学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

創作の理由

2022-02-05 | 2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 2月 5日(土)21時22分53秒

※ 訂正
ここ暫くの投稿で前斎宮エピソードを建治元年(1275)の出来事としていましたが、『とはずがたり』の時間の流れでは文永十一年(1274)と考えるのが自然で、次田著の年表でもそうなっています。
後嵯峨院崩御は文永九年(1272)二月で、同年を含めて三年間、前斎宮は伊勢に留まっていた、という設定ですね。
もちろん、文永十一年は元寇(文永の役)の年で、十月に元軍が九州を襲い、京都でも異国調伏の祈祷を行うなど大騒動になっていますから、史実としては十一月十日頃にこんな閑な行事を行っているとは考えにくい時期です。
このあたり、『とはずがたり』の年立ては混乱していて、史実との整合性は取りにくいですね。

>筆綾丸さん
>なぜ二条はそんな創作をしたのか

私は前斎宮エピソードは全面的にフィクションという立場です。
なぜそんな創作をしたのかは『とはずがたり』全体に関る問題ですが、私は、あまりに生き生きとして「臨場感」に溢れている『とはずがたり』は、もともと複数のエピソードの集合体であって、個々のエピソードは本来、二条によって語られていたものであろうと思っています。
旧サイトの頃は二条はいったい誰を聞き手、読者として想定しているのか決めかねていたのですが、今は最初の主たる聞き手は公家社会ではなく武家社会の人びと、具体的には金沢貞顕のような京都と何らかの接点を持つ人々だったろうと考えています。
宮廷を出た後の二条の後半生は一種の外交官的な生活であり、公家社会と武家社会のはざまで、良く言えば円滑な文化交流を担当する役割、悪く言えば一種の情報ブローカーのような存在だったのではないか、というのが私の仮説です。
そして、二条の最大の強みは宮廷社会を熟知していたことであり、「ここだけの話ですけど」という前置きで語った各種の宮中秘話が二条の最も得意とするところで、『とはずがたり』はそうした個別エピソードを更に膨らませて、あまり矛盾が目立たない程度にまとめた自伝風小説、というのが私の認識です。
ま、筆綾丸さんはともかく、最近になって共通テストをきっかけに私の掲示板、ブログに来られるようになった方には何を言っているのか全然分からないと思いますが、「実証的」とまでに論証するのは無理であっても、ある程度の蓋然性を感じてもらえる議論をして行きたいと思っています。
なお、二条は後深草院の庇護を得られずに宮廷を追放された立場ですから、後深草院に対する屈折した感情はあって、揶揄や復讐といった個人的感情がなかった訳ではないでしょうが、そのあたりは後深草院の葬送を裸足で追った場面に見られるように、『とはずがたり』では既に文学的に昇華されているように感じます。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

フィクション 2022/02/05(土) 16:32:07
小太郎さん
かりに伊勢物語第69段を踏まえているとすると、proxenetism の話はフィクションではあるまいか、という気もしますが、どうでしょうか。
この話が、
「御物語ありて、神路の山の御物語などたえだえ聞え給ひて」
から始まって、
「・・・などばかりにてありけるとかや」
で終わっているのも相当怪しくて、伊勢物語に絡めた mystification あるいは superimposition のような気もします。
もしそうならば、なぜ二条はそんな創作をしたのか、ということになりますが、後深草院を揶揄したかった、もっと露骨に言えば、後深草院をちょっとバカにしてみたかった、というようなことになりますか。
そして、「・・・とかや」の後は酒宴の話になりますが、これは、重層的な架空の物語に酔えない読者は、酒で酔ってね(悪酔いしてね)、という機知に富んだトリックのようにも思われてきます。
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2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説(その7)

2022-02-05 | 2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 2月 5日(土)13時50分14秒

>筆綾丸さん
>おそらく伊勢物語第69段を踏まえたもので、

登場人物を比較すると、『伊勢物語』では冒頭に女(斎宮)の母親、『とはずがたり』では男(後深草院)の母親、即ち大宮院が登場しますね。
そして『伊勢物語』では女が男を訪問するのに対し、『とはずがたり』では男が女を訪問。
その際の使いは『伊勢物語』では女童、『とはずがたり』では二条。
筆綾丸さんがおっしゃるように、宴会場面も含め、確かに『とはずがたり』の前斎宮エピソードは『伊勢物語』を反転させたパロディの世界であることは明らかですね。
しかし、私が原文を引用している次田香澄『とはずがたり(上)全訳注』(講談社学術文庫、1987)では、解説を見ても『伊勢物語』への言及は一切ありません。
一体どうなっているのだ、という感じがしますが、後で他の注釈書もいくつか確認してみることにします。

さて、『とはずがたり』では、前斎宮の場面の直前に二条が東二条院から出入り禁止を通告されたことが記されています。
そして、後深草院が大宮院を訪問した初日には、後深草院が二条と東二条院の不仲に触れて、二条を庇い、大宮院も二条に同情的な発言をします。
ま、二条はそれを聞いて、「いつまで草の」などと思う訳ですが。

『とはずがたり』における前斎宮と後深草院(その2)(その3)

そして後深草院が二条の手引きで前斎宮の寝所に侵入して関係を持ち、その様子を近くで観察していた二条が、もっと抵抗すれば面白かったのに、などと感想を述べた後、宴会の場面になります。

