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浄土教と末法思想

2018-06-02 | Weblog

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●平安時代(花山天皇)

 985年(寛和元年) 〈源信、『往生要集』完成〉★★

Ojoyoshu is a Buddhism book compiled in 985 by Genshin, a Sozu in Eshinin Temple at Yokawa on Mt. Hiei, in which he collected important passages relating to gokuraku ojo, extracting from many sources such as Buddhist scriptures and instructions in terms of the Jodo Sect.

苦は公言し 往生よ。

985年     源信    『往生要集』  浄土教

 

985、横川の恵心院に隠遁していた源信浄土教の観点より、多くの仏教経典論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書、『往生要集』を著して死後に極楽往生するには、一心に仏を想い念仏の行をあげる以外に方法はないと説き、浄土教の基礎を創った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



[point]

1.浄土教空也などが広め、源信が『往生要集』で体系化し、慶滋保胤往生伝で知られる。

[解説]

1.浄土教(浄土信仰)は、阿弥陀仏を信仰し、念仏(南無阿弥陀仏)を唱えれば、死後は極楽(ごくらく)に往生する、すなわち天国に行くことができると説く仏教の教え。

2.空也(903~972)は、(こうや
)とも読む。諸国を遊行し念仏を説き、10C中頃、京都市中で浄土教を広めた。市聖(いちのひじり)ともいう。なお空也は国風文化の人だが、空也上人像(六波羅蜜寺)は鎌倉文化を代表する彫刻なので、正誤問題には気をつけてください。

3.源信(942~1017)は、天台宗の僧で『往生要集』を著し、浄土教体系化した。恵心僧都(えしんそうず)とも称される。なお同書は中国()でも高く評価された。


4.末法(まっぽう)思想は、仏陀(釈迦)の死後1000年間は仏法が栄えて世に幸福がもたらされる(正法)。その後の1000年間は仏法が衰える(像法)。さらに1000年を経て末法の世となるという予言的思想。1052年が末法初年と考えられ、浄土教信仰が強まる要因となる。

5.往生伝は、極楽往生したとされる人々の体験集で、末法思想の流行に伴いもてはやされた。慶滋保胤(?~1002)の『日本往生極楽記(にほんおうじょうごくらくき)』がその代表作。

2014早大・国際教養

6 下線郎f造寺・造物・写経等が盛んになりに関連する記述として、誤っているものはどれか。1つ選べ。
  
 ア 豊後国の豪族は富貴寺大堂を建てた。
 イ 定朝は寄木造による和様の仏像様式を大成した。
 ウ 藤原頼通は宇治に平等院阿弥陀堂を建てた。
 エ 藤原清衡は平泉に中尊寺阿弥陀堂を建てた。
 オ 源信は『往生要集』を書き、醍醐寺を建てた。

(答:オ ※醍醐寺の創建は理源大師聖宝である。

2014早大・教育:「
問6 下線部e「濁世末代」から「往生極楽」するためには、念仏などの実践がもっとも有効な方法であるいう教えに関連する説明で正しいものはどれか。

 ア 慶滋保胤は『日本往生極楽記』を著して、これから念仏往生しそうな人々を記録にとどめた

 イ 比叡山の源信が著した『往生要集』は、宋に送られて広まったと言われている。
 ウ 六波羅蜜寺に伝わる空也像は、笏と太鼓をもって口から「南無阿弥陀仏」を唱えている立ち姿である
 エ 釈尊の死後、正法・中法の世についで末法の世がおとずれるという思想も浄土信仰を加速した
 オ 関白を務め終えた藤原道艮が晩年に建立した法成寺は、阿弥陀堂を中心とした壮麗なものであり、道長はここで死を迎えた

(答:イ〇 ※ア×『日本往生極楽記』は、これから念仏往生しそうな人々ではなく、往生を遂げた人々の伝記を集めたものである、ウ×六波羅蜜寺に伝わる空也像は笏と太鼓ではなく、胸に下げた太鼓を鳴らす撞木を右手に、左手には鹿の角をさした杖をもっている、エ×正法・像法・末法の順である、オ×藤原道長は関白には就任していない。

