投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年11月 7日(日)12時42分50秒
奇妙な「国民国家」論を提唱する勝俣鎮夫氏を始めとして、狭い井戸の中で反復横跳びしているカエルのような人が多い戦国時代研究者の中で、山田康弘氏はなかなか異色の存在ですね。
『戦国時代の足利将軍』は「歴史文化ライブラリー」全体の方針に則っているためか、厳密な章立てはありませんが、最初から読んで行くと、実質的な第二章第一節の「大名間における栄典の機能」にジョセフ・ナイが登場します。(p43以下)
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さらに、多くの大名たちは戦国時代にいたっても、しばしば将軍・幕府を模倣しようともしており、それは、大名の花押の形状から発給文書の書式、屋形の様式、屋形内での故実にいたるまで多岐におよんでいたことが知られている。なお、J・S・ナイは、軍事力や経済力といったハード・パワーに対し、他国に模倣され、他国を引きつけて味方にしてしまうような「魅力の力」のことを「ソフト・パワー」と呼んでいる。さすれば、戦国時代の将軍は、大名たちに対してこうしたソフト・パワーをなお保持していた、といってもいいのかもしれない(『ソフト・パワー』日本経済新聞出版社、二〇〇四年)。
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ジョセフ・ナイ(1937生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4
続けて洋風の記述を探すと、実質的な第二章第二節の「ゆるやかな連合としての将軍と大名」には高坂正堯とハンス・モーゲンソーが登場します。(p66以下)
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面子を救いショックを吸収する(④)
現代の国際社会において国家間で紛争が惹起した場合、第三国やさまざまな国際機関が紛争調停を担うことになるが、こうした国際機関のなかでもっとも数多く紛争調停を担っているのはやはり国連であろう。【中略】
しかし、世界でもっとも普遍的な存在として権威をもつ国連が紛争当事国のあいだに立って調停にあたれば、譲歩することになる国は、相手側に強制されて譲歩したという形ではなく「国連の呼びかけに応じた」という形で譲歩することができるので面子をあまり失わずに済み、「名誉ある退却」の機会をとらえられて和平を結びやすい。つまり、国連というのは紛争当事国にとって、和平を結ぶ際に「面子を救いショックを吸収する装置」として利用しうる存在なのであり、ここに、国連がしばしば紛争調停を担う要因の一つがある、と考えられている(この点は高坂正堯『国際政治』一四六頁<中央公論社、一九六六年>、H・モーゲンソー『国際政治』第二十八章<福村出版、一九八六年>などを参照)。
ところでこのような、宿敵との和平の際の「面子を救いショックを吸収する装置」としての役割は、戦国時代の将軍もまた大名たちによって期待されていた形跡がある。【後略】
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ハンス・モーゲンソー(1904-80)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%BC
三番目は同じく「ゆるやかな連合としての将軍と大名」に出てくるマキャベリの『君主論』ですが(p95)、まあ、これはカエルの皆さんにとっても常識的な話ですね。
四番目は実質的な第三章第一節「義昭を利用する信長」の冒頭に出てくる、学者名抜きの「バランス・オブ・パワー」の議論ですが、これも常識的な内容です。
五番目は同じく「義昭を利用する信長」に再び登場する高坂正堯ですね。
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なお、朝倉氏が信長と和平を結ぶことについては、同じ反信長派の延暦寺が不快感を示していたから、この信長の和平攻勢は、反信長派の団結を揺るがす効果があったといってよかろう。ちなみにこれより約二世紀半後、ナポレオンは反対派の同盟に包囲された際、「同盟国中のある一国に対して単独に平和交渉を行」うことによって「同盟国の利害の対立を激化させて同盟を分裂させ」ていった、とされているから、信長の和平戦略はナポレオンと同じような戦略と理解することができるかもしれない(高坂正堯『古典外交の成熟と崩壊』五四頁、中央公論社、一九七八年)。
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高坂の名前は、直ぐ後にも登場します。(六番目、p133)
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すなわち、和平交渉が開始されるには「交渉のきっかけ」を提供する「仲介者」がなければならず、たとえ当事者同士が和平に前向きであっても、そうした「仲介者がなければ交渉のきっかけがつかめない」のである(高坂正堯『国際政治』一四五頁、中央公論社、一九六六年)。このことを考えるならば、信長・朝倉氏双方のあいだにコミュニケーションをもたらし、和平の「交渉のきっかけ」を与えた義昭の役割は(和平成立の決定的要因ではなかったにしても)やはり重要であったと評価されてしかるべきであろう。【後略】
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こんな具合に、山田著には欧米とその影響を受けた日本の国際政治学者が頻繁に登場します。
そして、確かに戦国大名と足利将軍の関係には国際政治学の知見をそのまま適用できそうな事例がけっこう多いですね。
