学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

『増鏡』を読み直してみる。

2017-12-28 | 『増鏡』を読み直す。(2018)
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年12月28日(木)13時30分6秒

今までの投稿で小川剛生氏『二条良基研究』の「終章」に反論する準備は全て整ったのですが、ここで性急に結論を出さず、改めて『増鏡』を読み直してみようと思います。
この試みに際しては、二つの留意点を設定しておきます。
まず第一に、二条家その他の摂関家関係者が『増鏡』においてどのように描かれているか、を検討します。
これは作者についての従来の通説である二条良基説(木藤才蔵氏ら)、そして小川剛生氏の修正説(二条良基監修者説)が成り立ち得るのかを確かめるために、果たしてそのような身分・家柄の人物を作者ないし作者関係者と考えるにふさわしい記事はどれだけ存在するのか、あるいは存在しないのかを検証するものです。
その際に摂関家との比較のため、西園寺家とその分家の洞院家、そして村上源氏の諸家についても必要に応じて言及します。
第二に、鎌倉時代の公家社会の変動をトータルに描いた格調高い歴史物語である『増鏡』において、歴史的重要性がないにもかかわらず相当の頻度で登場する、当時の公家社会の倫理水準に照らしても問題があると思われる男女間・同性間の挿話(以下、「愛欲エピソード」という)の出現時期・内容について検討します。
これは小川氏が『増鏡』の実際の執筆者として丹波忠守を想定していることに対し、私は丹波忠守レベルの人間では、仮に『増鏡』の主軸である歴史的重要性の高い出来事を描くことは可能であるとしても、数々の愛欲エピソードの執筆はおよそ無理なのではないか、と考えているためです。
私は丹波忠守レベルではそもそも愛欲エピソードの情報源に近づくことができず、また、貴族社会の最高レベルの人々の「愚行」を見下すように描くことはできないと考えるので、この点を具体例に即して検討してみたいと思います。
それでは『増鏡』の叙述の順序に従って早速検討に入りますが、最初に『増鏡』の構成を確認しておきます。

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第一 おどろのした
第二 新島守
第三 藤衣
第四 三神山
第五 内野の雪
第六 おりゐる雲
第七 北野の雪
第八 あすか川
第九 草枕
第十 老の波
第十一 さしぐし
第十二 浦千鳥
第十三 秋のみ山
第十四 春の別れ
第十五 村時雨
第十六 久米のさら山
第十七 月草の花
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各巻のタイトルは本文中に出てくる歌から取っており、例えば第一巻の「おどろのした」は後鳥羽院の「奥山のおどろの下を踏み分けて道ある世ぞと人に知らせん」によっています。

>筆綾丸さん
いえいえ。
久しぶりに中世史に戻ってみたら、歴史学にはずいぶん進展があったので、いろいろ刺激を受けました。
他方、国文学の『増鏡』研究はというと、ここ十数年の論文の数は僅少であり、久しぶりの本格的な注釈書である河北騰氏の『増鏡全注釈』(笠間書院、2015)も、その作者論・成立年代論は旧態依然たるもので、今なお2005年の小川著が最先端の研究のようです。
これはさすがに情けない事態なので、国文学界の『増鏡』研究の知的水準を上げてもらうために、僭越ながら一般人の私が少しだけ貢献したい、という謙虚さのカケラもない決意に基づき、若干の投稿を行なうつもりです。
お時間がある時に適当におつきあい下さい。

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河北騰『増鏡全注釈』

後鳥羽帝の即位から、後醍醐帝の隠岐よりの
還京まで、十五代、約一五二年間を記した
編年体の歴史物語の全注釈。

中世院政期の歴史や文化を克明に記録しながら、平安王朝的優美典雅への憧憬が極めて強く存在し、洗練された文体や表現の工夫、人の世の栄枯盛衰や無常観が強く感じられる、文学性も極めて強く、豊かな歴史物語──。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

日本問答 2017/12/28(木) 11:40:37
小太郎さん
読ませていただくだけで、はかばかしいレスもできず、すみません。小川説の弱点が見えてきました。

https://www.iwanami.co.jp/book/b325114.html
このところ、何の役にも立たないサスペンス小説を読み耽っていますが、息抜きに『日本問答』でも読んでみようかと考えています。
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