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南北朝クラスター向けクイズ

2021-01-29 | 建武政権における足利尊氏の立場
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 1月29日(金)12時31分18秒

【設問】
 下記文章は白根靖大編『東北の中世史3 室町幕府と東北の国人』(吉川弘文館、2015)所収の白根靖大「建武の新政と陸奥将軍府」から引用した。
この中に明らかな誤りがあるが、その箇所を指摘した上で、どのように誤っているかを説明せよ。

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陸奥守北畠顕家
 元弘三年(一三三三)八月五日、陸奥守に北畠顕家が任命された。顕家は『神皇正統記』の著者北畠親房の子息で、当時一六歳、参議・近衛中将・弾正大弼の官職を帯びる公卿だった。公卿で若年の顕家が陸奥守に任じられたのは、東北へ足利尊氏が勢力拡大を進めるのに対抗するため、護良親王と親房が講じた策だという。
 これより先、後醍醐は、六月五日に尊氏を鎮守府将軍に、ついで十三日に護良を征夷大将軍に任命していた。尊氏は、鎮守府将軍の地位を梃子として、陸奥国外ヶ浜・糖部(青森県)の旧北条氏領を手に入れるなど、奥州に勢力を拡大しようとした。彼は武蔵守兼武蔵守護として、新田義貞と東国における主導権争いを繰り広げるとともに、「東国の武士の多くは東北にも所領を持って力があったので、彼らを足利方から引き離そうとして」(『保暦間記』)、岳父の親房と謀り陸奥守顕家を実現したのだという。ところが、その護良は十月に謀叛の疑いで失脚してしまい、尊氏の存在感はさらに増していった。そうした中、顕家は、後醍醐の皇子義良親王を奉じ、奥州の統治を委任するという後醍醐の仰せを受け、同じ十月に陸奥へ下向した。
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『東北の中世史3 室町幕府と東北の国人』

南北朝の争いから室町幕府と鎌倉府の対立へと至る政情不安。東北でも、北畠顕家(あきいえ)や奥州管領、篠川公方などの諸勢力が相争った。そうした不安定な時代を生き抜いた地元の国人たちと、東北社会の実態を多面的に描き出す。

白根靖大(中央大学文学部教授、1965生)
https://researchmap.jp/read0180328
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