今回の東日本大震災では震災被害~津波被害~原発事故という三重苦が発生しました。
原発に関するTVでのいろいろの報道、あるいはネット上の情報を見聞きする過程で、私の中に「六ヶ所村核燃料再処理工場」という施設の存在が漠然として不安とともに浮かび上がってきました。
そこは日本中の原発から使用済み核燃料が集められ保管されている場所。
しかし度重なるトラブルで本来の仕事(再処理)はまだ始まっていません。
そこが直下型の大地震に見舞われたら?
・・・福島原発の比ではなく、日本全国はおろか世界が破滅するとさえ云われています。
なぜそんなものを造ってしまったのか?
人間のとどまることを知らない欲望の代償です。
エネルギーをたくさん使って快適な生活を手に入れることを抑制できないのです。石炭・石油などの化石燃料を使い果たし、それでも足りないので原子力という”諸刃の剣”に手を出してしまいました。いや、間違いが起きたときは致命的なダメージを受けることを考えると”禁断の果実”という表現の方が適当かもしれません。
大きく報道はされていませんが、今回の大地震の際にもトラブルが発生しています。
「2011年3月11日:東北地方太平洋沖地震により外部電源を喪失、非常用ディーゼル発電機2機で冷却水循環ポンプ等に給電したが、14日23時40分、ディーゼル発電機1機に不具合を生じたため停止して外部電源を使用、2時33分に給電が復旧した。残る1機も外部電源に切り替えた。また13日には使用済み核燃料の貯蔵プールの水約600リットルが溢れていたことなどが報じられた。」
マスコミもなぜが大きく報道しません。
これは、イギリスの同様の施設「セラフィールド核再処理工場」の事故当時と同じ雰囲気だそうです。
臭いものにはフタをするということでしょうか。
昨日「六ヶ所村ラプソディー」(監督:鎌仲ひとみ)をいうドキュメンタリー映画をDVDで見ました。
当初「工場地帯開発計画」として買収された広大な土地に、いつの間にか核施設が建設され、日本全国から原発のゴミが集まるようになってしまった。
住民の反対運動は(金と権力で)ことごとく切り崩され、現在は諦めムード。
その流れを住民視線で淡々と追ったものです。
一時は町民挙げての反対運動が盛り上がり、それを突破するために機動隊まで導入して強行したショッキングな映像もありました。
みな、当時の政権を担当した自民党がやってきたことです。
しかし「政治が悪い」と叫ぶだけでは解決しません。
大量のエネルギーを望んだのは日本国民一人一人なのですから。
人類は誤った方向に歩いており、それを止める自制力を失っているように見えます。
大脳の主な機能は「本能を抑制すること」と医学生時代に習いましたが、果たして正しく機能していると云えるのか疑問です。
原発問題を将来的に解決していく方法は、天然エネルギーの利用(ソーラー発電、風力発電、水力発電、波力発電・・・)と、その産生量に見合ったエネルギー消費の抑制しかありません。
人類に可能でしょうか?
日本では福島原発以後、各地域の原発で点検や災害訓練が盛んに行われています。
日本の発電所が産生する全エネルギーのうち原発が占める割合は30%。
単純計算で現状の3割節電すると原発を停止できるはず。
しかし関東地方のように節電~計画停電を行い、原発を停止しようという動きは皆無ですね。
日本列島が他国に比して光々と輝いている人工衛星写真をご覧になったことがあると思います。
その写真を見たとき、「この状況がずっと許されるはずはない」と私は直感したことを覚えています。
現在同じ人工衛星写真を撮ると・・・東北地方は暗くなり、関東地方はまだら状になり、しかし西日本は光り続けているのでしょう。
日本国民全員が痛みを分かち合う、という言葉がむなしく聞こえます。
原発に関するTVでのいろいろの報道、あるいはネット上の情報を見聞きする過程で、私の中に「六ヶ所村核燃料再処理工場」という施設の存在が漠然として不安とともに浮かび上がってきました。
そこは日本中の原発から使用済み核燃料が集められ保管されている場所。
しかし度重なるトラブルで本来の仕事(再処理)はまだ始まっていません。
そこが直下型の大地震に見舞われたら?
・・・福島原発の比ではなく、日本全国はおろか世界が破滅するとさえ云われています。
なぜそんなものを造ってしまったのか?
人間のとどまることを知らない欲望の代償です。
エネルギーをたくさん使って快適な生活を手に入れることを抑制できないのです。石炭・石油などの化石燃料を使い果たし、それでも足りないので原子力という”諸刃の剣”に手を出してしまいました。いや、間違いが起きたときは致命的なダメージを受けることを考えると”禁断の果実”という表現の方が適当かもしれません。
大きく報道はされていませんが、今回の大地震の際にもトラブルが発生しています。
「2011年3月11日:東北地方太平洋沖地震により外部電源を喪失、非常用ディーゼル発電機2機で冷却水循環ポンプ等に給電したが、14日23時40分、ディーゼル発電機1機に不具合を生じたため停止して外部電源を使用、2時33分に給電が復旧した。残る1機も外部電源に切り替えた。また13日には使用済み核燃料の貯蔵プールの水約600リットルが溢れていたことなどが報じられた。」
マスコミもなぜが大きく報道しません。
これは、イギリスの同様の施設「セラフィールド核再処理工場」の事故当時と同じ雰囲気だそうです。
臭いものにはフタをするということでしょうか。
昨日「六ヶ所村ラプソディー」(監督:鎌仲ひとみ)をいうドキュメンタリー映画をDVDで見ました。
当初「工場地帯開発計画」として買収された広大な土地に、いつの間にか核施設が建設され、日本全国から原発のゴミが集まるようになってしまった。
住民の反対運動は(金と権力で)ことごとく切り崩され、現在は諦めムード。
その流れを住民視線で淡々と追ったものです。
一時は町民挙げての反対運動が盛り上がり、それを突破するために機動隊まで導入して強行したショッキングな映像もありました。
みな、当時の政権を担当した自民党がやってきたことです。
しかし「政治が悪い」と叫ぶだけでは解決しません。
大量のエネルギーを望んだのは日本国民一人一人なのですから。
人類は誤った方向に歩いており、それを止める自制力を失っているように見えます。
大脳の主な機能は「本能を抑制すること」と医学生時代に習いましたが、果たして正しく機能していると云えるのか疑問です。
原発問題を将来的に解決していく方法は、天然エネルギーの利用(ソーラー発電、風力発電、水力発電、波力発電・・・)と、その産生量に見合ったエネルギー消費の抑制しかありません。
人類に可能でしょうか?
日本では福島原発以後、各地域の原発で点検や災害訓練が盛んに行われています。
日本の発電所が産生する全エネルギーのうち原発が占める割合は30%。
単純計算で現状の3割節電すると原発を停止できるはず。
しかし関東地方のように節電~計画停電を行い、原発を停止しようという動きは皆無ですね。
日本列島が他国に比して光々と輝いている人工衛星写真をご覧になったことがあると思います。
その写真を見たとき、「この状況がずっと許されるはずはない」と私は直感したことを覚えています。
現在同じ人工衛星写真を撮ると・・・東北地方は暗くなり、関東地方はまだら状になり、しかし西日本は光り続けているのでしょう。
日本国民全員が痛みを分かち合う、という言葉がむなしく聞こえます。