-------
 「今日は珍らしき御方の御慰めに、何事か」など、女院の御方へ申されたれば、「ことさらなる事も侍らず」と返事あり。隆顕の卿に、九献の式あるべき御気色ある。夕がたになりて、したためたる由申す。女院の御方へ事のよし申して、入れ参らせらる。いづ方にも御入立ちなりとて、御酌に参る。三献までは御から盃、その後、「あまりに念なく侍るに」とて、女院御盃を斎宮へ申されて、御所に参る。御几帳をへだてて長押〔なげし〕のしもへ実兼・隆顕召さる。御所の御盃を賜はりて、実兼に差す。雜掌なるとて、隆顕に譲る。思ひざしは力なしとて、実兼、そののち隆顕。
 女院の御方、「故院の御事ののちは、珍らしき御遊びなどもなかりつるに、今宵なん御心おちて御遊びあれ」と申さる。女院の女房召して琴弾かせられ、御所へ御琵琶召さる。西園寺も賜はる。兼行、篳篥吹きなどして、ふけゆくままにいとおもしろし。公卿二人して神楽歌ひなどす。また善勝寺、例の芹生の里数へなどす。
 いかに申せども、斎宮、九献を参らぬよし申すに、御所御酌に参るべしとて、御銚子をとらせおはします折、女院の御方、「御酌を御つとめ候はば、こゆるぎの磯ならぬ御肴の候へかし」と申されしかば、
  売炭の翁はあはれなり、おのれが衣は薄けれど、
  薪をとりて冬を待つこそ悲しけれ
といふ今様を歌はせおはします。いとおもしろく聞ゆるに、「この御盃をわれに賜はるべし」と、女院の御方申させ給ふ。三度参りて、斎宮へ申さる。


そして、その宴会では、大宮院が後深草院に恩着せがましい嫌味を言ったり、後深草院が「実兼は傾城の思ひざししつる。うらやましくや」などと二条絡みで遠回しな嫌味を言ったりするネチッこい場面となります。

-------
 また御所持ちて入らせ給ひたるに、「天子には父母なしとは申せども、十善の床をふみ給ひしも、いやしき身の恩にましまさずや」など御述懐ありて、御肴を申させ給へば、「生を受けてよりこの方、天子の位を踏み、太上天皇の尊号をかうぶるに至るまで、君の御恩ならずといふことなし。いかでか御命〔めい〕をかろくせん」 とて、
  御前の池なる亀岡に、鶴こそ群れゐて遊ぶなれ、
  齢は君がためなれば、天の下こそのどかなれ
といふ今様を、三返ばかり歌はせ給ひて、三度申させ給ひて、「この御盃は賜はるべし」とて御所に参りて、「実兼は傾城の思ひざししつる。うらやましくや」とて、隆顕に賜ふ。そののち、殿上人の方へおろされて、事ども果てぬ。
 今宵はさだめて入らせおはしまさんずらん、と思ふほどに、「九献過ぎていとわびし。御腰打て」とて、御殿ごもりて明けぬ。斎宮も、今日は御帰りあり。この御所の還御、今日は今林殿へなる。准后御かぜの気おはしますとて、今宵はまたこれに御とどまりあり。次の日ぞ京の御所へ入らせおはしましぬる。


ま、細かい内容はリンク先を参照してもらうこととして、この夜も後深草院が前斎宮を訪問するかと思いきや、後深草院は「酒を過ごして、ひどく気分が悪い。腰を打ってくれ」などと二条に言って、二条からマッサージしてもらうとそのまま寝入ってしまいます。
つまり『とはずがたり』では、亀山殿と後深草院と前斎宮との関係は一夜限りですが、後で紹介するように、『増鏡』では何故か連夜の交情となっています。
「歴史物語」の『増鏡』は、単純に資料としての『とはずがたり』を要約引用している訳ではなく、新たに創作を加えている訳ですね。
それが一夜の交情を二夜の交情にする程度の改変ならば、『増鏡』作者のちょっとした遊び心かな、で済むはずですが、実際には増補の分量は半端ではありません。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

伊勢物語第69段とチコちゃん 2022/02/04(金) 15:37:24
小太郎さん
https://ise-monogatari.hix05.com/4/ise-069.kari.html
二条は、悪く言えば、ちょっと食えない女なので、虚実皮膜というか、どこが事実で、どこが虚構なのか、よくわからず、これは事実だろう、などと油断していると、バカじゃないの、と言われそうな気がします。

後深草院の後朝の返事に関して、
「夢の面影はさむる方なくなどばかりにてありけるとかや」
とあるのは、おそらく伊勢物語第69段を踏まえたもので、つまり、伊勢の斎宮の、
君や来しわれやゆきけむおもほえず 夢かうつつか寝てかさめてか
と、業平の、
かきくらす心の闇にまどひにき 夢うつつとはこよひ定めよ
という相聞を踏まえたパロディーであって、「とかや」という尻切れトンボのような語は意地悪なユーモアで、前斎宮は伊勢物語の斎宮のようにパセチックな女でもなく、後深草院は業平のようにダンディな色好みでもないのよ、いやあねえ、とチコちゃんのように二条は呟いているような気がします。
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2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説(その6)

2022-02-04 | 2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 2月 4日(金)12時47分32秒

