今は昔の冷戦時代、アメリカ海軍の艦艇が核兵器を搭載したままわが国に寄港することを黙認するという密約を、日米両政府間で取り交わしていた、とされる疑惑で、外務省は「確認不能」というなんだか煮え切らない話でお茶を濁そうとしているのだそうな。
報道機関が、例によって「根拠不明」の「方針を固めた」なる紋きり決め付けしてるのを信じられれば、という保留はつきますが、まあその内容自体はなんとなく官僚の方々がやりそうなことでもありますし、考え方としてはたぶん検討想定している中の一案には違いなさそうなので、そのまま話を鵜呑みにしておきます。
この「固めた」方針とやらの根拠は、1981年に全省的に行われたらしい、外交文書の調査のとき、そのような密約を示す文書が発見できなかったから、とのこと。疑わしきは罰せず、と言うのと似たような理屈なのかもしれませんが、まあ今現在現役の官僚の方々の大部分にとっては、そんな昔の話今更言われても、という感じなのかもしれません。こざっと30年前の調査結果とやらも、多分今現役でも大分上の方の人たちがまだペーペーの頃に、なんだかよく判らないまま時の上司の指示で省内の書類をひっくり返してたのをかろうじて記憶しているくらいのものでしょう。ごくごく一部の、枢機にかかわりを持つ上層部の一握り以外は、小説かドラマでも観ている様な気分なのではないのでしょうか。
ただ、アメリカ側にはちゃんと公文書があって、それがしっかり公開されていますし、引退された官僚の方が証言もしています。また、実際問題として、核搭載艦がいちいち日本に立ち寄るのにその領海の外で核兵器だけ下ろしてから入港し、また出て行ってから積み直す、なんていう馬鹿げたことをやるはずもないことは、ちょっと考えればわかりそうなものです。ゆえに、煮え切らない黒に限りなく近い灰色な答えで何とか今は取り繕おう、なんて姑息なことを考えている暇があったら、真っ正直に「昔はそんなこともしていました」と話してしまえばいいんじゃないのでしょうか。そりゃ一部の人たちは烈火のごとく怒るでしょうしマスコミも大騒ぎするでしょうけれど、案外国民の圧倒的大多数は、さもありなん、と納得してくれると思うのですよ。民主主義の国なんですから、その結果で満足してればいいと思うのですが、それじゃ駄目なんでしょうかね。
第一、アメリカ側の公文書と言う物証まで上がっている話をなかったことにするのは、素人にはちと無理がありすぎるように感じます。そのアメリカの文書は真っ赤な偽物だ、と外務省が理路整然と証明でもしてくれないと、誰も納得できないでしょう。何でこんな判りきったことで無駄な努力を積み重ねようとするのか、私には理解できかねます。
ただ私としては、非核三原則なる話がそんなに重要なものとはどうしても思えないのです。核兵器、なんていっても所詮ただの武器の一種。でかい爆弾、という以上のものではありません。そんな単なる武器についてどうのこうの言うよりも、たとえば『二度と特攻などと言う馬鹿げた戦術は認めません』という非特攻原則でも宣言してくれた方がよほど有意義な気がいたします。いや、もう特攻なんてやりっこないよ、と言う意見もあるかもしれませんが、案外アニメ等では特攻が頻繁に出てきて、それも主人公の悲壮な最期の決断! とかで結構美化されていたりして、特攻と言う戦術は、日本人のメンタリティに結構なじむ要素があるように感じるのです。そんな戦術ともいえない破滅的行為をたとえ追い詰められるようなことがあっても二度と指導層が選択したりしないように、きっちり宣言しておいてもいいんじゃないでしょうか? それに、世界には殉教という名の特攻が現実に存在します。そういうところにこそかつての日本の惨状を教示し、「馬鹿な真似はおよしなさい」と言ってあげるのが、かつて大多数の若い命を特攻に捧げてもらった国がやるべき外交ではないかと思うのです。
報道機関が、例によって「根拠不明」の「方針を固めた」なる紋きり決め付けしてるのを信じられれば、という保留はつきますが、まあその内容自体はなんとなく官僚の方々がやりそうなことでもありますし、考え方としてはたぶん検討想定している中の一案には違いなさそうなので、そのまま話を鵜呑みにしておきます。
この「固めた」方針とやらの根拠は、1981年に全省的に行われたらしい、外交文書の調査のとき、そのような密約を示す文書が発見できなかったから、とのこと。疑わしきは罰せず、と言うのと似たような理屈なのかもしれませんが、まあ今現在現役の官僚の方々の大部分にとっては、そんな昔の話今更言われても、という感じなのかもしれません。こざっと30年前の調査結果とやらも、多分今現役でも大分上の方の人たちがまだペーペーの頃に、なんだかよく判らないまま時の上司の指示で省内の書類をひっくり返してたのをかろうじて記憶しているくらいのものでしょう。ごくごく一部の、枢機にかかわりを持つ上層部の一握り以外は、小説かドラマでも観ている様な気分なのではないのでしょうか。
ただ、アメリカ側にはちゃんと公文書があって、それがしっかり公開されていますし、引退された官僚の方が証言もしています。また、実際問題として、核搭載艦がいちいち日本に立ち寄るのにその領海の外で核兵器だけ下ろしてから入港し、また出て行ってから積み直す、なんていう馬鹿げたことをやるはずもないことは、ちょっと考えればわかりそうなものです。ゆえに、煮え切らない黒に限りなく近い灰色な答えで何とか今は取り繕おう、なんて姑息なことを考えている暇があったら、真っ正直に「昔はそんなこともしていました」と話してしまえばいいんじゃないのでしょうか。そりゃ一部の人たちは烈火のごとく怒るでしょうしマスコミも大騒ぎするでしょうけれど、案外国民の圧倒的大多数は、さもありなん、と納得してくれると思うのですよ。民主主義の国なんですから、その結果で満足してればいいと思うのですが、それじゃ駄目なんでしょうかね。
第一、アメリカ側の公文書と言う物証まで上がっている話をなかったことにするのは、素人にはちと無理がありすぎるように感じます。そのアメリカの文書は真っ赤な偽物だ、と外務省が理路整然と証明でもしてくれないと、誰も納得できないでしょう。何でこんな判りきったことで無駄な努力を積み重ねようとするのか、私には理解できかねます。
ただ私としては、非核三原則なる話がそんなに重要なものとはどうしても思えないのです。核兵器、なんていっても所詮ただの武器の一種。でかい爆弾、という以上のものではありません。そんな単なる武器についてどうのこうの言うよりも、たとえば『二度と特攻などと言う馬鹿げた戦術は認めません』という非特攻原則でも宣言してくれた方がよほど有意義な気がいたします。いや、もう特攻なんてやりっこないよ、と言う意見もあるかもしれませんが、案外アニメ等では特攻が頻繁に出てきて、それも主人公の悲壮な最期の決断! とかで結構美化されていたりして、特攻と言う戦術は、日本人のメンタリティに結構なじむ要素があるように感じるのです。そんな戦術ともいえない破滅的行為をたとえ追い詰められるようなことがあっても二度と指導層が選択したりしないように、きっちり宣言しておいてもいいんじゃないでしょうか? それに、世界には殉教という名の特攻が現実に存在します。そういうところにこそかつての日本の惨状を教示し、「馬鹿な真似はおよしなさい」と言ってあげるのが、かつて大多数の若い命を特攻に捧げてもらった国がやるべき外交ではないかと思うのです。