学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

あなたの「国家」はどこから?─中澤達哉氏の場合(その3)

2021-11-16 | 新田一郎『中世に国家はあったか』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年11月16日(火)11時16分23秒

続きです。(p39以下)

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 紙幅の限られた小論では,ヨーロッパの近世史研究における新たな潮流の一つである「複合王政」「複合国家」「礫岩国家」論をまず吟味しつつ,これらの国家論が近代ネイション・ナショナリズム研究にいかなる変更を迫っているのかを明らかにする。それは同時に,近代史研究では等閑視されてきた二宮の国家論が国民史研究に何を要請しているかを問うことでもある。そのうえで,近現代のスロヴァキア国民形成とナショナル・アイデンティティを事例に,ネイション・ナショナリズム研究の方法論的課題を具体的に検証したい。また,論述の際には日本の戦後歴史学以降の方法論についても副次的に言及し,日本の史学史への位置づけについても考えてみたい。

1.ネイション・ナショナリズム研究と複合国家・複合王政・礫岩国家論

(1)前提―ゲルナーの近代論・構築主義
 いうまでもなく,近代論は 1960 年代のケネディ,ロストウらを中心とする「近代化論」(Modernizing Theory)と区分される。その特徴は概して以下の三点に集約できる。①ネイションは近代において恣意的に捏造された人工物である(12)。②それゆえに,ネイションは客観性のない想像された共同体である(13)。③この観念の形成は近代化・資本主義化・産業化に起因する(14)。近代論はネイションへの帰属意識の可変性をも強調する。なによりも,その把握のもとでは,西欧や東欧,アジアやアフリカにおけるネイションもナショナリズムも,近代という同一性のなかに並列化されることになる。
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注を見るまでもなく、「①ネイションは近代において恣意的に捏造された人工物である」はエリック・ホブズボーム、「②それゆえに,ネイションは客観性のない想像された共同体である」はベネディクト・アンダーソンですね。

エリック・ホブズボーム(1917-2012)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%96%E3%82%BA%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%A0
ベネディクト・アンダーソン(1936-2015)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3

ゲルナーは省略して(2)に入ります。

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(2)複合国家論・複合王政論・礫岩国家論
 より重視すべきは,ゲルナー,ホブズボーム,アンダーソンの一連の著書が出版された 1983 年の段階の日本において,すでに二宮の社会史研究が登場していたことである。日本の近代史研究者の間では,二宮の認識論的・方法論的土壌に,戦後歴史学の関心を部分的に共有していたゲルナー型の近代論が流入し,これらが相互に影響しあい構築主義の雰囲気が準備されはじめたことは注目に値する。一方のヨーロッパでも,アナール派と構築主義との間に類似の関係を読み取ることができる。しかし日欧間の大きな相違は二点ある。第一にアナール派以前のヨーロッパには日本的な戦後歴史学が存在しなかったこと,第二にゲルナー流の構築主義の成立とほぼ同時期に,ヨーロッパでは既述の複合国家論・複合王政論が整備されていたという事実である。つまりゲルナーの構築主義とエリオットらの複合国家・複合王政論は,近代国家,市民社会,人権,啓蒙,産業社会,近代化などといった近代的諸価値への信仰が潰えた 1960 年代末のポストモダン的な情況に対する異なる二つの反応であった(16)。ゲルナーの反応は社会構成体の再編と再解釈とによるモダニズム的なネイション・ナショナリズム論からの反応であり,ケーニヒスバーガおよびエリオットの反応は主権国家・絶対王政論の再構成による近世国家論からの反応であった(同様にポーコックは共和主義論からの転回であった)。イギリスで先行した議論にやや遅れて「宗派化」「規律化」研究がドイツからはじまるが,これらも広くはケーニヒスバーガやエリオットらの延長線上にある議論として捉えることができるだろう。このように,日本における社会史の発展とは異なる多様な動きが同時期のヨーロッパにはみられたのである。
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「しかし日欧間の大きな相違は二点ある。第一にアナール派以前のヨーロッパには日本的な戦後歴史学が存在しなかったこと」はずいぶん奇妙な表現で、「日本的な戦後歴史学」みたいなものがヨーロッパに存在するはずがないですね。
さて、私自身は複合国家論・複合王政論について全然勉強していないので中澤氏の要約が正確なのかは評価できませんが、ただ、冒頭の「近代国家のみならず,市民社会,人権,啓蒙,産業社会,近代化などに対する近代的諸価値への信仰が幻想へと変わり,完全に衰退した」という断定的表現の後、ここで再び登場した「近代国家,市民社会,人権,啓蒙,産業社会,近代化などといった近代的諸価値への信仰が潰えた 1960 年代末のポストモダン的な情況」云々という表現はどうにも大袈裟で、こういう表現は私は好きではありません。
だいたい、「近代国家,市民社会,人権,啓蒙,産業社会,近代化などといった近代的諸価値への信仰」が「完全に衰退」したり「潰えた」ならば、近代国家はその時点で崩壊している訳で、では、いったい私たちが生きているこの世界はいったい何なのか、という話になります。
まあ、別に中澤氏だけでなく、こうした広告代理店のプレゼン男みたいな言い方をする人はけっこう多くて、世渡り上手だなとは思いますが、一時的に派手な活躍をしても、後続の研究者に役立つ業績を残す人は少ないですね。
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あなたの「国家」はどこから?─中澤達哉氏の場合(その2)