なお、山田氏は別に「利益」「共通利益」、「価値」「共通価値」といった概念は用いておらず、それらの活用は谷口雄太氏独自の見解です。
奇妙な「国民国家」論を提唱する勝俣鎮夫氏を始めとして、狭い井戸の中で反復横跳びしているカエルのような人が多い戦国時代研究者の中で、山田康弘氏はなかなか異色の存在ですね。
『戦国時代の足利将軍』は「歴史文化ライブラリー」全体の方針に則っているためか、厳密な章立てはありませんが、最初から読んで行くと、実質的な第二章第一節の「大名間における栄典の機能」にジョセフ・ナイが登場します。(p43以下)
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さらに、多くの大名たちは戦国時代にいたっても、しばしば将軍・幕府を模倣しようともしており、それは、大名の花押の形状から発給文書の書式、屋形の様式、屋形内での故実にいたるまで多岐におよんでいたことが知られている。なお、J・S・ナイは、軍事力や経済力といったハード・パワーに対し、他国に模倣され、他国を引きつけて味方にしてしまうような「魅力の力」のことを「ソフト・パワー」と呼んでいる。さすれば、戦国時代の将軍は、大名たちに対してこうしたソフト・パワーをなお保持していた、といってもいいのかもしれない(『ソフト・パワー』日本経済新聞出版社、二〇〇四年)。
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ジョセフ・ナイ(1937生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A4
続けて洋風の記述を探すと、実質的な第二章第二節の「ゆるやかな連合としての将軍と大名」には高坂正堯とハンス・モーゲンソーが登場します。(p66以下)
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面子を救いショックを吸収する(④)
現代の国際社会において国家間で紛争が惹起した場合、第三国やさまざまな国際機関が紛争調停を担うことになるが、こうした国際機関のなかでもっとも数多く紛争調停を担っているのはやはり国連であろう。【中略】
しかし、世界でもっとも普遍的な存在として権威をもつ国連が紛争当事国のあいだに立って調停にあたれば、譲歩することになる国は、相手側に強制されて譲歩したという形ではなく「国連の呼びかけに応じた」という形で譲歩することができるので面子をあまり失わずに済み、「名誉ある退却」の機会をとらえられて和平を結びやすい。つまり、国連というのは紛争当事国にとって、和平を結ぶ際に「面子を救いショックを吸収する装置」として利用しうる存在なのであり、ここに、国連がしばしば紛争調停を担う要因の一つがある、と考えられている(この点は高坂正堯『国際政治』一四六頁<中央公論社、一九六六年>、H・モーゲンソー『国際政治』第二十八章<福村出版、一九八六年>などを参照)。
ところでこのような、宿敵との和平の際の「面子を救いショックを吸収する装置」としての役割は、戦国時代の将軍もまた大名たちによって期待されていた形跡がある。【後略】
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ハンス・モーゲンソー(1904-80)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%BC
三番目は同じく「ゆるやかな連合としての将軍と大名」に出てくるマキャベリの『君主論』ですが(p95)、まあ、これはカエルの皆さんにとっても常識的な話ですね。
四番目は実質的な第三章第一節「義昭を利用する信長」の冒頭に出てくる、学者名抜きの「バランス・オブ・パワー」の議論ですが、これも常識的な内容です。
五番目は同じく「義昭を利用する信長」に再び登場する高坂正堯ですね。
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なお、朝倉氏が信長と和平を結ぶことについては、同じ反信長派の延暦寺が不快感を示していたから、この信長の和平攻勢は、反信長派の団結を揺るがす効果があったといってよかろう。ちなみにこれより約二世紀半後、ナポレオンは反対派の同盟に包囲された際、「同盟国中のある一国に対して単独に平和交渉を行」うことによって「同盟国の利害の対立を激化させて同盟を分裂させ」ていった、とされているから、信長の和平戦略はナポレオンと同じような戦略と理解することができるかもしれない(高坂正堯『古典外交の成熟と崩壊』五四頁、中央公論社、一九七八年)。
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高坂の名前は、直ぐ後にも登場します。(六番目、p133)
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すなわち、和平交渉が開始されるには「交渉のきっかけ」を提供する「仲介者」がなければならず、たとえ当事者同士が和平に前向きであっても、そうした「仲介者がなければ交渉のきっかけがつかめない」のである(高坂正堯『国際政治』一四五頁、中央公論社、一九六六年)。このことを考えるならば、信長・朝倉氏双方のあいだにコミュニケーションをもたらし、和平の「交渉のきっかけ」を与えた義昭の役割は(和平成立の決定的要因ではなかったにしても)やはり重要であったと評価されてしかるべきであろう。【後略】
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こんな具合に、山田著には欧米とその影響を受けた日本の国際政治学者が頻繁に登場します。
そして、確かに戦国大名と足利将軍の関係には国際政治学の知見をそのまま適用できそうな事例がけっこう多いですね。
なお、山田氏は別に「利益」「共通利益」、「価値」「共通価値」といった概念は用いておらず、それらの活用は谷口雄太氏独自の見解です。