>筆綾丸さん
>娼家の遣り手のようなプロクセネート二条の薄情な心理

前斎宮の場面での二条の役割は、本当にこうした事実があったとすれば、もっと下級の女官が行なったはずのものですね。
そこで、私が共通テストの出題に関与する権限を持っていたとしたら、次のような問題を提案したいところです。

-------
問5 最上級の女房であるはずの二条が、何故にこんな女衒のような真似をしているのか。その理由として最も適切なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。

①『とはずがたり』の前斎宮エピソードは全て事実。後深草院が亀山殿に伴ったのは最小限の近臣だけだったので、気の利いた女官は存在せず、二条が下級女官のような真似をせざるをえなかった。
②二条は実は下級女官として後深草院に仕えており、前斎宮エピソードはすべて二条が現実に経験した事実。しかし、自伝『とはずがたり』では自らが最上級の女房のように極端に美化した。
③二条は最上級の女房であり、前斎宮エピソードは実際には二条が下級女官から事情聴取した結果を記述したもの。しかし、それでは「臨場感」が出ないため、自分が「当時者」であるかのように工夫した。
④『とはずがたり』の前斎宮エピソードは全て創作。従って二条の役割をあれこれ詮索しても意味がない。
-------

受験レベルでの正解は①ですし、おそらく大半の国文学者の認識も同じだと思います。
しかし、このエピソードが文永十一年(1274)の出来事とすれば、正嘉二年(1258)生まれの二条はまだ数えで十七歳ですね。
十四歳から出仕したとはいえ、まだまだ若手女房の範疇ですが、それなのに何故、二条は色事に対して殆ど遣り手婆のような老練さを見せているのか。
私自身は二条の出自までは疑わないので②は不正解。
また、私は『とはずがたり』は自伝風小説だと思っているので、個人的には④が正解となります。
ただ、『とはずがたり』の前斎宮エピソードが「臨場感」に溢れていることは確かで、これほど「臨場感」がある以上、ある程度の事実を反映しているはず、と考えれば③の可能性も皆無とは言えないかもしれません。
教師と生徒A・B・Cの会話のように、二条が「当事者」だから『とはずがたり』に「臨場感」が溢れていると考えるのではなく、「臨場感」を出すために二条を「当事者」にした可能性ですね。
ま、あまり先走らず、『とはずがたり』の続きをもう少し見て行きます。
前回投稿では、佐々木訳を「もっと心を強く持って朝まで粘ったら面白かったのに」まで紹介しましたが、分かりやすい区切り方ではあっても、原文では次のような文章になっています。

-------
 心強くてあかし給はば、いかにおもしろからんと覚えしに、明けすぎぬさきに帰り入らせ給ひて、「桜は、にほひは美しけれども、枝もろく折りやすき花にてある」など仰せありしぞ、 さればよと覚え侍りし。
 日高くなるまで御殿ごもりて、昼といふばかりになりて、おどろかせおはしまして、「けしからず。今朝しもいぎたなかりける」などとて、今ぞ文ある。御返事にはただ、「夢の面影はさむる方なく」などばかりにてありけるとかや。


ここも上品すぎる拙訳はリンク先を参照していただくとして、雰囲気をうまく再現している佐々木訳を紹介すると、

-------
もっと心を強く持って朝まで粘ったら面白かったのに。御所さまはあまり明けきらないうちに部屋に帰ってきた。
「桜は色つやがいいけれど、枝はもろくて、折りやすい花だな」
なんて言うのを聞いても、ほらね、と思う私。
 日が高くなるまで御所さまは眠り、お昼近くにようやく起きて「ひどく寝坊をしてしまった」と今ごろ後朝〔きぬぎぬ〕の文を送る。前斎宮の返事はただ「お会いした夢からまだ覚めることができません」とだけあったそうだ。やっぱり手応えがない女。
-------

といった具合です。(p116)
この後、前斎宮は登場しませんが、亀山殿での遊興の場面はまだまだ続きます。
そして、二条と東二条院のトラブルが詳しく語られた後、かなり時間を隔てて、後深草院が前斎宮を訪問する場面となります。

『とはずがたり』における前斎宮と後深草院(その7)~(その11)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

proxénète 2022/02/03(木) 22:06:33
小太郎さん
フランス語にproxénèteという語があって、ふつう、売春斡旋業者(仲介者)と訳されますが、
「いたく御心も尽さず、はやうちとけ給ひにけりと覚ゆるぞ、あまりに念なかりし。心強くてあかし給はば、いかにおもしろからんと覚えしに」
には、娼家の遣り手のようなプロクセネート二条の薄情な心理がよく現れていて、他方、後深草院の、
「桜は、にほひは美しけれども、枝もろく折りやすき花にてある」
は、要するに、なんだ、思ったほどの女(体)じゃなかったな、ということだから、プレイボーイらしく、なかなかスゴい捨て台詞です。
現代の若者が、都内の高級ホテルを舞台にして起こした美人局事件を週刊文春で読むときのような味わいがありますね。
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2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説(その5)

2022-02-02 | 2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 2月 3日(木)12時24分32秒