2012法政大・法営文

問6.下線部A「末法思想」について、80字以内で説明せよ。」

〔解答例〕釈迦の死後、正法・像法を経て末法という乱世に突入するという仏教の予言思想。1052年に末法に入ると考えられ、浄土教信仰が強まる要因となる。(67字)〉

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円仁

2018-06-02 | 入試問題+ゴロ合わせ

847年(承和14年)12月 円仁、『入唐求法巡礼行記』成る。

橋成す入唐 求法巡。

847年 円仁 『入唐求法巡礼行記』



[ポイント]

1.円仁は祖とする比叡山延暦寺に拠る山門派の祖で、その著書に『入唐求法巡礼行記』がある。

[解説]

1.真言宗の密教を東密とよび、最澄が創始した天台宗の密教を台密とよんでいる。その後台密は弟子の代に本格化し、円仁の派と円珍の派に分かれる。

2.10世紀末以降、円仁の門流は延暦寺に拠(よ)って山門派とよばれ、円珍の門流は園城寺(三井寺)に拠って寺門派とよばれ、両者は対立した。

3.円仁(794~864)は、最澄の弟子で、唐に留学(838~847)し天台教学・密教を学ぶ。諡(おくりな)は慈覚大師(じかくだいし)という。

4.円仁の著した『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)』はその際の旅行記で、史料が少ない唐末を知る上で世界史上貴重な史料である。

〈2015立命館・全学部

(h)下線部8. 高い力を有する僧はこれら有力者との個人的な関係を構築したに関連して、中国に留学し、帰朝して第3世天台座主となり、ときの天皇に灌頂を授けた僧は誰か。漢字2文字で答えよ。

(答:円仁※清和天皇に灌頂を授けた)

〈2012立命館大学・法文経済経営など

(b)下線部2念仏によって阿弥陀浄土への往生を願う浄土教に関連して、浄土教が日本に本格的に定着するのは、838年に入唐して天台教学や密教を学び五台山を巡礼して847年に帰国した天台僧の影響も介在している。この僧の名前を漢字2字で答えよ。

(答:円仁)〉 

〈2011文教大・全学部:「下線部(g)円仁に関連する天台宗内部の派閥について述べた文として正しいものはどれか。次の中から一つ選べ。

(1) 円仁の門派は山門派と呼ばれ、延暦寺に拠点を置き続けた。
(2) 円仁の門派は寺門派と呼ばれ、園城寺に拠点を置いた。
(3) 円珍の門派は寺門派と呼ばれ、延暦寺に拠点を置き続けた。
(4) 円珍の門派は山門派と呼ばれ、園城寺に拠点を置いた。

(答:1 ※2円仁は山門派、3延暦寺は山門派、4園城寺は寺門派)

 

三人珍事を。

山門派 円仁 円珍(えんちん)・寺門(じもん)派 園城寺(おんじょうじ)


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国風文化

2018-06-02 | Weblog

豊饒小銃 苗圃アーミー。

法成寺(ほうじょうじ))(平凰堂と鳳凰堂阿弥陀如来像)((こうやさん)聖衆(しようじゅ)来迎図(らいごうず))(国風文化)

[ポイント]
1.国風文化を代表するのは、建築は法成寺平等院鳳凰堂、彫刻は平等院鳳凰堂阿弥陀如来像、絵画は高野山聖衆来迎図

[解説]

1.法成寺(現存せず)は、藤原道長が京都鴨川に建てた天台宗の寺。平安時代を代表する大寺だったが、たびたび火災にあい、南北朝時代に廃絶された。法成寺の別名が御堂(みどう)で、その阿弥陀堂が無量寿院(むりょうじゅいん)。道長はこの無量寿院に住んだため、御堂は道長の異名ともなり「御堂殿」「御堂関白(ただし道長は関白に就任していないので正誤問題に注意)」などと呼ばれた。

