投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 7月22日(土)11時17分43秒
>筆綾丸さん
『歴史という皮膚』(岩波書店、2011)を図書館で借りてパラパラ眺めてみました。
いささか気味の悪いタイトルに反して、南原繁・田中耕太郎や山口昌男など、私も以前から興味を持っている人々についての情報がそれなりに豊富なようなので、少し真面目に取り組んでみるつもりです。
最終章の「「利欲世界」と「公共之政」─横井小楠・元田永孚─」の注31には、
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(31) 本章では「幕府」ではなく「徳川政権」の呼称を用いる。徳川時代には、(最末期を例外として)江戸の「御公儀」を、京都の「禁裡様」からの委任を受けて権力を行使する「幕府」と呼ぶなどということは一般にはなかったことを重視し、皇国史観による武家政権観の臭味を帯びない表現を採用したのである。ちなみに、一八七七-八二(明治十-十五)年刊行の田口卯吉『日本開化小史』(岩波文庫、一九六四年)は「徳川政府」と呼んでおり、明治時代には徳富蘇峰や山路愛山も「徳川政府」の語を用いている。一九三八(昭和十三)年の長谷川如是閑『日本的性格』第五章(『近代日本思想大系15 長谷川如是閑集』筑摩書房、一九七六年、所収)にも「徳川政府」の呼称が見えることを考えると、歴史叙述用語として使われるのが「幕府」のみとなったのは、いくぶん新しいことと思われる。
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とありますね。(p269)
歴史学研究会や歴史科学協議会系の研究者もごく当たり前に使っていて、特に「皇国史観による武家政権観の臭味を帯び」ていると思っていない「幕府」という表現に執拗にこだわるのは、それ自体が別の「臭味を帯び」ているような感じもしますね。
渡辺浩名誉教授の偉大な法燈を受け継ぐ東大法学部系の政治思想史研究者にとっては、「幕府」を用いるか否かが正統か異端かを分ける踏み絵となっているのでしょうか。
渡辺浩氏について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9c98d53b1b8c239d74840025286625cc
「公儀」と師弟愛
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ddd3bf147869a0ba31c9d500db9c45e6
※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。
小太郎さん
ご引用の速水融氏の発言の後半は、人として普通の感性だと思いますが、水谷・苅部両氏も普通の人の子でかつ普通の子の親のはずなのに、なぜ普通の歴史が見えないのか、不思議な気がしますね。自分はなにか特別な存在だ、と勘違いしているのか。
https://www.iwanami.co.jp/book/b261414.html
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書名は,たまたま全集が刊行中でもある田村隆一の詩からとったものである.この詩人の作品には,小学生のころに新聞でエッセイを読んだときから親しんできた.生まれ育った東京都内の場所も,わりあいに自分と近い.「歴史という皮膚」という言葉の含意については,離れがたい歴史というものに囲まれている思想のありさまと取ってもいいし,そうした「皮膚」を脱ぎ捨てて,理想の大空へとはばたきたい願望を示したと読んでもらっても構わない.いずれにしろ,切ったら血が出る「皮膚」が,「歴史」の形容に使われているところが気に入ったのである.
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『歴史という皮膚』「あとがき」の一部ですが、苅部氏の江戸時代史像は「切っても血が出ない紛い物の皮膚」とも言えますね。気になるのは、ここでも「東京っ子」を自慢していることで、ボクには地方の歴史なんてわからないし興味もない、ということなのかもしれませんね。ちなみに、詩とは次のようなもので、まあ、毒にも薬にもならぬような代物です。
ぼくらは死に至るまで
なおも逃走しつづけなければならない
歴史という皮膚におおわれているばかりではない
存在そのものが一枚の皮膚なのだから
田村隆一「父 逃走ーホルスト・ヤンセン展にて」より
追記
http://www.yumebi.com/acv04.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%AC
ホルスト・ヤンセンはこんな人なんですね。昔、ハンブルク美術館は訪ねたことはありますが、記憶にありません。北斎というよりも、エゴン・シーレの影響が強いような気がします。
http://www.chuko.co.jp/shinsho/
明日発売予定の中公新書の内、亀田俊和氏の『観応の擾乱』は楽しみにしています(呉座氏の『応仁の乱』ほどのベストセラーにはならないと思いますが)。また、著者の吉原祥子氏は知らないものの、『人口減少時代の土地問題』は面白そうですね。
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フルイン ここで、江戸時代についていろいろ話をしたわけですが、この四人のうち三人は外国人ですけれども、それはどういう意味があるかということを、最後にお聞きしたいんですけど。
速水 だいたいこのような座談会自身が日本独特の発想であり、一種のコミュニケーション手段でしょう。私は別に三人の方々が外国の人だという意識は、そんなに強くはないんですけどね。ただ、まあ多少毛色の変った人だとは思いますがね(笑)。
さっき、どなたが言われたように、皆さんは日本の歴史教育、歴史観の公害に侵されていないわけですね。私は日本での歴史の教え方や普及している歴史観には一種の公害があるのではないかと思うんです。それに侵されていない人が、日本の歴史、とくに江戸時代を見るとどうなるかということでお集まりいただいたわけなのです。(『歴史のなかの江戸時代』「第12章 外から見た江戸時代」381頁)
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苅部氏たちの珍奇な学説が「日本の歴史教育、歴史観の公害」になることはないと思いますが、「公儀」や「古層」や「執拗低音」などを通過儀礼とするゲマインシャフトが、社会の片隅にひっそりと残るような気がしないでもないですね。
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