共通テストの【文章Ⅱ】に該当する部分に入って、続きです。

-------
 御物語ありて、神路山の御物語などたえだえ聞え給ひて、「今宵はいたう更け侍りぬ。のどかに明日は、嵐の山のかぶろなる梢どもも御覽じて御帰りあれ」など申させ給ひて、わが御方へ入らせ給ひて、いつしか「いかがすべき、いかがすべき」と仰せあり。
 思ひつることよとをかしくてあれば、「幼くより参りししるしに、このこと申しかなへたらん、まめやかに志ありと思はん」など仰せありて、やがて御使に参る。ただ大方なるやうに、「御対面うれしく、御旅寝すさまじくや」などにて、忍びつつ文あり。氷襲〔がさね〕の薄様にや、
  知られじな今しも見つる面影のやがて心にかかりけりとは

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9cfee7d955c2354539d56ed62708a87e

異母妹の美しさに好色の虫が騒いだ後深草院は、自分の部屋に戻ると二条に相談を持ち掛けます。
佐々木和歌子氏の斬新な現代語訳によれば、

-------
「ねえ、あの人をどうしたらいい? どうしたらいい?」
と私に聞く。やはり惚れちゃったわね、と内心くすくす笑ってしまう。
「幼いころから私に仕えている忠誠のあかしとして、あなたがあの人に手引きしてくれたら、私に対する愛情が本物だと思うことにしようかな」
なんてことまで言うので、すぐに私は使いとして前斎宮のもとに参ることにした。
「ご対面できたことはうれしいことでした。どうですか、旅先で寂しくありませんか」
とありきたりの伝言とは別に、ひそかに御所さまからの手紙を携えていた。氷襲の薄く漉いた紙には、
  知られじな今しも見つる面影のやがて心にかかりけりとは
──御存知ないでしょうね、たった今お会いしたあなたのおもかげが、ずっと私の心にかかって離れないのです……。
-------

という展開となります。(光文社古典新訳文庫版『とはずがたり』、p113以下)
佐々木氏の新訳は、文法的・語彙的な正確さを若干犠牲にしつつも、原文の雰囲気をうまく再現しており、本当に優れた訳業ですね。
従来の研究者の現代語訳はいささか上品に過ぎます。
さて、続きです。

-------
 更けぬれば、御前なる人も皆寄り臥したる、御ぬしも小几帳ひき寄せて、御とのごもりたるなりけり。近く参りて、事のやう奏すれば、御顔うちあかめて、いと物ものたまはず。文も、見るとしもなくて、うち置き給ひぬ。「何とか申すべき」と申せば、「思ひよらぬ御言の葉は、何と申すべき方もなくて」とばかりにて、また寝給ひぬるも心やましければ、帰り参りてこの由を申す。「ただ寝給ふらんところへ、みちびけ、みちびけ」とせめさせ給ふもむつかしければ、御供に参らんことはやすくこそ、しるべして参る。甘の御衣などはことごとしければ、御大口ばかりにて、忍びつつ入らせ給ふ。
-------

ということで、前斎宮は手紙をしっかり読めず、返事もできないので、後深草院の部屋に戻った二条がその旨を報告すると、後深草院は、もういいから「ただ寝給ふらんところへ、みちびけ、みちびけ」と二条を責め立てます。
面倒くさいなと思った二条は、一緒に行くのは簡単なのよ、ということで後深草院を案内し、後深草院は前斎宮の寝所に忍び込む訳ですね。
「いかがすべき、いかがすべき」に続いて「みちびけ、みちびけ」という反復があって、生徒Aの言う「臨場感」が強調されます。
そして、

-------
 まづ先に参りて、御障子をやをら開けたれば、ありつるままにて御とのごもりたる。御前なる人も寝入りぬるにや、音する人もなく、小さらかに這ひ入らせ給ひぬる後、いかなる御ことどもかありけん。うちすて参らすべきならねば、御上臥したる人のそばに寝れば、いまぞおどろきて、「こは誰そ」と言ふ。「御人少ななるも御いたはしくて、御宿直し侍る」といらへば、まことと思ひて物語するも、用意なきことやとわびしければ、「ねぶたしや、更け侍りぬ」といひて、そらねぶりしてゐたれば、御几帳のうちも遠からぬに、いたく御心も尽さず、はやうちとけ給ひにけりと覚ゆるぞ、あまりに念なかりし。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9e64eccdd3502800f9d9dbcf3f13e24d

となります。
共通テストの【文章Ⅱ】は「いかなる御ことどもかありけん」で終わってしまっていますが、その続きが一番面白いですね。
ここも佐々木訳を引用すると、

-------
 まずは私が先に参って、障子をしずかに開けると、前斎宮はさっきと同じように眠っている。女房たちも寝入っているのだろう、音もない。御所さまは体を小さくして前斎宮のもとに這い入った。そのあとはまあ、どんな展開になったことやら。
 私は二人をうち捨てて帰るわけにもいかないので、前斎宮に仕える女房たちのそばに横たわると、女房の一人が今さら目を覚まして、
「あなた誰なの」
と言う。
「おそばの人が少ないのはいかがと思って、宿直〔とのい〕してさしあげているんですよ」
としらじらしく答えてみた。納得したのか、そのままいろいろ話しかけてくるのはなんとも不用心なこと。
「ああ眠いわ。夜も更けましたねえ」
と言って、眠ったふりをしていた。ここから御所さまたちのいる几帳の内も遠くないので、その気配が伝わってくる。たいして苦労もせず事に至ったようだ。もっと心を強く持って朝まで粘ったら面白かったのに。
-------