2021-11-16 | 新田一郎『中世に国家はあったか』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年11月16日(火)10時12分24秒

続きです。(p38)

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 さて,歴史学に地殻変動を引き起こしている第二の要素は,近世史研究,とりわけ国家論における大幅な認識の転換である。かつて近世後半に関する日本の戦後歴史学の見解は,絶対王政の確立とこれに対抗する市民革命の到来を前提としていた(5)。革命後のブルジョア社会の出現や国民国家の成立を「型」の形成の契機とし,この型の抽出により歴史の進展を把握するという方法である。つまり,型を取り出し,その典型の一般性と固有性を明らかにすることで他の事例との比較が可能になる(6)。ここでは歴史の発展方向があらかじめ決定されているほか,それを主導する主体(民族と階級)の自明性も際立っていた(7)。
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「かつて近世後半に関する日本の戦後歴史学の見解は,絶対王政の確立とこれに対抗する市民革命の到来を前提としていた」とあるので、いったい何時の話なのだろう、と思って注を見ると、

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(5) 高橋幸八郎『近代社會成立史論―歐洲經濟研究史』日本評論社,1947 年;同『市民革命の構造』岩波書店,1950 年。ほかにも以下を参照。大塚久雄『近代欧州経済史序説』岩波書店,1981 年(1938 年);同『近代化の歴史的起點』學生書房,1948 年。
(6) 詳細は,成田ほか上掲論文,16-7 頁。
(7) 石母田正『歴史と民族の発見』東京大学出版会,1952 年;上原専禄『民族の歴史的自覚』創文社,1953 年;江口朴郎『帝国主義と民族』東京大学出版会,1954 年。
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とのことなので、カルスタやポスコロですら相当昔のような感じなのに、これはまた遥か昔、「戦後歴史学」の黎明期、ないし「古代」の話ですね。
細かい事ですが、「近代社會」「起點」「學生書房」と旧字に拘っているのは何故ですかね。
ま、それはともかく、続きです。

