宮廷天国誇示日本。
(帝紀(ていき)・旧辞(きゅうじ))→(国記(こっき)・天皇記)→(古事記(こじき)・日本書紀(にほんしょき))
[ポイント]
1.古代の修史事業で、『帝紀』・『旧辞』、『天皇記』・『国記』、『古事記』・『日本書紀』の2書ずつ3組、計6書が編纂され、これに『続日本紀』が続く。
[解説]
1.帝紀・旧辞は、欽明朝頃成立か。両書とも、現在散逸して伝わらない。両書とも『記紀』編纂の原資料となったと伝わる。
2.帝紀は、天皇の皇位継承を中心とする伝承・歴史を主内容としていたと推定される。
3.旧辞は、古代の神話・伝承をそれぞれ主内容としていたと推定される。
4.天皇記・国記は、620年成立。厩戸皇子が蘇我馬子と共に編集。蘇我氏の滅亡と共に焼失したものと思われる。天皇記は、歴代天皇の系譜を記したものと言われる。国記は、国の歴史を記したものらしい。
5.古事記は、元明天皇の712年完成。稗田阿礼の誦習した神代(じんだい)から推古天皇までの天皇系譜や皇室の伝承を太安万侶が筆録したもの。漢字の音訓を用いて日本語表記している。3巻。系図1巻は現存しない。
6.日本書紀は、元正天皇の720年完成。国家による最古の正史。編者は舎人親王(天武天皇の第3皇子)ら。神代から持統天皇に至る天皇中心の記述。『日本紀』ともいう。
〈2014立大・法・経済(経済政策)・異文化コミュ
2.下線部2)推古天皇に関連する記述として正しくないのはどれか。次のa~dからlつ選べ。
a.甥の厩戸皇子が編纂したとされる書に『天皇記』と『国記』がある
b.小野妹子が遣隋使として派遣された
c.十二階からなる冠位の制度がもうけられた
d.中国の文物を学ばせるため、高向玄理、南淵請安、玄昉を留学させた
(答:d ※玄昉→旻、なおaは正文)
〈2010明大・政経
設問2 下線部(イ)天武九年、川嶋・忍壁(おさかべ)の二皇子に詔して、[ 1 ]及び上古の事を撰せしむるは、「天武九年」とあるが、実際には『「日本書紀』天武十年の記述である。空欄[ 1 ]には、『日本書紀』の編纂材料の一つになったと伝えられるものがあてはまる。その名称を、漢字で記しなさい。
(答:帝紀)〉