2.平等院鳳凰堂は、藤原頼通が創建。宇治の別荘を、阿弥陀堂に改築したもの。阿弥陀堂は阿弥陀仏を安置する堂で、特別に鳳凰堂・金色堂などという名を冠するものもある。


3.平等院鳳凰堂阿弥陀如来像は、平安中期の仏師定朝の作で、寄木造の手法を用い、定朝様と呼ばれる優美な和様の像。


4.高野山聖衆来迎図は、浄土教の流行により多く描かれた代表的な来迎図。来迎図は、阿弥陀仏一行が極楽浄土から雲に乗って迎えに来る有様を描いた絵。極楽への往生を願う人は、その絵のある堂内に病臥(びょうが)し、あたかも阿弥陀仏の導きで往生できるかの幻想を抱きつつ臨終(りんじゅう)を迎えた。多くの菩薩(ぼさつ)(聖衆)を従える図が多い。平安時代後期から鎌倉時代に盛んに描かれた。高野山の来迎図は現存する来迎図でもっとも大規模なもので、大和絵風かつ来迎図の傑作。


5.その他代表建築には、法界寺がある。11C中頃に藤原氏の一族、日野氏の氏寺で真言宗の寺。日野資業(すけなり)が再興した。


6.その他代表絵画は、平等院鳳凰堂扉絵


7.後世大和絵(やまとえ)の祖とされるのは、巨勢金岡(こせのかなおか)(生没年不詳、9C)。日本的な画題・様式・技法で描き、彼から大和絵(唐絵(からえ)に対する日本風の絵の意)が始まる。作品は現存しない。

〈2015法大・文人問関係経営

問5 下線部c御堂関白に関して、この名は道長が建立したある寺院に由来する。その寺院の名を、以下のア~オのなかから一つ選べ。
 ア法成寺 イ法性寺 ウ醍醐寺
 エ神護寺 オ石山寺

(答:ア)

〈2014立大・法・経済(経済政策)・異文化コミュ

 末法の世が到来するとされた〈 う 〉年が近づくにつれて、浄土信仰が盛んになった。来世における極楽往生を願う貴族たちは、極楽浄土を模した仏堂を造立しだした。
 藤原頼通が宇治川のほとりに建立した鳳凰堂が代表例である。鳳凰堂の本尊の阿弥陀如来像をつくったのが、( ト )である。また( ト )の時代には。仏像の身体をいくつかのバーツに分け、大勢で別々に彫った上で組み合わせる寄木造の技法が発達し、末法思想を背景とする仏像への需要の増大にこたえた。

A.文中の空所(ト)にあてはまる適当な語句をしるせ。
B.文中の空所〈う〉にあてはまる適当な数字を、次のa~dから1つずつ選べ。
 a.1016 b.1052
  c.1112  d.1156

(答:ト定朝、うb)〉

〈2014明大・国際日本(国際日本)

 浄土教は難行を斥け、[ H ]と称えれば、死にゆく者が救済され、臨終の際、悪人でさえ極楽た往生することができると説く。図2のようにこの臨終往生の場面を描いた絵を[ I ]と呼ぶ。」

8 空欄Hに入る語句を漢字6文字で記入しなさい。
9 空欄Ⅰに入る語句を漢字3文字で記入しなさい。

(答:H南無阿弥陀仏、I来迎図)〉

〈2013青山学院・文教育経済法経営など

 一方で、貴族層にも浄土教が浸透し、藤原道長やその子頼通は、贅を尽くした仏像や寺院を造営した。そこには、e西方浄土への強い思いが託されていたが、逆にいえば、こうした壮麗な仏像や堂舎を建立することが、極楽往生のための善行と信じられていたのである。

問12.下線部eに関して、このような思想を反映した建築・作品として誤っているものを、次の1~4の中から一つ選んでマークしなさい。」

 1平等院鳳凰堂   2法界寺阿弥陀堂
 3高野山聖衆来迎図 4教王護国寺両界曼荼羅

(答:4)〉

〈2012早大・政経

3 下線部e平等院の本尊である阿弥陀卸来像を作った仏師は誰か。」

(答:定朝)

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