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 一方,1970 年代以降のヨーロッパの歴史学界では,アナール派と同等に(あるいはそれ以上に),G・エストライヒの「社会的規律化」(Sozialdisziplinierung),W・ラインハルトらの「宗派化」(Konfessionalisierung),J・ポーコックらの「市民的人文主義」(civic humanism)・「共和政」(republicanism)研究,そして,K・H・ケーニヒスバーガおよび J・エリオットらを中心とする「複合国家」(composite state)・「複合王政」(composite monarchy)論が大いなる発展を遂げていた。アナール派のインパクトが日本では強いだけに,ともするとその重要性は比較的軽視されがちであるが,上記研究の史学史上の世界的意義はきわめて大きい(8)。なかでも,後述の「複合国家」「複合王政」論は,のちに「礫岩国家」論をも登場させ,今日の近代ネイション・ナショナリズム研究に再検討を迫っていると考える。
 確かに日本の歴史学においては,上記の「規律化」「宗派化」「市民的人文主義」「複合国家」論のインパクトはアナール派の社会史研究が与えたインパクトに比べて小さかった。これは,ヨーロッパの文脈と異なり日本では,二宮宏之を中心とした絶対王政論が上記の戦後歴史学を一部継承しつつも代替する役割を果たし,そのアナール派的な社会史研究が大いに発展したことと無縁ではない。二宮はひとびとが日常的に取り結ぶ社会的結合や社会編成原理に着目し,絶対王政は諸社団を媒介することによってはじめて全国規模の統治を貫徹することができたと結論した(9)。これによって,官僚制や常備軍に支えられて中央集権化や近代化を進めてきたとされる絶対王政像は,全面的な修正を迫られることになったのである。その後,二宮の(国家論ではなく)エトノス論とその社会史研究が,ネイション・ナショナリズム研究をはじめとする近代史研究にもインスピレーションを与えた結果,1990 年代には記憶や表象,ジェンダーやエトノスを研究対象とする「国民の社会史」が日本に出現し,近代論系構築主義を形作ることになった(10)。より厳密に言えば,絶対王政像を修正したエトノス論に基礎を置きながら,この段階で欧米の構築主義をも摂取した結果,国民史批判の礎石が形成されることになったのであり,二宮の研究のもう一つの柱である国家論や社団論から国民史批判が発展してきたのではないことに着目したい(11)。後述する複合国家論・礫岩国家論はまさにこの部分に介在しているのである。
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長々と引用しましたが、「これ〔二宮宏之氏の研究〕によって,官僚制や常備軍に支えられて中央集権化や近代化を進めてきたとされる絶対王政像は,全面的な修正を迫られることになった」はいくら何でも大袈裟ではないですかね。
自分の得意な論点に持って行くに際して、研究史を多少単純化することは許されるとしても、ここまで二宮宏之氏を持ち上げるのは如何なものか。

二宮宏之(1932-2006)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%AE%8F%E4%B9%8B

なお、ウィキペディアの上記記事には、「1984年には文化人類学者の川田順造や日本中世史家の網野善彦らとともに学術誌『社会史研究』を創刊。同誌を中心とする二宮の活動は、フランスの『アナール』の影響を受けた新しい歴史学が日本で開始される重要なきっかけとなり、のちに網野善彦らが日本で庶民の社会史の研究を深めてゆく大きな足がかりとなった」とありますが、網野善彦氏は、自分はアナール派の影響など一切受けていない、「大体フランス語は読めないのですから直接の影響などまったくありません」と強調されていましたね。

「かのかたはを愛するなりけりと、興なく覚えければ」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/469b19d3376e0b2a8cbfae963f27852e
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あなたの「国家」はどこから?─中澤達哉氏の場合(その1)

2021-11-16 | 新田一郎『中世に国家はあったか』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年11月16日(火)09時05分25秒

丸島和洋氏は「礫岩のような国家」論に「提示されている問題意識は、日本の戦国大名研究の有する問題点を的確に突いている」とされますが、丸島氏が「複合国家」でも「複合王政」でもなく、「礫岩国家」に特に関心を持たれているのは、「礫岩国家」が「国家の「解体」を視野に入れた考察を行い、動態的な国家論を提示」(中澤)していることが理由みたいですね。
『武田勝頼 試される戦国大名の「器量」』(平凡社、2017)の「第七章 武田氏の滅亡─戦国大名の本質」は、武田勝頼が国衆に見放されて戦国大名「国家」が「解体」された典型例ですから、「礫岩国家」論から示唆を得た点があったのかもしれません。
ただ、国家の「解体」を視野に入れると、「礫岩」という譬喩の不自然さが一層際立って来るようにも見えます。
いったん形成された「礫岩」は非常に固く、簡単に「解体」できるようなものではないですからね。
ところで、中澤達哉氏の「礫岩国家」論は『現代史研究』59号(現代史研究会、 2013)所収の「ネイション・ナショナリズム研究の今後」にもう少し詳しく展開されており、これはネットで読めます。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/gendaishikenkyu/59/0/59_37/_pdf/-char/ja