という展開です。(p115以下)
前斎宮は異母兄にあまり抵抗しなかったとはいえ、積極的な合意はなかったのですから、これは現代であれば立派な犯罪行為ですが、それをすぐ近くで見ていた二条は、もっと抵抗すれば面白かったのに、と感想を述べます。
さすがに入試問題でここまで出せば、若干のトラブルになった可能性は高そうです。
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2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説(その4)

2022-02-02 | 2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 2月 2日(水)12時28分52秒

『とはずがたり』・『増鏡』ともに前斎宮エピソードは相当長く、『増鏡』から【文章Ⅰ】を、『とはずがたり』から【文章Ⅱ】を切り取れば問4の教師と生徒A・B・Cの会話の内容はもっともなのですが、それぞれの全体を比較すると若干の違和感が生じます。
そこで、最初に『とはずがたり』の前斎宮エピソードを全部紹介し、次に『増鏡』の前斎宮エピソードも全部紹介したいと思います。
まず、『とはずがたり』における前斎宮エピソードの位置づけですが、巻一の最後の方に出てきます。
文永九年(1272)の後嵯峨院崩御後、後深草院と亀山天皇のいずれの系統が皇位を継ぐかで争いがあり、後深草院の敗北が確定しそうになった情勢を受けて、後深草院が抗議のために出家を決意すると、幕府が調停に入り、建治元年(1275)、後深草皇子の熈仁親王(伏見天皇、1265生)が亀山皇子の後宇多天皇(1267生)の皇太子となります。
この間、後深草・亀山の母・大宮院は亀山を支持する立場だったので、後深草院との関係が悪化しましたが、その関係修復のために大宮院が滞在する嵯峨の亀山殿に後深草院が招かれた、というのが前斎宮エピソードの前提となる政治的状況です。
『とはずがたり』でも、こうした状況の説明は簡単になされていますが、その後に二条が東二条院(大宮院妹、後深草天皇中宮)に嫌われ、出入り禁止になったという話を挟んで前斎宮エピソードとなります。

『とはずがたり』における前斎宮と後深草院(その1) (その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/87995bbed8c0b1b10592a8518e12b27f
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/41a1453c55784fcf1568d5027f3bdc78

実際には前斎宮・愷子内親王は父・後嵯峨院崩御後、間もなく京都に戻っているのですが、『とはずがたり』では、「御服にており給ひながら、なほ御いとまを許され奉り給はで、伊勢に三年まで御わたりありし」と、三年間伊勢に留まっていたことになっています。

愷子内親王(1249-84)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%B7%E5%AD%90%E5%86%85%E8%A6%AA%E7%8E%8B

前斎宮は二条の父・中院雅忠と何らかの関係があり、斎宮として伊勢に向かったときにも父親が世話をしたのだそうで、その縁から二条も前斎宮と面識があって、ときどき訪問していたのだそうです。
ま、帰京の時点すら史実に反するので、『とはずがたり』の説明がどこまで本当なのかは分かりませんが、とにかく帰京した前斎宮が大宮院に挨拶するため嵯峨の亀山殿を訪問するという話となり、その場に大宮院が後深草院を招く、という展開となります。
そして、後深草院は二条に「おまえはあの御方(斎宮)へも御出入り申し上げている者だから」と二条を連れて行くことになり、二条一人が後深草院と同車で嵯峨に向かいます。
亀山殿に入った後深草院は大宮院と対面しますが、その際に二条も赤色の唐衣をまとっています。
二条が妹の東二条院と不仲なことを心配した大宮院は二条に温かい言葉をかけてくれるのですが、二条は「いつまで草の」(いつまで続くことだろうか)と冷ややかな感想を述べたりします。
同車と赤色の唐衣の件が東二条院の怒りを更に呼ぶことになりますが、それは少し後の話です。
なお、嵯峨への御幸には西園寺大納言(実兼)、善勝寺大納言(隆顕)、持明院長相・中御門為方・楊梅兼行・山科資行等の僅かな近臣が同行しています。

(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/1676461dba8de5ff30afeac5e7b9326a

そして翌日、前斎宮が亀山殿に来て大宮院と対面し、その場に後深草院が呼ばれ、二条も同行します。

-------
 大宮院、顕紋紗の薄墨の御ころも、鈍色の御衣ひきかけさせ給ひて、同じ色の小几帳立てられたり。斎宮、紅梅の三つ御衣に青き御単ぞ、なかなかむつかしかりし。御傍親とてさぶらひ給ふ女房、紫のにほひ五つにて、物の具などもなし。斎宮は二十にあまり給ふ。ねびととのひたる御さま、神も名残をしたひ給ひけるもことわりに、花といはば桜にたとへてもよそめはいかがとあやまたれ、霞の袖を重ぬるひまも、いかにせましと思ひぬべき御有様なれば、ましてくまなき御心のうちは、いつしか、いかなる御物思ひの種にかと、よそも御心苦しくぞ覚えさせ給ひし。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ead8f76611f7509f87dece52a15012e6

ということで、「斎宮は二十にあまり給ふ」以下が共通テストの【文章Ⅱ】となります。
斎宮とその御付の女房の衣装に対する二条の評価は極めて辛辣ですね。
衣装はともかく、年齢相応に成熟し、桜という最上の美しさに喩えられるほどの美人である異母妹に対し、好色な後深草院が内心で色々と思っているであろうことを二条がじっと観察している、という構図が次の展開を予想させます。
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2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説(その3)

2022-02-01 | 2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 2月 1日(火)21時01分45秒

