投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 2月 1日(火)12時52分54秒
マンガ化されたり、瀬戸内晴美によって小説化(『中世炎上』)されたりしている『とはずがたり』に比べると、鎌倉時代を朝廷側から概観した歴史物語『増鏡』は地味な存在ですが、後鳥羽院と後醍醐天皇の時代を中心に非常に格調の高い場面も多いので、戦前はなかなか人気がありました。
注釈書も多数出されましたが、中でも前回投稿で紹介した和田英松・佐藤珠『修訂 増鏡詳解』(明治書院、1913)は本当にレベルが高くて参考になりますね。
ただ、『増鏡』に膨大な分量が「引用」されている『とはずがたり』が出現する前の著作なので、前斎宮の場面の「院」を亀山院と解するなど、今から見ればちょっと頓珍漢な記述も若干ありますね。
さて、あまり先走らず、まずは問題文をしっかり確認しておきたいと思います。
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第3問 次の【文章Ⅰ】は、鎌倉時代の歴史を描いた『増鏡』の一節、【文章Ⅱ】は、後深草院に親しく仕える二条という女性が書いた『とはずがたり』の一節である。どちらの文章も、後深草院(本文では「院」)が異母妹である前斎宮(本文では「斎宮」)に恋慕する場面を描いたものであり、【文章Ⅰ】の内容は、【文章Ⅱ】の6行目以降を踏まえて書かれている。【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】を読んで、後の問い(問1~4)に答えよ。なお、設問の都合で【文章Ⅱ】の本文の上に行数を付してある。(配点 50)
【文章Ⅰ】
院も我が御方にかへりて、うちやすませ給へれど、まどろまれ給はず。ありつる御面影、心にかかりておぼえ給ふぞいとわりなき。「さしはへて聞こえむも、人聞きよろしかるまじ。いかがはせん」と思し乱る。御はらからといへど、年月よそにて生ひたち給へれば、うとうとしくならひ給へるままに、つつましき御思ひも薄くやありけむ、なほひたぶるにいぶせくてやみなむは、あかず口惜しと思す。けしからぬ御本性なりや。
なにがしの大納言の女、御身近く召し使ふ人、かの斎宮にも、さるべきゆかりありて睦ましく参りなるるを召し寄せて、
「なれなれしきまでは思ひ寄らず。ただ少しけ近き程にて、思ふ心の片端を聞こえむ。かく折よき事もいと難かるべし」
とせちにまめだちてのたまへば、いかがたばかりけむ、夢うつつともなく近づき聞こえ給へれば、いと心憂しと思せど、あえかに消えまどひなどはし給はず。
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いったん、ここで切ります。
【文章Ⅰ】については私も拙い訳を試みています。
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【私訳】後深草院も御自分の部屋に帰って横になられたが、まどろまれることもできない。先程の斎宮の御面影が心の中にちらついて、忘れられないのは何としても、いたし方ないことだ。「わざわざ自分の思いを述べた手紙をさし上げるのも人聞きがよくなかろう。どうしようか」と思い乱れておられる。斎宮とは御兄妹とは申しても、長い年月、互いに離れてお育ちになったので、すっかり疎遠になってしまわれておられるので、(妹に恋するのはよくないことだ、という)慎まれるお気持も薄かったのであろうか、ただひたすらに思いもかなわず終ってしまうのは残念に思われる。けしからぬ御性格であることよ。
某大納言の娘で御身近に召し使う女房が、斎宮にも然るべき縁があって親しく参り慣れていたが、その者を召し寄せて、「斎宮に対して慣れ慣れしく、深い仲になろうとまでは思ってもいない。ただ少し近い所で、私の心の一端を申し上げようと思う。こういう良い機会も容易に得がたいであろう」と熱心に、真面目におっしゃるので、その女房はどのようにうまく取りはからったのであろうか、院は闇の中を夢ともうつつともなく(斎宮に)のおそばに近づかれたところが、斎宮はまことにつらいことと思われたが、弱々しく今にも死にそうに、あわてまどうということはなさらない。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b7aee4690e5603b5bda8b5c5d5736bd5
設問に戻って、続きです。
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【文章Ⅱ】
斎宮は二十に余り給ふ。ねびととのひたる御さま、神もなごりを慕ひ給ひけるもことわりに、花といはば、桜にたとへても、よそ目はいかがとあやまたれ、霞の袖を重ぬるひまもいかにせましと思ひぬべき御ありさまなれば、ましてくまなき御心の内は、いつしかいかなる御物思ひの種にかと、よそも御心苦しくぞおぼえさせ給ひし。
御物語ありて、神路の山の御物語など、絶え絶え聞こえ給ひて、
「今宵はいたう更け侍りぬ。のどかに、明日は嵐の山の禿なる梢どもも御覽じて、御帰りあれ」
など申させ給ひて、我が御方へ入らせ給ひて、いつしか、
「いかがすべき、いかがすべき」
と仰せあり。思ひつることよと、をかしくてあれば、