冒頭から少し引用すると、

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問題設定―ネイション・ナショナリズム研究と歴史学

 1980 年代以降のネイション・ナショナリズム研究は,近代論(Modernization theory)と原初論(Primordialism theory)ないしはエスノ象徴主義(Ethnosymbolism)という図式のもとで論争が繰り広げられ,文化人類学・社会人類学・民族学・政治学・社会学・歴史学の領域を超えて世界レベルで深化するに至った(1)。近代論系構築主義の文化研究には,カルチュラル・スタディーズやポストコロニアル・スタディーズも加わり,国民史研究の論壇はいっそう活況を呈した(2)。しかし現在では,こうした盛況もいささか昔日のものとなった。グローバル化の時代には帝国論や越境的な地域論こそ論じられるべき喫緊の課題であって,国民国家やナショナリズムに関してはもはやそうした要請はないというような言論も現れはじめている。この論争自体 1980-90 年代に特有の現象であったと認識されるようにもなっている。しかし,なによりも注視しなければならないのは,原初論・近代論ともに理論的な限界が指摘されはじめていることである。実のところ,歴史的文脈にかかわりなく前近代に近代国民のエスニックな起源を措定してしまう原初論の非歴史性は批判されて久しい。とりわけ歴史学では,原初論系本質主義に対する批判は,近代論系構築主義に立脚しながら国民史批判として展開されてきた。1990 年代にはこの文脈に立つ国民史批判は内外で一種の流行とまでなったが,今日ではむしろ当の近代論もまた,原初論と同様,方法論上深刻な岐路に立たされているといっても過言ではない。
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とのことですが、カルスタやポスコロの流行も、本当に昔話になってしまいましたね。

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 さて,近代論系構築主義が批判を余儀なくされる背景には,近年の歴史学における巨大な地殻変動がある。一つには(論理的には原初論と近代論のいずれをも批判の俎上に載せることになるが)1960 年代後半からの後期産業社会に対応して現れたポストモダニズムによる変動が挙げられる。ポストモダニズムはあらゆる価値判断を拒否し,歴史記述の不可能性さえ主張するに至った(3)。この現象は広くは,近代国家のみならず,市民社会,人権,啓蒙,産業社会,近代化などに対する近代的諸価値への信仰が幻想へと変わり,完全に衰退したことと軌を一にしていた。近代国民国家の正統化のために体制化された近代歴史学も,必然的に変容を迫られ,批判の対象となったわけである。こうして歴史学が認識論的な基盤からその存在意義を疑われはじめた結果,一切の歴史構想力は主観的なものとみなされ,その当然の帰結として価値相対主義を招来する事態となった。確かに,近代国民概念やナショナリズムの構築性を解明する際に,ポストモダニズムから派生したカルチュラル・スタディーズやポストコロニアル・スタディーズは有効な手立てとなる。しかし,ポストモダニズムでは,それを論究する研究者自身の言説を有意味的に位置づけられない。このようにして,国民史も国民史批判もともに認識のうえで客観性のない言説と化すわけである。この点に無自覚で無邪気な国民史批判は今も多いが,逆にこれに自覚的となった場合,効果的な国民史批判は論理的にはいっさい不可能となってしまう。それゆえに現在では,価値相対主義をアプリオリに歴史学と分離する認識の仕方も提示されている(4)。本稿もその提言を受け入れることとし,認識論上の客観性を担保することにしたい。
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「近年の歴史学における巨大な地殻変動」とありますが、中澤氏がずいぶん地学が好きなようですね。
「ポストモダニズムはあらゆる価値判断を拒否し,歴史記述の不可能性さえ主張するに至った」、「この現象は広くは,近代国家のみならず,市民社会,人権,啓蒙,産業社会,近代化などに対する近代的諸価値への信仰が幻想へと変わり,完全に衰退したことと軌を一にしていた」といった表現も、古い流行歌を聞くような懐かしさを覚えます。
さて、「それゆえに現在では,価値相対主義をアプリオリに歴史学と分離する認識の仕方も提示されている(4)」とあったので、これはどんなにすごい論文かと思ったら、

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(4) 成田龍一・小沢弘明・戸邉秀明「戦後日本の歴史学の流れ―史学史の語り直しのために」『思想』第 1048号(2011 年8月号),39-40 頁
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とのことです。
うーむ。
注(3)までは洋風の名前がずらずら並んでいるので、ここももう少し洋風の名前が出てもよさそうな感じですが、何故か純和風ですね。
この論文は未読ですが、私は昔から成田龍一氏にあまり良い印象を持っていないので、正直、さほど期待できないように感じます。
ただ、読まずに決めつけることもできないので、ヒマが出来たら一応読んでみようかなとは思います。

成田龍一氏に学ぶ司会術
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/58dbe02102c2e2d1d6f38558148e2eb3
"East Asian Historical Thought in Comparative Perspective"
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/004380f8b55273c44fda54f1ed010caf
謎の発言者
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/49abeef872d2d1ab33e564049d792de3
日米の盆栽愛好者たち
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/103a07f60ba8bf777792886be7d72d70
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