学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

渡辺浩氏について

2017-06-27 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 6月27日(火)07時44分22秒

>筆綾丸さん
>日本に独特な得体の知れぬ新興宗教のようで
ドイツ風の父権主義の戯画のようにも思えますが、ドロドロした感じは日本風味かもしれないですね。
『矢内原忠雄 戦争と知識人の使命』は 羊頭狗肉の将基面貴巳著『言論抑圧-矢内原事件の構図』とは異なり、手堅くてけっこう良い本だと思いますが、矢内原忠雄自身にそれほど興味を持てなくなってしまった私にとっては、読み続けるのがちょっと重荷になってきました。

>『天皇』の解説は本郷和人氏なんですね
橋爪・大澤氏の本は読む気がしませんが、石井良助『天皇』の本郷氏の解説は未読なので、後で確認してみます。

>渡辺浩氏(『東アジアの王権と思想』)
>「幕府」とは、皇国史観の一象徴にほかならない。(4頁)

「皇国史観」という概念の問題性は昆野伸幸氏(『近代日本の国体論』)が指摘されており、渡辺氏は、少なくともご本人の意識においては「幕府」について非常に緻密な議論をしているつもりなのでしょうが、「皇国史観」の部分は雑ですから、<「幕府」とは、皇国史観の一象徴にほかならない>は全体として雑な議論ですね。

平泉澄は「皇国史観」の理論的リーダーか?

研究者の多くが「幕府」という概念について一応の了解をし、その了解に基づいて膨大な議論が積み重ねられている状況の中で、渡辺氏のような、特定の概念だけに偏執的なこだわりを見せる変人が「幕府」ではなく「公儀」と呼ぶべきだと主張しても、ま、結局は誰からも相手にされずに終わるのではないかと思います。
そんなことに拘る暇があったら、渡辺氏はきちんと史料を読むことにエネルギーを注いでほしいですね。
藤田覚氏は『雲上明覧』という史料の一部だけを見て、別の箇所にそれと矛盾する記載があることに気づかない人で、まあ、その種のミスはどんな研究者にも起こり得るでしょうが、渡辺浩氏は『大日本永代節用無尽蔵』その他の史料において、実際には存在しない「順徳天皇」という記述を幻視できる人ですから、研究者としてはなかなか珍しい存在ではないかと思います。

一応のまとめ:二人の東大名誉教授の仕事について

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

神ごとは捨ててしまいよろ 2017/06/25(日) 17:02:12
小太郎さん
ご引用の文を読むと、キリスト教というよりも、日本に独特な得体の知れぬ新興宗教のようで(あるいは、狂信的な中東の Daech のようで)、かくも偏執的な制約を受けてまで会員でありたいと望む信者は、たんに倒錯的な異常者にすぎないのではあるまいか、という気がしてきますね。

https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/tv/journeys/journey_20170620.html
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Izanagi-ryu harmoniously blends elements of Shintoism, Buddhism and folk religions in a rare style of prayer.
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物部町に滞在して民間信仰(いざなぎ流)のフィールド調査をしているシンガポールの女性(コロンビア大学博士課程)と案内役のイタリアの女性(ダンサー)の二人からインタビューを受けた婆さんが、
「いまの若い者は、みんながね、神ごとは捨てしまいよろ(字幕:Our Young people have abandoned the gods.)。」
と答えていましたが、なんとも国際色豊かなシーンでした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B1%B1%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%97
玄関の壁に貼ってある高知県出身の演歌歌手のポスター(三山ひろし「男のうそ」)は、まるで絶妙な合いの手のようで、矢内原の如きインテリはこんな日本的風土を唾棄したかったのだろうけれども、と云って、キリスト教はそんなに優れた宗教なのかね、とも思いますね。

幕府について 2017/06/26(月) 18:11:23
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062883917
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橋爪 石井良助さんという法制史の学者が、『天皇』という啓蒙的な本を書いていて、名著なのですが、そこに幕府の説明が書いてある。幕府とは、「右近衛大将の執務所」のことだと。征夷大将軍とは直接、関係ないんです。
大澤 普通、将軍と幕府はセットだと思われていますが、法的には無関係なのですね。
橋爪 征夷大将軍は、政府のコントロールが及ばない化外の地を支配するから、政府の機能を持たなきゃいけないわけだが、それを幕府といったのです。頼朝も家康も、朝廷からいろんな官職に任命されているわけだが、肩書のリストをみると、必ず右大将にも任じられている。だから幕府を開ける。
 でもこのことは、日本史の時間にはすっ飛ばされている。征夷大将軍が政治を勝手に始めると幕府、みたいに言っているけど、そういうものではないんですね。(『げんきな日本論』219頁~)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E5%B0%8A%E6%B0%8F
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062920599
橋爪・大澤両氏は日本史の専門家ではないから、話半分くらいに読み流せばいいのですが、足利尊氏は右大将には任じられていなかったのではないか、と思いました。また、石井良助『天皇』(講談社学術文庫)をざっと眺めてみたのですが、「幕府とは、「右近衛大将の執務所」のことだ」という記述が見つからず、全部読んで確認するのは面倒だな、と思っています(『天皇』の解説は本郷和人氏なんですね)。
なお、渡辺浩氏(『東アジアの王権と思想』)は、
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現在のように「幕府」という語が一般化したきっかけは、明らかに、後期水戸学にある。(3頁)
・・・「幕府」とは、皇国史観の一象徴にほかならない。(4頁)
・・・原則として「公儀」と呼ぶのが、少なくとも「幕府」よりは、適当であろう。(5頁)
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として、「幕府」という用語を批判していますね。
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