問1~3は省略して、問4を見ると、教師と生徒A・B・Cの会話になっています。

【速報】大学入学共通テスト2022 国語の問題・解答・分析一覧(『高校生新聞』サイト内)

問題文にはX・Y・Zの三か所の空欄があり、当該空欄に入る最も適切な文章を選択する形式になっていますが、そのままでは読みづらいので、予め正解で空欄を埋めた形で引用します。

-------
問4 次に示すのは、授業で【文章Ⅰ】【文章Ⅱ】を読んだ後の、話し合いの様子である。これを読み、後の(ⅰ)~(ⅲ)の問いに答えよ。

教師 いま二つの文章を読みましたが、【文章Ⅰ】の内容は、【文章Ⅱ】の6行目以降に該当していました。
   【文章Ⅰ】は【文章Ⅱ】を資料にして書かれていますが、かなり違う点もあって、それぞれに特徴が
   ありますね。どのような違いがあるか、みんなで考えてみましょう。
生徒A 【文章Ⅱ】のほうが、【文章Ⅰ】より臨場感がある印象かなあ。
生徒B 確かに、院の様子なんかそうかも。【文章Ⅱ】では〔X いてもたってもいられない院の様子が、
   発言中で同じ言葉を繰り返しているあたりからじかに伝わってくる〕。
生徒C ほかに、二条のコメントが多いところも特徴的だよね。【文章Ⅱ】の〔Y 3行目「いつしかいかなる
   御物思ひの種にか」では、院の性格を知り尽くしている二条が、斎宮の容姿を見た院に、早くも好色の
   虫が起こり始めたであろうことを感づいている〕。普段から院の側に仕えている人の目で見たことが書
   かれているっていう感じがあるよ。
生徒B そう言われると、【文章Ⅰ】では【文章Ⅱ】の面白いところが全部消されてしまっている気がする。
   すっきりしてまとまっているけど物足りない。
教師 確かにそう見えるかもしれませんが、【文章Ⅰ】がどのようにして書かれたものなのかも考える必要が
   ありますね。【文章Ⅰ】は過去の人物や出来事などを後の時代の人が書いたものです。文学史では
   『歴史物語』と分類されていますね。【文章Ⅱ】のように当事者の視点から書かれたものではないという
   ことに注意しましょう。
生徒B そうか、書き手の意識の違いによってそれぞれの文章に違いが生じているわけだ。
生徒A そうすると、【文章Ⅰ】で〔Z 院の発言を簡略化したり、二条の心情を省略したりする一方で、斎宮の
   心情に触れているのは、当事者全員を俯瞰する立場から出来事の経緯を叙述しようとしているからだろう〕、
   とまとめられるかな。
生徒C なるほど、あえてそういうふうに書き換えたのか。
教師 こうして丁寧に読み比べると、面白い発見につながりますね。
-------

生徒A・B・Cは、『とはずがたり』の方が『増鏡』より「臨場感」があり、「二条のコメントが多」く、『増鏡』では『とはずがたり』の「面白いところが全部消されてしまって」「物足りない」と感じる訳ですが、それは何故か。
この点、教師は『増鏡』は「過去の人物や出来事などを後の時代の人が書いた」「文学史では『歴史物語』と分類されてい」る作品であって、『とはずがたり』のように「当事者の視点から描いたものではない」ことを指摘します。
これを受けて、生徒は「書き手の意識の違いによってそれぞれの文章に違いが生」じていることに気付き、「院の発言を簡略化したり、二条の心情を省略したりする一方で、斎宮の心情に触れているのは、当事者全員を俯瞰する立場から出来事の経緯を叙述しようとしているからだろう」と纏めた、という訳ですね。
受験レベルでは、以上の内容はもちろん正しいものです。
しかし、若干の疑問がない訳ではありません。
実は、『増鏡』の前斎宮エピソードには、後日談として『とはずがたり』には全く登場しない奇妙な追加エピソードが描かれています。
教師の指摘は、要するに『増鏡』は『とはずがたり』などを資料として、『とはずがたり』の作者より後の時代の人が書いた『歴史物語』だ、ということですが、『とはずがたり』に存在しない前斎宮エピソードが『増鏡』に存在していたら、この二つの作品の関係は些か奇妙なものになります。
もちろん、史実である前斎宮エピソードの一部は『とはずがたり』に記録され、別の一部は別の資料に記録されており、『増鏡』作者は二つの資料を見た上で、「当事者全員を俯瞰する立場から出来事の経緯を叙述しようと」したと考えることも可能ではあります。
しかし、関係者が極めて僅かな宮中秘話である前斎宮エピソードが、果たしてそんなに多くの資料に記録されるものなのか。

>筆綾丸さん
>そんなエッチな問題を

私個人は、こんなエロ問題はセクハラだ、パワハラだ、などと騒ぐタイプではないので全然気にしませんが、しかしまあ、『増鏡』はもちろん、『とはずがたり』にだってもっと格調高い場面はいくらでもあるので、何でわざわざ前斎宮のエピソードを選んだのだろう、という疑問は残りますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

