランシーヌの場合は あまりにも寂しい
ホントのことを言ったら お利口になれない
ホントのことを言ったら あまりにも悲しい
当時は世界中で若者たちが既成の社会に「No!」を発信した学生運動が盛んな頃。
「正直者はバカを見る」という言葉があります。
学生運動(あるいは某野党の主張)はそのような要素があると以前から感じていました。
主張は正論なのですが、社会では通用しない。
論理的に正しいことが、社会的に正しいとは限らない。
そのギャップに悩む若い日々。
純粋さ故、まじめさ故の生きづらさと言いますか。
それをみんな、妥協しながら大人になっていきます。
それを受けいられない若者は、自死を選ぶことも・・・そのような若者への処方箋はあるのだろうか、と時々考えます。
悩みの全てを凌駕する圧倒的な“生きる喜び”の経験が乏しかったのかもしれません。
人生はきれい事だけでは済みません。
人生の究極の目的は“生き抜く”ことです。
結婚して子どもができると、自分中心ではない生活がはじまります。
自分の価値感が問われ、揺さぶられます。
ひるんではいけません、ここからが人生本番、人生の醍醐味のスタート。
自分以外の存在と喜怒哀楽を密に共有することにより、山あり谷ありの人生の深みを知ることになるのです。
50歳を過ぎると、忍び寄る老いと病気の影に震えながら、自らの来し方&行く末を考えるようになります。
その時までに、エネルギーを使い切って完全燃焼しておかないと、こだわりの多い困った高齢者になりそう・・・(^^;)。
ん? この考え方、年寄りっぽいですか?