学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

「かれの生涯は悪のパワーがいかにも不足している」(by 小川剛生氏)

2021-03-22 | 歌人としての足利尊氏
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 3月22日(月)10時07分31秒

それでは歌人としての尊氏について、少しずつ検討して行きます。
このテーマを扱った論文・書籍はそれほど多くはありませんが、単著では河北騰氏の『足利尊氏 人と作品』(風間書房、2005)があります。

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足利尊氏の生涯の事蹟をたどり、とくに愛弟直義との相克、勅撰集入集歌の鑑賞、尊氏賛美の歴史物語「梅松論」の紹介など、人間味あふれる尊氏の実像に迫る好著。

https://www.kazamashobo.co.jp/products/detail.php?product_id=106

ただ、歴史学の研究水準という観点からは、河北氏の基本的認識は相当古いものであり、また、尊氏の歌風を一貫して二条派と捉えている点、国文学の研究水準に照らしても問題があります。
要するに河北氏の著書は『増鏡全注釈』(笠間書院、2015)と同じく「隠居仕事」なので、現時点で参照する価値は私には感じられません。

河北騰『増鏡全注釈』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5b5ad59292e56bd94e7c14970e019a06
河北騰『増鏡全注釈』(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1350fe52a58ec6396b2df16a6943698f

一般的に入手可能な文献の中で、私にとってもっとも参考になったのは石川泰水氏(故人、元群馬県立女子大学教授)の「歌人足利尊氏粗描」(『群馬県立女子大学紀要』32号、2011)という論文ですが、石川論文を検討する前に、予備的知識の確認を兼ねて小川剛生氏の見解(『武士はなぜ歌を詠むか』、角川叢書、2008)を少し見て行きたいと思います。

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刀だけでは、勝ち抜けない。和歌と権力の関係を説き、「武士像」を覆す!
戦乱の中世、武士は熱心に和歌を詠み続けた。武家政権の発祥地・関東を中心に、鎌倉将軍宗尊親王、室町将軍足利尊氏、江戸城を築いた太田道潅、今川・武田・北条の戦国大名三強を取り上げ、文学伝統の足跡をたどる。

https://www.kadokawa.co.jp/product/321601000715/

同書の「第二章 乱世の和歌と信仰―足利尊氏と南北朝動乱」は、

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第一節 尊氏青年期の和歌的環境
第二節 神仏への祈願と和歌
第三節 鎌倉将軍と京都歌壇
第四節 戦陣における和歌
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と構成されていますが、第一節の前に置かれている部分を引用します。(p80以下)

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 室町幕府初代将軍足利尊氏は南北朝動乱の主役であり後世には逆賊の首魁として筆誅を加えられたが、かれの生涯は悪のパワーがいかにも不足している。禅僧夢窓疎石は、慈悲深く、勇敢で、物惜しみをしないと尊氏の人柄を称えたが(梅松論)、これは育ちがよくて人に乗じられやすいということでもある。同母弟直義は有能怜悧であり、執事の高師直も好んで悪役を引き受けた。かれらと比較すれば、尊氏は、混乱する状況にひきずられ続けた、いささか冴えない英雄であった。
 一方で、尊氏兄弟は文化的素養に富んでいた。直義は禅に心を潜め、詩文に傾倒したが、尊氏が愛好したのは和歌であった。歌集こそ遺っていないが(等持院殿御集は他人の和歌を集めた後世の私撰集である)、二つの百首歌があり、勅撰集には八十五首も入集している。
 尊氏の生涯を和歌とのかかわりから述べようと思う。この時代、地方歌壇の活動は総じて低調で、前代あれほど栄えた鎌倉歌壇も沈滞してしまう。社会変動の激しさを物語るが、しかし尊氏の一生に見るように、詠歌の営みは途絶えず、動乱のなか武家が和歌を詠もうとする姿勢はかえって純粋苛烈でさえある。なお、元弘三年に後醍醐天皇の偏諱を貰って改名する以前の名乗りは「高氏」であるが、ここでは「尊氏」で統一する。
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「執事の高師直も好んで悪役を引き受けた」は「『太平記』史観」的な感じがしないでもありませんが、亀田俊和氏による高師直や高一族に関する書籍が出る前なので、こうした理解は一般的なものでしたね。
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