好色一代女 2022/02/01(火) 17:02:11
小太郎さん
https://www.moj.go.jp/MINJI/minji07_00238.html
問題作成者(大学教員?)には変態と変人が多いとはいえ、改正民法(成年年齢)の施行は2022年4月1日で、現行民法下では、実施日(2022年1月15日)現在の高校3年生は殆ど18歳の未成年ですから、そんなエッチな問題を出してもいいの、各都道府県の青少年健全育成条例に違反するのではないか、というような気がしないでもなく、誰かが文科省を相手に訴訟を提起したら、案外、面白くなるかもしれないですね。
とはいえ、来年の受験生は晴れて成年者になるので、西鶴『好色一代女』等からも堂々と出題できる、ということになりますか。

蛇足
「甘の御衣などはことごとしければ、御大口ばかりにて」は、現代風に意訳すれば、「ズボンを脱ぎ捨て、あらわなパンツ姿で」といった感じで、院の姿が目に浮かぶようです。
コメント
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2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説(その2)

2022-02-01 | 2022共通テスト古文問題の受験レベルを超えた解説
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2022年 2月 1日(火)12時52分54秒

マンガ化されたり、瀬戸内晴美によって小説化(『中世炎上』)されたりしている『とはずがたり』に比べると、鎌倉時代を朝廷側から概観した歴史物語『増鏡』は地味な存在ですが、後鳥羽院と後醍醐天皇の時代を中心に非常に格調の高い場面も多いので、戦前はなかなか人気がありました。
注釈書も多数出されましたが、中でも前回投稿で紹介した和田英松・佐藤珠『修訂 増鏡詳解』(明治書院、1913)は本当にレベルが高くて参考になりますね。
ただ、『増鏡』に膨大な分量が「引用」されている『とはずがたり』が出現する前の著作なので、前斎宮の場面の「院」を亀山院と解するなど、今から見ればちょっと頓珍漢な記述も若干ありますね。
さて、あまり先走らず、まずは問題文をしっかり確認しておきたいと思います。

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第3問 次の【文章Ⅰ】は、鎌倉時代の歴史を描いた『増鏡』の一節、【文章Ⅱ】は、後深草院に親しく仕える二条という女性が書いた『とはずがたり』の一節である。どちらの文章も、後深草院(本文では「院」)が異母妹である前斎宮(本文では「斎宮」)に恋慕する場面を描いたものであり、【文章Ⅰ】の内容は、【文章Ⅱ】の6行目以降を踏まえて書かれている。【文章Ⅰ】と【文章Ⅱ】を読んで、後の問い(問1~4)に答えよ。なお、設問の都合で【文章Ⅱ】の本文の上に行数を付してある。(配点 50)

【文章Ⅰ】
 院も我が御方にかへりて、うちやすませ給へれど、まどろまれ給はず。ありつる御面影、心にかかりておぼえ給ふぞいとわりなき。「さしはへて聞こえむも、人聞きよろしかるまじ。いかがはせん」と思し乱る。御はらからといへど、年月よそにて生ひたち給へれば、うとうとしくならひ給へるままに、つつましき御思ひも薄くやありけむ、なほひたぶるにいぶせくてやみなむは、あかず口惜しと思す。けしからぬ御本性なりや。
 なにがしの大納言の女、御身近く召し使ふ人、かの斎宮にも、さるべきゆかりありて睦ましく参りなるるを召し寄せて、
「なれなれしきまでは思ひ寄らず。ただ少しけ近き程にて、思ふ心の片端を聞こえむ。かく折よき事もいと難かるべし」
とせちにまめだちてのたまへば、いかがたばかりけむ、夢うつつともなく近づき聞こえ給へれば、いと心憂しと思せど、あえかに消えまどひなどはし給はず。
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いったん、ここで切ります。
【文章Ⅰ】については私も拙い訳を試みています。

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【私訳】後深草院も御自分の部屋に帰って横になられたが、まどろまれることもできない。先程の斎宮の御面影が心の中にちらついて、忘れられないのは何としても、いたし方ないことだ。「わざわざ自分の思いを述べた手紙をさし上げるのも人聞きがよくなかろう。どうしようか」と思い乱れておられる。斎宮とは御兄妹とは申しても、長い年月、互いに離れてお育ちになったので、すっかり疎遠になってしまわれておられるので、(妹に恋するのはよくないことだ、という)慎まれるお気持も薄かったのであろうか、ただひたすらに思いもかなわず終ってしまうのは残念に思われる。けしからぬ御性格であることよ。
 某大納言の娘で御身近に召し使う女房が、斎宮にも然るべき縁があって親しく参り慣れていたが、その者を召し寄せて、「斎宮に対して慣れ慣れしく、深い仲になろうとまでは思ってもいない。ただ少し近い所で、私の心の一端を申し上げようと思う。こういう良い機会も容易に得がたいであろう」と熱心に、真面目におっしゃるので、その女房はどのようにうまく取りはからったのであろうか、院は闇の中を夢ともうつつともなく(斎宮に)のおそばに近づかれたところが、斎宮はまことにつらいことと思われたが、弱々しく今にも死にそうに、あわてまどうということはなさらない。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b7aee4690e5603b5bda8b5c5d5736bd5