「幼くより参りししるしに、このこと申しかなへたらむ、まめやかに心ざしありと思はむ」
など仰せありて、やがて御使に参る。ただおほかたなるやうに、「御対面うれしく、御旅寝すさまじくや」などにて、忍びつつ文あり。氷襲の薄様にや、
「知られじな今しも見つる面影のやがて心にかかりけりとは」
更けぬれば、御前なる人もみな寄り臥したる。御主も小几帳引き寄せて、御殿籠りたるなりけり。近く参りて、事のやう奏すれば、御顔うち赤めて、いと物ものたまはず、文も見るとしもなくて、うち置き給ひぬ。
「何とか申すべき」
と申せば、
「思ひ寄らぬ御言の葉は、何と申すべき方もなくて」
とばかりにて、また寝給ひぬるも心やましければ、帰り参りて、この由を申す。
「ただ、寝たまふらん所へ導け、導け」
と責めさせ給ふもむつかしければ、御供に参らむことはやすくこそ、しるべして参る。甘の御衣などはことごとしければ、御大口ばかりにて、忍びつつ入らせ給ふ。
まづ先に参りて、御障子をやをら開けたれば、ありつるままにて御殿籠りたる。御前なる人も寝入りぬるにや、音する人もなく、小さらかに這ひ入らせ給ひぬる後、いかなる御事どもかありけむ。
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こちらも私訳を参照願います。
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【私訳】斎宮は二十歳を過ぎておられる。十分に成熟なされた御様子は、伊勢の神が名残を惜しまれてお引きとどめになったのももっともと思われ、花でいえば、桜に喩えても、はた目にはさほど見当違いではあるまいと見誤れるほどで、袖を覆ってお顔が隠れる間も見続けていたいと思われるような御様子なので、まして飽くまで色好みの院の御心の中は、早くもどんな御物思いの種になっていることだろうかと、傍からも斎宮がお気の毒に思われた。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ead8f76611f7509f87dece52a15012e6
【私訳】斎宮は院とお話をして、伊勢の神通山のことなどを、とぎれとぎれに申し上げられると、院は「今宵はたいそう更けてしまいました。明日はゆっくりされて、嵐山の木の葉の落ちた梢などを御覧になってお帰りください」などとおっしゃって、自身のお部屋に戻られると、さっそく私に、「どうしたらよいだろう、どうしたらよいだろう」と仰せになる。
予想通りだとおかしく思っていると、「お前が幼いときから私に仕えてきた証拠に、あの人との間をうまく取り持ってくれたら、本当に私に対して誠意があるものと思うぞ」などとおっしゃるので、さっそくお使いに参った。ただ一通りの挨拶のようにして、「お会いできてうれしく思いました。御旅寝も寂しくはありませんか」などといった口上で、別に密かにお手紙がある。氷襲の薄様であったか、
知られじな……(今逢ったばかりのあなたの面影が、すぐに私の心に
とどまってしまったとは、あなたは御存知ないでしょうね)
夜が更けていたので、斎宮の御前に伺候している女房たちも皆寄り臥しており、御本人も小几帳を引き寄せておやすみになっておられた。近く参って、院の仰せの旨を申し上げると、お顔を赤らめて、特に何もおっしゃらない。お手紙も見るともなく、そのままお置きになった。「何と御返事申しましょうか」と申し上げると、斎宮は「思いがけないお言葉は、何とご返事のしようもなくて」とばかりで、また寝てしまわれたのも余り感心しないので、院のもとに帰って事情を申し上げる。すると院は、「何でもよいから、寝ておいでの所へ私を案内しろ、案内しろ」としつこくお責めになるのも煩わしいので、お供に参るだけなら何でもないことだから、ご案内した。甘の御衣などは大袈裟であるので、院は大口袴だけで、こっそりとお入りになる。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9cfee7d955c2354539d56ed62708a87e
【私訳】私がまず先に入って、御襖をそっと開けると、先ほどのままでお寝みになっておられる。御前の女房も寝入っているのであろうか、声を立てる人もおらず、院がお体を低くなさって這うようにしてお入りになった後、どのようなことがおありだったのであろうか。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9e64eccdd3502800f9d9dbcf3f13e24d
【文章Ⅱ】は「いかなる御事どもかありけむ」で終わっていますが、何があったかは決まっていますね。
要するにここは、後深草院が二条の案内で、異母妹の前斎宮の寝所に忍び入って、合意を得ないままレイプしたという際どいお話です。
こんなものを入試問題にしてよいのか、という道徳的立場からの、いわば古臭い批判の他に、セクハラ・パワハラに対する世間の目が厳しい現在では、別の立場からの批判もありそうですね。
即ち、大学に入学を希望する者には必須の入試問題ですから、受験生はこうした破廉恥・不愉快な話を読むことを公権力によって強要されている訳で、そうした強要自体がセクハラ・パワハラではなかろうか、といった批判ですね。