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清少納言(枕草子・定子
[point]
1.清少納言は清原元輔の娘で、皇后定子に仕え『枕草子』を書いた。
[解説]
1.清少納言(生没年不詳)の父は清原元輔だが、当時の女流文人のすべてと同じく名前は不明で、和歌よりも散文に秀でていた。、
2.『枕草子』は、宮廷生活の体験を随筆風に記したもので、『源氏物語』とともに、国文学で最高の傑作とされている。
3.清少納言は、正暦年間(990~994)、一条天皇の皇后定子(藤原道隆の娘)に仕えた。同時期、紫式部も同天皇の中宮彰子(道長の娘)のもとに仕えており、それぞれが仕える皇后・中宮に天皇の寵愛を競わせるライバルの関係にあった。
4.かな文学の隆盛は、貴族たちが天皇の後宮にいれた娘たちに競ってつけた、清少納言や紫式部のようなすぐれた才能を持つ女性たちによってもたらされたものである。
〈2016早大・政経:「
問1.下線部(藤原道長は)a四人の娘を次々に天皇に嫁がせに関連する説明として誤っているものはどれか。
ア これにより道長は、連続する3代の天皇の外祖父となった。
イ 道長が「望月の歌」を詠んだのは、娘の威子が皇后になった日であった。
ウ 『枕草子』を著した清少納言は、この四人のうちの一人に仕えた。
エ 頼通も娘を後冷泉天皇に嫁がせた。
オ 道長は甥との権力闘争の後、娘たちを人内させた。」
(答:ウ×仕えた定子は藤原道隆の娘)
〈2015関西大・法:「
(I)9世紀後半から10世紀にかけては、日本と大陸の関係が大きく変化することから、日本的な文化が発展するといわれる。ただし、『枕草子』にみえる「香炉峰の雪」の逸話からもうかがわれるように、当時の貴族や女房は『( 9 )』をはじめとする中国の詩文や書跡を愛好しており、中国文化をよく踏まえた上での日本文化ということができる。」
(答:9白氏文集※選択肢が25語あり)〉
〈2012同志社大学・文経済
【設問11】清原氏からは『後撰和歌集』の編集に関わった清原元輔など多くの歌人を輩出しているが、元輔の娘も一条天皇の中宮藤原定子に仕えた女房で、歌人でもあった。その人物名を解答欄に漢字で記せ。」
(答:清少納言)〉