設問に戻って、続きです。

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【文章Ⅱ】
 斎宮は二十に余り給ふ。ねびととのひたる御さま、神もなごりを慕ひ給ひけるもことわりに、花といはば、桜にたとへても、よそ目はいかがとあやまたれ、霞の袖を重ぬるひまもいかにせましと思ひぬべき御ありさまなれば、ましてくまなき御心の内は、いつしかいかなる御物思ひの種にかと、よそも御心苦しくぞおぼえさせ給ひし。
 御物語ありて、神路の山の御物語など、絶え絶え聞こえ給ひて、
「今宵はいたう更け侍りぬ。のどかに、明日は嵐の山の禿なる梢どもも御覽じて、御帰りあれ」
など申させ給ひて、我が御方へ入らせ給ひて、いつしか、
「いかがすべき、いかがすべき」
と仰せあり。思ひつることよと、をかしくてあれば、
「幼くより参りししるしに、このこと申しかなへたらむ、まめやかに心ざしありと思はむ」
など仰せありて、やがて御使に参る。ただおほかたなるやうに、「御対面うれしく、御旅寝すさまじくや」などにて、忍びつつ文あり。氷襲の薄様にや、
「知られじな今しも見つる面影のやがて心にかかりけりとは」
 更けぬれば、御前なる人もみな寄り臥したる。御主も小几帳引き寄せて、御殿籠りたるなりけり。近く参りて、事のやう奏すれば、御顔うち赤めて、いと物ものたまはず、文も見るとしもなくて、うち置き給ひぬ。
「何とか申すべき」
と申せば、
「思ひ寄らぬ御言の葉は、何と申すべき方もなくて」
とばかりにて、また寝給ひぬるも心やましければ、帰り参りて、この由を申す。
「ただ、寝たまふらん所へ導け、導け」
と責めさせ給ふもむつかしければ、御供に参らむことはやすくこそ、しるべして参る。甘の御衣などはことごとしければ、御大口ばかりにて、忍びつつ入らせ給ふ。
 まづ先に参りて、御障子をやをら開けたれば、ありつるままにて御殿籠りたる。御前なる人も寝入りぬるにや、音する人もなく、小さらかに這ひ入らせ給ひぬる後、いかなる御事どもかありけむ。
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こちらも私訳を参照願います。

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【私訳】斎宮は二十歳を過ぎておられる。十分に成熟なされた御様子は、伊勢の神が名残を惜しまれてお引きとどめになったのももっともと思われ、花でいえば、桜に喩えても、はた目にはさほど見当違いではあるまいと見誤れるほどで、袖を覆ってお顔が隠れる間も見続けていたいと思われるような御様子なので、まして飽くまで色好みの院の御心の中は、早くもどんな御物思いの種になっていることだろうかと、傍からも斎宮がお気の毒に思われた。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ead8f76611f7509f87dece52a15012e6

【私訳】斎宮は院とお話をして、伊勢の神通山のことなどを、とぎれとぎれに申し上げられると、院は「今宵はたいそう更けてしまいました。明日はゆっくりされて、嵐山の木の葉の落ちた梢などを御覧になってお帰りください」などとおっしゃって、自身のお部屋に戻られると、さっそく私に、「どうしたらよいだろう、どうしたらよいだろう」と仰せになる。
 予想通りだとおかしく思っていると、「お前が幼いときから私に仕えてきた証拠に、あの人との間をうまく取り持ってくれたら、本当に私に対して誠意があるものと思うぞ」などとおっしゃるので、さっそくお使いに参った。ただ一通りの挨拶のようにして、「お会いできてうれしく思いました。御旅寝も寂しくはありませんか」などといった口上で、別に密かにお手紙がある。氷襲の薄様であったか、
  知られじな……(今逢ったばかりのあなたの面影が、すぐに私の心に
  とどまってしまったとは、あなたは御存知ないでしょうね)
 夜が更けていたので、斎宮の御前に伺候している女房たちも皆寄り臥しており、御本人も小几帳を引き寄せておやすみになっておられた。近く参って、院の仰せの旨を申し上げると、お顔を赤らめて、特に何もおっしゃらない。お手紙も見るともなく、そのままお置きになった。「何と御返事申しましょうか」と申し上げると、斎宮は「思いがけないお言葉は、何とご返事のしようもなくて」とばかりで、また寝てしまわれたのも余り感心しないので、院のもとに帰って事情を申し上げる。すると院は、「何でもよいから、寝ておいでの所へ私を案内しろ、案内しろ」としつこくお責めになるのも煩わしいので、お供に参るだけなら何でもないことだから、ご案内した。甘の御衣などは大袈裟であるので、院は大口袴だけで、こっそりとお入りになる。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9cfee7d955c2354539d56ed62708a87e

【私訳】私がまず先に入って、御襖をそっと開けると、先ほどのままでお寝みになっておられる。御前の女房も寝入っているのであろうか、声を立てる人もおらず、院がお体を低くなさって這うようにしてお入りになった後、どのようなことがおありだったのであろうか。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9e64eccdd3502800f9d9dbcf3f13e24d

【文章Ⅱ】は「いかなる御事どもかありけむ」で終わっていますが、何があったかは決まっていますね。
要するにここは、後深草院が二条の案内で、異母妹の前斎宮の寝所に忍び入って、合意を得ないままレイプしたという際どいお話です。
こんなものを入試問題にしてよいのか、という道徳的立場からの、いわば古臭い批判の他に、セクハラ・パワハラに対する世間の目が厳しい現在では、別の立場からの批判もありそうですね。
即ち、大学に入学を希望する者には必須の入試問題ですから、受験生はこうした破廉恥・不愉快な話を読むことを公権力によって強要されている訳で、そうした強要自体がセクハラ・パワハラではなかろうか、といった批判ですね。
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